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よあけまえ

 あどけない夢を見ていた。ほとんど忘れかけているけれど、私自身にとってすごく幸せなものらしかったことだけは覚えている。一月の、とことん冷え込む静けさで、いつもよりずっと早く起きてしまったせいもあって、絶対に起き上がりたくない気分だった。私は乱れた掛け布団と毛布を、上の方を手で押さえつつ、足を使って上手に整えていき、このうすのろぼんやりした、夜とも朝とも片づきそうにない時間を乗りこえることに決める。ほんのりあたたかみの残る布団を口までかぶって、じっと目をつぶる。


 こうしてじっとしていると、すぐにもあの夢は消えてしまいそうだった。脳が徐々に死につつあるのがわかる。そうして意識はなくなっていき、再び眠りへと誘われるのだろう。で、あの幸せな夢は、気づいたときにはもう手遅れになってしまうんだ……なんてことを思うと、ぎりぎりのところで眠れない。かといって、起き上がるのも今のところは無理だ。結局、私のしたことといえば、「ううぅぅ」という獣みたいな声をどこへともなく届けさせることだった。


 すると、それを聞いた枕元のぬいぐるみが、私の耳元をぱしぱし叩いてきた。回復体位で寝るのが好きな私は、うっとうしかったので、顔だけ天井の方に向けて「やめて」と言った。けれどもそれは、ニューヨークで売られていたのを、旅行好きのおじさんが私のために買ってきてくれたテディベアなのだけれど、おじさんの趣味なのかそれしかなかったのかはわからないけれど、顔の形とか、毛並みとかが妙にリアルで、今でもたまにぞっとしてしまうほどなのだけれど、熊さんはもうしばらく私の顔を、まるでぐずついた子どもが、これ以上お母さんに歯向かっても無駄なのに、どうしてもお母さんを叩く手を止められないみたいにして、叩いてきたのだけれど、途中、当たりどころが悪くて、思わず「いった」と呟いてしまう、すると、お母さんが急に真面目な声を上げたものだから、それでふっと正気に戻り、自分の行ないを反省し、でも素直に謝るわけにもいかず、あげくもやもやした気持ちのまま、ものすごい顔でぐずつくのをやめる小さな男の子みたいに、熊さんも私を叩くのを止めて、また元の素直なぬいぐるみに戻った。ちょっときつい言い方だったかもしれない。寝ぼけていたから、今でさえもうどんな言い方だったかはっきりしないけれど、いつもの私の数倍増しでどぎつい怒り方だったのかも。あとで謝らなければと思うが、これもいつまで憶えていられるかわかったものじゃない。でも今謝ろうとは、まったく思わない。薄暗くてよく見えなかった、でも、また回復体位に戻ろうというとき、ちらっと熊さんの顔をのぞいてみたら、その目はぬいぐるみのくせにやけにうるうるしていた。


 そんなことばかり考えていると、ますます頭が冴えてきてしまう。そうなるともう私は、一週間前から始まった中学校のことで精神を煩わせないわけにはいかない。とくにいやな思い出なんてないのだし、むしろ無難なスクールライフを送れていると自負できるほどなのだけれど、でもなぜか、学校というものを真剣に考えてみると、少なからず億劫さを感じてしまう。そのくせ、登校したらしたで、そんな気だるさはどこへやら、それなりに楽しめてしまえるのがなんとも不思議だった。呪いでもかけられているのかもしれない。




 たとえばトイレに行こうとしたとき、漏れそうだったのだけれど、教室から一番近いトイレが、そんなときに限って超満員で、他にいくらでもあったのだけれど、もしかすると他のトイレも超満員なのかもしれない、という推測によって、私の足はストップし、ならここでずっと並んでいた方がまだマシだろうという、もう半年くらい前にもなると思う、そんな馬鹿らしいことを思い出してみたり、ちょっとしたつながりから、クラスでもカッコいいともてはやされている男子と一緒にちょっと歩いたことがあって、それから少しして、クラスで「番長」とあだ名されている女の子が私の机までやってきて、佐々木さんも、脩平くんを? そうなの? と遠慮なく言ってきたときの、あの妙な感動、これまでほとんど縁のなかった人と話せたことの嬉しさ、でもそれは私からじゃなく向こうから話しかけてきたわけだから、あちらが私におもねった、ということで、だからそこにはちょっとした優越感もあり、とにかく気持ちの良かったこと、それ以来彼女やその友だちと「仲良し」になって、彼女たちのLINEグループにも入ったのだけれど、今はもう全然やりとりをしていないのだけれど、だから未読がますます増えていくのがうっとうしくてならないのだけれど、なら見ちゃえばいいじゃないかという話なのだけれど、もしも私に関してよくない噂を、私自身メンバーであるにもかかわらず堂々とやりとりしていたのだとしたら、そして彼女たちの目的がまさに、私にそのやりとりを見せつけることだとしたら、なおさら見るわけにはいかなくて、でもメンバーから脱退するタイミングも見つからないから、そのうち何を言われるかわかったものじゃなく、とりあえず三年に上がって、クラスが別になったときに、誰にもばれないよう夜中のうちに済ませておくか、ああでも三年に上がるときはクラス編成がないから、その作戦は駄目で、それならチャンスを見計らって、また彼女たちに積極的に話しかけていって、しばらく疎遠だったこと、LINEにも来ていなかったことを謝って、その際、実は、私に関する噂なんてやりとりしていなかった、ということを知ったり、そんなこと妄想してたの、ウソみたい、佐々木さんってそんな面白かったんだ、知らなかった、ううん、全然馬鹿にしてるわけじゃなくてね、私たちも、またこうして話せて嬉しいってこと、だから、改めてヨロシクね! みたいな言葉を彼女たちから引き出したうえで、もう一度グループの一員として過ごせたらいいなあ、というのが私の望みなのだけれど、もとをたどれば原因は、脩平くんと私が二人きりで歩いたせいであり、こっちは全然そんな気はないのに、余計なことを訊いてきた彼女たちのせいでもあり、私は全然悪くない、とはいいつつ、脩平くんと話したときの感じは別に悪いものじゃなかったから、いよいよ私も、男を知る年齢になったのかな、などと夜とも朝ともつかない時間に一人ほくそ笑むのもちょっと気持ち悪かったので、どうにか興奮を抑えつけようとするのだけれど、一旦フル回転し始めた思考は止まる気配がなくて、ますます気持ちがたかぶってくる。


 ふと、弟は今、何をしているのだろうと思う。寝ていることには違いない。でも、男の子は眠っている最中にもエッチな妄想をしており、その際にちんぽを勃起させたり、最悪射精までしてしまうこともあるという。弟だって来年は中学生だ、たぶんそういうことは済ませてあるに違いない。であれば、私と同年代の脩平くんはなおさら、爽やかな好青年で通っているけれど、エッチな妄想をみんなの見ていないところで繰り広げていることだろう。あるいは、そんな必要はもうないのかもしれない。彼にはもうちゃんとしたパートナーがいて、妄想などしなくても、そういう気分になる前に、彼女とのセックスで欲望を満足させてしまうのかもしれない。そういうことを思うと、何だかこれまで自分の見ていた世界が信用できなくなる感覚だった。こんなこと、口が裂けても誰かに言えない。私だって表向きは、まるで帰国子女みたいな佇まい、でもちょっと抜けたところのあるおっとり系女子でまかり通っているのだから、そんな想像を夜とも朝ともつかない時間にせっせとこしらえていたことがばれれば、友だちやクラスのみんなを失望させるだけだ。そもそもこういうことを考えること自体、不健康すぎる。


 すると、私の脳裏には、思いがけないタイミングだったのだけれど、もう少し小さかった頃、弟とお風呂に入った最後の思い出がよみがえってくる。そこで何が起きたのか、もうはっきりしないけれど、それ以来、こっちがいくら誘っても、弟は一緒に入ってくれなくなった。普段はいつも通り話しかけてくるし、ふざけ合ってもいたのだけれど、弟の裸を見ることもなくなったし、私の裸を見せることもなくなった。お父さんと入らなくなったのはもっと前だから、最後に目撃した男の裸は、必然的に弟になるわけだが、私は当時、彼のちんぽに興味津々だっただろうか? そうでもなかったかもしれない、これは一体どうしてあるのだろう、みたいなことは考えていたけれど、なんだか触れてはいけないもののような気がして、あえて触れないようにしていた、言葉にしろ、物理的にしろ。


 対して弟は、気にせずこっちにべたべた触ってきていた。最後の方になると遠慮がちになっていたけれど、もう少し前まではそれこそ恋人みたいに抱き着いてきた。そのときは私も弟を抱きしめていたけれど、それはひどく警戒してのものだった。今にして思えば、私は弟に対して、愛情だけじゃなく恐怖も感じていたらしい。


 二年くらい前までそれは続いていた。それから先は知らない。でもネットとかで見る限り、いよいよ成長して、毛だって生えてくる頃合いだろう。弟と私、どっちが先に、またあのときみたいに、異性とお風呂で一緒になるのだろう? 想像すると、おへそあたりが張り詰めた感じになる。弟に関することでそういうことになるのは、私としても不本意だったから、急いで打ち止めようとするのだけれど、一旦始まってしまったそれは止まりそうにない。


 やっぱり今日の私は呪われている。そうでしょ熊さん?






「かきあげ!」第六回イベントに、「氷」名義で提出したもの、その改訂版です。

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