第17話 遺言
将軍の死の知らせと共に届けられた最期の手紙を読み、ダールは泣きながら笑った。
「あんのクソジジイ――おい。読んでみろよ、レオナ」
渡されるままにそれを開いたが、いかんせんレオナは字が読めない。
隣に居たダウィに眼で救いを求める。
まわされたそれを彼は静かに黙読し始めた。
「遺言状ってヤツだね。これは」
読み進めるうちにいつもの穏やかな笑みがニヤニヤとした表情に変わっていく。
「面白いよ。こんな面白い遺言久々に見た」
「なんだよ? なんだよ?」
身を乗り出すレオナを手で制し、ダウィは真顔で言った。
「いいか。これは遺言状だ。まあ、これは写しらしくて、現物は第二連隊長に預けてあるって書いてあるけど、とにかく遺言状だ。
それも、世間一般からしても、この国の法律に当てはめても、不備は見当たらない。まあ大陸法まで範囲を広げれば少し当てはまらない部分もあるけど、この国じゃ適用されないからね。現時点では完璧な、有効な遺言状ってことになる」
「……それが?」
「あの爺さんはあれでもただの爺さんじゃない。わかる?
生まれながらの貴族で、その上二十年もの間将軍職に居た、この国の重要人物だよ。
勿論資産だってそれなり以上にある。土地だって、見たでしょ? 墓があったあの山も、この町も、全部あの爺さんの領地だ。そんな人の遺言状がどんなに重いものか――それは理解できるよね」
レオナは曖昧に頷いた。
庶民の財産とは桁が違いすぎてピンと来ないが、凄い事だけはなんとなく判る。
「よし、本題。
将軍には直系の子孫が居ない。一人いた娘さんはもうすでにあの山のお墓の中だから。
その上、将軍の家――テート家は代々軍人の家系でね。若いうちに戦死する人が多いものだから、将軍の兄弟や叔父・従兄弟なんかの身内はもう随分前に途絶えてしまっている。
もしこの遺言状が無ければ、屋敷や財産は血の繋がりがあるのかないのかわからないような『親戚』達が奪い合い、領地は国王に返還される。『親戚』と言っても、あれを親戚というならレオナの故郷の村は村人全員が親戚って事になるくらい遠い関係だよ」
確かにど田舎の小さな村の村人達は辿っていけばその殆どが血縁者ではある。けれど中には親戚だとは思えないほど遠い関係の人もいた。偉い人の事情はわからなくても、なんとなくその距離感はわかる気がした。
「それでね。うーん……ダールには申し訳ないんだけど、あの将軍はダールのお父さん――国王が大嫌いなんだ。ついでに言うなら、金しか見えてない『親戚』も嫌い。だから土地の返還も財産の分与も出来る限り避けたいと思ってる。
その場合、レオナならどうする?」
「んー……寄付?」
「おしい。財産は寄付できても、土地は元々王の物なんだから寄付できない」
「じゃあ、どうするんだよ」
「子供――つまり、家を継ぐ人がいれば、家督相続ってことになって、土地は返還しなくて済む。
だから養子を取るんだよ。
この手紙にはこうある。
――私が死んだら、その時は娘の良人となり、義理の息子となるはずだったファズ・ファル・クレーブナーを養子とし……」
「ファズを?!」
レオナは思わず扉の方を振り返った。
ファズは将軍の死の知らせを聞いた時、ツイと姿を消してしまい、ここには居ない。
ダウィは構わず続けた。
「これに関してはファズの意思を尊重する……つまり、ファズが嫌だっていったら、無かった事にするって書いてある。
二人はファズがこれを受けると思う?」
首を傾げるレオナとは対照的に、ダールは即答した。
「有り得ない」
太陽が西から昇ってもそんなことは無いという。
まあ、付き合いの長いダールが言うのだからそうなのだろう。
「そうだね。きっとファズならそう言うだろうね。
ここにはファズが断った場合についても書いてある。
ファズ・ファル・クレーブナーがこれを拒否した場合には、財産の半分をファズ・ファル・クレーブナーに譲渡し、残りはレオナ・ゲウィル……つまり、君に譲渡するものとする――ってね」
「お、オレ?!」
突然自分の名前を呼ばれてレオナは腰を浮かせた。
出会って一月も経っていないのに、何故そこで自分の名前が出てくるんだ。
動揺するレオナをダールは隣でにやにや笑いながら見ていた。
「それだけじゃなかったよな」
頷いて続きを読むダウィも同じような笑みを浮かべている。
「更に、『レオナ・ゲウィルを養子とし、城・土地・その他全てを相続させる』……とも書いてある」
「はぁ?!」
「その前提として、剣技・武勲どちらを取っても騎士たちと比べて遜色が無いから騎士に推薦するってさ」
「――?!」
あまりの言葉に絶句した。
ぽかんと口を開けたまま、今告げられた言葉を理解しようと努めるが、一つとして現実感を伴わない。
「……ど、どういう事?」
ようやく言葉をひねり出したときには、口の中がからからに乾いていて、舌がもつれた。
わかりやすいほど動揺した姿にくすりと笑って、ダウィが噛んで含めるように告げる。
「まずね。
この戦の功績をもって、君を騎士に推薦するって」
「あ、ああ」
正規兵になったばかりだと言うのにとんでもない話だ。とても我が身の事とは思えない。が、仕組みの上では不可能でないらしいのでここまでならまったく理解できない事ではない。問題はその先だ。
「で、もしファズが将軍の後継の申し出を断った場合。
その『騎士レオナ・ゲウィル』を、セイダ領領主ジアード・ボルディアー・ファル・テートの養子にして財産の半分と領地の全てを相続させると書いてある」
「な、な、ななな!?」
「つまり、君が『レオナ・ファル・テート』と改名して次の領主になるってことだね」
「ちょっと待てよ!」
慌てふためくレオナを見て、ダールは腹を抱えて笑い出した。乾き始めた涙の跡をぽろりと滴が零れていったが、今度のそれは笑いすぎの涙だ。
「あの爺さん、最後の最後によくこんなもん仕込んだよ!」
少し空気が緩んだところで、ダウィが表情を引き締めた。
「騎士の叙任については、今回の戦の功績を見ても将軍の推挙があるという所からしても問題ないと思うんだよね。むしろ問題は横から遺産を掻っ攫われる事になる親戚連中だけど……」
「任せろって。俺を誰だと思ってるんだ」
「そういや、ダールって王子様だっけ」
「王宮じゃ『良い子の第三王子』で通ってるんだよ」
「……へー」
「信じてねえな」
ダウィからもレオナからも疑いの眼差しを向けられて、ダールは唇を尖らせた。
「こういう時の為に長年猫を何枚も被って、父上からの命はどんな反吐が出そうなものだってきいてきたんだ。
――俺から父上に進言する。親戚といえども陛下の勅令なら文句も出せねえだろ」
ちらりと本音をもらし、ダールは窓の外――将軍の遺体が安置されているであろう方を向いてぽつりと呟いた。
「最期の願いくらい聞いてやらねえと、何も返せねえじゃねえか」
* * *
「ところでダウィ。最後まで読んだんだろう? お前を執行人に指名するとあったが、その執行人というのは何をするんだ?」
しんみりしてしまった空気を戻すかのように、やけに明るい声でダールが聞いた。
「書類とかの手続きをする役目だね。
ファズなりレオナなりを養子にするための物と、財産分与と、それに騎士への推薦状か。二週間くれればやるよ」
ダウィのいつも通りの柔らかな眼差しを受けて、ダールは勢いよく立ち上がる。
「じゃあ、オレはファズを探しに行くか。一応あいつの意思を確認しなければならないしな」
「きっと、エレナさんのお墓だと思うよ」
「おう。行ってみる」
慌しく去っていく、足音。
ダウィは「相変わらずうるさい奴」などと言いながら扉を閉めた。
そして、椅子に座ったまま放心しているレオナの前に膝をつき、目線を合わせる。
「大丈夫?」
「あ、ああ……」
ダウィの、角度によっては金にも見える瞳がじっとレオナを覗き込んだ。
「今の話だけどね。法律的には君の意思で断る事もできるんだ。どうしたい?」
「オレは――」
貴族だの、騎士だの、今まで想像もした事の無い世界だった。
現実味がなく、それらの言葉の持つ意味すら理解できない。
――そもそも、『オレ』は本当は、女、で……
数度口を開いたり閉じたりした後、何も言えずに唇を噛んだ。
ダウィはそんな様をしばらく見守っていが、やがて長い指を伸ばしてそっとレオナの手に触れた。
わずかに高い体温が手の甲を撫で指の間を辿り、いつの間にか握りこんでいたらしい拳をゆっくりと開いていく。
「……爪の跡、ついてるよ」
掌の中央、剣ダコのない柔らかい部分についたいくつかの線をなぞり、唇に苦笑いを乗せた。
その薄い唇がゆったりと穏やかな声で言葉をつむぐ。
「昔さ。初めて将軍に会ったのは、この国じゃなかったけど、やっぱり戦場だったんだ。
その時、この間みたいにウチの奥さんが陣地に来た。あの時は周りも気心のしれた奴らだったし、天幕の中に呼んで騒いでいたんだよ。そこに将軍が来て――何て言ったと思う?」
突然始まった昔話についていけず、レオナは首を傾げた。
「……なんて言ったの?」
「『お主は女子供まで戦争に巻き込む気か!』ってね。いきなり怒鳴りだしたんだ。
女は子供を生み、育て、守る義務がある。子供は未来を創る義務がある。
男は、そんな女子供を守る義務がある――
ウチの奥さんは考え方が古いって笑ってたけどさ。
ああ、つまり。将軍ってさ、そういう人なんだよ。
レオナを守りたくてしょうがないんだ。貴族で騎士なんて言ったら前線に送られる事も滅多にないからね」
「お前、全部わかってて――」
「全部なんて知らないよ。カミサマじゃないんだから。でも、そうだな。戸籍をちょっといじるくらいならできる――って言っておこうかな。
勿論、ファズにもダールにも内緒で」
ダウィはいつもの不思議な笑みを浮かべた。
「――で、レオナはどうするの?」