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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
秘密の花園
32/107

 閑話 異国の櫛


 よく似ているのに。


 レオナは思う。

 初めて会った時にはその瞳の色くらいにしか相似性を見出せなかったけれど、よくよく見るとそっくりだ。


 ――特に女癖の悪い所が。


「……なんだよ」

 好意的でない視線に気がついたのか、アレフが眉をしかめた。

「別に」

 レオナのメイドに手を出した事など気にしてはいない。



  * * *



 前王の崩御から2週間。

 あの日突然現れて友人の叔父だと名乗ったこの男は、国内が落ち着かないのを良い事に未だにレオナの屋敷を宿代わりにしている。

 事件当日には追い出そうとした。しかし次の日には警備の強化に動員され、帰宅すらままならなくなってしまったのだ。そして数日に一度、寝に帰るだけというような生活をしている間に、この男はちゃっかりと居座ってしまった。憎らしいことにこいつは、人に取り入るのが巧い性質であるらしい。気がついた時には二人いるメイドが二人ともこの男に懐柔されていた。


「いつまでいるんだよ」

 扉を開けた途端目に入った光景に、溜息と共に吐き出すように呟いた。

「来週には発つつもりでいるんだけどな」

 不遜な男は刺繍の施されたクッションを枕にチーズを摘みながら答えた。サイドテーブルに目を移せば、チーズだけでなくナッツや酒まで用意してある。

「さっさと出て行けよ」

 レオナはもうどうでも良くなって、せめて見ないようにしようと廊下へ出る扉を押し開けた。

「おいこら、待て」

「……なんだよ」

「なんで俺がこんなところでお前を待ってたと思うよ」

「待っていたようには見えない」

 誰がどう見ても、何もすることのない居候がゴロゴロしていた所に夜勤明けの家主が帰宅したという図だ。怒りを通り越した呆れの境地でソファの上に転がったままの男を見下す。

「とにかく、お前に構ってる暇はない。オレは荷物を置いたら昼までにまた王宮に戻らないといけないんだ」

 もう外では小鳥が鳴いている。しかし着替えはしないといけないし、できれば湯浴みをしておきたい。これでは仮眠をする暇もなくなってしまう。

 そう訴えると男は愚鈍な動作でようやっとソファから身を起こし、首を回しながら告げた。

「俺もあんたと一緒に王宮に行く」

「は?」

「ファズが来いっていうんでな。あんたも一緒に」



 * * *

 

 

 本当に良く似ている。

 今はそう思うのだが、最初は叔父と甥という関係すら疑っていた。髪の色の違いなんて些細に見えるほど、身に纏う雰囲気や仕草、言葉遣いがあまりに違うので信じられなかったのだ。

 しかし、こうして落ち着いてよく見るとそっくりだ。細い顎のラインや目じりの陰。そんな細かい所だけをひとつひとつあげていけば。例えば絵に描いたら、その姿は年の離れた兄弟のようにすら見えるのではないか。

「レオナもお代わりいかがですか?」

 観察する視線をお代わりを求めるものと誤解したらしい。友人は手に持ったままだったポットを軽く持ち上げて問うた。

「ん――ああ」

 あわてて空になったカップを差し出すと、飴色の液体が静かに注がれる。

 何をするにも優雅な男だ。

 それにひきかえ――サンドイッチを噛み切ることすらせず口に詰め込む、その叔父。

 何をどうしたらこんな別の生き物が育つのか。

 さすがの甥も呆れ顔で注意する。

「アレフ。口からはみ出しています」

「こういうのは噛み千切ったら崩れるんだ」

「僕は崩れた事などありません」

 そんなやり取りを面白そうに見ているのがダールだ。ただ、こいつはアレフの名乗った偽の身分――ファズの遠縁にあたり、テート家とも付き合いのあるアレフという名の行商人、という肩書きを額面どおりに受け取っている。

 話を聞く限り、この不審人物が住んでいるのはこの街ではないらしい。というより、この国ではないらしい。

 本人の弁によれば、あちらこちらの国を回って仕入れた品を売買しているという事なのだが、レオナは勿論信じていない。

 そもそも『叔父と甥の関係』を『遠縁』と称する所からして、どちらかが嘘となる。

 だが、こうした本人の自己申告に対してファズは何も言わないのだから二人の間に何かしらの了解があるのだろう。


 ――そりゃそうだ。とっくに死んだ事になっている。


 ふと、あの日のアレフの言葉が脳裏をよぎる。

 そういえば、その話についても未だ詳細を聞いていない。


 ――聞ける雰囲気じゃないか。


 若き国王はこの行儀の悪い偽行商人のどこが気に入ったのか、食事もそこそこに旅の話を聞きだそうとしているようだ。

 長い事鎖国をしているこの国で外国の事を知っている人間がめずらしいというのはわからないでもない。しかし、いくら国外の事を知る者が珍しいとは言っても、そこは王家。一般人とは違い他国の情報などいくらでも手に入るし、彼が友人と呼ぶ者の中には外国人もいる。

 ここまで興味を持つのはそれだけが理由ではないように見える。


「それじゃ、お前は聖王国アスリアにも行った事があるのか?」

 彼の憧れの国の名前が出てきたらしい。

 こんな満面の笑みは随分久しぶりだ。

 父王の死から昨日の新国王の即位宣言まで息をつく暇もなかったのだから仕方がない。これからまた法整備などで忙しくなる事を思えば、この不審人物に対する警戒は怠らないまでも束の間の休息に水を差すのは辞めておこう。


「ええ。アスリアにも年に数回は。クレーブナーの名を使えば鎖国の折でも国境を越える事ができますから。

 そういえば、昨年ファズに頼まれてアスリアに花の種を取りにいったような――ファズ。あの花はどうした?」

「ミラティスのことですか? ここの中庭に埋めましたけど、まだ咲かずにいます」

 ファズが答えると、ダールは目を輝かせて身を乗り出した。

「ミラティス?! あの花の種はお前が持ってきたのか!」

「王もご存知でしたか」

 アレフは驚いたように目を見開いた。


 ――わざとらしい。


 レオナはアレフの一挙手一投足を見逃さないようにと気を配りながら、その嘘に塗り固められたやり取りを呆れ顔で聞いていた。

 レオナがアレフと出会ったのはその花の前であったし、その花の話をした事もある。違う。話をさせられた事もある。

 結果としてそれがレオナのアリバイになり国王暗殺の実行犯という疑いは晴らされたのだが、あんな拉致監禁まがいの事が許される訳がない。

 あの拉致監禁はレオナに疑いが掛からないようにとのファズの配慮であったらしい。そうアレフは主張している。だが、取調べで「馴染みの行商人と屋敷で商談をしていた」などと答えた時の苦痛と言えば、今思い出してもこの偽行商人を刺殺したくなる程だ。


 そもそもレオナは自身が実行犯となる事を望んでいた。

 その対象が友人の実父であるという事実が躊躇う原因であっただけで、自分の手を汚す事に自体に迷いは無かった。そして仮に自分ではなく、ファズやダールが手を下したなら、未来の為に彼らの罪を全てその身に被る覚悟も出来ていた。

 しかし、だ。

 実際の犯人はファズ達で無かった。

 どこかの誰かの雇った暗殺者であったらしい。

 ならば、わざわざ罪を被ってやる義理などない。そう思ったからこそ、アレフの提案する嘘に乗ってやることにした。だがもし今後の捜査の結果、ダールやファズに疑いがかかるような事があるなら今からでもこの男の正体をぶちまけて自分が犯人として名乗り出る。

 こんな男よりも、ダールとファズのほうが大切なのだから。


 そんなレオナの思いに気がつく気配もなく、ダールは上機嫌で男に話しかけている。

「ファズの持ってきた種を土に埋めたのは良いのだが、つぼみがついたきり咲く気配がないんだ。土が合わなかったんだろうか」

「つぼみがついたなら土が合わないという事はないと思いますよ。

 まあ、種を分けてもらった奴から聞いた話ですけどね。あの花は『約束の花』とも呼ばれている通り、それに懸けた誓いが成就した時に初めて花が咲くという不思議な花なんだそうです。

 どんな思いを込めて埋めたのかは知りませんけど、それが叶えば咲くんじゃないですかね。

 俺の知ってる話では、種を埋めてから三百五十年もかかったなんて例もあるくらいですから、気長に待つのが良いと思います」

「三百五十年?!」

「まあ、これは極端な例です。二日で咲くこともあると言いますから。

 そういえばミラティスといえば、アスリアの田舎町に伝わる話があるんですけどね――」

 話題はあの花から民話に移ったようだ。

 ダールはまるきり子供のような無邪気さで、時折頷きながら聞き入っている。

 レオナはため息を吐き、再び空になったティーカップをテーブルに置いた。

「何がそんなに気に入ったんだか」

「あの二人は精神年齢が一緒なんですよ」

 呆れを取り越した表情でファズが答えた。


「いや、本当に王はアスリアがお好きなんですね」

「ああ。あの国のシステムは面白い。議会・教育・軍隊――どれを取っても独自のものだろう。そしてそれを以って四百年以上も自国の安定を保った国でもある。見習いたいものだ」

 神話の国に対する憧憬かと思いきや、新国王は意外とまともな目線で見ていたらしい。レオナは少し見直そうとしたが、

「それに幼い頃から聞かされた昔話の舞台の多くはあの国だしな」

 やはりダールはダールだった。

「魔神討伐とかですか?」

「勿論それもだ。

 それに奇跡の王妃、まだら竜の宝玉、神々の足跡……」

「賢者の遺した絵筆、なんて話もありましたね」

 二人の挙げる『昔話』には、史実にも神話にも分類しがたい眉唾物の御伽噺が混じっている。即位式は来月であるとはいえ一国の王がこれで良いのだろうか。

「そうだ。賢者の絵筆には及びませんが……」

 アレフは行商人を装うためと思しき大きなリュックをあさり、何かを取り出した。

「お近づきの印にこれをお納めください」

「これは……ペンか?」

「ええ。アスリアでは行政の正式書類にも使われる書き味が評判の万年筆です」

「アスリアの万年筆か――ありがとう」

「お前達にもあるんだ。ほら」

 アレフはファズとレオナにもぞんざいに何かを投げて寄越した。

 放物線を描いて二人の手元に落ちてきた、やけにしっかりしたその箱を開けると、柔らかな布に包まれた薄い金属性の品物がでてききた。

 全体に緩やかなカーブを描いた長方形に近いシルエットなのだが、上部は緑のガラスを貼ったような意匠がこらされている。

「プリカジュールっていうんだってな。アスリアの北の外れの工芸品なんだけどよ。日にかざすと透けて綺麗なんだ」

「……確かに綺麗ですけど。なんですかこれ」

 ファズはどこか不機嫌そうな声で言う。彼の手の中にあるのは、レオナのそれとよく似ているが、ガラスのような物の部分が橙色だった。

「髪の毛に使う、『櫛』だよ」

「髪……? ブラシってことか?」

 レオナは再びそれに目を落とした。確かに長方形の一辺がブラシの毛のように尖っているが、薄っぺらで一列しかない。髪をとかすには不便そうだ。

「違う。ブラシじゃなくて櫛。ご婦人の髪につける飾りだ」

 そういえば、親友の令嬢がこれに似たものをつけているのを見たことがあるような気がする。それはこんなに沢山の歯はなく、フォークのような形をしたいたが……

「――で、なんで僕達にこんなものを?」

 ファズは不機嫌が更に増した眼で叔父をにらみつけた。

「だって、お前ら女顔じゃねえか。女装したら似合――痛!」

 アレフはテーブルの下で足をさすり、甥を睨んだ。

「何しやがる!」

「嫌がらせに対する当然の報復です」

「だからってお前、尋常じゃない痛さだったぞ?! それただの靴じゃねえだろ! 鉄板くらい仕込んでんじゃねえの?!」

「……今度はそれも考慮しておきましょう」

「なんでお前、そんなに可愛げがないわけ?! レオナみたいに素直に喜んでみろよ!」

 指差され、レオナは席を立つ。

「アレフ」

 笑顔でテーブルを回ると偽行商人のすぐ隣で足を止め、見下ろした。

「ありがと――よっ!」

 怒りを込めて椅子を蹴り飛ばす。

「うわっ!」

 情けない声をあげ、アレフは椅子ごと床に転がった。

「手前――」

「嫌がらせにたいする当然の報復」

 蹴倒した椅子に足をかけ、せせら笑う。

 睨みつけるアレフとの一触即発の雰囲気を、ダールの笑い声があっさりと壊した。



* * *



「おはようございます。レオナ様」

 穏やかな女性の声に起こされる。

「――シア?」

 なんとか瞼を持ち上げると、そこには同世代とは思えない落ち着いた笑みを浮かべる美女がいた。農村出身のレオナよりはるかに育ちが良いが、彼女は先代の頃からこのテート家に使えるメイドだ。仕事はいつも完璧。レオナの好みも把握しているし、常に先回りして必要な物を全て揃えておいてくれる。それに歯に衣着せぬ物言いも含めてレオナは彼女の事をとても気に入っていた。

「よくお休みになってましたね」

「……久しぶりにベッドで寝たからかな……」

「まあ! 昨晩まではどちらで?」

「ダールの部屋のソファ……」

「軍のお部屋にお泊りになっているとばかり思ってましたわ」

 咎めるような口調。

「お忙しいのはわかりますけど、体を壊します」

「んー……」

 もぞもぞと起き上がると、昨晩適当に脱ぎ捨てたはずの靴がきちんと揃えられていた。

「着替えはこちらに置いてあります。朝食はサンドイッチとスープを用意してありますが、お部屋にお持ちしますか?」

「ああ、うん……いや、食堂に行くよ」

 返事をしながら目を擦り、顔を上げる。

 ずっと寝ぼけていたので、その時はじめてまともにシアの顔を見た。

「なんかいつもと違うね」

「わかります?」

「……口紅?」

 微笑んだシアの唇は、艶のある橙色がかった紅に彩られていた。

「あのお客様からいただいたんです。東国のものだそうですよ」

 アレフか。

 こうやって取り入っているんだな。

 それにしても口紅とは意味深な。


 靴をつっかけ、ノリの利いたシャツに手を伸ばすと、シアはすぐに一礼して扉に向かう。レオナが着替えを手伝われるのを好まないのを知っているから、こういう時いつも退室していてくれるのだ。

 何気なくその姿を目で追って、レオナは眉を顰めた。

 朝日を背に受けたシアの、きっちり結い上げられた黒髪の中で何か橙色の物が煌く。

 それは見覚えのある櫛だった。


「あいつらが親戚だってのは本当だな……」


 手の早い所がそっくりだ。



 

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