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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
秘密の花園
35/107

第3話 接触

 交代要員がきてダールの警護から解放されたのは翌日の夕方の事だった。


 ――ようやく眠れる。


 レオナは重だるい足を引きずるように歩き出した。

 眼などとろんとしてすでに寝ているようなものだが、取り繕うほどの余力は残っていない。

 おそらくベッドにたどり着けばそのまま朝まで泥のように眠るだろう。しかし、通常の夜勤明けと違って次の日の休みは無い。定時には連隊長会議の為に軍部へ行かなければならないし、その後すぐに連隊で朝のミーティングだ。ああ。会議とミーティングの間になら、一度連隊長執務室に寄ってソファで横になる事ができるだろうか。いや、しておかないと後が辛い。何故ならミーティングの後はまたダールの部屋で警備――それも翌日の朝までの不寝番だから。


 日中はダールの執務の邪魔にならない範囲で話もできるし、友人特権で昼食やお茶に誘って貰えるのでまだ良い。問題は深夜だ。

 とにかく今のうちに一度家に戻って湯浴み。その後遅刻ぎりぎりの時間まで寝て――これからの予定を考えつつ、一分一秒でも長く休むため、一番近道の中庭を横切る。

 ああ、湯浴みより先に寝てしまおう。着替えすら面倒だ。上着脱いだらそのまま布団に包まりたい。

 そんな事を考えていたら欠伸が出てきた。

「でかい口」 

 声のした方を見ると、中庭のベンチで日向ぼっこをする不審人物……もとい、アレフが居た。

「なんでお前がこんな所にいるんだよ」

 中庭の警備担当はどうしてこいつをしょっぴかないのかと心の中で毒づく。そして、その警備担当が自分の部下だと気がついて、やるせない気持ちになった。

 クセはあるが無能な連中ではない。現にこの二週間、侵入者は悉く捕らえてきた。つまり彼らの目にはこの男が不審人物だと映らないのだろう。レオナの目だけがおかしいのか。

 黒いシャツに黒のズボンを履き、黒糸で刺繍された黒のベストに黒い革靴。服の仕立て自体は悪くないので、黒尽くめというただ一点を除けばギリギリ王宮に出入りする事が許される服装ではある。


 ――でもオレが門番なら絶対こいつは通さない。


 むしろ今すぐに縛り上げて牢獄に放り込みたい。

 レオナの目に宿った剣呑な光に気付かぬ風でアレフはのんびりと立ち上がった。

「一昨日からお前が帰って来ねえから探しに来たんだ」

「今から帰るよ。なんか用事?」

「ふーん……寝てねえな」

 レオナの口元と少し乱れた髪を見て腕を組む。

 ぐいと近づけられたファズと同じ色の眼が、レオナの寝不足で血走った目を覗き込んだ。

「……これは暗殺者でも出てきて、夜な夜な警備ってとこかね?」

「なっ」

 思わず言葉を失ったレオナに、底意地の悪い男は「当りか」と言ってにんまりと笑った。



「ここに来たのは一刻くらい前だけどな。ベンチ座って周囲を見てりゃ誰にでも分る事だよ。

 普段に比べて出入りする騎士が多すぎるし、出てくる奴は足を引きずってる。入ってく奴は欠伸してる。どいつもこいつも寝不足だって顔に書いてあるじゃねえか」

 呆れたように語るアレフの言葉に思わず眉が寄った。

 確かに王宮深部からの出入りには近道であるこの中庭を使う者が多い。こんな所でわざわざぼーっと見ているのもこいつくらいのものであろうが、一応騎士団の警備の実態は極秘事項となっているはずだ。周囲に知られるのは良い事ではないだろう。後で団長らに進言しなくては。


 そんな事を考えている間にもアレフの核心をついた言葉は続く。

「お前が殆ど帰って来なくなって二週間くらいだな。そこから毎日徹夜してんのか。持久戦もそろそろ限界なんじゃね?

 お前ら騎士が疲れきった所で隙をつけばチョロそうだ」


 それくらいこっちだって分っている。その前に捜査を進めて黒幕を叩くべく動いているのだから。


 そう言ってやりたいが立場上口にする事は出来ない。

 黙って睨みつけるとアレフは深い溜息をついた。

「お前がコレじゃ、ファズはもっと酷いんだろ」

 叔父甥なのか遠縁なのかは結局分らないままだが、一応心配する程度の関係ではあるらしい。

「仕方ねえ……おい、そろそろ証拠のひとつやふたつ掴んでんだろうな」

「言えるか」

「証拠が無きゃ止めても逆効果じゃねえか」

「ん?」


 ――止める? 何を?


「暗殺者が来なくなったら証拠も手に入らなくなるだろ。不穏分子だけを野放しにするっつーのも、なあ」

「……お前、何か知ってるのか」

 思わず右手を剣の柄に掛ける。まったく手がかりの掴めないこの事件。この不審者が何かを知っているなら暴力に訴えてでも情報を掴む。幸いこの男は、初対面で出会い頭に当身を食らわせてくるような奴だ。ぎりぎり殺さない程度であれば怪我を負わせてもレオナの良心は痛まない。

 抜刀直前な気配に気付いたアレフは、レオナの手の上に自らの手を添えて押しとどめ、なんでもない事のように言った。

「まあ、本人に聞くのが手っ取り早いんじゃね?」

「本人?」

「ダール殿下が襲われて一番得する奴なんて、兄貴に決まってんだろ」

 この男の兄といえば――

「ファズのお父さん?」

 クレーブナー家の当主はすでにファズの兄が継いでいて、先代であるファズの父は隠居の身だ。社交界から疎遠なレオナは一度遠目に見た事がある程度の関係でしかない。

 その隠居が関係しているとはいったいどういう意味だ。

 両目にありったけの殺気を込めて睨め上げる。

 だが、やはりこの男にはきかなかった。代わりにレオナの神経を逆撫でするように鼻で笑う。

「馬鹿。自分の親父の手下が襲ってきてるなら、ファズが一番に気がつくだろ。

 オレが言ってるのは、ダール殿下の兄貴の方だよ。第二王子シー・セアル殿下」


 あの絵の、白髪の王子――


 再び息を飲むレオナを見て、アレフは心底楽しそうな笑みを浮かべた。



 * * *



 傾ききった陽が地平線に落ちる寸前。

 真っ赤な光を頬に受けながら、王宮を出て北へ向かう。

 と、言っても城壁の外だというだけでこの道を含めたこの一帯は王家の物なので王宮の一部と言っても良いかもしれない。

 殆ど手の入っていないこの辺りは背の低い木がところどころに生える程度の荒地だ。人工物といえば、荒地を区切るように通る美しく舗装された道と、一定の間隔で置かれた無学な者にはよくわからない石像。そんな場所を、レオナは不本意丸出しの表情でアレフと共に歩いていた。


「第二王子の離宮はこの先だ。行った事あるか」

「ある訳無いだろ」

 王宮から大して離れているわけではない。徒歩でもすぐについてしまう距離だ。だが普段表舞台に出てこない第二王子に面識など無く、警備の任でも入らなければ近づく事などあるはずもない場所だった。


 道の先に見える高い塀を見つめた。

 周囲は荒地だというのに塀の中にだけ緑の木々が茂っている。その奥にある離宮に、件の第二王子は住んでいるという。

 アレフは直接聞けば良いなどと軽く言うが、いくら貴族だ騎士だといっても下っ端の下っ端にすぎないレオナにはお目通りすら叶う訳が無い。どうするつもりだろう。


 いや、それよりも――


「一つだけ確認しておきたい事がある」

 ようやく顔を合わせたのだ。今聞いておかないといけない。そう思った。

「お前はファズと親戚なんだよな」

 唐突な質問にイーカル人としては珍しい楡の葉色の眼が瞬いた。

 普段の眠たげな眼が開いただけで、だいぶ印象が変わる。この表情は見慣れたファズの顔にそっくりだ。これだけ似てるのであれば、叔父甥の関係が嘘だとしても、血縁がないわけがない。

「国王が暗殺されたあの日。お前はオレのアリバイを作るために来た――多分ファズに言われて」

「……まあだいたいそんな所だ」

「ファズには話したのか」

「何を」


「あの晩、オレがお前に話した話」


 聞きたかったのはそれだ。

 請われたのか雇われたのか知らないが、依頼されてレオナの元に来たのだから報告ぐらいするだろう。その時にレオナが話した内容だって伝えるものだと思っていた。

 それなのに、昨晩話した様子だとファズはレオナが性別を偽っている事を知らない。身元を誤魔化すような人間を疑わない訳は無いからこれは確実だろう。


 つまりアレフはレオナの正体をファズに伝えていない――?


「言うか馬鹿」

 アレフは呆れたように言い捨てた。

「なんで言わなかったんだ」

「あんたが俺の事なんだと思ってんのか知らねえけどな。あんなのべらべらしゃべるような話じゃねえって事くらい弁えてる。

 お前のアリバイ確認に来た軍人には商談ついでに酒呑みながら旅の話をしてたって答えたし、ファズには一晩中罵り合ってたっつっといたよ。

 だいたいな。言うなら自分で話す事だろ、それ」

 

 ――意外とまともな考え方をする。


 レオナはアレフの評価を改めた。

 不審人物である事には変わらないが、意外と性根は真っ当なのかもしれない。意外と。


「何睨んでんだよ」

「帰ったらお前の正体を教えろ」

 本当は今すぐにでも聞き出したいが、もう目的地についてしまった。


 見上げるほど大きな門。

 そこに立つ門番に、身分と名前、それに第二王子にお目通り願いたい旨を伝えると特に咎められることも無く門が開かれた。

 門番の一人はレオナ達の来訪を奥へ伝えに走ったようだ。

 そのお陰で次の門でも、その次の門でも名前を伝えるだけで門をくぐる事ができた。


 不思議なほどに調子よく、二人は屋敷の入り口に立っていた。

 今までの大きな塀や門と同様に、巨人でも住んでいるのかというような大きな建物。そしてそれに見合った大きな扉。

 凝った彫刻のある巨大かつ重厚な扉を前に臆したレオナは、隣に立つアレフの袖をひっぱった。

「……なあ、本気でここ入るの?」

「ついて来るっていったのあんたじゃないか」

 アレフはなんでもない事のように扉をダンダンと大きな音を立てて叩いた。

 ややあって、扉がぎぃぃと音を立てて開く。

 中から顔を出したのは夕闇に白く浮き上がる滑らかな肌をした美少女だった。

 少女は細く開けた扉の隙間から二人の姿を確認すると、ニコリともせず小さな口を開いた。

「何の用よ、野蛮人」

 声は愛らしいのに口から飛び出す言葉は汚い。

 あまりのギャップに一瞬何を言われたのか分らないほどだった。

 ぽかんと口を半開きにしたレオナの代わりに、アレフが告げる。

「シーに会いに来たに決まってんだろ」

「それは門番から聞いたわ。でも、そんな風に乱暴に扉を叩く人を会わせる訳にはいかないでしょ」

「おいこら、アイ!」

「わかってるわよ。入りなさい」

「可愛くねー……」

 少女が扉をひくと、アレフはどかどかと足音を立てて我が物顔で屋敷に入っていった。

「お、おい……」

 何がなんだか分らないまま置いていかれそうになったのでアレフを呼び止めようとすると、少女が再び口を開いた。

「貴方もどうぞ。レオナ・ファル・テート」

「え、オレの事――?」

 まだ一度も名乗っていないはずなのに。

「あ、ああそうか。門番が」

「前から知ってるわ」

 少女はこともなげに言い、レオナの後ろで扉をしめた。

 そして戸締りを確認すると、一瞥もくれることなくどこかへ行ってしまった。

 太陽はすっかり落ちた後だ。いくつかの蝋燭だけで照らされたホールはその広さ故に殆どが闇の中。

 微かに甘く青い匂いがする気がする。花が飾られているのだろうか。しかし、ぐるりと見回しても、暗さに慣れない目にはぼんやりと周囲の彫刻や扉の輪郭が見える程度でそれらしい物は見つけられなかった。

 そして、一人取り残されている事に改めて気がついた。

 しんと静まり返った邸内にはすでに少女の足音すら聞こえない。

 初めて訪れる、それも第二王子なんていう貴人の住む場所ではあるけれど、動いた方が良いのだろうか。人の気配すら無いこの場所玄関でただ立っていても誰も通りかからないような気がした。

 レオナはしばし逡巡した後、アレフの行った方の廊下へ足を向けた。



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