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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
花嫁の騎士
43/107

 閑話 物見塔の二人


 あの時に戻りたい


 今も、このまま時間が止まればと思っている


 変わりたくない



「――変わりたくない」





 王宮の中庭までは、身分証明と明確な理由、それにいくらかの書類を用意すればどんな者でも入る事が出来る。かといって平民に王宮に入らねばならない理由などあるはずもないので、結局貴族が交流の場にしている程度のものである。

 ましてその中庭の隅の古い物見塔にわざわざ登る物好きなど滅多にない。


 その日、王宮の外に出ていたファズがダールの元へ戻る途中でそこへ登ったのは、物見塔の窓に淡い紫の人影がよぎったように見えたからである。

 そんな色の衣装を纏うのは女性であろう。しかし、遠い昔に兵士が南方を警戒する為の場所だったそこは女性が登ることなど想定されておらず、あの窓の高さまでは梯子を使わなければ辿り着けない。まだ幼い子女であれば無邪気に登って行くこともあるかもしれないが、それにしては背が高かったように思う。


 きちんと躾けられた女性があんな所へ行こうとするだろうか?


 不審に思って物見塔へ足を向けた。

 つい数週間前まで国王の命を狙う侵入者が相次いでいた。軍部は既に収束したと見ているが、首謀者が捕まった訳では無いのだ。まだ不穏な動きがあったとしてもおかしくはない。

 そして、王の護衛を任ぜられているファズに不審者を放置しておく理由はなかった。

 古い梯子に手を掛ける。

 すっかり体に馴染んだその梯子は手足の位置を確認するまでも無くすいすい登る事ができる。

 実際に登るのはもう十年ぶりになるだろうか。子供の頃にはよくダールに連れられてこの上へ登ったものだが――

 ふと昔の事に思いを馳せ、そしてここに登って来るような令嬢がいたことに思い至った。


「ルティア」


 予想どおりの場所に予想どおりの顔を見つけてほっとした。

 梯子を上ってすぐの小さな椅子があの頃から彼女の定位置だった。

 安堵の溜め息を吐くファズとは逆に、ルティアはとても驚いたようだ。

「あら珍しい」

「貴女こそ」

「時々来てるのよ。ここは落ち着くから」

 とんでもないことを言い出す。

「あの梯子を登って来たんですか? その服で?」

「ええ、勿論」

 ひらひらとした民族衣装をつまんで見せる。ファズの問いかけをどう取ったものか、「ドレスじゃ裾を踏んじゃうじゃない」と的外れな事を言う。

 彼女を溺愛するあのお父上がこれを知ったらどんな顔をするだろうか。

 自分が唆した訳でもないのに、怒髪天の武術指南役を思って一瞬血の気が引いた。

「今日、ダールは?」

 ファズの内心など一向に解さないようで、どこかずれた天然お嬢様はもう一人の幼馴染の名を口にする。

「部屋にいらっしゃいますよ」

「いいの? 貴方が離れてしまって」

「今日はレオナが居ますから」

 事実を言っただけなのに、彼女は何故か一瞬狐につままれたような顔をした。

「あらら。信じているのね。彼の事」

 何を言っているのだろう。ルティアだって彼の事を気に入っているじゃないか。紹介した自分たちの事をすっかり忘れたように二人でよく遊びに出かけているのを知っている。

 そう言ったらルティアは吹き出した。

「何笑っているんですか」

「ファズらしくないわ」

 良家の子女にはふさわしくない姿で腹を抱えて笑い転げる。

「だって、昔のファズはダールにべったりくっついて、いつも怖い顔してたもの」

「いつの話ですか」

 憮然とした顔をして見せたのは逆効果だったらしい。

 令嬢は、笑いすぎて目の端に浮いた涙をごしごしとこすっている。

「お父様に連れられて初めて王宮へ上がった日、貴方、私に何て言ったか覚えてる?」

「忘れて下さい」

 ルティアはすっと笑いを引っ込めた。

「大っ嫌いだったわ。貴方達の事」

 淡い茶色の眉がきゅっと寄って、睨まれたのだと気づく。普通ならそこで構えてしまうのだろうが、生憎長すぎる付き合いのおかげで、この可愛い幼馴染が本気でない事はわかってしまう。

 それにあの頃は、自分だってあまり関わりたくないと思いながら接していたのだからお互い様だ。

 だからルティアが過去形にしていた事でむしろ気分が良くなった。

「今でも?」

「――そうね。嫌いじゃないわ」

 ルティアはちらりと、誰も座らない隣の椅子を見た。

「エレナには感謝しないとね。あの子が、貴方を変えたんですもの」

 幼馴染の最後の一人が、今もそこで笑っているような気がした。

 しんみりした空気を吹き飛ばすように、やけに明るい声でルティアが言った。

「変わったといっても、こんな女好きになった事だけは誤算だったわ」

「僕は――」

「好きでもない子を泣かせちゃだめよ」

 ありがたい忠告痛み入る。

「エレナの代わりなんて世界中探したっていないんだから。

 貴方にとっても、私にとっても」

 幼馴染の面倒な所は、どんなに取り繕っても一番弱い所を見透かされてしまうところだ。

 


「あなたはいつもそこだったわね」

 発煙筒やランタンの入った道具箱に座って窓の外を眺めていたら、不意にルティアがそんな事を言った。 

「そのベンチがダール」

 指差したのは壁際の白いベンチ。

 そう。今じゃすっかり人懐っこくなった国王も、あの頃はちょっと捻くれていて、いつも少し離れた所に座りたがった。

「ここが私で、隣がエレナ」

 二つ並んだ椅子は赤と緑に塗られていたが、今ではどちらも塗料が剥げてどうにもみすぼらしい。

 その椅子で二人の少女は覚えたばかりのレース編みや手遊びなど、およそ自分には理解しがたい遊びをしていた。

 今思えば微笑ましい光景なのだが、当時はここでやらなくても良いじゃないかと本気で思っていた。ルティアにも関わりたくないと思っていたが、エレナにはもっと関わりたくなかった。ボルディアー将軍の手前、こちらが気を利かせて話しかけてやっても、もじもじするばかりで自分の意見は言わない、その癖すぐに泣く面倒臭い少女だと思っていた。

 それなのに……今でもひきずるくらい大切な存在になったのは、いつからだったろう。

 ファズが柄にもなく目頭を熱くしていたのに、ルティアが思い出したのは甘酸っぱい時代の話ではなく、もっと泥臭い思い出だったらしい。

「ファズに『我侭なお嬢様』って言われて、思わず掴みかかろうとしたら、何故か貴方じゃなくてダールと喧嘩になったわよね」

「……何度かそんなことがありましたね」

 あの頃は、自分とは合わない、今までの自分の世界に無かった異質な存在であるルティアを疎んじていた。特に、物怖じせず正面から正論を言う所がすごく苦手だった。だから関わらないように――常に切り捨てるように対処していた気がする。

 けれど、ルティアはあの頃から気が強かった。そして言葉で相手にされないとわかると、すぐに父親に仕込まれた武術を駆使して本気で挑んで来たのだ。

 それに対し、四人の中では少し年嵩のファズは、体が一回り大きかった事もあってまだ気持ちに余裕があったが、一番年下のダールは「女なんかに負けられるか」と息巻いていた。

 だからいつもファズの代わりにダールがルティアと殴り合いの喧嘩を始めてしまう。

 ファズはあの頃から護衛を務めていたから仲裁する気はあった。けれど幼い少女に手を挙げるのはさすがに躊躇われた。ダールもルティアの父から稽古を受けていて受身くらいは取れたというのもある。だから決定的な事でもない限り見守る事にしていた。

「そういう時いつも、エレナが泣きながらボルディアーのおじ様を連れてくるの」

「あの拳骨は痛かったなあ」

 今でも思い出すだけで後頭部がしびれるような感覚に襲われる。名将軍と言われたあの人の拳は自分だけでなく、王子にも娘達にも平等に落とされていた。いや、さすがに女性陣は加減されていたのだろうが、それでも彼女たちはいつも泣いていた。

「私、エレナまで叱られてた事だけは未だに納得できてないわ」

「そう言ってあの方にまでぶつかっていくから、ルティアはいつも余計に怒られていましたね」

 涙を流しながら大きな将軍に歯向かっていく横顔を思い出して、ファズはくすりと笑った。

「その真正直な所だけは結構好きでした」





 ――無駄に顔だけは良い男。


 ルティアは行儀が悪いと知りつつも眉を顰めた。

 窓から降り注ぐ午後の日差しを背に受けて煌く柔らかな髪など、どこぞの王子より王子様っぽい。「ああ、これに皆騙されるのよね」と、幾人かのご令嬢の顔を思い浮かべた。

「いつもそうやって女の子を口説いてるの?」

 ルティアは皮肉を込めて言ったのに、ファズは笑顔だけでさらっと流す。

「あの頃は口にできなかったことも、今なら言えるかなと思っただけです」

 流したはずなのに、ルティアはその言葉に何故か傷ついたような顔をした。


「――あの頃」


 ルティアが繰り返したのは、ファズにとっては特に大きな意味を持たないはずの単語だった。

 しばらく俯いて下を向いていたが、やがて硬い声で言葉を吐き出した。

「過去の事にしたくないの。変わりたくないの。ずっとあの時のままでいたかったの」

「ルティア?」

 ただならぬ様子にファズが腰掛けていた道具箱から立ち上がり、肩に手を伸ばしたその時。

 ルティアは悲鳴のような声で叫んだ。


「我侭なお嬢様でいたかったの!」


 表情はまったく見えないが、膝の上で握った拳が震えているのがわかった。

 ファズはルティアの隣に膝をつき、ゆっくりと背に触れた。

「何があったんですか?」

 すぐには答えてくれなかった。その代わり、しばらくの間規則的に背中がゆれた。

 泣いている。

 こんな時に無理に顔を覗き込もうとなんてしたら鼻に拳骨が飛んでくるだろう。無論この年になってそんな無粋な事をする気はないけれど、ファズの記憶の奥底でトラウマが警鐘を鳴らしていた。

 だからできるだけ顔を背けるようにしていて、ようやく紡がれた小さい声を聞き逃してしまった。

「え、なんですか?」

 聞き返すと、ルティアが蚊の泣くような声で応えた。

「……あいつがね、この国を出て行くって」

 色々らしくないところがあるが、それでも一応ご令嬢。ルティアは言葉遣いは悪く無い――良くもないが、少なくとも普段『あいつ』と言う言葉は使わない。

 しかし、幼馴染であるがゆえに、彼女が『あいつ』と呼ぶ男をファズは一人だけ知っていた。

「出て、どこに?」

「東の方。まだ決まってないんだって。いつ帰るのかも……帰ってくるのかもわからない」

「止めたんですか?」

「……そんなの、我侭じゃない。もう子供じゃないのよ」

 うつむいたまま、動かなくなったその頭に、ファズはそっと手を置いた。


 どれだけそうしていただろうか。

 ルティアは乗せられたままの手に、頭を摺り寄せるようにしてから、つぶやいた。

「……この手がエレナだったら良かったのに」

 これは照れ隠しとかそういう可愛いものじゃなくて、本音だ。幼馴染には悲しいほどに伝わってしまう。

 だから

「僕ですみません」

「そこは『またこの我侭なお嬢様は』でしょ」

「すみません」

 ルティアが納得するまで、二人はそうして座っていた。


 あの頃よりも少しだけ近い距離で――


 


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