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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
秘密の花園
36/107

第4話 花園の主

 廊下の先に淡い光が漏れているのがわかった。

 アレフが扉を開け放ったままにしたのだろう。

 しかし、人のいる部屋にしては光の量が少ない。

 蝋燭やランプの灯りというよりは窓から入る月の光のようなぼんやりとした……

 レオナは一歩ずつその場所に向かって歩を進めた。



 大きく開いた扉のその奥。

 紫の夕闇を背に立つ白い影。

 それは、ダールの部屋で見た絵の少年がそのまま大きくなったような方だった。

 弟であるダールとはまったく似ていない。日に焼けた健康そうな肌ではなく、磁器よりも白い肌。コシのある癖毛ではなく、柔らかそうな長い白髪。いつも不機嫌そうな黒い三白眼ではなく、優しげな赤い瞳。それを縁取る長い睫もやはり白かった。

 御年は確か三十二歳。

 色合いこそ違うが、あの絵で見た王妃様と年も姿もそっくりだった。

 

 はっと我に返る。


 気がつくと扉の手前で呆然と立ちつくしていた。

 王族の方を前にしてこれはまずい。前王であれば即刻手討ちものの非礼だ。レオナは慌てて騎士の礼をとって跪いた。

 すると、くすくすという笑い声がして

「そんなにかたくならなくても」

 と、ダールとよく似た声が言った。その上「顔を見せて」とまで言う。


 恐る恐る顔を上げる。再び視界にあの絵の中の人が入ってきた。

 先程と同じように、沈みきった陽光の最後の明かりがうっすら照らす部屋。厚手で美しい織りのカーテンに触れ、彼の君は佇んでいた。赤い瞳がこちらを見ている。


 その方は次に「立って」と言った。

 命じられるまま膝を伸ばすと、軽い足音を立ててこちらに近づいてくる。さらりと白い御髪が肩からすべりおち、細く長い指がこちらへ伸ばされた。あれよあれよという間に手首をつかまれ、部屋へと通され、さらにそのままそこを突っ切った。

「あ、あの!?」

 戸惑うレオナを気にする事なく、彼は開け放してあった吐き出し窓を抜ける。手を引かれるままにレオナが部屋の外へと足を踏み出すと、目の前には月に照らし出された庭園が広がっていた。

 第二王子を思い起こさせる真っ白な花ばかりが集められた庭。それもあまり見たことのない品種ばかりだ。

 王子の手によって連れ出されたその場所は、階段を数段下りれば庭にも直接出られる造りの広いテラスだった。

 中央に真っ白な丸テーブルと椅子が四脚並んでいる。そのうちの一つに、アレフが我が物顔で座っていた。

「お前――!」

 レオナが咎めようとするのを遮ったのは、ダールにそっくりな第二王子の声だった。

「あなたも座って」

 言葉は優しげだけれど、有無を言わさぬ口調。

 恐る恐る腰掛けると、第二王子殿下はその隣に腰を下ろす。

「秘密の花園へようこそ」

 殿下が言う。

 すると、見計らったように先ほど玄関ホールで言葉を交わした少女がお茶とお菓子を持ってきた。 

 殿下とレオナの前にはそっと、アレフの前にはガシャンと音を立ててカップを置く。

「手前なあ」

「野良犬が人間様のテーブルについているっていうだけでもおこがましいのよ。犬は犬らしく庭の隅で伏せでもしてなさい」

 先ほどと同じように見た目にそぐわない言葉でアレフを罵倒する美少女。

 唖然とするレオナとは対照的に、殿下は楽しげにそれを見ていた。

 テーブルの上に優雅な仕草で茶菓子を並べ、少女が退室すると、殿下はゆったりと微笑んでレオナへと向き直った。

「レオナ・ファル・テートさん?」

「は、はい!」

 そう、貴方が。と言ってレオナの顔をじっと見つめた。

 血の色をうつした瞳がゆっくりと頭から顎まで移動して、レオナの目に戻る。

「今日はどんな御用ですか」



 * * *



 貴方を疑っている――なんて言えるはずもなく、ただこれまでのあらましを話した。

「ダールの所に暗殺者が?」

 そう言って殿下は白い眉を顰めた。

「ああ。将軍がここの警備を強化したいとか言ってきたのはそのせいかな。断ったけど」

「じゃあこっちには暗殺者は来てないんだな」

 アレフは尊大な言葉遣いだが、殿下は気にも留めない様子で頷いた。

「そういう報告は聞いてないよ」

「それじゃあ余計に……民衆は、第三王子が死んで得するのはお前だと思うよな」

 クッキーを貪りながらアレフが核心にせまる。

 それを聞いて殿下は心底嫌そうな顔をした。

「得なんてしないよ。僕はここでのんびり余生を過ごしたいんだから」

「お前が得か損かはいい。黒幕に心当たりは」

「あるよ」

 あっさりと肯定した。

「誰だ」

「一人二人じゃないんだ」

 殿下は骨ばった長い指でカップを持ち上げた。

 アレフのように音を立てる事もなく中の琥珀色の液体を流し込む。

「僕が王になったとしても、体が弱いから政なんてまともにできないし、すぐ死ぬでしょ。だから僕が王になったら実権を握ってやろうと思ってる輩は大勢いるんじゃないかな。

 実際、陛下が亡くなった時には王位継承権を主張しろって散々言われたしね」

「それは、誰ですか」

 思わずレオナが問う。

 すると殿下はゆったりと微笑む。

 この仕草に、一瞬既視感を覚えた。

 

 ――あれ?


 この方とお会いするのは間違いなく初めてなのに、話し方や仕草を知っている気がする。

「レオナ・ファル・テートさん。

 私が名前を言ったら疑いますよね」

「……調査はします」

「それなら、確証もないのに口にするわけにはいきません」

 レオナの抗議の眼を避けるようにまたカップに口をつけると、しばし逡巡した後テーブルの上の呼び鈴を手に取った。


 ――リィン……


 静かな庭に澄んだ音が浸透し……消えた。

「お呼びですか」

 相変わらずアレフに敵意剥き出しの視線を与えつつ、玄関で出迎えた少女が現れた。

 ひらひらと薄い布を重ねた装いはあきらかに貴族の子女の外出着だが、侍女なのだろうか。だとしたらレースの広がった袖はすごく仕事がし辛そうだ。

「アイ。聞いてた?

 ダールを狙っている奴が居るんだって。誰かわからないけど、可愛い弟に手出ししないよう取り計らってってリンに伝えてくれる?」

 アレフが顔を顰めるのが見えた。酷く不機嫌そうな顔だ。

 少女は裾をつまんで優雅な礼をするとアレフを一睨みして部屋を出て行った。



 * * *




 ――ここは秘密の花園。ここで見たこと、聞いたことは内緒だよ。


 白みかけた空を背に、レオナは自宅へ向かう道を歩いていた。睡眠時間はさらに足りなくなったが、今は普段お目通りの叶わないような貴人との対面で気持ちが高揚し、眠れそうに無かった。

 背後をばたばたと品の無い足音がついて来る事も今は不満ではない。


 ただ……


「何でお前は殿下と親しげに話してんだよ」

 帰路何度目になるかわからない同じ質問をした。

「だから、昔あそこに住んでたからだって言っただろ」

「何でお前みたいなのが離宮に住んでるんだって」

「俺だって生まれた時から宿無しだった訳じゃないの」

 納得しない顔をするレオナをアレフは忌々しげに見た。

「あんたな。なんでファズが王宮に住んでるのは良くて俺が離宮に住んでたのは駄目なわけ?」

「お前とファズじゃ雲泥の差じゃないか」

 主に気品とかそう言った物が。

「俺だって一応はクレーブナー家って立派な貴族の家の当主の息子だった訳でな」

「それ、本当に本当なのか」

「――保身の為の嘘はつけない」

「本当にファズの叔父? 本名はアレフ・ファル・クレーブナー?」

「本当の本当の本当に叔父だな。ファズのおしめだって変えた事がある。でも、俺はただのアレフだ。勘当されてるからその名前は使えない」

「ふうん……」

 血縁に関してはそう強く疑っていた訳ではないし、勘当の話だってこいつの素行を思えば納得だ。

 まだ気になる事があった気がしたけれど、なんだったか。 

 今日は寝不足で頭が働いていないのに色々な事が起こり過ぎた。完全に容量オーバーだ。

 第二王子シー・セアル殿下はおそらく悪い人ではない。だが、この件の黒幕はきっと彼の君の信望者の誰かだ。だから戻ったらまず殿下を王に据えたい者が誰かという事を考えなければ。それから――

 

 そういえば、ダールは兄の周囲にそんな思いを抱えている者がいる事を知っているんだろうか。


 知らない事は無いんだろう。きっと。

 本来なら一番に疑いを向ける。

 それでもそれをレオナ達の前で口に出さないという事は…… 


「実の兄貴にさ、命狙われるって……どういう気分なんだろうな」

 家族には愛された記憶しかないレオナにとって、まったく想像のつかない気持ちだった。

 アレフは突然そんな事を言い出した真意を問うようにこちらを窺って――それから抑揚の無い声で答えた。

「……さあな」


 その時、背後から馬の足音とガラゴロという車輪が石畳にぶつかる音が近づいてきた。

 こんな朝も明けきらぬ時間に馬車とは珍しい。

 二人は後を振り返った。   

「レオナ!」

 馬車の窓を開けて名前を呼んだのはファズだった。

「あれ? 夕方交代した後はすぐに家に寝に帰ると言ってませんでしたっけ。どこへ行ってたんですか――アレフまで一緒に」

 もっともな疑問だ。

 しかし正直に答えるわけにはいかない。

 レオナの脳裏に声だけはダールとそっくりな第二王子の言葉が蘇った。


 ――ここは秘密の花園。ここで見たこと、聞いたことは内緒だよ。


 紅を引いたような色の唇は優雅なカーブを描いていたが、血の色をうつした真っ赤な眼はまったく笑っていなかった。 

 レオナは必死で誤魔化した。

「お、お前こそダールを置いて出てきていいのか」

「領地から兄と姉の一人が来て交代してくれたので一度屋敷に戻る所です。屋敷の方には父も来ているそうで……」

「げっ」

 顔色を変えたのはアレフだった。

「じゃあ、俺帰るから」

 帰ると言ってもどうせレオナの屋敷なのだろう。

 そんな逃げるように去らなくても一緒に行けば良いのに。 



 案の定、鍵を持たないアレフは門の前で膝を抱えて座っていた。






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