第7話 救護用天幕
レオナが入隊してからすでに半月。戦況は一進一退、という所だった。
昼過ぎにどこかで小競り合いが起きて、どちらからともなく引く。それが三日に一回は繰り返され、すでに消耗戦の様相を呈していた。
実際、兵士達は疲弊していた。いつ終わるとも判らない戦闘の中、仲間はじりじりと減っていき、生き延びた者とて無傷では無い。
今日も一戦終えて生還した男たちは、ちょうど今砦へと入る門を越える所だった。誰もが足を引きずるように歩き、中には戦友に肩を借りて辛うじて進んでいる者や担架に乗せられた者もある。
鉄錆に似た臭気が一団に纏わりつくように漂い、陰鬱な空気を更に重くする。
「変化か……」
「え、何?」
「いや、こっちの話」
はぐらかしてダウィは出迎えに来た愛犬へと駆け寄る。戦の間ずっと砦で待っていたタイは、主人の側で嬉しそうに鼻を鳴らすが、決して擦り寄ろうとはしない。
彼の体が返り血でじっとりと濡れているから。
ダウィは優秀な戦士だった。
長い剣を軽々と振り回し、我流なのかもしれないが他の誰とも違う剣筋で敵を翻弄する剣士。
レオナとは所属する中隊が違うものの、同じ戦場を駆けている内に良く出会う。
そんな時、大抵はレオナがダウィに助けられるのだった。時に不意を打って襲ってきた刃をはじき、時に大勢に囲まれそうになったレオナの為に斬りかかり。
守られていると感じるのはきっと気のせいではない。毎夜のように将軍の部屋に集まっては酒を酌み交わすうちに、仲間として受け入れられて来たのだ。
ダウィだけではない。将軍の周囲に侍る男たちは一癖も二癖もあるものばかりだが、一度懐に入れた者には深い情を示す者が多い。一人先走りがちなレオナの後を追い脇を固めてくれたのも、奇襲を知らせるように飛んできた矢を射たのも、将軍を介して知り合った軍人たちだった。
その筆頭が、行動を共にすることの多いダウィ。
「さっきは有り難うな」
「何が?」
さっぱりわかっていないという風に小首を傾げるダウィに、レオナは唇の片端を歪めて笑って見せた。
「いや、こっちの話」
今日も幾つかの打ち身と擦り傷だけで済んだ事に感謝しなければならないか。
僅かに痛む右足を引きずりながら、レオナは先に立って歩いた。
「あ。ファズだ」
救護テントの向こうに見慣れた人影を見つけて、レオナは駆け寄った。
「おーい、ファズ! 無事かー?」
「ええ。僕なんて馬に乗った王子様の脇で神妙な顔して立っているだけですから」
そんな事を言って軽く受け流す割に、ファズの纏う軽鎧は泥だらけだ。
王子の従者という肩書きではあるが、彼が体術に長け、大将たる王子の護衛という役目も担っているという事は周知の事実。おそらく、この汚れきった格好は王子を狙う凶刃相手に立ち回った結果なのだろう。
「で、その王子様は?」
追いかけて来たダウィが辺りを見回しながら聞いた。
「その救護用天幕の中です。当然彼に怪我なんてありませんが、連隊長が一人酷い怪我をしたので見舞いに」
「誰かやられたのか?」
「第二連隊長です。太股に矢を」
ダウィが顔色を変えた。
第二連隊長は毎晩のように酒瓶片手にボルディアー将軍の元を訪れる彼の取り巻きの一人。当然将軍の部屋に居候するレオナとも何度も会話をしている。普段は丁寧で一歩引いた物腰の軍人だが酒が入ると豪快に笑う愉快なおじさんだ。
「容態は」
「意識はあります。出血の割に命に別状はない、と。ただ――将来的には杖を手放せなくなるかもしれないそうで」
戦線復帰は難しいという事だろう。もう酒を酌み交わす事はできないかもしれない。
「第二連隊は無茶をさせ過ぎましたね……あそこは第一中隊長も――」
「……君達に怪我が無かった事を喜ぶ事にするよ」
そう言って、ダウィは左手を額に当てて祈る仕草をした。
「ところで、将軍は?」
「今日は腰が痛むとおっしゃって砦の守りに回っていらっしゃいます。今頃もう作戦会議室では」
ファズが砦の方に眼をやるので、レオナもそれを真似た。廃墟の様相を呈したその砦跡は日の光の下でも不気味である事に変わりは無い。
よくこんな今にも崩れ落ちそうな場所を拠点にするな、なぞとレオナは他人事のように考えた。
「これから会議か。お偉方も大変だ」
揶揄するように言ったのはダウィだった。『お偉方』の一人であるファズは苦笑する。
「なかなか戦況は動きませんけれど」
「……まぁ、その内なんとかなるさ」
ダウィはその金の瞳をまた救護用天幕へ向けた。