閑話 妖精
過去web拍手お礼SSです。
<注意>
語り手はゲイです。
BL展開はありませんが性癖を語る箇所があります。苦手な方は回避願います。
妖精が居た。
今じゃ何でそんな事を思ったのかわからないけれど、その時の俺ははっきりとそう思った。
出会ったのは王宮で催された夜会の日。親も何を期待しているのか、未だに「跡取り」から外されていない俺はしぶしぶながらそれに出席していた。
といっても、最低限の挨拶を交わし出席はしたのだと印象付けたらさっさと退散だ。さすがにすぐに王宮を出ると風当たりが強いからしばらくはどこかで時間を潰すつもりだが、すくなくとも会場に長居する気はない。
吐き気が増すだけだ。
――あんな……女だらけの場所なんて。
俺はゲイだ。
それも女嫌いを拗らせた上で男に転んだゲイだ。
仕事で机を挟んで会話をするだけならいくらでもこなせる。視察を兼ねてたまに窓口に立ってみれば、親切で優しい好青年と言われる位だ。
だが、それがプライベートなら別だ。特に自分をそういう目で見てくる女が苦手だ。気持ち悪い。
なまじ仕事の評価が高いがために有象無象が寄って来る。
そりゃあそこそこの家の出で、家の決めた許婚も浮いた噂も無い真面目な男となれば結婚相手にと望まれるのは理解できるが……
「……吐きそうだ……」
父上もさっさと諦めて勘当してくれれば良い。
嫁も取れなきゃ子供も作れない「跡取り」なんて要らないだろうが。
要領の悪い弟をなんとか俺より使えるようにしないと無理か……
香水の匂いから逃れるように王宮の奥へ向かった。
今日は一晩中中庭までが解放されていると聞く。どうせあそこまで行くのは逢引するカップルくらいだろうし、それにはまだ時間も早い。
程よい頃までそこで時間を潰して、それから暇を請えばずっと夜会に出席していた事になるだろう。
そう思って彷徨い出た中庭で、その人を見た。
夜会の警備に立つ軍人達の中で一際目を引く白い制服。
柔らかそうな頬と、対照的に凛とした目元。
厳しい視線を会場の方へ向けながら部下らしき者と言葉を交わし、去り際に激励するようにふっと目から力を抜くのを見た。
「妖精が笑った……」
ほんのかすかな笑みだったけれど、その笑顔は俺の心を激しくかき乱した。
* * *
ゲイと一口に言っても好みは色々だ。
雄雄しい筋肉だるまを好む者もあれば、線の細い中性的な容姿が良いと言う者も、美少年に女装させるのを好む者もある。
俺個人に限って言えば……
女々しいなよなよとした奴は女を抱いている気分になってしまうので受け入れられない。
かといって、筋骨隆々な大男も嫌だ。男らしすぎるのだ。
男を感じすぎる容姿は苦手というのは、もしかしたら俺は元々は男専門ではなかったのかもしれない。
トラウマさえなければ女もいけたんだろうか。
そんな事を思う俺の食指が動くタイプは、女性的でなく男性的でもない男――主に性徴の少ない少年、だった。
貴族という立場や俺の役職を活用すれば、特定の相手を囲う事も勿論できる。
だがそこまでの思いを抱く相手も現れず、時折――必要になれば、繁華街の裏通りにあるそういった店から適当な者を呼び解消させてきた。
その人は『無性』だった。
騎士なのだから立派な大人だ。男なのだ。
そう理解はしているのに、心がついていかない。
『彼』は男性でも女性でもない。
『中性的』ですらない『無性』。
男性にも女性にも分類し得ない外見に、まるで性という概念自体が存在しないかのような仕草。
理想の人だった。
思わずふらふらと迷い出て、その人の前に立った。
軽く目が見開かれ、遠目にはわからなかった瞳が見えた。焼きたてのパンのような柔らかな色だ。
茶色い髪と瞳を持つ騎士。
ふと思い出した名前に、唇が弧を描くのを止められない。
黒髪黒眼のイーカル族が殆どを占める騎士の中に他民族出身者は数える程しか居ない。
そして王宮内の警備を勤める第二連隊に関わる人物といえば――
ああ。こんな人だと知っていれば、もっと早くに会いに来ていたというのに。
戸惑いを隠せないその人の前に跪いた。
貴族である俺が膝を付くのは、神の前か王族の前か――求婚の時にだけ。
「エヴァルト・ファル・エッカーが長子、ジアード・コルト・ファル・エッカーと申します」
瞬きすら忘れたように、ただただこちらを見下ろすばかりのその人。
何か言いたげに淡い色の唇を動かすのに、それが言葉になる事はない。
声を聞くことが叶わないのは残念だが、その困惑した表情すら愛おしいと思う。
女性のように膨らんだドレスの裾があるわけでもなく、仕方なしに俺はその人の騎士服のズボンの裾にそっと唇を触れさせた。
「え、エッカー様!?」
心が喜びに震える。
初めて聞くその人の声。
想像通りの声だ。
男らしい低い声でも、女性のような甲高い声でもない。
あえて言うなら変声期前の少年の声が近いが、それよりもぐんと柔らかく年相応の落ち着きがある。
理想のままの声だ。
ましてその声の初めて聞く言葉が、俺の名前だなんて――
眩暈がするほどの興奮が俺の体を駆け巡った。
だが、浅ましい事に、欲という者は尽きる事が無い。
「コルトと――」
「え?」
「コルト、と呼んで下さい」
父や弟と同じ呼び名でなく、俺個人の名で。
「コルト様」
「はい」
「あの……」
「お手を――いえ、その、ズボンを、離していただいてもいいですか」
その日、俺は妖精と出会った。
その人は、俺の夢から抜け出してきたような、まさに運命の人だった――