第2話 密命
国王の婚約が発表されたのは、春も終わりに近づいた頃だった。
そのおめでたいニュースはあっという間に王都中に広まり、王宮の中も市街地もどこへ行ってもその話題で持ちきりだった。
しかし、そのお祝いムードの中、レオナは一人自室で頭を抱えていた。
今朝、将軍から直々に任された任務について、どこから手をつけて良いものだか分らなかったのだ。
* * *
レオナは今朝も、毎朝行われる連隊長会議に出席していた。
連隊長会議と言っても、イーカル国軍は国内各地に展開しているため、連隊長全員が揃う事は年に二回。常に集まれるのは王宮や王都の警備に当る連隊と医療や諜報に関係する連隊の連隊長だけなので、通常の会議では王都警備に関係する伝達事項の確認が主となる。
その日の議題は、昨日襲来した砂嵐に関する報告だった。とはいえ砂嵐は毎年訪れるものであるし、市民の事前の備えもあって大きな問題はなく来年へ申し送る事も殆ど無い。
会議は淡々と進み、予定通りの時刻に解散となった。
いつもならレオナは解散と言われれば真っ先に部屋を出て行く。会議という堅苦しい空気が苦手だからだ。
けれど今はそれが出来なかった。
利き手の方の肩を負傷していて、反対の手だけでは荷物をまとめるのに時間が掛かってしまったのだ。
結局、レオナが席を立ったのは一番最後だった。
椅子を片付け、扉に向かおうとすると将軍に呼び止められた。
「第二連隊長レオナ・ファル・テート」
「はい」
「肩の具合はどうだ」
「お陰様で。昨日の午前中に病院へ行って抜糸して貰いました。後数日もすれば日常生活に支障なくなると言われています」
「病院?」
軍医ではないのか、という問いだ。
軍人であるレオナは、国内随一の医療技術を持つ軍部の診療所で無償で診療を受ける事が出来る。将軍の疑問はもっともだ。
だがそこに行く訳には行かない理由のあるレオナはこう答える事にしていた。
「掛かりつけの医者に診て貰っているので」
「ああ。テート家の主治医か」
何か誤解があるようだが、否定はしないで置く。
将軍が納得したようなので一礼して立ち去ろうとした。
しかし再び呼び止められてしまった。
「お前、陛下が婚約なさった事は知っているな」
「はい」
「輿入れに際しての警備の件だが……慣例では第五連隊がつく」
「……?」
何故たくさんある連隊の中から第五連隊なのか、と問いたかったが、上官である将軍に発して良い質問なのか迷った。
ここはそういう物として受け止めるべきだろうか。
しかし表情に出てしまっていたらしい。将軍は咎めるでもなくその理由を説明してくれた。
「軍の中での序列は数字の若い連隊の方が高い。
だがその歴史的実態は……これは難しい。精鋭たる第一連隊のトップは揺るがないが、特殊性を帯びる第三・第四連隊は除外だ」
医療を担当する第三連隊と諜報を担当する第四連隊。確かにこれは独立したものと考えるべきだ。互いに協力することはあっても干渉しあう事はないし、任務によっては連隊のトップである第一連隊にすら拒否や黙秘をする権利を持っている。
「そしてお前の第二連隊は、元々被征服民の寄せ集め。被征服民たちの不満を解消する為に番号こそ若く設定されたが実際には何の権限も無い。
つまり、軍の実態は第一連隊を頂点に、次が第五連隊、第六連隊、第七連隊と構成されているような物」
レオナは頷いた。
特殊スキルの求められる第三・第四連隊に異動がないように、第二連隊にも異動がない。だから例えば現在第六連隊に所属している者は次に第五連隊を、その次には第一連隊を目指す。
そのシステムが存在する時点で事実上の順位は明確だ。
「第一連隊は王宮の警備を優先させる義務がある。だからその次の地位を持つ第五連隊が未来の王妃を迎えに行くというのが慣例だった」
なるほどとようやく納得ができた。
「四百年に及ぶ我が国の歴史で、例外は三代前の王だけだ。彼の方だけは第一連隊を遣わせたと記録に残っている」
変わり者で知られる王。王妃を溺愛するあまり側室を廃し、所謂後宮すら解体してしまったという。つまりその第一連隊の派遣は王妃への愛を示したものだという事なのだろう。
「それで、だ。
今回の婚礼に際してはダール陛下が慣例通りで良いと仰っているので、第五連隊を派遣する事になる」
「はい」
特に疑問を感じなかったので頷いた。
しかし、それを第二連隊のレオナにわざわざ言うのは少しおかしい。第五連隊長に直接命じるか、連隊長会議の場で発表すべきことだろう。
またしても顔に出ていたのか、将軍はレオナの表情を観察しながら続けた。
「俺は、陛下に第二連隊の派遣を進言した」
「……何故か、伺ってもよろしいでしょうか」
将軍は重々しい口調で告げる。
「表向きの序列に従って第一の次は第二とすべきだ、と説明するつもりだ」
真の理由は別にあるらしい。
しかしそれを問うてはならないという口調だった。
「――それが命令であるならば、私は従います。しかし他の連隊長を納得させる事は難しいと思います」
将軍の思惑を話せとは言わない。
だが、第二連隊がそこへしゃしゃりでる理由として他の者を納得させられるには不十分だと感じた。なにせ、異動がない分第二連隊には実力にムラがある。一方で第五連隊は第一連隊には及ばなくとも能力の平均値が第二連隊よりも圧倒的に高い。そういう意味でも第二連隊は第五連隊の上に立てないのだ。
将軍は腕を組み瞑目した。
「陛下は、『私が友人たるレオナを指名したのだと言えば良い』とおっしゃっていた。
だが――そう発表すれば、お前、恨まれるぞ」
「今更です」
「……わかった。了承を得られたものとする。
第二連隊連隊長レオナ・ファル・テート」
「はっ」
レオナは荷物を置き、敬礼した。
「陛下の御命により、ヨシュア王国第二王女ユリア・ブラーズ・ディル殿下の警護を命じる」
「王の御為に!」
将軍は深く頷き、レオナの脇をすり抜けてドアノブに伸ばした。
しかし、そこで手を止め、振りる。
「……レオナ・ファル・テート」
呻く様な声で名前を呼ばれた。
「お前はイーカル族ではない。生まれも貴族ではない。剣の腕は立つが戦術論も馬術も最低ラインすら満たしていない」
「――はい」
全て事実だ。頷くより他なかった。
「そしてお前は未だに頼りない。上に立つ器ではない。第二連隊の連中も何を思ってお前なんかに付き従ってるのか理解できん。
ボルディアー前将軍からお前を任された時は、恩師の遺言とはいえ、机をひっくり返しそうになった。英雄と呼ばれた男も老いて血迷ったかと――だから今でもお前が失態をおかしたらすぐにクビにしてやろうと思っている」
レオナは姿勢を正した。
今の将軍は実力偏重主義で旧来の陋習に囚われない、レオナの尊敬する人物の一人である。だが裏を返すと実力が伴わなければどんな者でも切り捨てる事を厭わない。
だからそのための評価も常に冷静で正当なものだとも言えた。
「私はかつて騎士団長の地位にあった頃、ボルディアー前将軍に連れられて第二連隊の訓練を見に行った事がある。
――話にならなかった。
異民族の精鋭などと呼ばれるだけあって個々の実力は悪くない。第一連隊と剣を交えても戦えそうな者も居た。それなのに所詮寄せ集めは寄せ集めで、武器も戦法も違う者同士が個をぶつけ合っては潰し合っている始末だ。互いの利点を活かすどころか見ようともしない。結果、ボルディアー前将軍が舵を取らなければ協力どころか共同戦線すら張れない屑共。それがあの連中の印象だ」
一息にそう言うと、一呼吸おいた。
レオナは次に何を言われるかと身を硬くした。
「それなのにお前はたった三年であの連中を纏め上げた。その点だけは評価している」
そう告げて、将軍は振り返る事もせず部屋を出ていった。