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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
奇人の巣食う場所
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第15話 下位魔族


 いつまでも仮眠室に居座るわけにも行かないだろう。

 ユードと名乗った男が出て行った後で、簡単に身支度を整えてそこを出た。

 とりあえずこれからどうすべきかダウィに聞こう。まだ何か確認する事があるならそれをさっさと済ませて、ホテルに戻りたいと伝えるつもりだ。そして帰り道にどこか食事のできる所があれば朝食を取って――手ごろな店が見つからなければいつものホテルのレストランに行けば良い。


 一夜明けても未だ落ち着かない雰囲気の廊下を抜け、一階に下りる。確かカウンターの所に受付があったはずだ。そこでダウィと話がしたいと言えば呼んでもらえるだろう。

 手近にあった階段を下りた所はカウンターの内側の事務室のようだった。

 さてどこから出たものか。出入口を探して首を巡らせると、部屋の隅に見慣れた毛皮を見つけた。

「タイ」

 大きな犬がむくりと顔をあげた。

 棚と棚の隙間に敷かれた毛布がこの犬の居場所らしい。

 という事はその近くにダウィの机が……

 上体を捻るとちょうど反対側に本の積みあがった机があった。

 本の量はこの間見た時と変わらないのだが、こちらから見ると空いたスペースを大量の書類が埋め尽くしている。

 お世辞にも片付いているとは言えない机だ。

「これはひどいなあ……」

 レオナも書類仕事は苦手だが、さすがにこんな雪崩が起きそうな状態にすることは無い。

「何ヶ月溜めたらこうなるんだろう」

「三ヶ月くらいかな」

 独り言のつもりが思わぬ方向から返事が返ってきて驚いた。

 いつの間にかすぐ脇にダウィが立っていたのだ。

「イーカルに行って留守にしてたのが三ヶ月。その間に溜まった雑用を片付ける前に今回の事件の後処理が一気に来たんだ」

 もうどこから手をつけていいのかわからないと言いながら、さして困っていないように笑った。



 書類にサインが欲しいというダウィに連れられて、一度来た覚えのある応接室に入った。

 一昨日事情聴取に連れてこられた部屋だ。

 革張りのソファに背を預けぼーっと待っていると、ティーセットを抱えたダウィが戻ってきた。そしてその後にはウォーゼルの軍服に身を包んだ男が一人。

「あ、エルネストさん」

 レオナが慌てて立ち上がると、彼は最初に会った時と同じ人当たりの良い笑顔を浮かべて挨拶をした。

「おはようございます」

「おはようございます」

 挨拶が終わるのを待って、ダウィはエルネストにも席を勧める。

 本日彼の前に置かれたティーカップは花畑でひよこがちょうちょを追いかける絵柄。

 また場違いなカップが用意された。これはダウィの趣味なんだろうか。

 ちなみにレオナの前には垂れ耳の犬がニカッっと犬歯を見せて笑っている絵柄。ダウィの前に置かれたのはやけに丸い茶色い動物の絵だった。

 思わず見入ってしまうレオナを他所に、ダウィは犬のカップの脇に紙の束を置いた。

「これ、昨日レオナから聞いた話を纏めた物なんだ。裁判や何かになった時に証拠として使われるから、おかしな所が無いか確認してからサインを貰わないといけないんだけど……」

 一枚目をめくった所でレオナは硬直した。

「む、無理!」


 小さな字でびっしり書かれた――共通語、だ。


 母国語ですらまともに読み書きできないのに、こんなに長い共通語は読めない。涙目で訴えるとダウィは苦笑しながら別の紙束を隣に置いた。

「……と、言うと思ったから、こっちがイーカル語版」

「おー!」

 こちらも同じように小さな字でびっしり書かれているが、共通語のミミズが絡まったような文字より断然マシだ。

 時間はかかるが読めない事は無い。

 数行を読んではたと気づいた。このやや右上がりの字は過去に何度か見たことがある。

「もしかしてこれダウィが訳してくれた?」

「他にイーカル語を話せる奴がいないんだよね」

「……昨日、寝た?」

 レオナが仮眠室に移動した時すでに夜明けの少し前だったように思うのだが。

 そう言うとダウィは「徹夜は慣れているから」とやはりなんでもない事のように笑う。

 だがこれは、少なくとも片手間にできるような分量じゃない。

「これやらなければ少しでも寝れたし、あの書類の山もなんとかなってたんじゃない?」

「さすがにあの量はどうかなあ」

「なんかごめんな」

「これも仕事のうちだから気にしないで」

 レオナはありがとうと言って長い書類の攻略にかかった。



 手持ち無沙汰になったダウィとエルネストは、世間話をしているようだった。

 話題の殆どはまさに今行われている、聖王ラズ・ゲットルの式典について。軍も辺境騎士団もそれなりの人数を警備に割いているらしく、互いに人が足りないと嘆いていた。


 ――そういや、結局見に行けなかったな。


 そんな事を思いつつ、レオナはローテーブルに書類を置いた。

「読み終わった? もし間違いが無ければサインが欲しいんだ。ここと、ここと、ここ」

 ダウィに指示されるままにサインをしていく。

 エルネストが目を丸くして手元を見ているが気にしない。ペンの持ち方がおかしいというのはしょっちゅう指摘される事なのだ。

 人差し指と中指の間に挟んでいたペンを置き、目を擦る。

「つかれたー!」

 自分が話した事を書き記したものなので理解できない部分は無かったが、それでもこんなに長い文章を読むのにはまだ慣れていない。知り合って間もないエルネストが居なければソファにぐったりと倒れこんでいた所である。

 そんなレオナを見て、ダウィがポケットから何か取り出した。

 紙に包まれた小さな丸いものだ。

「何、これ?」

「ご褒美」

「子供扱いかよ」

「子供にはあげられないなぁ。これ結構強いから」

「強い?」

 首を傾げながら紙を剥くと、中から綺麗なピンク色の砂糖菓子が出てきた。

 舌の上でざらっとした感触がした直後に殻のような糖衣が崩れ、中から液体があふれ出る。

 油断していた鼻の奥が焼ける、強いアルコールの匂い。果実の蒸留酒だろうか。砂糖が溶けて固形物の無くなった口の中に、酒の苦味と林檎に似た甘い芳香が残る。

「うわっ! 何これ!」

「甘いお酒好きでしょ?」

 悪戯が成功した子供のような顔でダウィが笑う。

「良かったら、食べながら話をしよう」

 そう言ってさらに数個、同じお菓子の包みをテーブルに並べた。


「まずは犯人確保に協力してくれてありがとう」

 ダウィの言葉に、隣に座っていたエルネストも頭を下げた。

「いや、オレは降りかかった火の粉を払っただけだよ」

「助かったよ。君があの封印の石を拾ってくれたから迅速な解決に繋がったわけだし、何より――昨日君が昏倒させた男は想定外の存在だった」

「魔族とか言ってたっけ」

「うん。なかなか面倒くさい相手だから、もしうちの騎士が正面から捕獲に向かっていたら無傷じゃ帰って来れなかったんじゃないかな。変な話だけど、あいつが狙ったのが君で……イーカルが誇る天才騎士で助かったとも、少し思っている」

「天才って、さすがにそれは――」

 言いすぎだろうと続けようとしたレオナに、エルネストの淡々とした声が向けられる。

「魔術を操り、獣並みの筋力を持ち、通常の剣が通じない魔族を初見で倒すなんて真実天才だと我々も評価しています」

「あ、ありがたいです、けど……あいつ剣で斬れましたよ」

 鱗のような肌には歯が立たなかったけれど、顔や首などの普通の皮膚をしている部分を攻撃すれば良いだけだ。喉など靴裏で踏みつけただけでもダメージを与えていたようだから手ごわいと言っても戦って勝てない相手ではないと思う。

「ええ。問題はそこです」

 エルネストは柳眉を顰めた。

「あの硬い角鱗――鱗を持つ肌は間違いなく下位魔族のもの」

「すみません。ちょっとよくわかってなくて……その下位魔族っていうのは?」

 その問いにはダウィが答えた。

「魔族には上位と下位の二種類の魔族がいるんだ。

 上位の魔族は見た目は人間とそっくりで、高度な魔術を使える。下位の魔族は人間とは明らかに違う見た目で、魔術は殆ど使えない」

「あいつは肌以外人間にしか見えなかったし、魔術を使ってたよ。っていう事は下位魔族じゃなくて上位魔族じゃないの?」

「そう。それがエルネスト君の言った問題。

 上位と下位の違いがもう一つあってね。上位の魔族は刃物で斬りつければ一応傷つける事ができる。だけど下位の魔族は固い皮膚で刃をはじく」

「……どう言う事?」

「一番最初に、君の『友達の友達』の持っていたナイフを素手で弾き飛ばしたって言ってたでしょう。つまり柔らかい皮膚を持つ上位の魔族じゃできない。

 刃物の通用しない鱗状の皮膚を持つのは下位の魔族だけの特徴なんだ。

 なのに人間そっくりの外見で魔術を使いこなすというのはどういうことか――わかる?」

 レオナは首を横に振った。

 ダウィはいつもの笑みをひっこめて、それを告げた。


「ハーフなんだよ。人間の魔術師と下位の魔族との」


 エルネストは眉間の皺を更に深くした。

「上位の魔族なら良いですが、下位だとは――おぞましい話です」

「……ええと?」

「下位の魔族は明らかに人間の見た目じゃありません。あの男の肌からすると、おそらく巨大トカゲみたいな奴です。

 レオナさんならそんなのと交合できますか?」

「こうごう?」

「子作りをしたいかという事です」

「――!?」

「そんな趣味の人間が居ないとは言い切れないけれど、常識的に考えてありえないでしょう。

 ここからは想像に過ぎませんが、魔術師を拐かすか人身売買するかして連れてきて、無理矢理交配したと考えるのが自然です。

 魔術師には女性が極端に多いですから、おそらく母親が人間なのでしょう。

 なんとかして捕らえた下位の魔族を薬漬けにして、それから母体を食い殺さないように縛り上げて――人間の方も薬で理性が飛んでいればまだマシ……でしょうか」

 つまり、無理矢理化け物の子を産ませたという事――想像するだけで身の毛がよだつ話だ。

「問題はそれをサザニア帝国が主導でやったのか、それともたまたま見つけた魔族とのハーフの男を雇い入れたかです」

「昨日捕まえた男を尋問すれば良いのでは?」

「あれは――死にました」

「え」

 殺すなと言われたので剣は刺さずにおいたのだが、踏んだ場所が悪かったのだろうか。

 自分のせいで重要な手がかりを失ってしまったかもしれないと顔面蒼白になった。

 だがダウィはその不安げな顔を別の意味にとったらしい。

「レオナが殺したんじゃないから安心して。過剰防衛にもならないよ。

 元々魔力切れを起こしている所で召還の魔術を使ったりしたから、生命を維持するための魔力が足りなくなったんだ」

 もう一人の帽子男と同じ死因だったとダウィは言った。


 手がかりを死なせてしまった件と、魔族との交配というおぞましい事件の予感にどうにもすっきりしない思いを抱えつつも、ホテルへ戻る許可は出た。

 帰る前に食器くらいは片付けようかと机の上のカップに手を伸ばしたところで、エルネストが懐から何か取り出した。

 差し出されたのは真っ白な封筒。中央に立派な紋章が押された紅い封蝋がついている。

「伯母からレオナ・ファル・テートさんへ――返事をお待たせして申し訳ありませんでしたと言付かって来ました」

「伯母様……え、アランバルリ公爵夫人から!?」

「はい。伯父がこの事件の責任者でもあったため、対応ができなかったのです。

 事件が解決したので早速レオナさんのご都合を伺ってくるよう言われています」

 ご都合と言われてもこちらは特にやる事もないのだからいつでもいい。

 そう言うと、エルネストは畳み掛けるように言った。

「伯母は『お待たせしてしまったのだから明日でも明後日でも』と申しておりました」

「そ、そんな急で大丈夫ですか」

「公爵家はこの事件のために直近の予定を全てキャンセルしておりましたから、むしろ早い方が都合が良いくらいです」

「そうですか……」

 レオナとしても早く用事を済ませてしまいたいが、あまり急すぎてもまずいだろう。


「あ、明日なら俺も行けるよ」

 ダウィがつぶやいた。

「付き合ってくれるの?」

 共通語が不自由ない程度には話せるようになったとはいえ、国を代表する立場で伺うとなると迂闊な発言はできない。通訳を頼めるなら一緒に来て欲しいというのは本音だ。

 するとダウィはいつものようにふわりと笑った。

「勿論。一応この国での君の身元保証人になってるからこれも義務。遠慮しなくて良いよ」

 いつの間にそんな事になっているのかと思ったら、国境を越えた瞬間からそうだったらしい。

 辺境騎士団の騎士団長のサイン入りの通行許可書を用いた時点で、辺境騎士団の騎士が身元保証人になるのは決まっている事なのだそうだ。そして中立と引き換えに様々な権限を持つ辺境騎士団の騎士が身元保証人だからこそ、越境後も拘束される事なく自由に動き回る事ができたのだと今更ながらに聞かされた。

「辺境騎士団って凄いなー!」

「……その分、制約も多いけどね」



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