第3話 決意
――ヨシュア王国。
このイーカルと同じく内陸の国であるが、水資源が豊かなため農作物の生産が盛んな国である。
国土は東西に細長く、大きく三つの民族が住んでいる。すなわち、東ヨシュア人、中央ヨシュア人、西ヨシュア人である。
ヨシュア王国は中央ヨシュア人が統治する国なので、公用語はヨシュア語だが、アスリア=ソメイク国と国境を接する辺りに住む東ヨシュア人は大陸共通語を話し、かつてイーカル国と交流のあった地域に住む西ヨシュア人はイーカル語の一方言を使う。
「その姫様はブロンドで青い眼だっつってんだから、東ヨシュア人の血が入ってんだな」
シグマは説明の最後をそう締めくくった。
「見た目が違うの?」
「中央ヨシュア人も西ヨシュア人も、顔立ちや髪の色はイーカル人に近い。ほぼ黒か茶色の髪をしてる。
東ヨシュア人ってのはあれだ。何年か前のサザニアとの戦の時に金色の傭兵がいただろ。ほら、髪の毛も眼も金色で犬を連れた奴」
「ダウィ?」
「だいたいあんな顔をしてるな。金髪もかなり多い。だからあいつも東ヨシュア人かその隣のソメイク人なんだろ」
「へえー」
レオナは机の向こうに立つ男を見直した。副連隊長としてレオナの補佐を務めるこの男が字の読み書きが出来る事までは知っていた。だが、そこまで深い知識を持つ奴だとは思っていなかった。
「シグマ、詳しいね。オレなんてこの国の民族の名前すらよくわかんないよ」
「貴族がそんなんでいいのか」
「やっぱ良くない?」
「学校に行きゃそれくらいの事習うだろ。上流階級じゃ常識なんじゃねえ?」
「そういうもんなんだ」
「俺も五年しか通ってないから大きなこと言えないけどよ。まあ読み書きは不自由してないぜ」
シグマはニヤリと嫌な笑いを浮かべた。
「……字くらいは書けないといけないよね」
読む方はなんとか詰まらずに読めるようになってきたのだが、書くほうは未だ自信のないレオナである。
「しかしお前が真面目に本を読もうだなんて珍しいもんだな。それもヨシュアか」
いくら今話題の国だとは言え、母国の地誌すら興味が無い癖になあ――とシグマは言った。
「うん。お前には言っておいた方が良いかな。
ヨシュア王国のユリア姫の輿入れに、第二連隊も警護として同行する事になったんだ」
「あ――ああ!?」
レオナの説明に、珍しくシグマが驚きの声を上げた。
「おい、それって俺達がヨシュアに行くのか!?」
「ああ。だから、少しでも向こうの情報を仕入れておいた方がいいかと思って本を持ってきたんだ。
でもオレは読むのに時間がかかるからさ。お前が説明してくれて助かったよ。
さっきのでなんとなく地理は把握できたから、次は地図と睨めっこだな」
レオナは本を閉じて机の中から畳まれた地図を引き出した。
「どこを通るんだ」
「この線のルート」
王都からスタートしてやや西回りの街道を通りつつヨシュア国境付近まで引かれた赤い線を指差す。
「ふうん……なるほどな。ちょっと大回りだが気候が良くて水の心配もない穀倉地帯を通る道か。砂漠が少ないから深窓の姫君でもなんとかなりそうだ」
「そう。それに政情も安定しているとは言いがたいからできるだけ穏健派の領地を抜けるようにって将軍が考えたんだ。
難点は一箇所だけだな」
「難点?」
「国境を越えてからバシュタ城までの間だけは緊張を強いられるかもしれない。
特に危険なのはラディオラの『鉄の谷』」
レオナは地図の中の一点を指差した。
「クロガネの谷……鉄が取れるところだっけか」
地名としては有名な所ではないが、シグマは知っていた。ここで産出される良質な鉄は良い武器の材料となる。
「そう。ここは奇景だよ。
深い谷底の道なんだけどね。狭いところじゃ馬車がようやくすれ違えるくらいの場所もある。
その左右の崖には数え切れないくらいの坑道の入り口や通気孔が開いてるんだ」
優秀な副官はレオナの意図を確実に読み取った。
「隠れる所がいっぱいあって、待ち伏せには最適って事だな」
「その上、ラディオラ領主は強硬派で前王の信望者」
「……そこを通らない道はないのか」
「一年中雪の解けない中央山脈の岩山を姫君が徒歩で超えるのは不可能だろ。中央山脈を東から大回りして砂漠を越えるルートは、過酷な上にヨシュア王城から数ヶ月の旅になっちまう。お姫様には難しいだろうな」
「この道よりもっと西は」
「小競り合いの続いているサザニア帝国との国境地域を通るのは洒落にならないよ。
サザニア帝国からすればイーカルとヨシュアの結託は是が非でも阻止したい所だ。サザニアから猛攻を受ける可能性に比べれば鉄の谷一箇所押さえる方がマシだ――って、将軍が言っていたよ」
シグマは瞑目して唸った。
「……その鉄の谷ってのはどうするよ」
「鉄の谷は、近くに駐留している第五連隊に坑道を一時封鎖させる。
で、俺たちが通る直前には安全確認とその周辺の警備を強化させようと思ってる」
ここまでは将軍とも話し合って了承を得ている事だ。
「ただ……これでもまだ、不安なんだ」
レオナは朝から何度目になるか分らない重い溜息をついた。
「勘みたいなもんだけど、この任務を命じた時の将軍の言い回しも裏がありそうだったし……」
「慎重は悪くない」
「そうだよね――姫はオレ達の『希望の光』だから」
「希望の光?」
「この婚姻がうまく行けば、イーカル王国とヨシュア王国の結びつきが強まる。
イーカルは豊かなヨシュアから食料を輸入できるようになるし、ヨシュアは勢力を伸ばしつつあるサザニア帝国に対しイーカルの強い軍事力を盾にできる。互いに利点だらけだ」
「ほう」
シグマの合いの手は、その事に初めて気がついたというよりも「あのレオナがそこまで考えていたのか」に近い。レオナは内心で「馬鹿にするなよ」と思いながら続けた。
「ダールはこの婚姻を機にヨシュアを一番のパートナーに位置づけたいらしいよ。
その為に、過去にイーカルが侵攻した時にヨシュアから奪った土地も返還するってこちらから言い出したらしいし」
「それは……随分思い切ったな」
「資源の豊かな所なのにってファズはぶつぶつ言ってたけど、まあダールだからね。
ダールがそれだけ本気なら……臣下として応えてやんないといけないよなあ」
* * *
その晩、レオナは深い決意を胸に秘めて屋敷に戻った。
着替えも食事も断って、まず執事やメイドを部屋に呼んだ。了承を取り付けなければならなかったから。彼らは戸惑い、反対もしたが、深夜にまで及ぶ議論の末、レオナの意思が固い事を知ると頷いてはくれた。
その後、客間で高鼾をかいていたアレフを叩き起こす。季節も変わろうというのに未だにこの男は居座っているのだ。
いい加減追い出そうと思っていた所だ。ちょうどいい。
寝ぼけていつもより反応の鈍い男に、有無を言わさず命じる。
「明日出てってくれ」
「突然なんだよ」
「メイド達を一度帰省させる事にした。そのために馬車を出させるから御者もいなくなる。
その間オレは軍の執務室で寝泊りするから、この家が無人になるんだ。お前の世話はしていられない」
目を白黒させるアレフを置いて、レオナは部屋を出た。
「おい、待てよレオナ!」
アレフは廊下で追いすがって来た。
「お前、何するつもりだ? まさか――!」
「国王暗殺の時」
歩を緩めようともせず、眼を合わせることすらなく、レオナは告げた。
「ダールとファズは腹をくくった。オレがあんたと世間話をしてるときだ。
――次は、オレの番だろ?」