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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
錆色の空
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第12話 王の御為に

 その地名を聞いて、ファズの顔色が変わった。

 将軍とダールも一層険しい表情になる。

 その時レオナはまだ知らなかったのだが、その『セイダ』と呼ばれる地域はイーカル国内で数少ない穀物の取れる場所の一つだった。戦火が及べば今年の収穫は期待できず、占拠でもされようものなら来年から多くの国民が飢えで苦しむことになるだろう――しかも、そこは将軍の領地だ。


 誰もが言葉を失った。


 どれくらいそうしていただろう。沈黙を破ったのはダールだった。剣呑な光を浮かべた目でダウィを睨みながら低い声で問うた。

「お前――どこでそれを」

 ダウィはちょっとだけ肩をすくめる仕草を見せ、地図をたたみながら何気ない風に答えた。

「奥さんが『サザニア軍に誘われた』っていうから、『探るだけ探ってから断って』って行かせたんだ」

「なんだと?! やつら、魔術師まで抱きこむ気か!」

 声を荒げたのは将軍。『魔術師』という耳慣れない言葉にレオナは首を傾げる他無かった。そして当のダウィはいつもの感情の読み取れない微笑のまま。

「大丈夫。正規の魔術師は侵略戦争には加わらない。外れ者だって彼女が断ったって言ったら近づかないよ」

「ちょっと待て。お前の嫁は、何者だ?!」

 そう問うダールは今にも抜刀しそうなほど険しい眼をしていた。

 一人組み入れれば千人の兵にも相当するという圧倒的な力を持つ魔術師。そんな才能を持つ者は滅多に生まれず、滅多に育たず、この国においては見かける事すらない。仮にそんな人間が敵軍に加わったら――

「何者って言われると困るなあ。ウチの奥さんはただのコーディネーターだよ。魔術師連盟に雇われた。

 連盟はこの戦争に不介入を決めたらしいんだよね。彼女はそれを伝えにサザニア軍に行ったって訳。今回魔術師は敵にも味方にもならないよ」

 彼の言葉にあっさりと頷いたのは将軍だった。

「そうか。目的地がわかった以上我々も迅速に移動すべきだな」

「お待ち下さい!」

 珍しく大きな声を出してファズ将軍の言葉を遮った。彼は先程のダールよりも更に険悪な視線をダウィに向けた。

「彼の言う話が本当かどうかはどうして判るんですか ?!

 彼が嘘を言っているかもしれない。その細君が嘘を言っているかもしれない。ダウィと細君が本当の事を言っていたとしても、サザニア軍が教えた情報というのがそれ自体嘘かもしれない。違いますか、ダウィ」

「正論だね。

 俺はどこにも嘘が無いことを知っているけれど、それを証明することは出来ない」

 睨み付けられても、やはりダウィは動じなかった。それどころか、いつもと同じあの笑顔で敵意を受け流した。

「君は良い副官になるよ」

 そんな言葉の後に訪れたのは緊張に満ちた沈黙。そして誰もが誰かが口を開くのを待っていた。

 誰かが何かを言わなければファズがダウィに噛み付くのではないかとまで思われた。実際ファズ自身、間にテーブルが無ければ掴み掛かっていたと後日語っている。

 そんな緊迫した空気を押し破ったのはやはり将軍だった。

「儂ぁ、ダウィ殿を信じる。総指揮者たるダール殿下には直ちに兵を送ることを進言したい」

「……それは私情ですか?」

 敵軍の向かっているというセイダが彼の領地だから。そう匂わせてファズが敵意を将軍にも向けた。

「いや、例え奴等の目的地がセイダで無くとも儂はダウィ殿を支持した。ダウィ殿の事は昔から良く知っとる。……お前たちだって彼とは長い付き合い。彼がいい加減な事を言う人間ではないという事くらいわかってるんだろ?」

 それは少し買いかぶりすぎでは、なんていいながら苦笑するダウィを一睨みして、ファズは一歩退いた。

「どうやらこいつは納得したようだ。ダール殿下はどうなさる?」

 それまで黙って聞いていた王子は全員の視線を受け、立ち上がった。

「――セイダまでは急げば半日と少しだな」

 そう呟き、そして廊下まで響く大声で続けた。

「第二連隊及び第十連隊から第十四連隊は俺達と共に行動。夜明け前にここを出立し、セイダに向かう! 第十五連隊以降はここに残り、第十五連隊長ランドルフの指示の下、二日間の陽動作戦を命じる! 第三・第四連隊は連隊長の指示に従え!」

「はっ!!」

 返事は扉の外から響いた。

 そして声と同時に十数人の足音が一斉に遠ざかる。

 どうやらダールは連隊長クラスの者たちを廊下に控えさせていたらしい。

「伝令!」

 ファズの呼び声に応じ、扉を叩く者があった。

「失礼します!」

 入ってきたのは一人の背の低い正規兵。

 ファズはこわばった顔のままで、確認するようにダールへと向き直った。

「加勢に向かっている兄にセイダへ向かうよう要請します」

 ダールは黙って頷いた。

「では――」

「待って」

 それは静かだが聞く人を惹きつける声。

「ダウィ?」

「ここまで関わっちゃったら同じだよな。

 ファズ。その伝令、早い方が良いんだよね」

「え、ええ。まあ……」

「じゃあタイに行かせよう。――タイ!」

 主人の呼び声に応え、開け放したままの扉からあの白い大きな犬が現れた。

「こいつの足なら馬より早い。それにサザニア兵に見つかる事もないだろう。

 タイ、今の話聞いていたな」

 愛犬が尻尾を振るのを見てダウィはポケットから紙とインク壷を取り出した。

「ダール、一筆書いて」

 困惑しつつもダールはそれを受け取った。

 やがて蝋で封をした手紙を渡されると、ダウィはその隅に何事か書き込み、それを皮製のケースにしまった。

 ちらりと見えたそれは短剣の鞘。先程川原で使われた物のだろうか。

 ダウィはその鞘を器用に紐でくくり、愛犬の首に回し掛けた。

「タイ。ファズのお兄さんだ。クレーブナー家の長男。見たことあるな? 彼に直接渡せ」

 主人の言葉に忠犬はまた尻尾を振って応えた。

「行け!」

 ダウィが背中を叩くと、タイはあっという間に部屋を飛び出していった。

「本当に大丈夫なのですか?」

 すっかりダウィのペースに巻き込まれ、呆然としていたファズがやっと差し挟んだ言葉がそれだった。

 そんなファズを見て、将軍もようやく笑顔を見せる。

「タイなら大丈夫だ。それに、あの腰の重いダウィ殿も動いてくれるようだしな」

「……最初からそのつもりだった癖に」

 恨みがましそうに呟くダウィに、老将軍はいつもの飄々とした口調で「何か言ったか?最近年のせいか耳が遠くなってな」などと嘯いた。

「それはさておき、我々も用意が出来次第移動することになるだろうが……その前にやることがあるな。ダウィ殿」

「なんでございましょうか。ジアード・ボルディアー・ファル・テート将軍?」

「根に持ってんだろ」

「いえ。そんなには」

 含みのある言い方で答え、ダウィは床の上――積み上げられたレオナの布団の脇という定位置に戻り、膝に頬杖をついて将軍を見上げた。

 老将軍は居心地悪そうに周囲を見渡し、誰も何も口を挟もうとしないのを見て取ると、咳払い一つして場を仕切りなおした。

「――ダウィ殿。本来第十八連隊の下につく傭兵はこの場に残す事になっている。しかし、お主は儂らに手を貸してくれるという。

 ならば今を持って解雇だ。以後は儂が個人的に雇ったものとする」

 将軍の言葉にダウィは口の片端を上げてニヤリと笑った。

「御命のままに」

 左の拳を右の掌で包み込むような仕草をして、ダウィは頭を垂れた。


 ――はらり


 黄金色の髪が動きに合わせて流れる音がした、気がした。


 聞こえるはずもない微かな音。

 それが耳に届いた気がしたのは、それが現実離れした光景だったからか。


 ひどく儀式めいて見えた。彼の異国風の顔立ちのせい――ばかりではないかもしれない。

 そっと閉じた瞼のカーブと、その先のまつげの上で揺れる灯りの煌き。

 そうだ。こんなヒトを前に見たことがある。これは村長の家にあった人形の、いや、隣町の神殿の……



「――レオナ?」

 不意に名前を呼ばれて、レオナは自分が彼に見惚れていた事に気がついた。

「な、なんでしょうか。将軍」

「何をぼやっとしてるか。人がお主の扱いについて論じておるというのに」

「は、はい? オレの?」

「聞いてなかったのか。

 お主も第十八連隊の所属。本来なら陽動作戦でここに残す事になっておるのだが……お主、儂と共に来るか?」

「え?」

 自分の置かれた状況すら理解できず、レオナが問い返すと、すっかり落ち着きを取り戻したらしいダールが笑った。

「他の男に取られないか心配なんだよ、このエロジジイ」

 ぶっ、と隣でダウィが吹き出した。

 一頻り腹を抱えて笑うと、笑いすぎて溢れたらしい涙をこすりながらレオナを見やる。

「将軍はレオナを守りたいって言ってるんだよ。来るだろ?」

「あ、ああ……」

「じゃあ、決まりだ」

 ダウィの言葉を受けて、将軍が『将軍』の顔になって宣言する。

「第十八連隊所属、レオナ・ゲウィル。本日この時間よりこのジアード・ボルディアー・ファル・テートが預かり、第二連隊第一中隊の中隊長として儂の元に置く」

「待ってください! オレ、一般兵ですよ ?!」

 突然中隊長だなどと呼ばれ、レオナは慌てた。

 この展開を読んでいたらしいダールはテーブルの向こうでニヤニヤと嫌な笑いを浮かべる。

「だから、今から正規兵にするって言ってるんだ。だいたい『将軍の預かり』なんつったら、正規兵だって連隊長クラスじゃなきゃ務まらねえんだよ。中隊長だって随分な譲歩だぜ?」

「いや、だからってそんな――」

「まあ、お前の入隊してからの働きを見ると正規兵ならそれくらいの出世当然だろうな。ほら、お前何回か派手な鎧着けたヤツ仕留めてたろ」

 そう言われてみれば、そんな記憶もある。戦いの最中は必死なので意識していなかったが、あれはそんなに偉いヤツだったのか――

「だけど」

「だけどじゃねえよ。これ決定事項。

 もう各方面了解取ったし、この俺も許したんだから」

 『王子様』にそう言われてしまってはレオナも言い返す言葉が思いつかない。

 黙ってうつむく彼女に、将軍は柔らかい声音でもう一度聞いた。

「レオナ、儂の下に来るか?」

 優しい声を受け顔を上げる。

 栗の実の殻のような落ち着いた暖かい色の瞳に不安げな顔の自分が映る。

「え、ええと、その」

「儂は、お前さんとの生活が気に入ってるんだ。――来い」

 生唾を飲み込むと、先程のダウィを真似て左の拳を右手で包み、頭を下げた。

「御命、の、ままに」


「――は?」


 一瞬の沈黙の後、将軍が声を上げて笑う。

「しょ、将軍――?」

 何かおかしな事を言ったのかと見回すと、ダウィは顔を背けて口元を押さえているし、ダールに至ってはこちらを指差して腹を抱えている。

「はっはっは。レオナ。それは東の人達のやり方だ」

 将軍は真顔に戻って姿勢をただし、右手を上げて敬礼した。

「我が国では、こうっ! シー・シーチェット !!」

 レオナも慌てて立ち上がり、それを真似る。

「シー・シーチェット!」

 その言葉の意味は「王の御為に」。絶対君主制をひいてきたこの国ならではの言い回しだった。

「初めてにしては上出来」

 ダールが拍手をしながら立ち上がった。

「さて、行くか」

 颯爽と戸口へ向かう若き王子に、将軍とファズは黙って従った。

 ダウィも傍らに置いた本を取り上げ、それに続く。

「行こう、レオナ。――ところで、馬は乗れる?」

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