誘惑する蛇
「私とゲームをしませんか?」
切欠は何だが覚えていない。だけど、始まりは確かに彼女の言葉だった。
一人暮らしをするには充分過ぎる広さの賃貸マンション。当然だと言わんばかりに、そこに置かれているベッドはセミダブルで、いつ来ても彼女が自分以外の男性を連れ込んでいる気がしてならない。
職場での彼女の真面目さや人柄を知っているだけに、正直、最初は驚くと言うよりは戸惑いしかなかった。
私生活がルーズ過ぎる。
そして困ったことに、こうやって時折。常人の思考回路では理解に苦しむ発言を、冗談とも本気ともつかない口調で唐突にするのだ。
「この状況で?」
「うん、この状況で」
されるがまま大人しく組み敷かれていると思ったら、本当、この女は何を考えているのだろうか。不意に、伸ばされた彼女の手。まるで蔓草が樹へと絡みつくかのように、彼女の腕が頭部に触れて抱き寄せられる。
甘い、果実が熟れ落ちる前の匂い。
「ダメならいい」
耳元で囁かれる声は拙く。女と呼ぶよりは幼いけれど、少女と呼ぶにはもう遅い。発情期の猫を連想させる仕草と声音を以てして、彼女は、薄らと微笑を浮かべながら人の理性を侵食する。
そのまま唇に触れてやると、酸素を求めて彼女は喘ぐ。
例えるなら、それはたゆたう水に身を任せながら唄うオーフェリアのようだ。やがて泥にまみれて悲惨な最期を遂げる彼女のようだと、思った。
シェークスピアの物語に登場する女のような薄幸さを以て、惑わされてたくなるのは男の性なのだろう。
甘い、あまい、誘惑に抗うことすらできずに堕ちる。
ただ、愛おしいと感じる心に嘘など吐けず、落ちる。
彼女の提示するゲームに勝てば、遊びではなく彼女は手に入るのだろうか、と。
誘惑する蛇に抗わなかったのは、必然だった。
だって、俺は、そんな彼女が欲しいと思ってしまっているのだから。