第9話 遺品
長い沈黙が降りた。
ダウィも何かを察したのだろう。二人は黙ってテント群を抜け、砦の薄暗い廊下を進んだ。
「あー……」
気まずい空気をなんとかしようと意味もなく装備の紐をいじりつつ、視線を空にさまよわせた。
「あ、なあ、ダウィってさぁ、一人っ子?」
「何、唐突に」
「い、いや、なんとなく、そんな気がしたんだ」
考え考え言うので、どうしても言い訳めいた口調になってしまう。実際特に意味のある質問ではなかったのだが。
「ほら、兄弟の多い奴ってさ、自分の意見を口にすることに躊躇いがないっていうか、意見を言うのが巧いなあって思うんだ。
でも一人っ子の奴って、なんか自分だけの世界があるっていうか――例えばさ、何か言いかけて自己完結すること多いじゃん。オレの幼なじみの奴とか、そういうとこあったし。それがなんかちょっとダウィと似てるなって――あ! 別にそれが悪いとか言うんじゃないんだけど」
支離滅裂な言葉に頷きながら、ダウィは口元に微かな笑顔を浮かべた。
その笑みに吸い寄せられるように視線を上げれば、金色の光をたたえる目元が柔らかく弧を描いていた。
珍しい色の瞳に一瞬意識が捕らわれたその時、少し低めの澄んだ声が言った。
「一人っ子じゃ、ないよ」
瞬きをするレオナを見返し、まるで言い含めるようにゆっくりと彼は言葉を紡いだ。
「血の繋がった弟が居たし、一緒に育った『兄弟』も居た」
それは全て過去形。
レオナがその意味を理解する前に話は先へ進んで行く。
「弟は小さい時に死んで、他の『兄弟』達も十二年前のサザニア帝国の侵攻で居なくなったけど」
「ご、ごめ――」
思わず謝ろうとするレオナを押しとどめたのは、普段通りの穏やかな――それでいて感情の読めない笑顔。
「俺はもう割り切ってるし、今の俺には奥さんと家族が居る。それだけで自分は幸せだと思うよ」
「え、奥さん?! お前結婚していたのか?!」
それは初耳だった。
他の兵士たちの様に酔って家族の自慢をしたり、奥さんの作ったお守りを見せたりする事が無いからだろうか。それとも、一言で済む所を何倍もの薀蓄で返すものだから、話がプライベートに及ぶ隙が無いからか。
好奇心に目を輝かせて話の続きを促すレオナにダウィは苦笑を返した。
「籍は入ってないけどね」
「家族に反対されて、とか?」
「いや、俺も彼女も戸籍持ってないから」
彼はとんでもない事をなんでもない事のようにさらりと言った。
「戸籍を、持ってない?」
「俺達二人とも親がいないしなぁ」
やはり世間話をするような口調で言い、ダウィは語尾を濁した。
「まあ、夫婦だと思ってるよ。少なくとも、俺は」
ダウィの言葉をそのまま信じるなら、美人で明るく聡明で、それでいて少し子供のような所のある女性らしい。
――そのまま信じるなら。
生憎レオナは今までそんな絵物語に出てくるような人間と出会ったことが無いので、かなり色眼鏡がかかっているのではないかと疑ってしまったが。
ただ、それでも。
「……羨ましいなぁ」
「へ?」
「ダウィ、良い顔してる」
奥さんの事を話すダウィの眼はとても優しかった。そんなに思われる奥さんがうらやましかった。そしてそんな風に誰かを思うことが出来るダウィが。
「何て言うのかなぁ。籍がどうとかって言うのはよくわかんないんだけどさ。夫婦っていうの? 好きな人と一緒に居られるって良いよなぁ」
「──そうだね」
ダウィは視線を逸らした。その横顔がほんの少し、朱に染まっているように見えたのはレオナの気のせいだろうか。
「レオナ。君こそ恋人とかいないの?」
「……いた、よ。死んだけど。戦争で」
ダウィがはっとしてこちらを見るのを感じたが、レオナは気が付かないふりをした。
「結局、オレの手元にはこれしか残んなかった」
レオナは袖をまくり、手首に巻き付けたチェーンを見せる。恋人が死の直前まで身につけていたペンダント……だったもの。
昔、レオナが出征する恋人にお守りとして贈った物だ。それが彼女の手元に戻った時にはチェーンは千切れ、それを身につけていた愛する男はもうこの世には居なかった。
彼を、忘れたくは無かった。
忘れる事など出来なかった。
死の知らせを受けたあの日。
一頻り泣いた後――レオナはその形見のペンダントの短くなったチェーンから、なんとか腕輪としての長さを確保し、そこに小さな傷だけで済んだペンダントトップを通して鎖同士を繋ぎ合わせた。
留め具など一切用いずに。
もう二度と、彼と離れる事の無いように。
「それが──」
ダウィが足を止めたのに気付き、レオナは後を振り返った。
「それが、君が死に急ぐ理由?」
正面からレオナを捉えた琥珀色の瞳に、一瞬翠の光が浮かんだ──ように見えた。
驚いてまばたきをすると、それはいつものダウィ。崩れた壁の隙間から漏れ入る夕日で、琥珀を埋め込んだかのような瞳が金に煌めくだけ。
──気のせいか……
「どうしたの?」
怪訝そうに首を傾げるダウィに、なんでも無いと手を振ってみせる。
「あ──そういや、ダウィ。お前テント……じゃない、天幕なんだろ? だったらそっちじゃない?」
と、今来た方を指し示した。
薄暗い廊下の先に夕焼けに染まったテント群が見える。レオナは最近それを軍では天幕と呼ぶのだと教えられた所だった。そして将軍なんかの『役職付き』以外の人間はそこで寝泊まりする事になっているという事も。
まあ、レオナは例外であるが。
「いや、俺は天幕じゃないんだ」
「え ?! じゃあ、まさかお前も──」
「違う違う。君みたいに誰かの部屋に泊まってるんでも、ダールみたいに『実は王子様でしたー』なんてヤツでもないから。
俺は、ただの傭兵」
「──は?」
それこそ、初耳だった。
ダウィはレオナと同じように徴兵で集められたものだと思っていたのに、『傭兵』だったとは。
傭兵──ようするに、雇われ兵の事であるが、そういう人間はあまり多くは無い。少なくともこの国においては。
そして、第三王子ダールの率いるこの軍には、レオナの知る限り十人ほどしかいない。確かなんとか団とかいうグループだ。彼らは皆無口で、常に鋭い剣のような雰囲気を発している。何かと戦う事が人生の全てで有り、近づく者は敵であろうと味方であろうと──金で雇われただけの関係に敵味方という考え方があるのかも謎だが──どんな相手でも平気で命を奪うのでは無いかとすら思われるオーラ。
いつも脳天気な口調で、更に脳天気な王子様達と騒いでいるこの男と、彼らとの間に共通項なんて無いように思える。
「本当に──傭兵?」
「言ってなかったっけ?
うん。傭兵。だから本当は傭兵の天幕に行かなきゃいけないんだけど……傭兵だけなら良いんだよ、奴らは何見たって怖がらないから。
だけど傭兵は人数少ないから一般兵と同じ天幕な訳。ほら、俺みたいなのと同じ天幕なんて嫌でしょ。眼が不気味だの、アレは魔族と契約をした印だのって言われ放題だし。
ただでさえ他国人だってだけでスパイ扱いなのにさ」
レオナは驚かされるばかりだ。
「えーと……ダウィは、イーカル人でも無いわけ?」
「そうだよ? 傭兵は皆そう」
平然と答えるダウィ。
「って言っても、俺はイーカルに住んでいた事もあったし、ここも故郷みたいなものだけどね」
何故か寂しそうな顔で少しだけ視線を落とした。──と、
「クゥン……」
すぐ後ろからおとなしく付いてきていた彼の愛犬・タイが遠慮がちに鼻を鳴らした。
「何、どうしたの?」
ダウィが問いかけるとツイと鼻先で壁が大きく崩れた箇所を示す。
ややあって、壁にぽっかりとあいたその穴から一羽の鳥が舞い込んできた。
「ゼロ!」
ダウィが鳥に向かって手を差し伸べる。
天井付近を旋回した後その腕に降り立ったのは、体が白く、羽の先だけが淡い緑色をした小鳥だった。
その小さな闖入者はダウィの肩に飛び移り、甘えるように数回耳たぶを噛んだ。
「何?来いって?」
ダウィは腕を差し上げて小鳥を放す。
小鳥は二人の頭上を円をえがいて飛んでいたが、すぐに壁の割れ目からまた夕闇の中へと消えていった。
わずかな間の出来事だった。
レオナは鳥の去った方を見やりながら問うた。
「……あの鳥は?」
「奥さんの使い。なんか彼女が呼んでいるみたいだから、俺ちょっと行ってくるよ」
レオナの返事も待たずダウィは愛犬に命じた。
「タイ、レオナを部屋まで送り届けてくれ。その後はそこで待っててくれれば良いから」
タイは尻尾を振って返事をした──ように見えた。
それを確認すると、ダウィは挨拶もそこそこに、慌ただしく外へと駆けだして行く。
「なんだよ、あいつ」
一人呟き、首を傾げながら部屋へと続く廊下を行こうとして、はたと気が付いた。
「やば、手も洗ってないや」
身体は後で風呂場を使わせてもらうにしても、血や泥のついた手足のまま将軍の部屋にはいるのはためらわれる。
「タイ、オレは手洗ってくるから、ここで待ってて」
人の言葉が判るかのように賢いこの犬は、レオナの言葉に小さく鼻をならした。
それがどういう返事なのかは勿論判らなかったが、取り敢えずその場で大人しくお座りをしているようなので、レオナはタイに背を向けて外へと向かった。