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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
錆色の空
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第5話 金色

 砦……と言っても遺跡のような場所だった。所々が崩れ去り、蔦が絡まり、木々に呑まれたその石の建造物はすでに砦としての用を成していない事が一目で知れる。

 かつて門であったと思しき石柱の間を抜けると大きな広場になっていて、そこにテントが幾つも並んでいた。

 そのテント群が兵士達の宿舎であるらしく、レオナ達が到着するとすぐにあちらこちらのテントから人が集まってきた。

「静かに!」

 レオナ達を率いてきた中年の兵士がざわめく男達を制する。

「本日より百名の新兵がこの隊に加わる事になっていたが、途中サザニア帝国軍の奇襲にあい、十二名しか辿り着けなかった! 今晩はこの幸運な連中を休ませてやれ!

 ──ロルフ!」

「はっ」

 名前を呼ばれて四十過ぎの太った男が進み出る。

「こいつらを天幕に振り分けておけ」

「はっ」

「では、解散!」

 男達はそれぞれのテントに戻っていく。レオナは他の新兵達と共に、ロルフと呼ばれた男の指示を待ちその場に残った。しかし、

「レオナ」

 名前を呼ぶ声はロルフではなかった。振り返ると、将軍が離れた場所から手招きをしている。

「お前さんはこっちだ」

「でも──」

「軍は縦社会。『将軍』の命令には従うもんだ」

 レオナはテントを割り振る為待機しているあの太った兵士を見た。

 苦虫を噛みつぶしたような顔をしているが、何も言って来ない。

 いいんだろうか。レオナはスタスタと立ち去ろうとする将軍を慌てて追いかけた。


「お前さんなぁ、嫌な視線を感じなかったか?」

 話ながら将軍は篝火から松明に火を移し取った。

「さっきですか?

 いえ、特に……新入りを品定めしているような視線は感じましたが……」

「それだよ、それ。

 皆新兵の中でもお前さんばかり見とった」

「オレを──?」

「わからんか。この通り軍隊なんつーのは野郎ばかりの大所帯。可愛い新兵ってぇのはどこの隊でも慰みものになるんだよ」

「──なっ」

「まあ、お前さんは儂が守ってやる。だから、くれぐれも儂から離れるなよ。

 安心しろ。儂ぁとっくに枯れ果ててる老人だからな」

 将軍は冗談めかして快活に笑った。年はレオナの祖父と同じくらいだろうか。日に焼けた肌には深く皺が刻まれているが、松明を握るその腕や、防具の上からでも判る背中の筋肉はまだ中年で通じる程だ。

「出迎えに来てねぇっつー事は、あいつらぁまだ会議やってんだな。先に部屋に戻るか。

 レオナ、着いてこい」

 二人はテント群を抜け、かつては砦の建物部分であったとおぼしき廃墟に入って行った。



 * * *



 薄暗い廊下を将軍の持った松明を頼りに進む。砦はかなり大きなものであったらしい。まっすぐに奥へと続く廊下は松明の灯りだけでは照らし切れない。両側に等間隔に並ぶ部屋の入り口には、元々扉が無かったのか、それとも長い年月で朽ちてしまったのか。ただ虚がそこにはあった。いや、部屋の入り口だけではない。壁のあちらこちらも崩れ落ち、湿った夜気が首筋を通り過ぎる。

 薄気味悪い感覚に襲われながら将軍の背中を追いかけ、やがて小さなホールに出た。


 先程までとは少し違う光景にきょろきょろと辺りを見渡していると、頭上から声が降って来た。

「将軍? 今お帰りですか」

 よく通る若い男の声だった。ホールは吹き抜けになっていて、声の主はどうやら二階にいるらしい。

「その声は……ダウィか?」

 将軍が尋ねる。返事は無く、かわりに衣擦れの音と足音が近づいてきた。目を凝らすと、右奥の階段にこちらに向かって来る人影があるのが確認できる。

 やがて光の輪に入ってきたダウィと呼ばれた男は、レオナとそう年の変わらない異国風な顔立ちの青年だった。


 すぐに違和感を感じた。


 確かに金髪は珍しいが、気になったのはそこではない。背は高いが異常にというほどでもない。顔かたちも、まぁ整っている方だが所謂華やかな美形ではなく人目をひくタイプではない。

 しかし――見たことが無い。

 どこがと言われると返答に窮するが、見たことがない。纏う雰囲気が、どこか違う。

 青年は将軍に挨拶をすると、レオナへと向き直った。

「……この子は」

 琥珀を埋め込んだかのような瞳が松明の炎を受けて煌めく。


 わかった。その眼だ。


 黄金の色の光を放つその瞳。

 レオナはその輝きにしばし見惚れた。

「新入り?」

 青年は上体をかがめるようにしてレオナの顔をのぞき込んだ。

 急に近づくその瞳との距離に、ようやく我に返る。

「あ、あの……」

「名前、なんていうの?」

「……レオナ・ゲウィル、です」

「レオナ……月の女神と同じ名前だね。男性で言うなら、この国に昔居たっていう英雄、レオナ・バルディッヒ候爵と一緒だ」

 青年は柔らかい笑みを浮かべた。

「良い、名前だね」

 暖かい笑顔だった。全てを見通して包み込むような。

「ありがとう……ええと」

「ダウィ。ダウィって呼んで」

 青年──ダウィは、古代の言葉で『石』って意味なんだ、と付け加えた。

 二人の挨拶が終わったのを見ると、将軍が口を開く。

「レオナはこれから儂の部屋に泊める。すまんが、後で彼の分の毛布を運んでおいてくれないか」

「良いですよ。毛布だけで良いですか」

「あー……着替えも一式欲しいな。どうやら彼の荷物は全部燃えてしまったようだ」

「わかりました。

 そういえば、そっちは大変だったようで」

 ダウィは笑顔を引っ込めてすっと眼を細めた。将軍も真顔で応える。

「待ち伏せはまだ予測の範囲だったのだがな。火矢は予想外だった」

「聞きましたよ。油の入った瓶を馬車に投げつけられて、その上に火を放たれたとか」

「相変わらずの早耳だ」

「タイから聞きました。

 ──そういえば、レオナ。君の事も言ってたよ」

 驚いて顔を上げると、ダウィが先程と同じ笑みでレオナを見つめていた。

「女の子みたいな顔した新兵が白い柄の剣を奮っていたって。君の事でしょ?」

 ダウィはレオナの抱えた剣を見た。

 確かに、柄は白い。

「荒削りだけど筋は良いって誉めてたよ。

 ただ、ちょっと……がむしゃら、かな。命は大切にしないとね」

 琥珀色の瞳がレオナの眼を捉えた。

 角度によっては金にも見えるその瞳は、松明の灯りにきらきらと煌くが、その奥の奥に深い虚がある。世界の美しいものも、汚いものも、そして見えないはずのものでさえも、全てを見据えてきたような、そんな瞳。


 知られている。この瞳は、私の全てを知っている。


 レオナは本能的に一歩退いた。

「あれ。嫌われちゃったかな」

 ダウィは耳の後ろをかきながら謝った。

「ごめんね。俺の眼、怖いでしょ」

「…………」

「こんな色の眼あんま居ないもんね。よく『人じゃないみたいで不気味だ』とか言われるんだけどさ、こればっかは変えれないから」

「違──」

「いいのいいの。馴れてるから」

 ダウィは手を振って少し目線を逸らした。顔はレオナに向けたまま、それでもレオナと眼を合わさないようにしてまた笑う。

「まぁ、その内見慣れると思うから。それまで我慢してて」

 傷つけてしまったか。レオナは小さな声で詫びた。

「すみません……」

「謝んなくていいってば。

 ここにはもっと酷い事言う奴らがいっぱいいるんだから。ねぇ、将軍」

 将軍はニヤニヤと笑いながら頷いた。

「ああ~。あいつらは、なぁ。

 ……そういえば、奴等はどうした?」

 ふと思い出したかのように将軍がダウィに問う。お陰で話題は別の事にすり替わったようだ。

「あの二人ならまだ会議らしいですよ。将軍も出席なさいますか」

「いや、儂は風呂に入って休む事にするよ。会議なんてどうせ後でファズが報告してくれるだろ」

「それもそうですね。

 ──じゃあ、後でレオナの布団と着替えを持って伺います」

「悪いな」

 将軍の言葉を笑顔で受けて、ダウィは背を向けた。

「タイ」

 ダウィが闇に向かって誰かの名前を呼ぶ。

 すると左手の崩れた壁の隙間から白い影が音もなく現れた。

「犬……」

 レオナの呟きが聞こえたのか、白い影は彼女を見て少しだけ鼻を鳴らした。それは真っ白な犬だった。跨げば乗れそうな程に大きい、白い犬。

 そして、その瞳の色はダウィのそれと同じ、琥珀色だった。

「タイ。会議の様子を見てきてくれないかな。俺はちょっと倉庫に行って来るから」

 ダウィの言葉に、タイと呼ばれた犬は尻尾を振って応え、右手の闇の中に消えていった。

「それじゃ、また後で」

 ダウィは一度会釈をすると、背中を向けて先程レオナ達が来た方に歩き出した。

「さて、儂らも行くかな」

 そう言った時には将軍はもうすでに先に立って歩き出していた。


「こんな廃墟でもまだいくつか使える部屋が残っておってな」

 将軍は歩きながら話始めた。

「各連隊長以上のもんは天幕じゃなくて部屋で寝泊まりしてんのよ。

 かく言う儂も名ばかりとは言え将軍なんでな。その内の一室を与えられとる。

 ──ああ、ここだここだ」

 後から設えたらしい、まだ新しい色の木製のドアを押し開く。

 真っ暗な部屋に松明の橙色の光が射し込み、虚が拭い去られる。

 将軍は燭台に火を移し、その松明を入り口の脇に掛けた。

「居心地の良い部屋とは言えんがな。まぁ、外の天幕に押し込められるよりはマシだろ」

 見回すと、部屋の中には小さなテーブルと椅子が2つ。後は寝具が隅に重ねられているだけ。ゆれる灯りに照らし出された部屋には何もなかった。

「お前さんの寝具なんかは後でダウィが持ってきてくれるからな。取り敢えずは水浴びでもすると良い」

 将軍は部屋の奥を指さした。

「あそこにカーテンがあるだろ。あの向こうが風呂場な」

「フロバ……」

「体が浸るくらいの量の湯を溜めて水浴びをする部屋だ。この砦がまともに機能していた頃の名残だな。ここは視察なんかで来る貴族が泊まる部屋だったらしい。旅の疲れと汚れを流すために湯を用意してたんだろうな」

「贅沢ですね……」

 辛うじて水に不自由の無い地域に住んでいたので水浴びはしたことがあるが、わざわざ湯を沸かす事などしない。ましてや体が浸かるほどの量など。

 ぽかんと口を開けたレオナに将軍はにやりと笑う。

「『そんな贅沢をするくらい貴方を歓迎します』ってパフォーマンスよ。

 今はそんな余裕もねえし、湯船も壊れてっから風呂としては使えねえ。だが、排水管は生きてっから水浴びができるように風呂場に水を運ばせてあんだ。水瓶の中のは自由に使って良い」

「何からなにまで──」

 レオナが礼をしようとすると、将軍は手を振りながら気にするなというジェスチャーをする。

「ただの自己満足だよ。

 儂は少し用事があるから、上がったらその椅子にでも座ってくつろいで居てくれ」

 そう言うと、レオナの返事も聞かず将軍は出ていった。


 暫くその場で待ってみたが、将軍が帰ってくる気配はない。

 レオナは少し迷った後、抱えてきた剣を部屋の隅に立てかけてカーテンの向こうを覗き込んだ。

 風呂場──というよりは『風呂場であった場所』という表現が適切だ。確かに、将軍の言う通り湯を溜めるための場所らしい窪んだスペースがある。しかし、今はその湯船の部分を構成する石の所々が欠け、底には穴が開いているようだ。これでは水も溜まらない。よく見れば壁や床もあちらこちらにヒビが入っているし、天井に至っては崩れ落ちている部分すらある。

 ひとしきり観察し、カーテンを閉めると、靴を脱いで適当に放る。

「……まぁ、誰かに見られる心配も無いし、外で水浴びするよりはマシか」

 裸足の足に床の冷たさが染みる。一歩一歩確かめるように歩き、風呂場の奥に置かれた水瓶の前に立った。

 躊躇いつつ衣服を脱ぎ、指先をそっと水面に触れさせる。

「冷て──」

 しばし水面をもてあそぶように動かし、冷え切った水を頭からかぶるのには勇気がいるななどと考える。

 と、その時。


 カタ──


 かすかな物音が隣室の方から聞こえた。

 ビクっとして耳を澄ませると、扉のきしむ音に続いて足音が。将軍が帰ってきたのだろうか。

「レオナ──風呂場にいるの?」

 それは将軍の声ではなかった。

 慌てて脱いだばかりの衣服を抱え、裸体を隠す。

 が、足音がそれ以上近づいて来る様子はなかった。

「俺だよ、ダウィ。着替えを持ってきた」

「あ、ああ」

「カーテンの所に置いておくから、後でこれを着て」

「わかった……ありがとう」

 ややあって、カーテンの下から畳んだ衣類が差し入れられた。

「じゃあ、俺は布団を取りに行くね。また後で」

 ダウィの立ち去る気配と扉の閉まる音を確認した後も、レオナはしばらく身を固くしていた。



 それから誰から近づいてくる気配もなく安堵に肩を落とすと、床に置いてあった手桶に手を伸ばす。

 早く水浴びを済ませてしまったほうが良いだろうと勢いよく頭から被る。

 ぶるりと背を震わせ、今度は指先から丁寧にこびり付いた汚れを落としていった。


 身体が終われば次に身に着けていた洋服だ。

 これが難航する。繊維の隙間に入り込んだ返り血はなかなか落ちない。冷たい水で幾度もすすぎ、悴んだ手が痛みを覚え始めた頃には諦めた。

 まだ誰かが戻ってくる気配はない。

 レオナは最後にもう一度頭から水を被り、ダウィの持ってきてくれた替えのシャツに腕を通す。ごわついてはいるが、微かに太陽の匂いがする。あたたかく、やわらかな匂い。

 レオナは髪を拭くため手に取ったタオルに顔を埋めて、しばらくの間嗚咽した。

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