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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
水路の巡る町
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第1話 乗船

 

 今日は、船に、乗る。


 レオナは頭を斜め上に向けたまま、生唾を飲み込んだ。

 船というのは水の上に浮かぶ乗り物だ。

 木や金属を組み合わせて出来ているらしい。

 どういう仕組みだかわからないけれど、船は水に沈まない。人が乗っても沈まない。


 鉄も人も水に沈むのに……どうしてだ?





 ぽかんと口を開けたまま長年の疑問を思い出していたが、もうそんな悠長な事も言っていられない。

 今、ソレは目の前にあるのだ。

「ほ、本当にこんなでっかいのが沈まないのか!?」

 隣でニヤニヤ笑うアレフを揺すりながら問いただす。

 ソレは見上げれば首が痛くなるほど大きい。

 乗り物だというのに三階建てだ。

 その二階部分には手すりがついていて、そこから何人もの乗客が外を見ながら何か会話をしたり見送りの人に手を振ったりしている。


 ――あんなに人が乗っていれば重たいだろ? 沈むよな!?


 アレフの肘を掴む手に力を籠めた。

「お、オレ、泳げないよ?」

「俺も泳げねえな」

「大…丈夫……?」

「多分、な?」

 こいつの事だ。わざと不安を煽る言い方をしているのだろうとは思うけれど、わかっていても安心なんてなかなか出来やしない。

 川のほうへ目をやると、母国ではまず見られないような幅の広い水の流れがそこにある。

 遠目には瑠璃色に見える水面も、近くでみればなんだか良くわからないもので濁っていて底はまったく見えない。

 引きつった顔の理由に気づいたらしく、アレフはニヤリと笑って告げた。

「ここから対岸まで、泳ぎの巧いヤツでも三分以上掛かるそうだ」

「へ、へぇ……」

「深さは一番深いところで三階建ての建物に匹敵する」

「すごい…ねぇ……?」

「川のど真ん中で船から落ちたら、俺たちは助からねえだろうなあ」


 そんな事を言われて乗りたいなんてなかなか思えないが、とにかくこれに乗らなければダウィの家には行けないらしい。

 チケットも取ってあるというし覚悟を決めなければならないのはわかっている。

 緊張と不安と、少しの興奮でやけに高鳴る心臓のあたりをぎゅっと握った。


 その時、背後から良く通る耳なじみの良い声がレオナの名を呼んだ。

 振り返ればやはり、陽光を受けて輝く髪の男が一人。

「おはよう。よく眠れた?」

「おはよ……朝から随分爽やかだな」

「面倒臭い事務仕事から解放されたから」

 さっぱりとした笑顔が返って来た。

 事務仕事といえば、一昨日辺境騎士団本部で見た彼の机の上は雪崩を起こしそうな程の量の書類が積み上がっていた。だが、昨日は殆ど丸一日レオナの用事に付き合わせてしまったのだ。

「あの書類の山、全部片付けてきたの?」

 ならばまた徹夜をさせてしまったことになる。

 申し訳無いという気持ちを籠めて眉尻を下げるが、ダウィはへらりと笑ってみせた。

「そんなの無理に決まってるでしょ」

「じゃあ放置?」

「部下の宿題」

 あの量を考えれば同情するより他にない。

「大丈夫だよ。あいつら慣れてるし」

 しかも慣れてる、とか。

 もしかしてこの国を出る度にこんな事を繰り返しているのだろうか。母国でも年に数回は顔を合わせるダウィだ。本部を留守にする頻度がかなりのものであることは簡単に予測されてしまう。

 レオナは辺境騎士団本部のあるであろう方向に向けて略式の祈りの仕草をした。

 祈るのは勿論、顔も知らないダウィの部下達の無事だ。


「さてと、出港の時間もあるから早めに手続きしないとね」

 ダウィは胸元から取り出したチケットをレオナとアレフにそれぞれ押し付け、足元でお座りをしていた愛犬の背を叩いて歩き出す。

 向かうのはやはりあの巨大な船。

 アレフも、悲痛な面持ちのレオナの肩をぽんと叩いて先に行ってしまった。

「ま、待てよ!」

 着替えなどの詰まった大きな荷物と剣の入った楽器ケースを抱え、レオナは二人と一匹の後を追いかけた。



 * * *



 出国手続きをすると言って乗船口の側にある建物に連れて来られたが、窓口でダウィがなにやら揉めていた。

 係員の男もダウィも早口過ぎて、まだ共通語に慣れぬレオナは所々の単語しか聞き取れない。

 不安になって隣を見れば、アレフは腕を組んで不快げに眉を顰めていた。

「アレフ……何があった?」

 小声で聞けば、厭わしげな声が返って来る。

「面倒な事になった」

「出国手続きで不備が?」

「いや。それはない。

 そもそも騎士団長直筆の書類を出されればこの国に拒否できるヤツはいねえ」

「じゃあどうしたの」

「どこかのババアが余計な気を回したらしい」

「ババア?」

 それに該当する人物に心当たりが無い。

「アランバルリ公爵夫人だよ。

 あんたがこの国の賓客だからって王族が使うような一番良い船室を用意しやがった。それも、俺とダウィの為にその隣のスイートルームまで押さえてやがる」

「…………は? 何、それ?」

「だろ? それで、ダウィが『そんな事頼んでいない』って断ろうとしている所だ」

 いきなりの事で頭がついていかないが――少なくとも、一度お会いしただけの公爵夫人にそこまでしてもらうような義理は無い。そもそも庶民出身で軍属のレオナは毛布一枚で床に雑魚寝でも抵抗はない。だから一番下のランクの船室で十分なのだ。

 その事をわかっているダウィもきっぱりと断ろうとしているようだが、大貴族に逆らう訳にいかない窓口の人もしつこく食い下がる。

 話し合いはなかなか決着がつきそうに無かった。

 手続きを待っていた他の乗客が溜息交じりに隣の窓口へと移動して行き、出港まで四半刻を切った事を報せる鐘が響き渡る。

 諦めたような声でダウィが宣言したのはまさにそんな時だった。


「わかった。せめて一部屋にしてくれ」



 * * *



 ウォーゼル王国で泊まっていたホテルの客室よりも更に立派な部屋がそこにあった。

 あのホテルだって国一番のホテルだ。相当なものだったと思っていた。だがやはり、一般の客室とロイヤルスイートとかいう最上級の部屋とはまったく違うものだった。

 最初の扉を開けると、扉の二つついた部屋があった。開け放たれた正面の扉の向こうに大きな窓やソファなどが見えたからそちらがリビングだとわかったが、そのリビングルームに至るまでの壁面に更に扉が三つ見える。ふかふかと足首まで沈み込むのではないかという絨毯をおそるおそる踏みながら、一先ず正面の部屋へ向かう。

 涼しげな色彩のファブリックの中に異国風のソファやローテーブルがゆったりと配され、丸いテーブルの中央に置かれた花瓶には大輪の白い百合と黄色い花穂の小花が艶やかに生けられていた。

 促されるままにソファに腰を下ろすと、すかさず客室係によってグラスに入ったワインが差し入れられる。その間に案内の男性は荷物を寝室に納めて来たらしい。

 応対は殆どダウィがしていたので客室係からの説明は全て右から左に流れていってしまった。そして何がなんだかわからないうちに、客室係は退室していった。

 なにせレオナの頭の中は「後で船長がご挨拶に伺います」とかいう恐ろしい言葉で一杯だったのだ。本当にそんな人が来たら何を話したら良いんだろうから始まって、イーカル人と知られてはまずいだろうからウォーゼル流の挨拶で良いのかとかそもそもその船長ってどこの国の人なんだろうとかそんな事がぐるぐると頭を回る。


 しばらく呆然とテーブルに置かれたままのグラスを見つめていたが、ダウィの気遣うような視線ではっと我に返った。

「え、ええと……さっき何話してたの?」 

「レオナはこの国の風習に慣れていないから世話は俺達がする。気遣いは不要だから下がっててって言ったよ。用事の時は呼べばすぐ飛んでくるって言ってたけど」

「そっか。ありがとう」

「あ、レオナの寝室はその扉の向こうの主寝室。その隣の副寝室が俺とタイで、入ってすぐ右側にあった部屋をアレフが使うことになったから」

「入ってすぐ右側……?」

 そういえば最初の扉をあけたときにあった扉は二つだった。一つはこのリビングに通じる物だったが、もう一つも寝室だったのか。

「本来は従者の為の部屋みたいだね。簡易ベッドみたいなのが二つ置いてあったよ」

「この船、従者の部屋まであるの!?」

「さすがシュイッツアー社だねー」

「シュイッツアー社って?」

「ああ、この船の会社の名前。アスリア=ソメイク国で一、二を争う水運会社だよ」

 へぇーと曖昧な返事をするとスイウンというのが何かから解説された。


 大きな川も海も無い国で生まれ育ったのだから、レオナにとってはとても興味深い物だったが、アレフには今更な話だったらしい。退屈そうに欠伸をしながら「外を見てくる」と言って部屋から出て行った。

 その間に船舶の種類や動力の話になり、着いていけなくなる直前でダウィは話を切り上げた。

「ちょっと部屋に戻って荷物を取ってくるね」

 そう告げて彼は自分に割り当てられた副寝室に消えていく。

 博識で話好き。自分の興味がある事を語りだすと止まらない一面も持つが空気も読める。母国では他人と関わる所を殆ど見なかったが、この国での立ち居振る舞いを見る限り人の扱いも巧い方なんじゃないかと予想する。

 何より不思議なのは、それなりに重要であろう客室係の話は何も記憶に残らなかったのに、どうでも良いようなダウィによる船舶の話は頭に残っている事だ。しかもそれまで頭を占めていた船長と何を話そうかという悩みすらいつの間にか頭の片隅に追いやられてしまっていた。

 話上手というか、人に話を聞かせる事に長けているのだ。

 

「あいつ、何者なんだろうなぁ」


 知り合って何度目になるかわからないそんな呟き。

 自宅へ行ったら、少しは何かわかるんだろうか。 


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