幕間 占い師
少女に先を促されて狭い入り口を抜ける。
隠し扉の大きさは小柄な家主に合わせたものだと言うので、標準的な体格のトリカは屈まないと入れなかった。
ようやく腰を伸ばせたのは薄暗い部屋。暗いとはいえ、ここまでの埃っぽい邸内と比べなんと快適な空間だろう。
惜しむらくは窓に分厚いカーテンが掛けられている事と明かりが無い事だが、それもこのような仕事に就くものの情緒と言えるのかもしれない。
暫し瞬いて暗さになれた眼が、部屋の奥の椅子に腰掛けた人影を認めた。
「こんにちは」
声を掛けると、若い男性とも老いた女性とも取れる癖のある声が返ってきた。
「あんたがお客さんだね」
「トリカ・プフロップと申します」
名前を聞いて、相手は片眉を上げた。どうやらこちらを知っているらしい。
普段の活動域と違うこんな内陸の町でトリカの名を知る者があるとすれば余程の事情通か、それとも……
トリカは暗がりの向こうにぼんやりと浮かぶ顔を見つめた。
なんとも表情の窺い辛い顔だ。
胸のうちで舌打ちするのに気づいてはいないのだろう。そいつは軽い調子で頷いた。
「いいよ。占ってあげる。
ああ。プライバシーとかいうのがあるから、二人きりにしてくれる?」
後半はトリカではなく、トリカの後に控えていた少女に向けられたものだった。
「じゃあ私は外で待っています」
少女はかすかな光でも煌く銀の髪を揺らして、また隠し扉から外へ出て行った。
閉まる扉の最後の光を見送りながら、トリカは胸のうちで「あの男」の評価を上げた。
かつて自分の下に居た時には、自分の能力の向き不向きを理解していない愚者と見ていたが、この街に来て少しは何かを得られたか。
――接待と称してこの娘を差し出した事には満点以上の評価をやろう。
黒い笑みを表情にのせる事はせず、トリカは少女の去った扉から目を離し、正面の人影に向き直った。
そいつは少女に向けて振っていたらしい手を下ろし、キィキィと耳に心地よいとは言えない声で指示を出す。
「ソコに座って」
トリカが木製の簡素な椅子に腰を下ろす間に、声の主は一度その場から離れて壁際の棚に向かった。
身長は十代に入ったばかりの子供と同じ位だろうか。大きな棚の前に立つと殊更その背の低さに目が向いてしまう。
この小さな影が、何十年か前に「当代一」と言われた占い師の弟子だという。
その高名な占い師についてはトリカも名前くらいは知っていたが、消息不明になって随分と経つ。弟子が居た話も初耳だ。
そしてその弟子がこんな下町の片隅に埋もれているとは夢にも思わなかった。
巡り合えた幸運に感謝し、見極めなくてはならない。
この弟子だという占い師の才能を。
報告なんて気が向いたらでいい。これは純然たる興味だ。
さあ。この占い師は何で占うのか。
師匠と同じ占星術か。カードか。水晶か。それとも人相手相なのか。
挑むような目でその一挙手一投足を見守る。
占い師は棚の上から何かを持ってくるとトリカの向かいの椅子にちょこんと腰を下ろした。
机の上に広げられたのはカード。
絵柄の違う七十八枚のカードを並べてめくり、向きや並び順やらで占うという方法だ。確か最初はぐるぐるとかき混ぜ、一山に纏めてからなにやら決まった手順でカードを切るんだったか。
手元にちらりと目を走らせてから、かつて読んだ占いの本の情報を検索しつつ占い師の顔を見ると、しっかりと目があった。
指先はせわしなく動かしているがその双眸はちっともカードを見ていない。
トリカは目を細めた。
――カードはフェイクか?
分厚いカーテンの隙間から漏れる僅かな光を反射して、占い師のオリーブ色の目がギラリと光る。
「本命は? 人相? それともオーラでも見てくれるんですか?」
「…………」
「でなければ『運命』を読めてしまう体質?」
「違うよ」
占い師は甲高い声で短く応えた。
「本当に?」
「一番得意なのはカード。さっきのは師匠の真似で、運命なんてわからない。
――興味があったんだ。あんたに」
「何かわかりましたか」
「……話に聞いてたのとはだいぶ違うね」
そんな会話をしている間に、机の上には二十枚ほどのカードが並んでいた。
先が尖り関節の浮き出た特徴的な指先がそのうちの一枚にかかる。
「トリカは探し物をしているの?」
その言葉に心当たりは無い。
最近何かをなくしたりしただろうかと考えながらトリカは首を横に振る。
外したと気にするでもなく、占い師は淡々とカードをめくっていった。
「そう。でも、気にかかっている物が見つかるって出てる。
あんたがこの五年くらいの間探しているものだよ。良くない噂。死。呪い。芸術。――政治家?」
微妙な単語の組み合わせに心当たりが一つ浮かんだ。
「探し物というか、欲しいものが一つあります」
「そう。よく知らないけど、それ。
近々情報が舞い込んで来るよ。探し物自体も、小さな障害さえ乗り越えれば簡単に手に入る」
「ありがとうございます」
アレの事を言い当てるとは、どうやら本物のようだ。
この占い師の師匠について深く話してみたい。だが、外で待たせている少女の事も気になる。
占いはここで切り上げて少女を呼ぶべきか。
「見料はいくらです?」
「いいよ。あんたからは金取れない。……師匠から色々継いだ身だからね」
占い師は凶悪にも見える笑みを浮かべた。
「トリカ・プフロップ――『知の管理者』殿?」