第14話 仮眠室
――おなかすいた……
どうにも色気の無い衝動でレオナは瞼を開いた。
体内時計を信じるなら、時刻はちょうどいつもの朝食時間。今日のメニューはなんだろう。
トリカは今朝早くにホテルを発つと言っていたから、もう出かけた後だろうか。彼は今朝は一人で食事をして行ったのか、それとも誰かと……
そんな事を思いながらごろんと寝返りを打った。
目の前に膝がある。
……膝?
瞬いて目を見開いた。
ベッドサイドの椅子に見知らぬ男が腰掛けてこちらを覗き込んでいる。穏やかな印象のその男は、苦笑いを浮かべながら前髪をかきあげた。
「起こしちまったか」
腹の奥に響く……だがとても心地良い声だ。
王立劇場で見た役者達のような、存在感のある声。
「気持ちよく寝てたってのに、悪いな」
「い、いえ……」
目を覚ましたのは偶然で、起こされたどころか、入ってきた事にも気付かなかった。
いったいいつからそこに居たんだろう。
――っていうか、ここはどこだろう。
まだ寝ぼけていたが、見ず知らずの人がいるのに自分だけ横になっているのもどうかと思ったので、ゆるゆると上体を起こした。
目に入ってきたのはレオナの寝ているのとまったく同じ簡易ベッド。それが等間隔に並んでいる。他には男の座る椅子以外に家具はなく、壁に貼られた「綺麗に使いましょう」という標語の紙が目に入るばかりの色味に乏しい部屋だ。
目を擦り、ぼんやりとした頭で昨日の事を思い出そうとした。
昨日はサザニア人――だか魔族だか、よくわからない男と立ち回りを繰り広げた。
その後、話を聞きたいからと辺境騎士団本部に連れて行かれたのだった。レオナは「犯人確保の立役者となった一般人」という立ち位置で、状況確認以外に特別やる事も無かったのだが、何せ事は国宝の強奪事件だ。問題解決に関わっていた人間も膨大かつ複雑で、辺境騎士団だけでなく、ウォーゼル王国軍やら魔術師連盟やら色んな人間が指揮系統もぐちゃぐちゃな状態で走り回っていたらしい。お陰で事後処理も一筋縄ではいかなくなり、なんだかんだで――話をするだけのはずが、延々と辺境騎士団本部に拘束される事となってしまった。
混乱は深夜にまで及んだ。待たされていた部屋の椅子に座ったままうつらうつら始めた所で、様子を見に来たダウィに仮眠室をあけてもらったのだ。
そうだ。ここは辺境騎士団本部の中にある仮眠室だ。
レオナはようやく現状を把握し、同じ部屋に居た男に目を向けた。
今、この建物の中は事後処理のために、辺境騎士団の者だけでなくウォーゼル王国軍の人間や魔術師達も大勢出入りしている。彼はいったい何者だろう。
魔術師連盟の人達はローブ姿が殆どだったし、こう言っちゃ悪いが男女ともに吹けば飛びそうな体格だった。だが、この男の半袖シャツから出ている腕には筋肉と血管が浮いていて、鍛えられているだろうことは容易に想像がつく。ならばウォーゼル王国軍の軍人かといえば、おそらく違う。彼らは皆一分の隙も無くきっちりと制服を着用していた。
消去法で辺境騎士団の人間か。
辺境騎士団にも制服が存在するが、昨日観察していた所によると彼らの中にはダウィをはじめとして私服で動くものも多いようだ。この男のようにボタン付きシャツにズボンという服装も珍しくなかった。
レオナが男を観察するのと同様に、男もレオナの事をじっと見ていた。
「あんたがレオナ・ファル・テート? 俺はユードってんだ。うちの馬鹿共が世話になってるらしいな。迷惑をかけた」
言葉遣いは乱暴だが、気持ちの篭った礼をされる。
今回の事件に関しては、確かにレオナは完全に巻き込まれただけだが、それでも召還された魔族から救ってくれたのは辺境騎士団の騎士達だった。むしろ礼をするのはこちらであるはずだ。
レオナはそう言って頭を上げるように頼んだ。
ようやく顔をあげた男は子供のように邪気の無い笑顔を見せる。
壮年を過ぎたくらいの年だろうか。東の民族の年齢は未だよくわからないが、黒髪に交じる白髪の具合からして四十以下という事はなさそうだ。
美男子ではないが、とても好感の持てる顔立ちだ。ともすればきつい印象を与える厚めの瞼すら、瞳の穏やかなグレーが緩和して優しげな印象を与えている。
だが、いくら印象の良い男だと言っても、初対面の男と二人きりというのはさすがに落ち着かない。
それも、何故か男はじっとレオナの目を見てくるのだ。
「あ、あの――?」
「綺麗な目ぇしてんな」
男は恥ずかしげもなく口説き文句のような言葉を言った。
いかにもな社交辞令でなく、目を覗き込むように見つめながらだ。
返事に困って視線を泳がせていると、今度は楽しげに笑った。
からかわれたと気づいて口を尖らせる。
「いや、悪い。噂のレオナ・ファル・テートがどんな娘かってなあ、やっぱり気になるじゃねえか」
「この国にまで流れてくる噂ってロクな物じゃない気がします」
現状敵国なわけだから、国内で流れる噂以上の尾鰭がついて凶悪な人物像になっていることだろう。
「そーだなあ。町で聞くのが眉唾もんだってのは、よーっくわかった。
少なくとも、魔物を使役してたった百人で一万のサザニア軍を蹴散らしたとかいうのは半分嘘だろうなあ」
「半分どころか全部嘘ですよ、それ」
「蹴散らしたのは嘘でも、なんか使役してねえか?」
「ありえませんって。そもそもうちの国に魔術師は生まれませんから」
レオナは笑い飛ばしたが、男は真顔だった。
「魔術師じゃなくても魔物を使役できる奴はいるだろう。あんたの国の初代国王とか」
「え、あ……」
その言葉で、はっとなった。
イーカル王国の建国伝説は、聖獣を従えるイーカル族の戦士が砂漠のオアシスに住み着く魔物を退治し、そこに都を築いたというものだからだ。
その話で共闘したのは魔物ではなく聖獣だが、それは確かに魔術師でなくても人でないものを使役できるという証明ではないか。
子供の頃から知っている建国伝説だったが、そういう見方もできるものだったのか。
「まあ、あんたは使役したんじゃなくて魅了して巧く使ったんだろ。魔物じゃなくて人をな」
「魅了……?」
「色んなモノをひきつけてやまない人間ってのはいるんだ。そういう奴の所には自然と人が集まるし、手を差し伸べる奴も多い。
残念な事に、そういう奴は運と一緒に厄介ごともひきつけちまうもんだがな」
――魔力を持たずとも力に好かれる子ってのはたまにいるもんさ。
だが、そういう子は『人でない者』にも好かれたりする。気をつけな。
あれは魔術師連盟のイネスに言われたんだったろうか。
今回の事件に関しては好かれたわけじゃなさそうだが、剣の通用しない『魔族』なんて生き物と対峙する羽目に陥った事を思うとその体質も微妙なものだ。
レオナが眉を寄せるのを見て男はレオナの頭をくしゃりと撫でた。
「あんたのその性質はこの国でも遺憾なく発揮されてるようだな」
「よくわからないけど、魔族はもう勘弁です」
「魔族以外なら歓迎してくれんのか」
「人間だったら良いですよね」
「――そっか」
男は満足げに頷いて立ち上がった。
「不肖の息子と怯弱な駄犬があんたの話ばかりしてるんでな。一度くらい顔を見ておこうと思って来たんだ。
まあ、顔は顔でも寝顔を見たなんて知れたらあいつらに殺されるから、内緒にしといてくれ」
そういって男は扉に手を掛けた。
その時振られた左手に、アレフのとそっくりな黒い革のバングルが見えた。