閑話 休憩する従者と西の歌
第三章 錆色の空
6話 出会い と 7話 救護用天幕 の間の話
将軍の部屋で寝泊りするようになったばかりの頃。
知り合ったばかりのファズとはまだ少し距離があるが――
第一印象は『優男』。
背が高くて整った顔立ちで、言葉遣いが上品。廊下を走らないし、扉の開け閉めも静か。食事の時にナイフを使っても皿に当たる音がしない。少なくとも王子より王子っぽかった。
彼の仕事には王子の護衛も含まれるらしいので基本的には王子にべったりだけど、一日に一度は一人になる時間があるらしい。
彼は、王子が将軍の部屋に居るときだけ、ふらりと部屋を抜け出す。
ある夜。レオナは廊下の隅で壁にもたれて立ち尽くす彼を見つけた。
知り合って二週間になるが、そんなに親しいわけではない。しかし、狭い廊下で知り合いとすれ違うのに何も声を掛けないのもどうかと思ってなんとなく声をかけた。
「何してんの?」
優男は顔を上げてレオナの顔をまじまじと見つめた。
そしてゆっくりと口角を上げて微笑んだ。
「休憩です」
――綺麗に笑うもんだな……
レオナはその表情を見上げてぼんやりと思った。
「レオナこそ、こんな所で何を?」
「ん。酒とって来いって言われて」
抱えていた酒瓶を軽く持ち上げて見せる。倉庫で『将軍の使いだ』と言えば出してもらえる、この砦で手に入る中ではマシな部類のものだ。
「ダウィは一緒じゃないんですか?」
「将軍に飲まされてて席を立てないみたいだった。代わりにタイが」
振り返れば足元にちょこんとお座りをする白い犬。ダウィの飼い犬だ。
将軍もダウィも、過保護なほどにレオナを心配してくれていて、一人で砦の中を歩くことを許してくれない。このように将軍の部屋から出るときには必ず誰かつけるのだ。まあ、近くに色町もない男所帯の軍隊では有り余る性欲が少年兵に向けられることもあるとかで、『女顔』のレオナはそのお節介をありがたく受け取っているわけだが。
「ファズがここにいるってことは、『王子様』も来てるの?」
「ええ。将軍の部屋に居ます」
ファズの視線の先にはかすかに明かりの漏れる扉がある。
宴が始まってからだいぶ経ち、酔いが回ってきたのか耳を澄ませば歌声が聞こえて来る。
「この声、連隊長だ」
「彼はああ見えて音楽好きです。いい年してダンスホールに出入りしているそうです」
「へー。意外」
皆から『爺さん』と呼ばれているその人は、身長こそ高くないものの、いかつくて迫力があって軍人らしい軍人というイメージだった。
「さてと、さっさと追加の酒を届けないと」
明かりに向かって歩き出そうとして、レオナはふと足をとめた。
「なあ、ファズは飲まないの?」
「護衛の任があるので」
「いつもこの時間に居なくなるから酒が駄目なのかと思ってた」
「嫌いじゃないですよ。特に蒸留酒入れた砂糖がゆっくり融けていく様を見ているのが好きです」
「砂糖!? 酒に!?」
「え、入れませんか?」
「入れない入れない」
砂糖が高価だということもあるが、それをおいても蒸留酒はそのままなめるか水で薄めて飲むのが普通だ。甘い酒が好きなら果実酒を選ぶだろう。
「そう……王都だけの習慣だったのかもしれないですね」
「ファズは王都出身?」
「王子の護衛になれと連れてこられたので、彼の生まれた年……四歳の頃から王都にいました」
「そんなに小さい頃から護衛をやってたの!?」
「いやいやまさか。それから訓練や教育を受けて、ダールと引き合わされたのは十歳かそこらの頃です」
それでも十分子供だ。
「嫌じゃなかった?」
「それ。不敬罪で捕らえられますよ」
慌てて口を押さえ、くすくすと笑うファズを見上げる。
「貴方は遠慮がなくて面白い」
……あ。笑った。
レオナは目を瞬かせる。普段からうっすらと笑顔を浮かべている事が多いが、ダウィと違って目が笑っていないのだ。けれど今の笑顔は、本物。
笑い返せば、今度は呆れたような笑顔に変わる。けれど、今までで一番自然な表情だ。
「普通は王族の傍に仕える人間にそんな事言おうとは思わないものです」
「……そっか。気をつける」
確かに、もし国王にチクられでもしたらレオナの首が飛ぶようなことだった。
「じゃあ、オレは行くけど」
「僕はもう少しここで休んでいきます」
「そう」
再び壁に背を預けるファズに軽く手を振って、レオナは将軍たちの待つ部屋へと戻った。
* * *
「お待たせしました」
「遅えよ、レオナ!」
文句を言う王子の前に1本をおき、もう1本を将軍の元へ届ける。
テーブルについた将軍は、ダウィを相手になにやら難しげな話をしていた。この戦の経済への影響を評価してなんとかと、レオナの混じれる話でなさそうなので隅の開いているスペースに移動することにした。
「あー……待て、レオナ」
「はい?」
振り返れば将軍が酒を注ぎながら聞いた。
「外にファズはいたか」
「はい。もう少し休憩してから来るそうです」
「休憩――そうか」
「呼んできますか?」
「いや、良い」
杯に唇を寄せる将軍の様子にどうしようかと迷う。本当に何でもなさそうな様子だが、一応声を掛けた方が良いだろうか。そう思って扉へ手を伸ばしたところで、すぐ近くの床に座っていた連隊長が口を挟んだ。
「大丈夫だ。休憩だというなら休ませてやれ。あれは一日中王子の警護で気を張ってんだ。それに俺らが王子の傍にいるから大丈夫だって思ってくれてんなら良い事じゃねえか」
「それもそう、ですね」
肯けば連隊長はレオナの腕を引き、その場に座らせた。
「さあ、次は何歌うか――ああ? レオナ、お前あれだ。西の歌とか知ってんだろ」
「え、オレはっ」
「鉱山の歌ってあったろ。 打てよ 打て打て あの山の~ だったか?」
「いや。打てよ 打て打て 彼の山の~ ――って良く知ってますね」
「友人が歌ってたんだ。ほら、続き歌えよ」
「無理! 無理ですって!」
連隊長の手拍子に必死に抵抗しながら、その日も夜が更けていった。