第10話 赤壁
結局一度も話をしていない。
遠ざかる王都を振り返り、レオナはそこにいるはずの友人を思った。
こちらから参じなければ国王陛下と会話をする機会が無いのは当然の事。
出立の挨拶で半月ぶりに顔を見たけれど、ただの護衛の軍人に過ぎないレオナは後列に控えているだけで言葉を交わす機会など無かった。
そして、もう一人の友人はこの一行にいるが――会話どころか目もあわせようとしない。
「まあ、仕方ないか……」
白馬に跨ったファズを遠くに見ながらレオナは一人呟いた。
性別を偽り、二人を裏切り続けていたのは自分だ。
こうして友人を失うのも、それは自分に課せられた罰の一つ。
寂しさは拭えないが、仕方が無いと諦める事もできた。
隣国ヨシュアへ王女を迎えに行く一行は、長い列を作って荒地の道を進んでいた。
行きは使者であるファズと数名の文官が先頭を行き、その後を近衛騎士団から選ばれた者達が続く。レオナを含めた第二連隊は、ルティア達を乗せた馬車や荷馬車と共に最後尾だ。
帰りはその列に王女が加わり、また文官の殆どがヨシュア王都へ向かうため人数に多少の変動があるものの、おおよその順は変わらない。使者のファズと華やかな騎士たちに先導されて王女の乗る馬車と嫁入り道具などを乗せた馬車が進む予定だ。そしてレオナ達は王女の馬車の周囲を警戒する任にあたる。
途中途中立ち寄る町ではその地域を担当する連隊の連隊長と会い、帰りにそこを通過する際の警備のサポートを頼んで回る。
とはいえ、それも書面での通達は済んでいるから最終的な確認だけだ。
何の問題もなく、予定通り十日後に一行はそこへ到達した。
「レオナ」
馬を寄せてきたのはレオナの部下であり、第四中隊長を務めるペールだった。
飄々として人当たりが良く、顔も広いため、レオナは入隊した頃から何かとこの男に助けられて来た。
ペールはこの連隊に居るものとしては珍しく、剣の扱いが苦手だ。その代わりに弓矢は百発百中の腕を持ち、馬で駆けながら林の中の敵を射抜くといった器用な事をやってのける。その技からもわかるように操馬も得意で、今も片手で手綱を引き、余裕の姿を見せていた。基礎に忠実に姿勢を正して両手で手綱を握るレオナとは対照的だ。
そのペールは、手綱を持たない方の手で目の上にひさしを作り、遥か上方を見た。
「これは……想像以上だな」
つられてレオナも天を仰ぐ。
いや、両側に聳え立つ真っ赤な壁を。
ペールだけでは無い。
文官も騎士たちも、そこにいる全員がその奇景に圧倒されていた。
「これが有名な『ラディオラの壁』か」
「――そう呼ぶのか」
「西方遠征を経験した奴はそう言ってるな。俺の爺さんの時代だ。正式には『鉄の谷』だったっけか」
谷底の細い道を進みながら、ペールはゆっくりと首を回した。
酸化した鉄で赤茶色に染まった岩肌にはぽっかりと黒い穴が無数に空いている。
「あの穴全部が坑道なのか」
「全部……じゃないな。道に接している大きいのは坑道だけど、高いところに空いている小さい穴は通気口」
「随分な数だ」
「……第四中隊長として、どう思う?」
そう問いかけるとペールは真顔になる。
坑道の入り口のひとつひとつを睨みつけるその目は先程までとはまったく違う。
「高低差もあるし道が細いせいで、道を歩く者からは穴の中の殆どが死角。罠は仕掛け放題だな。
まあ、こんな逃げ場の無い地形だ。わざわざトラップなんざ仕掛けなくても、下の穴に兵士を潜ませて、上の穴から矢でも射掛けて奇襲を掛けるだけでも十分だと思う」
「お前だったら」
「両方だな。前後から挟撃しつつ、上方からの投石か何かで目標を分断させる。混乱すりゃあ、一部は周囲の坑道へ逃げ込むだろう。その坑道の中にトラップを仕掛けて一網打尽ってとこか」
「……さすがだな」
感心したのはその分析の素早さと正確さ。レオナが色んな可能性をこねくり回してその結論に至るまで一晩掛かったというのに。トラップを専門とする第四中隊を率いているだけはある。
そのペールは坑道の中に興味を示しているようだ。真っ暗で奥はまったく見えないというのに通り過ぎるたびに覗き込むように首を伸ばしている。
「この中の安全確認は済んでいるんだろ」
「ああ。この地域に駐留している連隊に坑道を全て確認させた。それに昨日から王女が通過するまでの一週間、鉱夫を含めた一般人の立ち入りを禁止している」
レオナは所々に立つ見張りの兵に敬礼を返しながら言った。
この場所だけはすでに厳戒態勢だ。
「対策は十分って訳だな」
ペールの呟きは、レオナの不安を刺激した。
「……十分だと思うか」
「なんだ、納得してねえって顔して」
「坑道には出入り口が無数にあるし、中は鉱夫ですら迷う事があるというほど入り組んでいる。こうして入り口を固めたくらいで完璧だとは思えない」
「ふうん……まあ、確かに俺も今まで通った中ではここが一番危険だと思う。
一人二人の暗殺者をけしかけるんじゃなく集団で襲って来ようってなら、ここだな」
ペールは断言した。
「とりあえずこの先も一応見ておかねえといけねえから、今は着いていくが、帰りは離脱して良いか」
「離脱してどうする?」
「一足先にここに戻って再度安全確認だな。こんなに広いから出来ればウチの中隊から何人か連れてきたい」
「わかった。任せる」
レオナの肩から少し力が抜けた。
本当はそれをやりたかったのは自分だ。けれど自ら抜ける訳にはいかないから迷っていたのだ。
でも、誰より奇襲に詳しくて信頼のできるこの男の目で確認してもらえれば……きっと大丈夫。
「ペール。この先に、一段と道が細くなる所があるんだ」
レオナはゆるやかにカーブする道の先を指差した。
ここからでもかろうじて岩が飛び出たようになっているのが見える。
「あそこで急に道幅が狭まって、鉱石を積んだ馬車がギリギリすれ違う位しかない。オレなら確実にあそこを利用する」
これまでよりも更に迫ってくるような地形を、ペールは目を細めて見ていた。
岩肌を上から下まで確認し、両脇から飛び出る硬い岩や道に散らばる落石に眉をひそめた。道も粗いのでここではペースを落とす事を余儀なくされるし、大きな馬車の車軸には特に負荷が掛かる。
まさに今、二人の背後の馬車が軋む音が響いた。
ペールはそこを通り抜けてからようやく同意を示した。
「俺の目にもさっきの場所だな。
逆にあれを抜けて安心しきったところを狙うって手もあるが……」
何かを考えながら、ペールは天を仰いだ。
その様を見ていたレオナはようやく決意した。
「ペール。帰りはお前にオレの剣を預ける。
万が一に備えて、このすぐ近くにある『No.194』という坑道の近くにでも隠しておいてくれないか」
「どういう事だ」
「オレは王女の馬車に同乗して警備する事になっている。長い剣は扱いづらいから、短剣を携帯するつもりだ」
「……なんか隠してねえか」
罠を探るような目でレオナの顔をじっと見つめた。
しかし、今はこれ以上説明するつもりは無い。
「いずれ話す」
横目で「No.194」と書かれたプレートを確認しながらレオナは馬を進めた。