3話 内戦の傷跡
―――教会歴741年 夏季第一の月17日
八歳に成ったリヒトは、家からこっそり持ち出した弓矢を手に森の中を歩いていた。
リヒトの少し大きくなった足が木の小枝を踏みつける。
小枝は乾いた音を立てて折れた。
リヒトは立ち止まると額に浮かんだ汗を取り出したハンカチで拭う。
「リヒト様」
リヒトの後ろに着いて歩いていた色白の少年が恐る恐ると言った様子でリヒトに呼びかけた。
「様は要らない」
彼はトミー、ヴァレンティア家の領内の農家の子供で、リヒトの数少ない友人だった。
友人なのだから様付けも敬語も要らないとリヒトは何度も言っているのだが彼はとんでもないといってやめようとしなかった。
結局、様付けを止めさせる事で合意した。
「それでリヒト、弓など持たれて戦争にも行かれるのですか?」
「いつの時代だよ」
貴族が軍隊を率いる時代はもう終っていた。
いつの時代と言っても本の10年前まではそのような事も有ったらしいが、今統一帝国内に存在する軍隊は皇帝の元にある海軍と統合陸軍だけだった。
実際には統合陸軍の幹部は貴族が多く軍隊を率いて戦う貴族は居るには居るが、彼らは陸軍将校として軍隊を率いているのであって貴族として軍を率いているわけではない。
「この平和な時代に貴族が弓を取るのは一つしかないだろ?」
「はぁ?」
「狩だよ、狩」
トミーは目を見開いた。
「ええと、森の中の動物は取っちゃいけないってお母さんが……」
「今日は俺が居るから良いんだよ」
領民や紹介などの所有物で無い者は原則として領主の財産となる。
正確には皇帝からの貸し与えられていると言う扱いだが、管理権は領主にあるため、木こりや猟師などは領主から許可を取らなければ木を切る事も鳥を撃つ事も出来ない。
だが、そこでも例外と言うものがあり領主の一家は自由に取れるのだ。
トミーはとても物覚えが良いがそれも八歳の子供としての話だった。
リヒトは彼にややこしい事を教えても混乱させるだけだろうと考え、それでおし通すことにしたのだ。
まだ理解できていないトミーを置いてリヒトはどんどん森の置くに進んでいった。
****
「こんなものかな」
日が傾きだす頃、あぜ道を歩くリヒトの手には二羽の野鳥が握られていた。
「すごいですリヒト」
この二羽の鳥はリヒトが打ち落としたものだった。
トミーにもやらせてみたのだが、そもそも弓が引けず矢はポトンと足元にに落ちただけだった。
「これは、リヒト様!!」
トミーの家の前まで来ると、彼の父親が畏まって跪く。
「やあ、リヒト様何しにきたんだい?」
中まで声が聞こえたのか家の扉を開いて、トミーの母親が顔を出した。
「どうしたの?リヒト兄」
トミーの妹のレンカも家から顔を出す。
この過程は女性の方が肝が座っていて、トミーの母親はリヒトに対して物怖じする事はまず無かった。
レンカに居たってはリヒトの事をリヒト兄と親しげに読んでいた。
「これ、レンカの誕生日だろ、二人で取ってきたんだ」
リヒトは手に持っていた野鳥を差し出した。
「いや……僕は何も」
人の気遣いが解らない馬鹿を蹴飛ばしておいた。
トミーの母親はそんなリヒトたちを微笑ましそうに笑ってい家の中に戻っていった。
トミーとレンカもそれに続く。
「それで、暮らしの方は?」
リヒトはまだ薪を割っているトミーの父親に言った。
トミーやレンカに聞いても稜々を得ないし、母親の方に聞いても子供が気にする事ではないと、教えて貰えない。
「相変わらずです」
これは彼の家の事情を考えるとあまり言い返事では無かった。
「そうか」
リヒトはかける言葉が何も思い浮かばず屋敷に向かって歩き始めた。
バレンティア家の屋敷は領内最大の町ではなく、そこから歩けば丸一日程かかる村にある。
リヒトが歩くあぜ道の両側にはまだ青い麦が実っていた。
この村の土は豊かで麦も良く育つが、それでも他の領地の農民より暮らしは厳しかった。
原因は周りの領主が商会に圧力をかけ、ヴァレンティア家の領地から何か買うときは安値で買い叩き、売るときは高値で売りさばくと言う事をやらしていた。
なぜヴァレンティア家がそのような嫌がらせを受けるのか理由はリヒトが生まれる五年前に、即ち13年前に始まった統一戦争にまでさかのぼる。
かつて、リーゼベレク統一帝国がある大地にはリーゼベレク家が納めるルストマルク王国と、リーゼベレク家から公爵の位を与えられた大公と呼ばれる貴族が収める五つの公国があった。
しかし、現在の皇帝がリーゼベレク家に土地を返すように要求、さらには貴族からも様々な権限を取り上げると宣言した。
その結果、四人の大公がリーゼベレク家に反旗を翻しさらには皇帝に不満を持つ貴族たちがこれに続き統一戦争が始まった。
この時、ヴァレンティア家は領民の血が流れる事を嫌ったオットーはどちらにも着かなかったのだ。
戦争は三年で終わり、勝利した国王側によって国名はリーゼベレク統一帝国と改められ五つの公国はその中に組み込まれ、権力は皇帝一人の元に集められた。
戦後、皇帝についた貴族の多くは中立を取った貴族を敵視するようになり、政治的に、経済的に締め上げ始めた。
リヒトはヴァレンティア家が憎まれ被害を被るのは仕方が無いことだと思っていた。
だが、その結果割を食っているには何の関係も無い領民達だった。
「どうにかしないと」
リヒトは父の判断が間違っていたとは思っていない。
むしろ、領民達を戦火から守る
自分の代で解決するべき問題だと思っていた。
****
「さて、リヒト様何か言い訳は有りますか?」
屋敷に帰ったリヒトを待っていたのは門の前に腕を組んで仁王立ちをするサラだった。
もう二年間も経つので、彼女の言葉や態度からは軍人らしい硬さは消えていた。
「何についての?」
「弓矢を勝手に持ち出した事、こんな遅くまで外で遊んでいた事です」
屋敷を抜け出した事は無罪放免のようだ。
リヒトがいかに特殊と言っても、サラが見逃さなければリヒトは屋敷を抜け出す事も出来ないのだが。
「……何も無いです」
軍人として過ごしてきたせいか、或は生来の性格かサラは言い訳という物を好まなかった。
サラは頷くとリヒトを屋敷の中に入れた。
このアットたっぷりと絞られた上、明日は外出禁止を言い渡された。
最低、一週間の周期では更新すると活動報告で宣言していましたが、リアルの事情により一日遅れてしまいそうです。 4/24