第七話 関係悪化
お互い偽名を使っての付き合いだったが、共通点も多かったし姿の見えないやり取りだったので、気軽に愚痴や自分の弱い部分を吐き出すことが出来た。僕は本当に友達が出来た気がした。
相手も同じように思っているようで、初めは2日の間隔を空けてのコミュニケーションだったが夏休みが明けた頃には1日おきに増えていた。
彼女と知り合ってからの一番いい変化としては、小説の執筆活動に対する動機が増えたことだ。今までは部活動の一環、先輩との愚痴の言い合いのために書いていて、小説家になろうなんて気持ちもなく内容なんてさほど重視していなかった。先輩を喜ばそうと思って書いてはいたが、自分の実力以上の物を書こうという気持ちはなかった。
しかし、彼女の『お互い作品が完成したら見せ合おう』というメッセージが僕の見栄っ張りな自尊心を刺激して、本当にイイものを書こうと思わせた。
それ以来、僕は真剣に小説家を目指し初め、本も先輩から出された課題以上に読んだし、筆の進みも自ずと早くなっていった。
9月下旬。
気温はまだまだ夏の熱気が続いていて、暦では立秋を超えたというのに、最高気温25度だと朝の天気予報では言ってた。
暑い。暑い、暑い!
ついに温暖化も極まって地球滅亡も近いかと汗を拭いながら、僕は部室の扉を開けた。
次の瞬間、むうっと本独特の匂いが襲ってきた。熱気を伴った分臭気が強くなっている。夏休み中はクーラーを入れていたので、そうでもなかったが、明けて以来先輩の独断でクーラーは使用禁止になっていた。週4の部活動の度にこうも強烈な匂いを嗅いでいると、さすがにイライラが溜まってくる。
「先輩、毎回の如く言いますが、いい加減窓ぐらい開けましょうよ、匂いキツいですよ」
入口でそう愚痴り、山積みの本を避けながら奥へ進む。
先輩は相変わらず猫背で長い黒髪をだらっと垂らし、本に熱中していた。
「性格だけじゃなくて、ついに耳も悪くなりましたか」
先輩は依然として無言のまま本を読んでいる。これはお仕置きが必要だと悪戯心がムクムクと大きくなり、僕は近くにあった本を取りそ~っと先輩に近づく。ニヤニヤしながら腕を大きく振り上げ、頭目掛けて振り下ろした。
バン。
やったか!手応えはあった。
が、当たったのは頭ではなく、開かれた状態の本だった。
「毎回の如く言うけれど、あなたの小学生並の知能と精神年齢はどうにかならないの?母性本能高い私でも、毎回くだらないお遊びに付き合うのは疲れるわ」
言葉とは裏腹に勝ち誇ったようなドヤ顔だ。憎らしい。今日も先手は取れなかった。
「それと部長である私の方針に意見するなんて、数万年早い。馬鹿は死ぬまで治らないっていうから、一回死んで出直しなさいよ」
「僕が死んだら世界規模の大きな損失ですよ。僕は大器晩成型の大人物ですから」
「そう、じゃあ偉大な人物になる予定のあなたに晩成が確実に成せるよう、一つ助言をしてあげる」
「うむ、苦しゅうない、言ってみよ」
「大器晩成という言葉は負け組のクズが好んで使う言葉よ。以後使わないほうがいいわ」
先輩が僕に華麗なる勝利を上げたあと、小説批評会が開催された。
先輩は勝ち誇った顔のまま機嫌よく『小説を見せなさい』と言い、僕の手から原稿を奪い取った。この勢いのまま僕を負かし倒そうと見込んでいるわけだ。
しかし、僕はというと、ふふんと余裕をカマしてふんぞり返る。
負け続きでは男としての威厳が疑われる。僕もやられっぱなしではいられない。今日という今日はしっかり対策を練ってきていたのだ。ばっちこいだ。
僕はいつか先輩に大勝利を上げようと予てから計画してきた。その計画とは、先輩に見せる小説とは別に小説を書くこと。つまり惰性で書く小説ではなく、本気で小説家を目指し小説を書くこと。先輩がグウの音も出ないほどの出来のものを書いて、鼻を明かそうというわけだ。
今日がまさにその決行日である。
僕が記念すべき初勝利を上げるのだ。
先輩は夏に僕が生まれ変わったことなど知る由もないのだから、きっと驚くだろう。この計画が実行できたのも喫茶店でのまだ見ぬ友人の励ましのおかげだ。
さあ、見よ我が成長を!
僕は先ほどの先輩のドヤ顔以上のドヤ顔を準備しながら、僕の勝負作を読む先輩を眺める。
しばらくすると、見る見るうちに先輩の顔が歪んでいき、眉間にシワがよっていく。
勝った!計画通り。
「何のつもりこれは」
先輩は小説を読み終わって開口一番そういった。不機嫌さが顕だが、悔しそうでもない顔をしている。
「僕が本気だせばこれくらいいい文章が書けるってことですよ。見直しました?」
「…」
「どうです?自分的には手直しする箇所がないくらいの出来だと思うんですが、何か直すとこありますか?」
「…」
おかしい。口撃が得意な先輩が何も言ってこない。
悔しがる想像をしていただけに予想外の反応で釈然としない。勝ったという実感が湧いてこない。
僕がどうやって先輩から負けましたの言葉を引き出そうか逡巡していると、先輩は手にしていた小説を床に放り、立ち上がった。
「つまらなかったわ。今までの中で一番」
汚物を見るような冷たい眼差しで僕を睨み、先輩は部室を去っていった。
それ以来、先輩は部活中僕と全く話さなくなった。
こちらから話しかけても、無視された。どんなに話しかけても無視されるので、試しに先輩のこだわりである床に積み上げられた本の山をすべて片付けてみても何の反応も見せず、翌日には元に戻された。
小説家プロデュース活動も強制終了になった。原稿を渡して読んで下さいと土下座してみてもダメだった。
あの日のことを謝罪することも考えたが、小さなプライドが邪魔してなかなか出来なかったし、そもそも今まで他人に謝った経験がない僕には謝り方すら分からなかった。
あらゆる手を尽くしても先輩は一切反応しなくなり、僕は途方に暮れた。
一体僕が何をしたというのか。そんなにあの勝負作が気に入らなかったのか。恐らく、負けたのが悔しくて無視を貫いているのだろう。でもだとしたら、器量が狭すぎじゃないか。
一週間、二週間、と時が経つにつれ僕はどうにも出来ない自分の無能さと先輩の態度にストレスが溜まって行き、一ヶ月が過ぎた頃にはもう自分から先輩と関わろうとはしなくなった。相手にされない寂しさで自分は必要とされていない気がして居づらくなって、部活にいくことも少なくなっていった。
結局、明確な原因が判明しないまま、モヤモヤした気持ちのまま、僕と先輩との関係は崩壊した。