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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
奇人の巣食う場所
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第16話 レディ

 胸の下で山吹色のベルトをぐっと締める。

 細かな刺繍の上衣と風に揺れるスカートはイーカル族の民族衣装の特徴だ。

 砂漠地帯の服なのでこの国では少し暑いような気もするが、今日は外を歩く予定もないし問題ない。

 レオナは僅かに残った畳み皺を伸ばすように表面を軽く撫でた。さらさらとしていながら、滑らかな手触り。生地自体にはハリがあるのに少しもごわついていないのは、これが王家御用達の店で仕立てられた超高級品だからに他ならない。

「これ、いくらするんだろうなー」

 今日ばかりは衣装に気を使って大人しくしておこう。いや、改めて決意せずとも、庶民の年収の何倍だか何十倍だかするのだろう衣装の値段を想像するだけで、所作が丁寧になってしまう。

 少しつま先立ちになりながら、アクセサリーの入った箱を抱えて鏡台の前に移動した。


 磨き抜かれた少しの歪みもない鏡に、見慣れない姿の自分が映る。

 レオナは辺境出身であるため、イーカル人ではあってもイーカル族ではない。だからこのイーカル族の民族衣装を身に着けるのは、試着を除けば初めてだ。

「ん――悪くない、んじゃない?」

 女性としてはがっちりした肩幅は上衣のラインで誤魔化せているし、少し貧相な腰は三重に重ねられた長いサーキュラースカートでふんわり隠されている。

 確かに数年ぶりのスカートは、ふくらはぎの内側にまとわりついている気がしなくもないが、それを差っ引いても良い出来だ。

 それに、見た目と違って足裁きには不都合を感じない。イーカル族が騎馬民族であった頃の名残で、馬に跨っても不都合の無いよう工夫されているからだとかなんとか。

 ついでに言えば、騎馬民族の名残はスカートだけではない。外からは見えないが、スカートの下に乗馬に耐える丈夫な素材のドロワーズのようなものを履くと決まっている。そのおかげで普段スカートを履かないレオナでも腰周りに違和感を感じる事が無い。

 着慣れればむしろ快適なんじゃなかろうか。

 楽しくなってきて、鏡の前でくるりと回る。スカートが風をはらんだようにふくらみ、ふわりと落ちた。

 幾重にも重ねられたスカートの表地は白。ただ、その表地が透けるほど薄い素材である事と、内側のスカートが国の名産品として知られる「イーカルグリーン」という染物を用いているので遠目には萌黄色に見える。

 生地を選んで来たファズによると、この色の重ね方にも意味があるそうだ。

 曰く、イーカルグリーンは国を象徴する色であると同時に王の纏う色とされるので、王族でないレオナは表地には使えない。しかしこの訪問ではイーカル国を代表する人間であるという事を表す必要がある。だからアンダースカートにたっぷりと使ったのだ――と。

 難しい事はさておき、この色は好きだ。赤茶けた荒地が一斉に緑に包まれる雨期の草の色だ。


「おっと、忘れる所だった」

 いつも付けっ放しにしているピアスを外し、鏡台の上に並べた。

 以前ルティアと一緒に貰ったピアスだ。儀礼的な事情でもない限り外さないので付けている事すら忘れていた。

 派手すぎない所が気に入っているのだが、今日はこれじゃない。

 アクセサリー入れの留め具を外し、髪飾りを手にした。緑と青の石を交互に散らした髪飾りだ。

 本当は髪は結い上げるのが正式なんだそうだが、短髪のレオナはそれが叶わないので、サイドの髪を簡単に纏めて髪飾りをさす。

「それから――これ」

 最後に取り出したのはブローチだ。橙色の石を中心に、土台にはイーカルでは見たことがない異国の花があしらわれている。

 レオナはそのブローチを使って、首元に巻いたショールを留めた。ファズの衣装指導によるとこれで訪問着の完成だ。

 全体にシンプルで少し寂しい気がしなくもない。

 そもそも伝統的なイーカル族の正装ではアクセサリーをじゃらじゃらとつけるものだ。それは権威や宗教の象徴だったり、相手への歓迎の意思だったり、その種類と数でいろんな意味があるんだとか。

 だが、今回は敢えて控えめにするのが正解だとファズは言う。


 それは、首元のショールを止めるブローチを目立たせるため。


 この異国風のブローチは、ウォーゼル行きを決めた時に、領地を取り仕切る従者がどこからか出してきた物だ。先代の遺品の中にあった、これから会う予定の王姉縁の品――らしいと言っていた。

 王姉がこのブローチを覚えているかは賭けではあるが、もし覚えていたなら会話のきっかけにはなるだろう。


 おおよその身なりを整えたら、レオナは息を整えた。

 覚悟を決めて鏡台におかれた最後の箱を開く。大小二つの軟膏の容器。

 残されたのはレオナにとって最も苦手な作業――化粧だ。

 当初、メイドたちは何種類ものクリームや粉と何本もの筆を持たせようとしたのだ。

 だが、練習の段階でレオナの不器用が発覚してしまい、彼女たちのため息と共にどんどん数が減った。最終的にこれは譲れないと押し付けられたのがこの二つ。

 肌の色より少し明るい色のクリームと唇にのせる紅だ。

「少しづつ……ムラがないように……」

 教えられた通りにクリームを塗る。練習の時には「こんなもんだろう」と一度にボテっとのせて怒られた。多すぎるとよれる、らしい。

 それから紅。これも「少しだけ」と念を押されていたので、少しだけ。


「……なんか、変」

 メイドの指導のもと化粧をした時にはそれっぽく見えたのに、何かが違う。いつものレオナの顔なのに、唇ばかりが浮いて見える。なぜだ。

 結局、唇の紅を擦って落とし、妥協点とした。

 試着の時とは少し違うが、正装を正しく身に着けているし、失礼は無い――はず。

「大丈夫。大丈夫。大丈夫」

 呪文のように唱え、拳を握る。

 鏡の中の枯葉色の瞳が不安げに揺れた。



  * * *



 目立ちすぎる民族衣装を隠すためのマントを纏い、ホテルの階段を下りる。

 昨日行われた聖王ラズ・ゲットルの式典の為に今日もホテルは満室で、ロビーには大勢の人が居た。他国から式典を目当てにやってきた客の中には、人が集まるこの時期にあわせて商談を交わすものが多く、式典の前後数日は朝から晩までこんな状態のようだ。

 

 ダウィとの待ち合わせもここなのだが、こんなに人が溢れていては探すのが億劫だ。

 小さく溜息をつきながら、階段の最後の数段を下りる。

 とりあえずあの金色の頭を……


 ――居た。


 目がすっと吸い寄せられた。

 決して目立つ容姿ではないのに。

 イーカル王国では珍しかった金髪もこの国では特別な色ではないし、いくら長身と言えど椅子に座った状態ではわからない。服装もモノトーンで奇抜なものではない。

 だというのに、何故か視線をひき付けられた。

 存在感がある、といえばいいのだろうか。

 ふと周囲を見渡せば、レオナだけでなく通りすがりの人がちらりちらりとそちらに目をやっているのがわかる。


 ダウィが膝の上に広げた本から顔をあげた。

 金色の瞳がレオナレオナを捕らえ、上着を片手にこちらへやって来る。

「おはよう」

 柔らかにほほ笑み、挨拶の言葉を口にする顔はいつものダウィだ。だが、どこか違和感がある。

「お、おはよ」

「どうかした?」

「いや……なんか、いつもと違うから」

 普段はアースカラーのざっくりとした簡素な服を好む傾向があるダウィが、今日は糊の利いた白いボタンつきシャツに黒いズボンを身に着けている。その上ネクタイまでしているのだから随分と印象が違う。

「さすがに公爵家にお邪魔するなら正装くらいするよ」

 苦笑されてようやく気がついた。ネクタイピンに見覚えがある。

「それ、もしかして制服?」

 上着を脱いだ状態だとシンプル過ぎてわからなかったが、辺境騎士団本部で見た制服姿の騎士達が同じピンをつけていた。

「……でも、ネクタイの色が違う?」

「ああ。レオナが見たのは紺色でしょ。あれはウォーゼル支部の色だよ。

 辺境騎士団本部は同じ建物の中に本部と支部が同居してるんだ」

「じゃあこの黒いのが本部の色?」

「そう。本部所属の人間は偉い奴以外あまり制服を着ないから見なかったのかもね」

 ダウィは話しながら手に持っていた上着を羽織った。黒くて丈の長いそれはジャケットというよりコートだ。更に持っていた帽子を被り、白い手袋をはめる。

 襟章や胸章こそ無いが、かっちりとした印象が軍服のようだと思った。

 優しげな顔立ちと常に浮かべている笑みのお陰で柔らかい印象のある彼が、服装のせいで途端に精悍な印象になる。

「化けるね」

「馬子にも衣装って?

 レオナは今日は――ああ、女装なんだ」

 普段はつけない髪飾りを見て嬉しそうに言う。

「女装っていうなよ」

 眉を顰めたのは女なのに女装と言われたから――ではなく、女装という言葉で前夜祭で見たピンクのドレスを着た歌手の姿が想起されたからだった。立派な体格の彼(彼女?)にあのふりふりひらひらは微妙すぎた。せめてすっきりしたデザインであれば似合ったのかもしれないのに。

 レオナの心中など知らないダウィは興味津々という顔をする。

「マントを脱いで見せて」

「目立つからやだ」

「真夏にこんなマント着てる方が目立つよ」

 確かに人目を引くだろうが、そういう意味では民族衣装も同じだ。

 マントの方がマシだと言おうとした時にはダウィはすでにこちらを見ていなかった。

「迎えが来たみたいだよ」

 ホテルの大きな扉の向こうから、ぴしりと背筋を伸ばした紳士が無駄の無い動きでまっすぐにこちらに向かってきた。

 あまりに身なりが良いので公爵の親族か何かかと思ったら、執事なのだという。ちなみにレオナが前に手紙を渡した老人は家令であった。

 そんな風体の良い男に促されるまま、シルクや金箔を惜しげもなく使った豪奢な馬車に乗せられる。執事は「道中お寛ぎ下さい」と言い残していたが、こんな馬車で寛げるわけはない。

 母国では貴族の端くれとはいえ、いつまでも小市民的生活を送るレオナには緊張が増すばかりの道程だった。



 馬車が門を通過する時に、あの結界のゾワリという感触を味わった。

 おそらくダウィもそれで目的地についたことに気づいたのだろう。読んでいた本から目を上げて窓の外を覗いた。

「もうついたのか。早いね」

 ダウィが本を仕舞い始めるのを見て、レオナも足元においていた鞄に手を伸ばした。

「そのマントと荷物、預かるよ?」

「いや、いいよ。悪い」

「レディに荷物を持たせるなんて騎士失格だと思わない?」

 悪戯っぽい笑顔に首を傾げる。

「レディ?」

「レディでしょ?」

 楽しげだが、からかう風でもない目をじっと見つめて考える。

「――ああ!」

 自身は決してレディなんていう柄じゃないが、確かに今日の服装はイーカル族の貴族女性のもの。その事にまったく思い至ってなかったのだ。

 逆の立場なら荷物を持たせたりしてはいけないだろう。

「じゃ、じゃあ、お願いする」

 赤くなりながら鞄を託し、マントを脱いだ。

 視線がやけに気になる。

「――な、何」

「いや、可愛いなと思っただけだよ」


 執事が馬車の扉を開けた。

「到着致しました」

 そう言って顔を上げ、マントを脱いだレオナを見てはっとした顔をする。

 見た目にイーカル人とわかる民族衣装はやはりウォーゼル人にとって敵愾心を刺激するものなのだろうか。

 軍で司令官を務めるという話の公爵の事を考えると溜息が出た。




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