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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
花嫁の騎士
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第8話 細雨

 王都にしては珍しい、しとしと雨が降っていた。

 レオナがこの街に来て3度目の雨の季節。しかしこんな雨は初めてだ。王都の雨といえば一度にザーッと激しく降り、数時間で晴れ渡る。そういう物だと思っていた。


 故郷に降る雨は、いつもこんな雨だったけれども……


 レオナはマントの前をあわせなおした。


 使用人たちに自分が女であると告げたのは三日前の夜だった。

 大抵の事に動じない使用人たちは、自ら罪を告白すると言った事には猛反発した。

 先代がせっかく救った命を無駄にするなと。


 最も勇気が必要だったのはファズとダールに話した日。

 彼らは納得はしていないまでも レオナの希望は通してくれた。


 後を任せることになるシグマは必然。

 先程別れた時には「水臭え」と言っていたけれど、終始無言だったファズ達の時よりはまだ気が楽だった。


 でもこれで終わりじゃない。

 レオナにはあと一人、真実を告げなければならない人が居た。

 

 この期に及んで、レオナは迷っていた。

 これを伝える事は、その人を巻き込む事だ。

 違う。巻き込むために伝えようとしているのだ。


 その事がレオナの足を重くしていた。


 警護の都合を考えればそれが一番良い選択だ。軍人としても国民としても迷うべきではない。

 だが、友として……彼女に最も危険な役目を負わせる事に今でも躊躇いを持っていた。


 何度、彼女の家の方に向けかけた足を戻した事か。

 雨を含んでじっとり重くなったコートが街をさ迷った時間の長さを意識させた。



 ――やっぱり明日にしようか。


 それは甘美な誘惑だった。

 家のベッドに飛び込んでゆっくり眠ってしまいたい。

 そういえば寝不足のせいか頭がぼんやりしていた。

 この警備計画を思いついた時からずっと寝つきが悪かったせいだろう。

 

 足を引きずるように屋敷へ続く道を辿った。

 雨雲で薄暗いというのに、窓には灯りひとつ無い。


 ああそうだ。今日は誰もいないのだ。


 メイド達は今朝、レオナが自らしたためた、自身の罪を告発する手紙を携えて旅立っていった。

 彼らはレオナの代わりに非難を受ける事になるというのに、今の自分は嫌な事から逃げているだけではないか。問題を先送りにする事は簡単だがそれは何の解決にもならない。


 レオナはフードを被りなおして再び彼女の家に向かった。

 ほんの数ブロック先に、高級住宅街に相応しくない看板が掲げられている。


 ――ブラント剣術学校。


 ルティアが師範を務める剣術学校の名前だ。

「ここまで来たけど……なんて伝えよう」

 レオナはまだ迷っていた。


 そして再び歩き出した。

 普段は多くの人が憩いの時間を過ごす水路沿いのベンチにも、今日は誰も居ない。

 レオナは手近なひとつに腰を下ろした。


 水面に広がる波紋を見ながら考える。


 ルティアは確かにこの国の女性で一番の剣の使い手だ。

 しかし深窓の令嬢であることもまた事実。

 当然、実戦経験は皆無。

 いざ危険が及んだ時に彼女は身を守る事ができるのか……

 気持ちの上では大切な友人であるルティアの事を我が身を盾にしてでも守りたい。だがレオナは立場上、万が一の時にはヨシュアの王女を優先させなければならない。


 ――やはり、割り切る事は出来ない。


 何度目かにまたその結論に至った時、レオナはふと眩暈を覚えた。

 そういえばこの季節にしては今日はやけに寒く感じられる。


 ああ……寝不足のせいだと思っていたこの体の火照りは……熱のせいか……


 額に当てた手は氷のように冷たく、額は燃えるように熱かった。

 取り合えず、家に戻って薬を飲んで、それから……



 ――風邪とかもだよ? 我慢して死んだら許さない。



 思い出したのは、囁くような低い声。

 この街でただ一人、レオナの正体を知る医者の言葉だった。


「西町に……行かなきゃ……」


 幸い今日は足元まで覆うマントで騎士の制服は見えない。

 このまま行っても迷惑をかける事はないだろう。

 レオナはふらふらと立ち上がり、あの医者のいる病院へ向かう事にした。


 だが、いくらも行かないうちにぐらりと世界が傾いた。


 本格的な眩暈。


 近くの店の壁に手をついて、なんとか体を支えた。

 ここは王都で最も賑わう中央通り。ここで倒れたら騒ぎになる。

 レオナは壁を伝うように一歩一歩進み、脇道に入った。


「あー……これはちょっと、まずい……」


 壁に寄りかかって力尽きる。

 これ以上歩くのは無理だと悟った。


 足元にぽつぽつと落ちる雨が色彩を失い、次第に意識が遠のいていく。

 膝からも力が抜け、もう駄目だと思った、その時――


「レオナ!?」


 意識を揺り戻したのはシグマの声だった。

「レオナさ――」

 脇から名前を呼ぼうとした幼さを残す声は、最近連隊に入ってきたばかりのティトか。

 両肩を大きな手が掴んでいる感覚がある。その手がどちらのものか確認するために、なんとか足に力を入れようとするが、上手く立つことができず体を支える腕にもたれ掛かるように崩れ落ちた。

「熱がある」

 シグマの声がして、肩に何かかけられた。

「まずいんじゃないですか」

「こいつの家までなら遠くないだろ。連れて行こう。

 ――レオナ、歩けるか?」

 自分の名前を呼ばれても顔をあげられなかった。レオナはずっと、二人の会話をどこか遠い世界の話のように聞いていた。

「あ、あの! 俺、付き添いますから! シグマさんは将軍の所へ行かないと!」

 ティトが言う。

 その言葉だけは痺れたような頭にもまっすぐ入り込んできた。

 レオナは渾身の力をこめて、ゆっくりと頭をあげた。

「……将軍が、呼んでる…のか?」

 弱弱しい語尾が雨音の中に吸い込まれるように消えた。

「例の、護衛計画の話…だな……」

 将軍にはダールに渡したのと同じ警備計画書をすでに提出してあった。いずれ間違いなく呼び出されるだろうとは思っていたのだ。

 レオナは半身を起こすと、フードを振り払い、シグマを正面から睨みつけた。

「責任者はオレだ……オレが、行く」

 目だけは強い意思を持っていたが声の震えは隠せない。

 シグマはレオナを見下ろして言下に否定した。

「そんな状態じゃ無理だろうが」

「行ける」

「――ちっ」

 こういう時のレオナが引かない事を知っている「相棒」は、舌打ちをしてレオナの体をティトの方へ押しやった。

「ティト。こいつを家まで送っていってくれ」

 レオナはやはり膝に力が入らず、ティトの肩にもたれかかるようにして支えられた。それでもレオナは身をよじってシグマを睨んだ。

「おい、シグマ!」

「将軍の所には俺が行く」 

「それは、オレの――」

「今日中に報告に行くから、お前はすぐにその濡れた服を着替えて薬を飲んで寝るんだ。いいな」

 シグマは有無を言わさぬ口調でそういうと、大通りを軍部のある方へ駆けて行った。追いかけようと思ったけれど、体は少しもいう事を聞かない。シグマの後姿はすぐに雨煙に紛れて見えなくなってしまった。

 

 途端に視界が真っ暗になる。


「レオナさん!?」

 ティトの声が遠くで聞こえた気がした。


 ――レオナは意識を手放した。 




 

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