第2話 敵襲
幌つきの荷馬車に押し込められた男達は皆一様に無口であった。
ある者は険しい顔で。またある者は今にも泣き出しそうなかおで。そしてまたある者は無表情に。ただ、足元を見つめていた。
荷台の出入り口付近に座ったレオナもまた、黙って外を見ていた。
生まれた村は山の向こうに遠ざかり、道の両脇の風景も見慣れた果実畑ではなく、草の生えない荒れ地へと変わっていく。
ここにはもう、深緑の大きな葉を付けるあの木々は無い。延々と続くのはひび割れた地表。この国の殆どを占める不毛の大地……
──いったいどれだけそうしていたのか。
荒れ地が再び草地へと変遷して行く辺りで馬車は不意に止まった。
レオナは長旅で懲りきった肩を回しながら辺りを見回した。目的地のようには見えないし、ここで一度馬を休ませるのだろうか。だとしたらこの狭い馬車から降りる事が出来るかもしれない。指示を待つ間、レオナは右手を握ったり開いたりした。長時間幌の支柱に掴まっていたため、上手く動かす事が出来なくなってしまったのだ。
他の者たちもそれぞれ首を回したり荷物を持ち直したりしていた。
だが、彼らの期待を余所に、この停車は休憩などでは無かったらしい。先を行く別の馬車から兵士が二人乗り移って来ると、馬車はまた発進した。
車中の者達は何事かと兵士に注目した。
兵士は他の者のようなあり合わせの防具ではなく、イーカル国軍の印の入った鎧を身につけている。その姿は、昨日まで農夫であり商人であった男達の目には威圧感の固まりとして映った。
やがて二人の兵士の内の若い方が男達を見回し、重々しく口を開いた。
「この馬車はもうすぐゼフィル川へと到達する。
そこより先は激戦区となっており、いつ敵襲があるとも限らない。
武器は身近に寄せ、何かあった時にはすぐ対応できるようにしておけ」
そういうと兵士はその場に座り、男達と同様に俯いて黙り込んだ。
一瞬ざわめきが走ったが、男たちは各々の荷物を引き寄せ、再び黙って下を向く。
レオナは──レオナもまた剣を握り直し、外を流れる景色に目を戻した。
「──おや」
声のする方を向くと先程乗り込んできた兵士のうちの一人……レオナの祖父ほどの年と思われる老兵がレオナの顔をのぞき込んでいた。
「随分可愛いいのが混じっているじゃないか。十四……はあり得ねぇんだったな、十五歳か」
「──十七、です」
老兵は目を丸くした。
「十七! それは失礼した。
お前さん、剣を使った事はあるのか?」
「……子供の頃に、剣術教室で」
「剣術教室か。剣術教室とは、大分違うぞ。
戦場じゃ、流派も無ければルールもマナーも無い。殺すか、殺されるかだけだ」
と言いながらレオナの表情を伺い、老兵は片方の唇の端だけを歪めてニヤリと笑った。
「そんな事くらいはどこかで聞かされとるっつー顔だな。
まぁ、戦場で生き残る為に必要な事なんて二つしかない。
一つは、広い視野を常に持ち続ける事。敵なんて四方八方から襲ってくるからな。一人の敵しか見てなかったら後ろから別のヤツにブスリなんてよくある話よ。
で、もう一つは、儂らは神じゃないって事を肝に銘じる事だ」
老兵は今一ピンときていない様子のレオナを見て再び片頬を歪めた。
「神なら同時に襲いかかって来た二人の敵を同時に相手する事もできようが、所詮儂らは人間。そんな事しようとしたら結局どちらも中途半端になってやられちまう。
もし二人相手しなきゃなんねぇ事になったら? そんときゃそん時よ。どっちか一人を先に倒してその後でもう一人。これっきゃねぇ。
いいか、人間が一度に相手できんのは一人だけなんだ。これだけは覚えとけ」
老人は頷くレオナを満足げに見て更に何か言おうとした。その時。
馬の嘶きが老人の言葉を遮る。そして、馬車が止まったと思ったら隊列の前の方から誰かの声が響く。
「敵襲──!」
悲鳴に近いその叫びにレオナがはっとして顔を外に向けた時には、老兵はもう馬車の外に飛び出していた。
レオナの正面に居た若い方の兵士もすぐにそれに続く。
しかし、レオナや他の男達は突然の事にその場で呆然としていた。無理も無い。ここにいるのは皆昨日まで農民や商人だった者たちなのだから。
レオナが我に返ったのは、馬車の外に敵兵の姿が見えた時。出入り口の脇に座っていたのが幸いした。レオナはとっさに剣を抱えて馬車の荷台から飛び降りた。他にも何人かが飛び降りてくるのがわかった。だが、多くの者は──そのほとんどは戦争を経験した事が無いであろう若い男達だったが──どうして良いものか判らず、その場に座ったまま、ただ荷物を抱えて神に祈っていた。
外に飛び出した者達は、自分たちが馬車から出た直後に背後で何かゴトンという音を聞いたような気がした。しかし、後を振り返る間も無く、右手の茂みから現れた敵兵の方へと身体をひねらざるを得なかった。
レオナのすぐ側にも小さな藪があり、そこからも黒い影が一つ飛び出してきた。敵軍の印の朱房を確認する暇も無く、首を狙って刃が繰り出される。
その一撃を鞘に入ったままの剣で弾き、一歩退きながら鞘を投げ捨てた。
「──はっ!」
腹めがけて横薙ぎに剣を振るうが、紙一重でかわされる。続けてもう一歩踏み込もうとした、その時、
ヒュオ!
風を裂く音がした。と思ったら、視野の隅が紅く染まる。
──火 !?
一瞬で、さっきまで乗っていた馬車が炎に包まれる。慌てて飛び出してきた男は十人足らず。残りはどうなったのか。
レオナが炎に気を取られた隙を狙って繰り出される刃。
「うわっ !!」
慌てて飛びずさって間一髪それをかわす。
簡素な鎧に敵軍の印である朱房が揺れるのを眼の端で捉えると、レオナはもう一度剣を握り直した。
「くっ!」
小さな気合いと共に繰り出される剣をまたしてもギリギリでかわし、相手の懐に踏み込む。
襲撃者の眼が一瞬見開かれた。
それでも、レオナは怯むこと無く剣を振るった。切っ先が肉に触れた瞬間に僅かな抵抗を感じたものの、勢いで抜ききると大した事では無い。刃は滑るように肌を切り裂き、敵兵の首筋から赤い液体が飛び散る。
今まで一度も血を吸った事の無いこの剣が最初に浴びた返り血は、レオナとそう大差のない年の少年兵のものだった──