第1話 幼馴染
「ここは秘密の花園。
秘密が花を咲かせる場所」
彼は真っ赤な唇で歌うように言った。
「レオナ、君の秘密も聞かせて?」
* * *
レオナは剣を握りなおした。
そしてゆっくりと低めの位置に構えなおす。
多民族国家であるイーカルに武器の形は様々あるが、レオナが使うのはやや長く細めの両刃の剣である。レオナの生まれた西側地域は金属加工に優れた民族が住み、鋭い切れ味を生かした「斬る」剣術を得意とする。
対する副連隊長シグマは南の国境付近の出身。レオナと同じく両刃の剣を使うが、レオナの物よりも刀身がやや短く太い。そしてその剣術は「斬る」事よりも「殴打する」事に重点を置いている。
何より大きな違いは、盾を使う事。
ちっ――やりづらい……
レオナは静かに息を吐いた。
一番得意な出会い頭の突きは、確実にあの盾で封じられる。となると攻撃を誘ってその機を突くしかないわけだが……
相対したシグマは、盾を利用しながらじりじりと距離をつめてくる。なんとか左から回り込もうとするが、さすがに隙がない。
手詰まりなのを察し、盾に半分隠れたシグマの目がにやりと笑った。
ダンッと音を立てて堅く踏み固められた土を蹴る。
「くっ」
シグマの剣先が肩を掠めた。
ぎりぎりで交わした様に見えるが、狙っていたのは攻撃によって体勢が崩れるこの隙。
空いた脇を狙って剣を振るう。
――ギィンッ!
金属と金属がぶつかり合う激しい音が響いた。
そして、あっさりと盾に絡め取られたレオナの剣は、地面に転がった。
「そこまで!」
審判の声が響く。
「ありがとうございました」
レオナとシグマは声を揃えて礼をした。
「お前の狙いくらい読めるっていつも言ってるだろ」
そんな事を話しながら後をついて来るシグマにレオナは唇を尖らせた。
「……盾が邪魔なんだよ。盾が」
剣に関しては飛びぬけた才能を持つレオナにとって、唯一勝敗が五分五分という相手がこのシグマだった。
恵まれた体躯を生かした破壊力と耐久力は、速度重視のレオナと対極にある。それに加えてこの連隊では珍しく盾を使うシグマは隙を見つけるのが難しく、正直戦い辛かった。
「一度それ置いてやろうぜ」
忌々しげに盾を見つめて言う。
「俺の剣は盾と剣で一対だ。剣一本で戦えなんて無理な相談だな。
そんな事よりお前、午後から出かけるとか言ってなかったか?」
「ああ。ダールの所に行く約束があるんだ。でもまだ大丈夫」
「そうか……それならちょっと向こう行かないか」
シグマは訓練場の隅を指差した。
「聞かれちゃまずい話?」
レオナは周囲で汗を流す他の兵士を見回した。
それぞれに訓練に集中しているようでこちらに注意を払っている者などいないが……
「いや、まあ俺は構わないんだけどな」
「何だよ」
「お前さ、最近――」
言いかけてシグマは言葉を飲み込んだ。
「レオナ。お客さん」
シグマの視線を追いかけると、入り口の扉の脇に訓練場の空気にそぐわない華やかな色合いが見えた。
「ルティア!」
レオナが名前を呼ぶと少女は花が咲くように笑う。何か用事だろうか。
しかしまだシグマの話も聞いていない。迷っているとポンと肩を叩かれた。
「行って来い」
「でも、話は?」
「また明日でいい」
「そうか――?」
「まあなんだ。無理すんなよ」
そう言うと、シグマはレオナが抱えたままだった練習用の剣を取り上げてさっさと片付けに行ってしまった。
* * *
「どうしたのルティア。こんなところまで来て」
ここは軍の訓練場。『一般人』は近づく事すらできない場所だ。
「お父様に届け物があったの」
ルティアは小鳥の歌うような声で答えた。
彼女の名前はルティア・ファル・ブラント。ブラント家は代々王家の武術指南役を務めており、彼女の父の居室はこの訓練場を通り過ぎた奥にある。そこまで何かを届けに行った帰りに偶然レオナを見つけ、立ち止まって見ていたというところだろうか。
砂埃にくすんだ訓練用のものとは言え、騎士であるレオナの白い防具は兵士達の中にいると非常に目を引く。その上得物はこの軍では一般的でない西方の剣だ。きっと彼女ならちらりと見ただけで見分けられただろう。
「でもさすがに軍に長居するのは良くないわね。レオナの顔も見れたし早めに退散するわ」
一般人である彼女が軍の内部を自由に歩く事は勿論許されておらず、傍で彼女の監視を務める兵は先ほどからずっと苦虫を噛み潰したような顔をしている。
本来なら『規則です』といって用が済んだらまっすぐに出入り口へ連れて行く所だが、彼女の父の威光のために立ち止まったくらいでは文句も言いづらかったのだろう。
レオナは彼に少し同情した。
「オレに何か用事があったなら外に出るよ。どうせもう上がる所だったから」
「防具はそのままで?」
「ああうん。今日は部屋に持って帰ろうと思ってたし」
「そう」
そんな会話をしながら二人が廊下の向こうに消えるのを、二振りの剣を抱えたシグマがじっと見つめていた。
* * *
ルティアは体重など感じさせない歩き方で歩く。それは貴族の令嬢として躾けられた独特な歩き方のせいもあるが、一歩進む毎に淡い茶色の巻き毛がふわりふわりと揺れる事もまた、彼女の動きに軽やかさを感じさせる一因だといえる。
そうその淡い色の巻き毛。
イーカル国は戦による領土拡充を繰り返してきた多民族国家である。とはいえ、やはり王都には黒髪黒眼のイーカル族が多い。
西方出身のレオナの茶色い髪もあまり多いものでは無いのだがルティアはそれ以上に珍しい、金に近い淡い色の髪をしている。瞳の色も一般的なイーカル人よりだいぶ明るく、光が当たるとやや緑色がかっている事がわかる。かつて鎖国をしていなかった時代には、貴族が異国へ伴侶を求める事があったというから、彼女にも他国の血が入っているのだろう。
綺麗だなあと思う。
イーカル族からは枯葉色なんて言われる毛の色をレオナはあまり気に入っていない。どうせならこんな美しい色であれば良かったのになどととりとめもない事を考えながら、レオナはルティアの半歩後ろをついていった。
「ダールは元気?」
不意にルティアは次期国王の名を呼び捨てにして尋ねた。
一瞬ぎょっとして先を行く案内の兵を見たが、まさか王族を呼び捨てにする者がいるとは思っていないのか、それとも聞いていないフリをしてくれているのか咎められる事はなかった。
「う、うん。元気だよ。さすがに忙しいらしくて疲れた顔してるけど」
冷や汗を垂らしながら答えると、ルティアは髪と同じ淡い色の眉を寄せた。
「ファズも?」
「もっと疲れた顔してる」
心配だとかそういう事を言うのかと思えば、意外な事にルティアはくすりと笑った。
「二人ともがんばっているのね。ずっと会えないでいるから気になっていたの」
「今が正念場だからね」
「貴方のこともよ?」
「オレ?」
「もう三ヶ月も会いに来てくれてないじゃない」
口を尖らせ、睨んでみせる。
拗ねた様な上目遣いは、男性ならずともころりといきそうになる可愛さだ。
「もうそんなに経つか。ごめんね」
「ごめんじゃないわよ。皆待ってるのに」
ルティアのいう『皆』とはルティアの弟子たちだ。ルティアは全国から才能のある子供たちを集めて自宅で剣術を教えている。こんな可憐な容姿をしていながら、立派な『お師匠様』なのだ。
そしてその子供たちにとって、一般兵から騎士にまでのし上がったレオナは憧れの存在でもある。だから子供たちは皆レオナが遊びに来るのをいつも心待ちにしている。
レオナは子供達の顔を思い浮かべた。真剣な顔で素振りをする顔も、手合わせに負けた悔しさで泣き出す顔も、見学に来たレオナに気付いて駆け寄ってくる笑顔も――きっと彼らに会えたら、この疲れも吹き飛ぶだろう。
「来月中には一度行くよ」
「来月ー? 貴方も忙しいのね」
「うん……まあね。
あ、ええと、ルティアは馬車? 車寄せまで送るよ」
「相変わらず誤魔化すのが下手」
「……ごめん」
「私だって、そんなに馬鹿じゃないもの」
そう言って、ルティアは『お師匠様』の顔になった。
「さっきのシグマとの手合わせもそう。
最後の方集中力切れてたわよ。踏み込みが甘くて剣速が鈍っていたわ。それに、いつもの貴方ならいくら相手がシグマでもあの盾の動きくらいちゃんと見えてたでしょ」
ルティアにはレオナの疲労までも見抜かれていたようだ。
やはり彼女はただのお姫様じゃない。その分析は完全に剣士のそれだ。
実際、剣術指南役である父に英才教育を施された彼女は、そこらの兵士よりも腕が立つ。一度彼女の剣術学校で戯れに手合わせをした時には、腕力や握力・持久力ではレオナに分があるものの、判断の早さと思い切りの良さに舌を巻いた程。
ルティアは一度立ち止まると、レオナの鎧の胸をつついた。
「あまり無理しないでね」
相当、心配してくれていたらしい。
レオナは早足で歩き出したルティアの背中に声をかけた。
「ええと――ごめんね。心配かけて」
するとルティアはあのふわふわした巻き毛を揺らして振り返り、
「女っていうのは心配して、男たちの帰りを待ってるのが仕事なのよ」
ボルディアーのおじさまの受け売りだけどね、と笑った。
やがて、ガラガラと音を立ててルティアの馬車がやってきた。
レオナは騎士になってから仕込まれた、それらしい所作で手を貸した。女性の扱いにうるさいファズには今でも駄目出しされるが、これでも随分上手くなったと思うのだ。
「落ち着いたら、遊びに来てよね」
御者が扉を閉める前に、ルティアは確約を求めた。
閉められた後も、わざわざ窓を開けてまで話続ける。
「それから、特にファズにはよく寝るように言っておいて。
ファズは一番コンディションが動きに出るから」
レオナは軽く吹き出した。
「あはは。さすが幼馴染」
「心配しているつもりよ」
「うん。わかった。伝えておく」
「じゃあ、またね」
ルティアが手を振ると、御者はゆっくりと馬車を進ませた。