第2話 不寝番
国王暗殺事件以来、王宮の警備の兵や近衛騎士団によって不審者が捕らえられる事件が相次いでいる。
王宮の周囲をうろうろする四人組はまだしも、侍女の制服を着た見慣れぬ女が薬物の入った小瓶を隠し持っていたり、夜中に黒服黒尽くめで刃物を所持して王宮の奥へ向かおうとする者が現れるに至っては、新国王に対し反逆の意思がある者がいる事を疑わない訳にはいかない。
だから現在、「国王暗殺の犯人が次期国王も狙う可能性もある」として「一時的に」警備は強化されている。と言っても警備が強化されたのは王宮の深部ばかりで、庶民から見たら普段と変わらない様子だ。これは「今の政情を考えると国内外に不安を与えるべきではない」と主張する国王と、「あんたが死んだら元も子も無いでしょうが」という側近や軍部との舌戦を経て、ようやく得た妥協点だった。
だがここで一つ問題が生じる。
王宮の中でも一般人が出入りできる部分は通常よりやや厚い程度の警備で対処するという案は恙無く実行に移された。警備の兵のローテーションがややタイトになり、訓練や演習の時間が少し削られた程度の影響だ。
しかし、その分王宮深部……王家の他は特別に許可されたものしか入る事のできない中庭より奥の部分を警備する者達はとんでもない負荷を被る事となった。
そこを警備するのはイーカル国軍の兵ではなく、近衛騎士団。彼らに求められるのは実力ばかりではなく、国王からの信を得なければ末席にすら加わる事が出来ない。
今重要になるのはその信の部分だ。
近衛騎士団長は言った。「国王周辺に手引きするものが居る可能性すら疑っているほどだ。白という確証の無い人間を国王周辺の警備に加える事はできない」と。
その結果、人数の少ない近衛騎士団だけで万全の状態を維持をするために、全員がわずかな仮眠を回しながら警備につくという事態になってしまっている。
とにかく人が足りない。
だから普段は軍に出向していて王宮警備に着く事のない各連隊長までもが警備に加わる事となった。勿論通常の任務とは別に、だ。
これで二週間。誰一人としてまともに寝ていない。
レオナ自身も、寝不足で火照る体に鞭打って国王の私室に詰めていた。
廊下や建物の周囲ではなく私室の中という配置は、次期国王の友人であり彼の精神的な負担を減らせるだろうという点を買われての事で光栄に思うべきらしいのだが、レオナは何度配置変更を申し出ようかと思ったかしれない。いっそ屋外に配された方がマシな位だ。
やってられるか。
柔らかい布団に包まれて気持ち良さそうに眠る男を見ながらの寝ずの番など。
レオナが眠気を払うように頭を振っていると、隣で欠伸をかみ殺すもう一人の友人と目が合った。
騎士団員ではないが、平時からダールの補佐と警護を任されている彼はレオナと共に毎日不寝番を続けていた。折を見て仮眠を取ってはいるようだが、日中は補佐の方の仕事もあるのでレオナ以上に眠っていないのではないだろうか。
「ファズ……仮眠行っていいよ」
ルティアに言われたからではないが、レオナとしても友人を心配する気持ちからファズにはできるだけ眠っておいて欲しかった。
「いえ。僕も仕事ですから。――でも、お茶を用意してきます」
そう言って部屋を出ていくファズを見送り、一人になるとまた睡魔との戦いだ。
任務中ゆえ、気を紛らわす物も何も無い。仕方が無いので壁に飾られた絵などを眺めて時間を潰す事にした。
ここにある絵は芸術作品というよりも王家の歴史や栄光を称えるものだと聞いている。たとえば中央にある肖像画の細面の男が初代国王だ――と、以前ファズが言っていた。ダールの先祖ではあるが、何十代も前の人物だからダールとはあまり似ていない。その左の絵が、聖なる獣とそれを従える初代国王の姿。これは国の成立に関する伝説を表現した物で、この聖なる獣の姿は王家の紋章・国旗・軍旗といった国を象徴する全ての物に描かれている。
最後に右側に飾られた家族の肖像が――ダールの家族。
こちらを睨みつける男が先日殺されたダールの父。レオナの知っている姿よりもだいぶ若い。そしてその隣で直立不動の姿勢を取る青年が、夭折した第一王子。軍に入隊したときにはすでに亡くなっていたため実物は知らないが、この絵で見る限り今のダールとそっくりだ。その第一王子の隣には長椅子が置かれている。そこに腰掛ける女性がやはり一度もお会いした事のない王妃。艶やかな黒髪にオアシスと呼ばれる青い宝石の髪飾りが輝いている。口元には慈愛に満ちた笑みが湛えられていて優しげな母親の姿に描かれていた。実際良い人だったのだろう。誰を評してもさりげなく辛辣な言葉を吐くファズですら、この方に関しては「どうしてあのように素晴らしい女神のような方からこうも考えなしな王子が産まれるのでしょうね」などと言って貶す事がない。
その女神が愛おしげに抱く赤ん坊がダール。今はコシが強すぎてあちこち向いてしまう髪もまだ生え揃っていないし、眠っているせいで彼の一番の特徴である目つきの悪さもわからない。こんなに可愛い時期もあったのかと言うほどだ。
そして――
レオナは最後の一人に目を留める。
初めてこの絵を目にした日から、いつも吸い込まれるようにその人を見つめてしまう。
長椅子に腰掛け、ダールの母に寄りかかる異質な少年。
王家の中でただ一人、黒髪黒目というイーカル族の特徴を持たないダールの兄。
艶やかな白い髪は女性のように長く伸ばされ、真紅の瞳は物憂げに中空に向けられている。
――第二王子シー・セアル殿下
その名の意味は、神々に捧げられた子。
この王子のように極稀にしか生まれない色素が薄い子供は、地域に拠っては神々の使いと、また地域に拠っては災厄の前触れと言われる。
イーカル族の間では前者だった。それ故この王子が産まれた時は国中が高揚し、今も神事などの時には一目見ようと人々が列を成す。
彼の君を神の使いと捉える者達は、口にこそ出さないが今も第二王子こそ次期国王に相応しいと信じているらしい。
ファズは今起きている件の黒幕はこの王子の周囲の者であると考えているようだ。レオナと二人きりの時にそれを匂わせる発言をしていた。
根拠がないわけではない。
それは第一王子が死去し、ダールが次期国王に指名された五年前。絶対的な権力を持つ国王に表立って意見できる者は無かったが、ダールを力で排除しようと今のように大勢の暗殺者が送り込まれた事があったと言う。その黒幕として捕らえられたのが第二王子の信望者として知られる貴族の一人だった。
レオナは五年前の事を話でしか知らないので、今回の件にも彼の君が関係しているかどうかまでは判断できない。
この二週間の間に捕らえた侵入者にしても、いくら尋問や拷問を重ねても首謀者の名を割らない。本当に知らないようだというのが立ち会った者の意見だった。
ただ、レオナ個人としてはこの侵入者の件と国王暗殺事件とは別物だろうとは思っている。
国王暗殺事件の犯人は隣室に控える従者に気付かれる事なく護衛の近衛騎士二人を殺害し、その上、声を上げる間もなく国王を殺害した。それを目撃したファズもかなりの手練だというのに犯人を捕らえる事が出来ず負傷している。そんな規格外の暗殺者を使役できる者が、こちらも警戒しているとは言え、ターゲットに至る前に捕まるようなお粗末な刺客を雇うだろうか。
そんな事を考えていたら、扉が軽く叩かれた。ダールを起こさないように配慮された丁寧で柔らかなノックも、足音を一切立てず扉に至るまでレオナに気配すら察知させないなどという芸当もファズにしか出来ない。それでも一応の警戒を示しつつ扉を開けると、そこにはやはり彼がティーポットの乗ったトレイを手に立っていた。
「眠気覚ましの濃いお茶です。勿論毒も眠り薬も入っていませんよ」
そう言いながら二人分のカップに湯気を立てる液体を注ぎいれる。
三日前には薬物を持った不審者が捕らえられているし、五年前に至っては侍女が買収されて毒を盛られかけたというのだから、ファズの言うのは決して冗談ではない。
だから茶葉も食器も厳重に管理し、更に毒見を経て持ってきたと言う。
レオナはカップにそっと口をつけた。
普段ならミルクを入れたくなるほど渋い。しかし、お陰で少し頭がはっきりしてきた。
「ファズは、今回の黒幕を誰だと思ってる?」
そう問うと、ファズは少し考えてから慎重に答えた。
「……動かぬ証拠を掴まないと動けないような相手、でしょうね」
常にファズは憶測を口にする事を避ける。だから具体的な名前が出ないのは予想の範囲内だった。
しかし、今日は少しだけ舌が滑らかだ。
「国王暗殺事件と今回の件は、別の黒幕がいると思います。
この所送られてくる侵入者は、国王暗殺事件の実行犯と比べてあまりにお粗末です。雇うのに掛かる金額は――精精王都で小さめの屋敷を建てる程度の金額でしょう。ただ、その程度の暗殺者でも、これまでに七人。更に続くとしたらそれなり以上に資金が必要になります」
ファズの視点はレオナと少し違った。
暗殺者を雇ってみようと思った事がないから相場など知らないが、確かに王都で七軒もの屋敷を建てる金額など簡単には出せない。
貴族か、ある程度以上の地位にある武官・文官か――件の第二王子か。
「ポケットマネーの金額も超えていますし、そろそろ金の流れからもある程度つかめるかも知れません」
それは確かにそうだ。
だが、資産を持っているという点だけで見るとファズもレオナ自身も黒幕になりうる条件を備えている。
いや、あの件を含めればレオナは疑いを抱かれるのに十分すぎる立場という事になる。
「例えばさ。ファズはそれをオレだとかは思わないの」
「何故」
その楽しげな目は、軽口の一種だと捉えている顔だ。
レオナは一片も疑われていないと確信した。
と、いう事は、アレフは――
「レオナが黒幕なんですか?」
完全に冗談の口調でファズが笑う。
「いや、オレだって資産は無いわけじゃないし。その可能性だってゼロじゃないだろって思っただけ」
「貴方なら暗殺者を雇うより、先程のように僕が席を外した隙に寝首をかいた方が早いじゃないですか」
ファズはレオナにとっては心をえぐる刃物のような屈託の無い笑顔で答えた。
「それに、レオナが僕やダールを裏切るなんて思っていません」
――この男はレオナを信じている。
レオナは彼を騙し続けているというのに。