第5話 猶予
*ファズ視点
変な書類が交じっていると思った。
しかし、この特徴的な字は間違いなく本人の直筆。
だから
「悪戯か何かでしょうか」
そう言って、ファズはダールと笑っていた。
次の日の午後。
ノックの音がした時は「ではお茶を用意しましょう」と言った。
けれど……
埃ひとつついていない純白の正装で現れたレオナは跪き騎士の礼をとった。
「イーカル国軍第二連隊連隊長レオナ・ファル・テート参上致しました」
そしてそのままぴくりとも動かない。
「あー……どうした」
ダールが聞いても、レオナがその姿勢を崩す事はなかった。
「恐れ多くも、イーカル国王ダール・サングオム陛下とヨシュア王国第一王女ユリア・ブラーズディル殿下のご婚礼に際しお興し入れの警護を担当する栄誉を授かりました。この件につきまして内密に陛下のお力をお貸しいただきたい事が御座います」
随分練習した台詞なのだろう。レオナの口から、普段人目のある所ですら使わないほどの敬語がすらすらと出てくる。丁寧な言葉など必要ない育ち方をしたせいで、先代国王の御前でも常につっかえつっかえだったというのに。
ただ、悪戯にしてもレオナがこのようなことをする意味がわからない。誕生日でもないし、嫌がらせを受けるような喧嘩をした記憶もない。
「何をしたいのか分らないが、とりあえず顔あげろ」
ダールに言われてレオナはようやく頭をあげた。
跪いた姿勢のままだ。
まっすぐにダールを――国王を見つめる瞳に強い決意の色が浮かんでいる。
「……何か、あったのか」
「まずは一つ、陛下に――」
「その話し方はやめろ」
レオナの目が一瞬泳いだ。何か迷いが生じた、という風に。
しかしすぐに頭を垂れる。枯葉色の髪がさらさらと流れ落ち、表情が見えなくなった。
「恐れ多いお言葉で御座います」
本当に、いったいどうしたのか。
ファズは机の上に投げてあった紙に目を留めた。
昨日レオナから提出された、国王へのお目通りを願い出る書類だ。
王族と会う為に必要なものではあるが、こんな物をレオナから出された事はこれまで一度も無い。
ダールが「友人と話すのにこんなもの必要か?」と言って許してしまっているからだ。だからレオナは用があれば勝手に来るし、ダールに跪く事も――こんな正装で訪れる事も、無い。
ダールもファズと同じ困惑の表情を浮かべていた。
「よっぽどの頼みなのか」
「……私にとりましては」
「そんな事をせずとも、お前の頼みならできる限り聞く。言ってみろ」
「猶予を……時間をいただきたいのです」
「輿入れの警備に不都合でもあったか? 先方にも支度の都合があるだろうからそう大きく日程を変える事は難しいが――」
「いえ。この婚礼が終わるまで時間をいただきたいのです。
――私が受ける罰に時間の猶予を」
「罰?」
ダールが頸を傾げた。
明らかに様子のおかしいレオナと、レオナから飛び出す予想外の単語。
そもそも、罰を受けるには前提として罪がある。
その罪すら、友人である前に忠臣であり続けたレオナには存在しない。そのはずだ。
レオナは答えの代わりに紙束を取り出した。
「警備に関する計画書です。どうかご覧下さい」
レオナはそれをダールに向けて掲げた後、ファズに差し出した。
臣下の者が国王に直接渡すわけにはいかない、ということだろう。しかしそんな事も今まで一度もした事がないはずだ。
訝しく思いながらもファズはそれに手を伸ばした。
受け取るためにその紙束を引き寄せようとすると、わずかに抵抗がある。
レオナはすぐに書類を放したが、その時、書類を握るレオナの手――短く揃えられた爪が真っ白になっている事に気がついた。
――緊張……?
いったい何がそんなにレオナを追い込んでいるのか。
問いかけようにも、レオナはまた元の姿勢に戻ってしまった。
会話を拒絶するかのように頭を垂れて。
「……これは、本気なのか」
書類をめくるダールの手が途中で止まった。
相変わらずの汚い字。
脇から覗き込んでもなかなか読み進める事ができない。
ファズが論点を把握する前に、レオナが口を開いた。
「ヨシュアからイーカルへは幾日もかかります。陛下の元に暗殺者が送り込まれて来たのと同じ事がユリア殿下の身に起こらないとどうして言えましょう。
移動の際は通常以上の警護をつけるつもりであります。
ですが、宿泊の際にも万全を期すためには、軍人だけでは至らない所がありましょう。殿下のお世話をしながらすぐ側で警護のできる――腕がたち、信用できる人間を同行させてください」
「要は、用心棒を兼ねた侍女だろう。適任がいるか」
「当家のメイドの、シアとエマ。
前将軍ジアード・ボルディアー・ファル・テートが自身の娘の護衛として育てた者です。この二人なら侍女の役目も護衛役も共に任せられましょう」
ファズはその二人を知っていた。
なにせ、そのメイド達が護衛を勤めていた相手はかつてファズと将来を誓い合った娘だったのだ。逢瀬の度に配慮を尽くしてくれたあの二人なら、信用に足る。そう判断した。
だが、レオナの話これで仕舞いではなかった。
「それから、こちらはまだ本人の意向を確認しておりませんが……ブラント剣術学校のルティア・ファル・ブラント師を」
レオナの口から飛び出したのは、幼馴染の名前だった。
「剣の腕は陛下もご存知の事と思います。彼女に姫のお話相手として同行願おうと思います」
ダールは眉間に指をあて、じっと考え込んでいた。
「お前のいう事は理解した。
だが……そのために民間人を引き入れるか」
「女性でなければ寝室に入れませんし、着替えや湯浴みの際に警護を出来ません」
「しかしな……本当に暗殺者が来たならば、彼女らの安全の保証が出来ない」
「無論、民間人の安全はユリア殿下の安全の次に優先されるべきだと考えます。そのために――」
レオナは、ようやく顔をあげた。
「私も、行動を共にします」
そう言ってダールの目をまっすぐに見つめた。
「そりゃあ、警護は第二連隊に任せてあるからな」
「いえ――常に一緒に、という意味です。
移動中はユリア殿下の寝室へ私の分の仮設ベッドか毛布を持ち込ませていただきたいと考えていますし、必要とあらば、殿下の湯浴みや着替えの手伝いも致します」
その言葉にはさすがにファズもダールも狼狽した。
いくら信用のできる人間だとは言え、女性に対して取るべき距離があるだろう。まして相手は婚礼を前にした一国の王女。
だが、レオナは揺るがなかった。
「問題は起こり得ません」
そう言い切って、自嘲するような笑みを浮かべた。
「私も――女でありますれば」
「は――!?」
ファズは目の前に跪く友人を唖然として見つめた。
純白の正装に身を包み、覚悟を秘めた目でまっすぐに国王を見つめる騎士。
その姿は絵になるほど凛々しかった。
しかし、男性としては低めの背。筋肉の付きづらい体質。線が細いからこそ童顔といわれる顔立ち。長い睫と大きな目。盛夏でも脱がない上着。風邪や怪我でも医務室に行きたがらない医者嫌い。
いくら思い返してもレオナの告白を否定する事実は無かった。
それよりも――
今まで自分は何を見ていたんだ!?
愕然とする二人を前に、レオナは再び頭を垂れた。
「軍法は存じております。徴兵に際して別人の名を騙るは極刑。それを受ける覚悟は出来ております。
ですが……私に猶予を下さい。この警護の任が終わるまで」