閑話 耳飾
本日3話目の更新です。読み飛ばし注意。
明日付き合って。とだけ言われる日には、どこへ行くつもりなのか解っていた。
最初が悪かったのだ。流行のタルト店へ行こうと誘われ、出かけた日。
時間があるからどこか行きたいところはあるかと聞いてしまったのが。行った事が無いというから、じゃあ行こうと気軽に応えてしまったのが。
次の日彼女の幼馴染でもある友人にこってり絞られた。
それでも最後には「じゃあ責任を取って、彼女がまた行きたいと我侭を言い出したら貴方が同行してください」と言う友人は甘いというべきかそれとも理解しているというべきか。
レオナはため息をつき、露天の商品を覗き込む横顔を見た。
大きな瞳は無邪気な好奇心の塊だ。見たことのない庶民の生活用品が珍しくて仕方がないらしい。
「断ったら一人ででも来ちゃう人だもんな……」
「何か言った?」
「ううん」
「ところで、これは何?」
「果物を絞る道具」
彼女――ルティアは目を輝かせた。
「ジュースって手でぎゅっとするんじゃなかったのね!」
包丁すら握った事がないであろうお嬢様は、普段はまともなのにそういう所がやはりずれている。
「そういえば、そろそろお昼ね」
レオナはまた嫌な予感に襲われた。
あれもやっぱり最初の日だ。
その日の午前中はルティアとの約束の前に演習が入っていたので喫茶店の食事では満たされず、市場の帰りに軽食のスタンドに立ち寄ってしまったのが悪かった。
食べた事がないと言うからつい奢ってしまったのだ。
大雑把な味付けのそれの何がお気に召したのか、それ以来お嬢様は市場へ行ったら必ずそこへ寄るものだと決め込んでしまっている。
「ベンチ、空いてないね」
だから諦めてまともな店に行こうというつもりで言ったのに、彼女には伝わらない。
「私はそこの花壇の所でも良いわよ」
そう言って砂だらけのレンガを指差す。
「お嬢様がそういう事言わない」
ただでさえ自分たちに影響されて下賤な言葉使いや行儀の悪い事を覚えてしまっているお嬢様だ。これ以上染めてしまってはご両親に面目がたたない。それに例え普段よりはラフな格好であっても、仕立てが良い服である事には変わらない。服の値段などわからないが汚すわけにはいかないだろう。
そのうち本当に花壇や階段に座りかねない雰囲気だったので、レオナも諦めた。
店に近い水路沿いのベンチはすぐに埋まるが、広場の方まで行けば空いている事もある。
「あっちならまだ空いてるかも。ちょっと見てくるね」
一人で走っていけばすぐだからと思ったのだが、彼女は華のような笑顔で「付いていく」といった。
「今日は随分歩いたし、疲れてるならここで待っていてもいいよ?」
一応は貴族のご令嬢だからと思ったのだが、王宮の剣術指南役を父に持つ彼女には無駄な気遣いだったようだ。
「大丈夫。体力にだけは自信あるの」
空いていなければ良いというレオナの願いはむなしく、広場の隅のベンチがひとつ残っていた。
「木陰だっていうだけマシかもな」
諦めに近い思いで一番近くのスタンドで買ったお茶と軽食のセットを運ぶ。
自分は誰がどう見ても軍人だし、子供の頃からこういった物ばかり食べていたから一向に構わないのだが、いかにもお嬢様といういでたちの彼女がこれを頬張る様は未だに見慣れない。
小さな口を精一杯あけて齧りつく彼女の頬に白いものがくっついた。
「ルティア、ソースついてる」
「え、どこ」
「口の横――反対側」
お嬢様はそれをハンカチではなく指でぬぐい、そのままぺろりと舐めた。
オレの真似だよな、とレオナは頭痛を覚える。
思わずチラリと背後を窺った。隠れてついてきている彼女の護衛に見られていないと良いのだが……
「とれた?」
彼女は無邪気な顔で覗き込む。
一瞬脳裏をよぎった彼女の父の憤怒の顔は忘れるようにしよう。
彼女がこれを家でやらないことを――そしてそれがレオナの影響だとばれない事を祈るしかない。
「ああ、そうそう。この間ね」
またしてもいやな予感だ。ルティアが上目遣いにこちらを見る時はきっと何かがある。
「お友達に『テート家の騎士様』を紹介してって頼まれたのだけど――」
「ごめん。無理」
「よねえ」
周囲には『結婚しない。テート家に跡取りが必要なら養子を取る』と公言しているのだが、それでも時々そういうお誘いをいただいてしまう。
「今回も『レオナはまだ亡くなった恋人を思っているから無理みたい』と話しておくわ」
「ごめんね」
ほっと胸をなでおろすと、ルティアがポツリとつぶやいた。
「最近、それって言い訳よね」
どういうことだろう。
「前は本当にそう見えたんだけど、今はあまり引きずってないみたい」
指摘されて、久しぶりに手首を見た。
手首に巻いた細いチェーン。
そこにはかつてレオナが出征する恋人に贈ったお守りが下がっている。
その人が戦死していつの間にか数年が経っていた。故郷を出たり、生活が大きく変わったりしたせいか過去ばかり振り返っている暇も無かった。
「……思い出すことは減ったかな」
不意に彼女がレオナの腕を取った。
「見せて」
お守りの裏をしげしげと見る彼女。
そこには名前が刻まれている。
一段目にはレオナと。二段目には――
「イル……それが彼女の名前?」
それは優しさを表す女性名。この国の、特に辺境では珍しくない――悪く言えば田舎っぽい名前である。
「可愛い名前ね」
「……うん」
ほろ苦いものがこみ上げてくる。
わざとらしいとは思いつつも、先ほどから気になっていた物に話題を変える。
「あ、あそこ、すごい人だかりだね」
「話題のお店らしいわよ」
あっさりと乗ってくれた彼女に心の中で感謝する。
「ほら、今度ダールが結婚するでしょう? それで式を挙げる愛の女神の神殿が人気のスポットになったらしいの。
その神殿の前の屋台で売ってるアクセサリーが恋愛成就のお守りになるのだとか」
王家の結婚式というのはこんな所にまで影響を与えるのか。レオナは感心した。
その間にルティアはパンの最後の一欠けを口に放り込み、立ち上がる。
「見に行きましょう」
食器の乗ったトレーを持とうとするレオナに先んじて、お嬢様は自ら食器をスタンドに返し、そしてレオナの手を引いた。
色とりどりの石の飾りがついたペンダントや指輪が布を張った台の上に所狭しと並ぶ。小さい店の割には品揃えがいいらしい。
どれが噂のお守りなのかと聞いてみると、全部よ、という答えが返ってきた。
「ええと、確か――ピンク色の石が恋愛成就で、水色が浮気防止、緑色が本当の気持ちに気がつくという効果があるのだとか」
「色にまで意味があるんだね」
複雑な効能の話はお嬢様方のお茶会で聞いてきたと言う。
レオナも村に居た時は年頃の娘として過ごしていたはずだが、あんな田舎ではこういう洒落た店などない。だからこのように細かい分類のあるお守りなど見たことも聞いた事も無かった。
都会の女性は覚える事が多くて大変そうだ。
そんな事を思いながら、品定めをするルティアをぼーっと眺めていた。
「せっかくだからどれか買って行こうかしら――無難なのはピンク?」
「恋愛成就だっけ」
「相手はいないけど、似合いそうだから」
その発想がルティアらしい。
「レオナはどれが良い?」
「へ?」
「今日付き合ってくれたお礼」
「い、いいよ」
「大きいのは邪魔でしょうし、イルちゃんと被るのも悪いからペンダントやブレスレットは無しよね」
「いらないってば」
イーカル人――王都に多いイーカル族は老若男女問わずアクセサリーで飾るものだが、レオナの住んでいた地方ではあまりその習慣が無かった。
ましてレオナは今軍人だ。小さな物は構わないが、有事の時に引っかかったりしたら危険なのであまりじゃらじゃらした物はいけないという規定もある。
なんとか止めようとするが、ルティアはレオナの一番苦手な言葉を口にした。
「女の子に恥をかかせるものじゃないわ」
そう言えば言い返せないのを知っていて言うのだからたちが悪い。
「そうそう。ピアスの穴開けていたわよね」
「――良く知ってるね」
思わず耳たぶに手を当てた。
子供の頃に開け、故郷を出た後も領地の行事で盛装を強いられた時には幾度かつけたが、彼女の前では無かったはずだ。
「さすがに埋まってるかもしれないなあ」
「じゃあ他のにしましょう」
ルティアがピアスの隣の指輪へ手を伸ばすのを目で追って、ふと目に入った値札に驚く。
使われている石の大きさで値段が決まっているんだろうか。指輪はピアスの二倍、ペンダントは三倍ほどの値がする。
「……いや、ピアスでいいです」
思わずそう言ってしまう。
「穴ならまた開ければいいし」
そう? なんて言いながらルティアはまたピアスの方へ視線を戻した。
お気に召したらしいのは白い花のピアス。
「これ、どうかしら」
「似合うと思うよ」
「レオナにという意味よ」
「それはさすがに……」
「似合いそうなのに」
しぶしぶといった風に花のピアスを台に置き、ルティアはその斜め上にあった別のピアスを手に取った。
「じゃあこっち」
ピアスのパーツから細いチェーンで繋がった尖った石。
一瞬剣のように見えた。
これなら男性が身につけていてもおかしくないだろう。
「本当にこれでいい?」
そう聞いたのは店の主人だった。
「彼氏――じゃないの?」
「違うわ」
「良いカップルに見えたんだけどなあ」
「残念ね」
さして残念でもなさそうに言ってルティアは肩を竦めて見せた。
「はい、レオナ」
「ありがとう」
礼を言って受け取る。
そのままポケットにしまおうかと思ったのだが、ルティアは期待に満ちた目でこちらを見ている。
つけてみろという事か。
「まだ開いてるかなあ」
そう言いながら、針を耳に差してみる。
柔らかな肉を掻き分けるようにして真ん中くらいまでは入るのだが、そこで引っかかってしまって反対側までは抜けない。
ぐっと力を入れて押すとぷつっとわずかな痛みと共に針が通った。
途端にその場所がじんじんと熱を帯びてくるのを感じた。やっぱり塞がりかけていたのだろうか。
新しいピアスを見ようとしたのか、ルティアが両手でレオナの髪をかきあげた。
「こんな可愛い騎士さんがいていいのかしら」
以前より少し伸びた髪を後ろへ持っていくと束ねられない事もない。
「こうすると女の子みたい」
前王の崩御からドタバタが続いていて髪を切るのをすっかり忘れて居た事に気がついた。
「……髪、切ろうかな」
ルティアを家まで送り届けると、自宅は素通りして軍部へ顔を出した。
明日必要な物を取りに行かなければならなかったのだ。
夕焼けを見ながら廊下を抜ける。さすがにもう残っている者も少ないのか、日中の喧騒が嘘のように静まり返っている。ようやく辿り着いたいつもの演習場の前で、施錠中の部下――副連隊長のシグマを見つけた。
「悪い、ちょっと中いいか?」
「ああ――ん? お前今日は非番じゃなかったっけか」
「明日は早朝から騎士の馬上演習があるんだ。ダールの結婚式で披露するって奴。
だから今のうちに鎧を持って帰ろうと思ってさ」
「ご苦労なこった」
シグマの大きな体を避けるように扉の隙間をすり抜け中に入る。
「――あ?」
この男は体つきのせいか大雑把に見られがちなのだが、いつも周囲をよく見ている。
薄暗い中だというのに、いつもと違う所にすぐに気がついたようだ。
「珍しいのつけてんな」
シグマは体と同様にゴツイ耳を指差していった。
「ルティアにもらったんだ。知ってる? 愛の女神の神殿の前のアクセサリー店。そこが今人気なんだって」
髪をかきあげてそれを見せると、にやりと笑う。
「相変わらず仲がよろしい事で」
「そういうんじゃないよ」
そう言いながら倉庫の隅にまとめておいた袋を担ぐ。式典用の物ではないとはいえ、これもかなりの重量がある。
足元がぐらつき尻餅をつきそうになった所で、大きな手が荷物を支えてくれた。
「向こうはそうは思ってないんじゃねえの?」
礼を言う隙すら与えず、何事も無かったかのように振舞うのがこの男の常だ。
いつものように感謝は心の中だけにして、荷物を背負いなおす。
「ないない」
彼女と一緒にいてそんな空気を感じた事すらない。それに――
「これ、色によって意味があってさ。白は『良い人に出会える』っていうお守りなんだってさ。
そういう気があったらこれじゃなくて恋愛成就のお守りとか渡すだろ」
「そいつは残念だ」
信心の話を聞かないこの男は、さして興味がなさそうに付け加えた。
「まあ、ご利益があるといいな」