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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
花嫁の騎士
41/107

 閑話 市街警備と新人と

 春が来て、第二連隊に新人が入ってきた。

 先月まで地方の学生だったティトという名前の少年だ。

 まだ十五歳だというのに訓練で見せる槍の腕には正直舌を巻いた。身のこなしの素早さが自慢のレオナですら追いつかないかもしれないその動き。とにかく早くて的確だ。やや振りが大振りなのでそこを突けば勝てるだろうけれど、槍はリーチがあるのでそう簡単に懐に入ることができない。

 今はレオナと同じような体格だが、まだまだ成長期だから背も伸びるだろうし筋力もつく。伸び代は十分ある。

 その上、その少年は学校に通っていたというくらいで頭も良い。

 すでに第一中隊長のガルドーや第四中隊長のペールがその新人に目を掛け可愛がっている。どうやら性格も素直で真面目な子のようだ。

 育て方によってはもっと上を目指せるかもしれない。色々な意味で期待の新人だ。



 その日は、今から数日前――新人君にとっては入隊三日目。

 第二連隊では恒例となっている新人の歓迎会が企画されていた。

 しかし、やや識字能力に問題のあるレオナのせいで入隊に際しての書類の処理が捗らず……結果、レオナと補佐をしていた副連隊長のシグマ、そして今日の主役である新人ティトの三人は遅れて参加する事になってしまった。

 ティトは王国北東部の出身で王都の事もあまり知らないという。

 だから道すがら少年に王都一の歓楽街『西町』を案内していった。

 と、言ってもガイドは殆どシグマだ。シグマは王都で育ったというからこの町について路地の一本一本まで知り尽くしていて、歴史などにも明るい。一方レオナは第二連隊行き付けのバー位しか知らないのだ。

「俺達が飲む店っつったら、だいたいそこなんだけどよ」

 シグマが示したのは看板が無ければ入り口すら見逃してしまいそうな小さなバー。ヴェラという名の気さくな女主人が一人で切り盛りしている店だ。

「あそこは安くて旨いんだが、狭くってな。

 全員入りきらねえもんだから、歓迎会だとか大きい集まりん時は、別の店行くんだ」

「シグマが部屋に居ないときはだいたいあそこにいるよね」

 レオナがいうと、シグマは唇の片端だけをあげてにやりと笑った。

「まあそうだな。あそこはジャガ――っと、すまん」

 よそ見したシグマが、路地から飛び出してきた影にぶつかった。

 尻餅をついて倒れたのは、派手な色のドレスを纏った女だった。

 駆け寄ったレオナが助け起こすために手を差し出す。

「大丈夫ですか?」

 女はレオナの手を驚いたように見つめ、おずおずと右手を重ねた。

「あ、ありがとうございます」

 肩に垂らした長い髪で顔が殆ど隠れてしまっているので表情は伺えない。

 しかし立ち上がって裾を直す仕草を見る限り特に怪我もなさそうだ。シグマが安堵の溜息を吐いた。

「悪かったな」

「いえ、飛び出した私が悪いんです」

 女はティトが拾い集めた荷物を受け取り、一礼すると人ごみの中へ走り去ってしまった。


 再び歩き出そうとするティト達をよそに、レオナは掌を見つめていた。

 女の手を握ったその掌。違和感が拭い去れなかった。

「――太かった」

「ん?」

 シグマが振り返った。

「手首が太かったなって」

「ああ、オカマだろ」

 こともなげに答える。

「大通りを越えた反対側の路地に、女装した男が接客する店や、男を相手にする男娼がいる宿が並んでんだ」

「へえー。あの人男だったのか。結構綺麗だったね」

 顔を見たのはすれ違い様の一瞬だったが、手入れされた眉や隙なく塗られた赤い口紅。夜の仕事らしく化粧は濃かったが、あれはどう見ても女の顔だった。

「お前ああいうのいけんのか」

「いけるいけないじゃなくて、純粋な感想」

 軽口を叩いていたシグマがふと真顔になってレオナを見た。

「興味あっても、お前はあっちに近づかない方がいい」

「なんで」

「お前みたいな男か女かわかんねえような男が好きだっつー奴がごろごろしてるからな。カマ掘られるぞ」

「げ」

 それは困る。色々な意味で。

「ちなみにティトみたいな成長途中のも需要があるらしい」

「うわ」

 レオナは酔っ払い達の猥談の中で少年愛という言葉を聞き知っていたし、多少の知識はある。だが、ノーマルな話ですらして良いのか躊躇うほどの年の少年に、そのアブノーマルな情報は刺激が強すぎだろう。実際ティトはかなり引いているようだ。

 シグマに「話題を変えろ」と目で訴えた。

 その様子を愉快そうに見ていたシグマが、ぼそっと独り言のように続ける。

「……俺もあっちじゃもてるんだけどな」

 それを聞いてレオナは思わず固まった。

「お前、そのケがあったのか」

 男所帯の軍ではそういう嗜好の人間や男女両方いけるという人間がままある事を、少年のような容姿を持つレオナは身をもって知っている。しかし、長い付き合いのシグマにもそういう嗜好があったとは初耳だ。

 驚くレオナをシグマは呆れた目で見下ろした。

「ねえよ。お前だって知ってんだろうが」

「何を?」

「あれだよ。昔の女」

 なんとなく思い出した。多分知り合ってすぐの事だ。連隊の誰かが「あれは犯罪だろ」と言っているのを聞いた記憶がある。シグマがかなり年下の美少女と付き合っているとかなんとか――しかし、

「オレは会った事ないんだよね」

 そう答えるとシグマは微かに眉をしかめた。

「そうか、お前が入隊した時の戦があれか」

 あれとはなんだろう。好奇心が煽られた。

「その人どうしたの」

「遠征中に浮気されて終わった――おい、どこへ行く、レオナ」

「へ?」

 腕をつかまれて振り返るとシグマが面倒臭そうにすぐ側の看板を指差した。

「店はここだ」

 本日貸切と書かれた札が店の名前の下に出されている。

 シグマはティトを促すと、レオナの腕を掴んだまま引きずるように店の階段を上って行った。



 * * *



 それは市街警備の任務で、先日入ったばかりの新人君と西町手前の道を歩いていた時の事だった。

 日が傾き始めた通りに大きな音が響いた。

 同時に罵声や悲鳴が耳に届く。路地の間だろうか。音の原因は見えないが、かなり近い。

「行くぞ!」

 レオナは駆け出した。

 かつては市壁があったという広い通りを渡り、西町へ。この時間は歓楽街である「西町」に一番人が集まる時間だ。騒ぎの方へ向かえばすでに人だかりが出来ている。人々をかきわけてなんとかその輪の中に入ると、商品がぶちまけられた露天の前で二人の男が睨みあっていた。

「まだ早い時間だってのに」

 西町は治安があまり良いとは言えない歓楽街。喧嘩や抗争は珍しい事ではない。だが日が沈む前は大人しいもの――のはずだった。

 取り合えず話を聞くべく一歩踏み出したところで、露天商らしき男が散らばった荷物の中から何かをつかみ取った。装飾の多い異国風の短剣だ。

 それを見てもう一人もポケットから折りたたみナイフを取り出した。 

「刃物はまずいだろ」

 舌打ちしてレオナは飛び出した。

「おい!そこまでだ!」

 にらみ合う二人の真ん中で声を張るが、男達は頭に血が上っているのか、軍人を見ても動じない。

 ナイフの構え方からしてどちらも何某かの武術の心得がありそうだ。そんな二人をレオナ一人で同時にさばける自信はない。

 それならば、一人をティトに任せてもう一人を自分が相手をするというのがセオリーだろう。


 問題はティトが槍使いだという事だ。


 槍は街中で振り回すのに向かない。だから今日は予備の短剣しか持っていないと聞いている。

 使い慣れない短剣で対処できるだろうか。

 ティトはレオナの背後に着いて来てはいるが、振り返らずともおろおろと落ち着かない気配が伝わる。

 しかし、迷っている暇はない。

 目の前にいる露天商はレオナにも刃を向けた。

「ティト、そっちを説得。駄目なら確保」

 短く指示を出した。

 説得など通じないだろうが、無茶をせず時間を稼いでくれればそれで良い。

 その間に目の前の男を速攻で叩きのめす。

 レオナは腰のベルトから剣を鞘ごと外した。


 迫り来る刃を鞘で弾き、続けて首筋を打とうとした。男はとっさに周囲に散らばっていた商品を蹴り上げる。拳程の大きさの塊がレオナの向う脛に当たり、思わず一手が遅れた。その僅かな隙に短剣がひらめいた。レオナは男の鳩尾を思い切り蹴飛ばして距離を取る事でそれを回避する。更に追撃をかけようとしたその時――レオナの背後で甲高い金属音が響いた。


「ティト!?」


 そこには、手の甲を押さえるティトの姿と地面に転がりくるくると回る短剣があった。

 慣れない武器で戦おうとして、反撃されたか。

 血は出ていないようだから短剣を持っていた手を蹴り飛ばされたのかもしれない。

 ナイフを握った男がティトに襲い掛かる。初撃はなんとか交わしたようだが、ティトは明らかに動きが悪い。男は再びナイフを振り上げる。彼は硬直したままだ。レオナはティトを蹴り倒した。そして襲い掛かるナイフを鍔で受け、左に受け流すと、体勢を崩した男の襟足を鞘で殴って昏倒させる。

 

 まずい――!

 

 目の端に、最初に蹴倒した男が短剣を構えて突進してくる姿が映った。


「危ない!」

 

 ティトの叫び声と同時に、肩が燃えるように熱くなった。



 * * *



 ティトは顔面蒼白だった。

 明らかに自分を責めている。

「すみません!すみません!」

 平謝りする彼に、レオナは笑顔を作ってみせた。

「使い慣れない武器じゃ仕方ないよ。こんなの大した怪我じゃないし」

 そう。だからこの結果は仕方ない。

 むしろ新人に一人任せようとした自分の采配ミスだ。

 レオナは男達が引っ立てられていくのを確認すると、立ち上がった。


 失血はそれなりにあるのか少しめまいがする。

 けれどここでよろけたりしたらティトは余計に自分を追い込むだろう。

 レオナは両足に力を入れて踏ん張った。

「取り合えず止血はしないとなー」

 でないと、本当にまずいかもしれない。

 歩き出すとすぐにティトが寄り添ってきた。

「医務室まで送ります」

「いいよ、ティトは事情聴取についていって経緯を説明して」

 肩を貸そうとするティトをレオナは必死で押しとどめた。

 医務室に行って治療を受けるには服を脱がないといけない。それは性別を偽っているレオナにとって、血が足りなくなるよりまずい。

「でも……」

「大丈夫大丈夫」

 やや強引にティトの手を振り払って歩き出した、その時。 

「大丈夫じゃないでしょ」

 ハスキーな声の女がレオナの腕を掴んだ。

 背が高く、きりっとした目が印象的な美人だった。年は二十代の中頃か。落ち着いた草色のワンピースに朱色のスカーフを巻き、さらさらと流れる長い黒髪にも同じ色の髪飾りをつけている。身につけているものはどれも決して高価ではないが品がよく、教養の高そうな印象を与える。

 女はその身なりに相応しい落ち着いた話し方をした。

「治療してあげるからこっちいらしゃい」

「結構です。離してください」

「離したら逃げそうなんだもの」

「大した怪我じゃないですから」

「大した怪我よ。放っておいたら痕が残るわ」

「本当に大丈夫ですから」

 全身に力をこめて振りほどこうとするが、女の力が強くてびくともしなかった。

「ちょっとそこのあなた」

 女は強い口調でティトに命じた。

「私がこの子を病院に連れて行くから、あなたは軍に戻って報告でもなんでもしてきなさい」

 ぽかんとするティトを置いて、女はレオナを引きずるように細い路地へと向かう。

「離して――」

 なおも抵抗すると、女は力を緩める事なく耳元で囁いた。

「あなた医者に見せるつもりないんでしょ」

 レオナは思わず女の顔を見た。

「こう見えて私は医者よ。いいからいらっしゃい」

「で、でも!」

 それ以降はレオナがどう抗議しても聞く耳を持たず、女は手を引いたまま路地を潜り抜けると、奥まった飲み屋の裏の階段を上がった。

 そして同じような扉がいくつか並ぶうちの一番奥の一つを開け、そこへレオナを引きずり込んだ。


 入ってすぐの所に置かれた簡易ベッド。棚にはずらりと薬草を漬けた酒のらしき瓶が並んでいる。看板を出していない小さな診療所といった印象だ。

 奥には台所やチェストにベッドといった生活空間が見えることから、自宅を改造したもののようだが……

 レオナが呆然と周囲を眺めているうちに、女は手早く扉に鍵を掛け、窓にカーテンをひいた。そしてレオナを無理矢理椅子に座らせ、正面からじっと観察するような目で見つめてくる。 

「――傷を見せなさい」

「大した事ないので大丈夫です」

「家中の鍵をかけて窓はふさいだわ。見せなさい」

「大丈夫ですってば」

 伸びてくる手を払い、立ち上がろうとするレオナに女は真剣な目を向けた。

「私は何を見ても誰にも言わないわよ」

 意外な言葉に思わず動きを止めた。

「骨格を見れば男か女かくらいすぐわかるの。仕事柄ね。

 あなた女の子でしょ」

 女はそう言い切った。

「だからあのまま帰しても医者に見せないんじゃないかって思ったの。

 女の子が軍に入るなんて、ばれたら死刑だものね」

 女の言う事は事実だが、レオナは否定も肯定もできない。

 黙ってその綺麗な顔を睨みつけた。

「信用できない?」

 女は動じずにレオナの前の椅子に座った。

「私はね、男なのよ。

 ヨシュア王国北部の村で医者をやってたわ」

 上から下までまじまじと観察するレオナを見て、彼女――彼は笑った。

 そして次に男の声音を使って告げる。


「本当だよ」


 どう見ても涼やかな美女にしか見えない顔から男の声が発せられる。

 しかし、こちらが本当の声なのだろう。最初のハスキーな女性声より耳なじみが良い。

「オカマってやつですか?」

「――のフリをしてるだけ。女装に興味ないし、男にはもっと興味がない」 

 まだ疑いの姿勢を崩さないレオナを見て、説得に時間が掛かると思ったのだろう。男は椅子に深くかけ直して足を組んだ。女性と比べると凹凸は少ないがすらりとして綺麗な足が見えた。

「さっきも言ったように、子供の頃はヨシュア王国に住んでたんだけど、十五年前にイーカルに攻め入られて、僕の村を含むヨシュア王国北部一帯がイーカルの物になった。

 それから三年後かな? 僕の所にイーカルから徴兵令状が来たんだ。

 僕の父はそのイーカルとの戦いで死んでいるのに、徴兵に従う訳ないでしょ。

 だけど従わなきゃ見せしめに家族全員殺される。だから、皆で逃げたんだ。

 追っ手から逃れるために家族はばらばらになったけどね。

 今、母と姉は薬の行商で国中を回ってるし、僕は人が多くて紛れやすい王都を選んでこんな路地裏で女装して生活してる。

 お互い元気でいるってだけで良いって話し合って決めたんだ。

 ――こんな話、軍人の君に話すのは命がけなんだけど、それでも信用できないかな」


 真っ黒で澄んだ瞳。

 この人はきっと悪い人じゃない。


「傷、見せてくれる?」


 レオナは緩慢な動作で上着を脱いだ。

 袖を抜く時に、動かした肩に鋭い痛みが走る。

 医者を名乗った男は、シャツを脱ごうとしたレオナを押しとどめ、レオナの代わりにボタンを外していった。

 細心の注意を払って袖が抜かれる。

 じんじんという熱を持った痛みは続いているが今度は刺すような痛みはない。

 男は傷をざっと見て器具の用意を始めた。

「……これは酷いな。上着が守ってくれたお陰で筋は大丈夫そうだけど、放っておいたら本当に痕が残るよ。

 今まで怪我とかどうしてたの」

「自分で……」

 傷薬を塗ったり止血したりする程度だ。そう答えると男は細い眉をしかめた。

「医者としては賛成できない方法だな――ちょっと痛いかもしれないけど我慢してね」

 治療の手際はすごく良かった。

 傷の痛みが強かったのもあって縫合の際の痛みも殆ど感じないうちに、傷口はガーゼで覆われた。

「この晒も血だらけだから変えて良い?

 新しいのをあげるよ。服も取り合えず僕のを着ていって」

 治療の時と同じ手つきであっという間に晒を取られた。ささやかな胸のふくらみが夜気に触れ、レオナは思わず前を押さえる。

 かっと血が上って耳まで熱くなった。こんな羞恥心は何年ぶりだろう。

 男はそんな様子を気に留めるでもなく、決して嫌らしくない手つきでレオナに触れる。そして右から左へ移動して二の腕を取った。

「あーあ。ここにも痕があるじゃない」

「それは確か去年演習で――」

「もしかしてこういうのあちこちにある?」

「足首や膝くらいなら医務室に行ってますけど……腰のはまだ痣みたいに残っていたかな」

 医師の長く細い指がレオナのわき腹から腰をなぞった。触らなければわからない程度だが、掌程度の大きさで、うっすらえぐれたように窪んでいる。

「これも普通は医者に診せるような傷だよ」

「服脱ぐわけにもいかなかったから」

 そういうと男は溜息をつきながらレオナの身体に新しい晒を巻き始めた。

「これからは自分でなんとかしようとするんじゃなくて、怪我をしたらここにおいで。

 夜は下の店で働いてるから居ないけど、家にいる時なら僕が診るから。

 風邪とかもだよ? 我慢して死んだら許さない」

「はい」

「ここに治療に来るような奴、だいたい事情があるから、あまり軍人にうろうろされるのは困るんだけどね。君は特別」

「次は私服できます」

「そうして」

 晒を巻き終わると、今度はチェストの中から男物のシャツとズボンを持ってきた。

「まだ女装を始める前――故郷を出る時に着ていた服なんだ」

 徴兵から逃げてきたというから、十五歳の頃の物なのだろう。ウエストがやや余る程度で丈はぴったりだ。

 礼を言うと「捨て損ねていたものだからあげるよ」と寂しそうに笑った。


「それにしても……噂では成り上がり騎士のレオナ・ファル・テートは徴兵で入隊したと聞いてたけど、さすがに女の子だとは思わなかったな。女の子が徴兵だなんて、事情があったんでしょ」

 男はレオナに薬草茶を勧めながらそう言った。

「名前、言いましたっけ」

「有名人だから」

 確かに知らない人に声を掛けられる事が無いわけではない。

 ただ噂で先行するイメージとレオナの外見にギャップがあるのか、共通の知り合いでも居ない限り名前を言い当てられる事まではあまりない。初対面の人に声を掛けられる時も良く見るとその隣には友人知人がいるものだ。

 少し驚きながらも特に隠す意味もないと正直に答える。

「令状が来たんですけど、うちは父しか男手がなくて……その父は寝たきりで徴兵に応じる事も出来ず、かといって父を連れて逃げるわけにもいかず……」

「寝たきりの人の所にまで令状がいくんだ?」

「書類の行き違いがあったんだと思います。心当たりもあるから、多分」

「ふうん……」

 男はレオナの頭からつま先までをまじまじと見つめた。

「今までよくバレなかったね」

「騎士や貴族という立場上、軍での団体生活は強いられなかったので」

「なるほど。ボルディアー将軍のおかげってわけね」

 眼を瞠った。それは騎士位ばかりか家名まで授けてくれた大恩人。

「――将軍を知ってるんですか?」

「噂だけね。ここにはその人のおかげで命拾いしたって奴も時々来るんだ」

 レオナの命を救ってくれた人は、他にも大勢の命を守ってきたらしい。

 改めて恩人の偉大さを知った。



「どうして声をかけてくれたんですか?」

 帰り際、最前から気になっていた事を問う。

「もしオレが本当に男だったら、あなたやあなたの家族が軍に捕らえられてたかもしれないのに」

 男はくすりと笑った。

「医者としては非合法だけど、男と女を間違えるような藪じゃないよ。

 それに男装して徴兵に応じた女の子と、女装して徴兵から逃げた男だからね。他人とは思えなかったんだ」

 そう言うと彼は真顔に戻って少しだけ腰をかがめた。

 あんなに似合っていると思っていた化粧が浮いてみえる。それは『男の顔』だった。

「僕は親友にも君の事を話さない。

 だから、君も僕の事を黙っておいてね」



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