第14話 墓標
黄色い花びらが風に散る。
はらはらと……はらはらと……
音も無く二つの墓標の上に降り積もる。
はらはらと……はらはらと……
月明かりに浮かび上がる背の高い木。
この辺りではあまり見かけない木だ。
その木の名をファズは知らなかった。
ただ美しいと――その時も思った。
降り積もった花びらを踏んで目的の墓標の前に立つ。
飾りのように彫られた家の紋と名前だけが刻まれた小さな墓。派手な装飾のない所が、生前の彼女のイメージに合っていた。純真で控えめで、華美なものを好まない……およそこの国の貴族の生き方と合致しない娘。墓標の脇に埋められた木から舞い散るこの花びらのように、はかなく散っていった命。
たった二年しか経っていないというのに、それが恐ろしく長い時間に思われた。彼女を失ってからきっと自分は大きく変わったのだろう。そしてこれからも変わっていく。
来月迎える二十歳の誕生日。
春に生まれるはずの弟か妹。
ダールが王となり、自分が側近となる日。
そして、いつか訪れる最期。
それでも、きっとこの場所だけは――
「エレナ……」
懐かしい――だが片時も忘れる事の出来なかった名を呼び、頭を垂れる。
しばらく会いに来れなくてすまなかったと。
どれくらいそうしていただろう。
不意に背後から声をかけられる。
「――俺も祈って良い?」
はっとして振り返ると、月のわずかな光でもはっきりと分る金の髪をした青年が立っていた。
いつもの様に柔らかく微笑んで、何気ない風に。
ファズが驚いて立ちすくんでいる間に、ダウィは二つ並んだ墓標の前に跪いた。
左手を右手で包み込むように握るのは東方の民の祈り方。そして唇から洩れるのは、ファズの知らない言葉。神に祈っているのか、それとも故人に話しかけているのかすら判らない。
ささやくような声でつむがれる異国の言葉は、まるでそれ自体が質量を持つかのように辺りの空気を変える。
舞い散る黄色の花びらも、頬を撫でるそよ風も、足元に生える雑草すら、その耳慣れぬ言葉に不思議な異国情緒を覚えてしまう。
見慣れたはずのものが見知らぬものに変質していくようで、ファズは知らず小さく身震いした。
不意に、風が止んだ。
辺りを満たしていた異国の言葉もぱったりと止んでいた。
「ダウィ?」
友人の金の瞳は、枝いっぱいに黄色い花をつけたあの背の高い木を映していた。
「エレナさん」
先程までファズの知らない言葉をつむいでいた唇は、今度は良く知っている言葉を紡ぎ出した。
「一度だけ会ったことあるよ。可愛い娘だった」
「……しゃべったんですか。あのおしゃべり親父」
憎憎しげに漏らせば、ダウィは苦笑する。
「さすがに、ちょっと驚いた」
「僕も驚きました。ダウィとエレナが知り合いだったなんて」
「会ったのは随分前の話だよ」
ダウィははぐらかし、ツイと視線を動かした。
それに気がつかない振りをしつつ、ファズは話を変える。
「もう一つ、驚いた事がりました」
「何?」
「ダウィは大陸東岸地方ではなくてもう少し南の人だったのですね」
金色の眼が大きく見開かれる。
「なんでわかった?」
「カマをかけただけです。さっきの言葉がそんな響きでしたから」
珍しくダウィから一本取れて、ファズは心から嬉しそうに笑った。そして苦笑いするダウィに重ねて問いかける。
「それで、本当はどこの出身なんですか?」
「……本当に、君は良い副官になるよ。うん。方言には気をつけよう」
答えにならない答えを返し、ダウィは立ち上がってファズの肩を叩いた。
「サザニア軍が山を越えてこっちに向かっているらしい。目的地はカルティエッタだと思われる」
「――え?」
「この墓地も行軍のルート上だ。奴らと鉢合わせないよう逃げろ……と、将軍からの伝言」
ちらりとファズの様子を伺って続ける。
「で、君はどうするの?」
* * *
民家の灯り一つ無い、真っ暗な街道。半月の心許ない光を頼りに馬は駆けた。まっすぐに、北を目指して。
レオナは隊列のしんがりを走っていた。さっきまで馬を操ってくれていたダウィは居ないので、将軍の馬に乗せられている。それなりのスピードで移動するのに無理に二人で乗っているのだ。列から遅れていないだけでも良い方だろう。
走り始めて半刻。もう少しで目的の場所へ到達する予定だった。
「将軍!」
馬たちの蹄が地を蹴る音に負けないよう、大きな声で呼びかける。
「どうした! ケツが痛いか!」
将軍は前を見据えたまま叫び返す。
「将軍は、本当に、これで、良いんですか !?」
声が届く様に、大きな声で一語一語区切って言ったつもりなのに、将軍には聞き取れなかったのだろうか。応えは無い。
いや、様子が変だった。
将軍の領地が侵攻されそうだという情報が入った時から落ち着かない様子ではあったが、いつからだろう――そう、娘の話だ。あの話の辺りから平静を装う余裕すら無くなったようなのだ。
時折、馬のリズムと自分のリズムを合わせることすら出来なくなるようで、将軍は大きくバランスを崩した。その度にレオナは落馬しそうな恐怖を味わうことになった。
ファズの事が気に掛かっているのだろうか。焦れる気持ちが操馬に表れているようなのだ。
そもそも、レオナが将軍の馬に乗ることになったのも、表向きは乗馬の巧い将軍に乗せてもらえというダールの言葉があったからなのだが、実は、レオナが一緒に乗っていれば将軍も無茶をしないだろうという将軍の取り巻きの意見によるものだった。
実際、張り詰めた表情で正面の一点を見据えながら馬を駆る将軍は、一人で乗っていたなら危険も省みず一人で駆けて行きそうにすら思われた。
こっそり様子を伺うレオナの視線に気がついて将軍はちらりとこちらを見た。
乾いた唇がわずかに動く。
「え――?」
レオナが問い返そうとした、その時。馬が突然急停止する。
「すまない、レオナ」
将軍は消え入りそうな程小さな声で呟くと、そのまま馬首を返した。