鹿背山城・恭仁京跡の戦い(3)
登場人物紹介「鹿背山城・恭仁京跡の戦い(3)」
《織田信澄家》
織田信澄(29)
通称七兵衛。新生足利幕府管領。摂津大坂城主。信長の甥だが、明智光秀に味方し羽柴秀吉を殺した。光秀死後幕府を再興し実権を握る。
堀秀政(31)
通称左衛門督、久太郎。播磨姫路城主。山崎の合戦後信澄に仕える。文武に秀で、信澄をよく補佐する。
矢部家定(?)
通称善七郎。山崎の合戦後信澄に仕える。年齢不詳だが堀秀政と同年代。
蜂屋頼隆(50)
和泉岸和田城主。本能寺の変直後より信澄に従う。
高山右近(32)
摂津高槻城主。山崎の合戦後信澄に従う。キリシタン大名。
細川忠興(21)
丹後宮津城主。隠居した父幽斎に代わり、軍勢を指揮する。
筒井定次(22)
通称伊賀守。大和郡山城主。
《毛利家》
毛利輝元(31)
新生足利幕府西国探題。安芸郡山城主。山崎の合戦後信澄と結び、中央に進出する。
吉川元春(54)
通称駿河守。安芸日野山城主。毛利輝元の叔父であり、本能寺の変以後は弟小早川隆景を差し置いて毛利家中で最も影響力を及ぼすようになる。
《織田信忠家》
織田信忠(27)
通称岐阜中将。近江安土城主。信長の嫡男で、信長死後の織田軍団をまとめる。
織田信雄(26)
通称三介。伊勢松ヶ島城主。信長の二男。凡庸な男。
織田信包(41)
通称上野介。伊勢上野城主。信長の弟。
織田信張(57)
織田家家臣。織田信長や信忠とは別の家系である。
蒲生氏郷(28)
通称忠三郎、飛騨守。信長から才覚を見込まれた逸材。本能寺の変の時に信忠の脱出を助けて信頼を得、その後も信忠の下でその才を活かしている。
滝川一益(59)
通称左近将藍。伊勢長島城主。軍事を中心に多方面で活躍。
滝川雄利(41)
通称伊賀守。織田信雄の家臣。滝川一益の養子。冷酷だが、軍事や政務、謀略に高い能力を示す。
《その他》
足利義昭(47)
足利幕府十五代将軍。信長に京を追われた後は毛利家に身を寄せていた。織田信澄と毛利輝元が和を結んだことで幕府再興がなった。
石田三成(24)
元羽柴秀吉の家臣。織田家を出奔し、羽柴家再興を目指して活動。
※()内の年齢は全て数え年です。
天正十一年四月二十三日。
信澄軍の将兵は前日の激戦の疲労が抜けきってはいない様子であった。それでも、辰の刻(午前八時)、信澄は全軍に、鹿背山城に対する総攻撃を命じた。
本来ならば一日は休ませてから万全の態勢で出陣したいところだった。しかし、大津城からもたらされる戦況は芳しくない。流石に昨日一日で落ちることはなかったが、下手をすれば今日中に落ちてもおかしくなかった。
故により速く堀・吉川軍の援護に向かえるよう、数の差で以て鹿背山城を力攻めすることを決定したのだった。二日前の攻撃や城の規模から考えると鹿背山城に籠る織田信包軍の兵力は五千から七千程度。連日の戦で損耗しているとはいえ、未だ三万五千の兵力を有する信澄軍ならば落とすことは可能であると判断した。
蜂屋隊四千と、信澄本隊から将兵を供出して強化された矢部隊八千に、二日前同様西側の城群を攻めさせる。信澄本隊九千と高山隊二千、細川隊二千も二日前と同じく中央の城群を攻撃。前回手を付けなかった東側城群は毛利軍一万が担当した。
戦局は一方的だった。実際鹿背山城に籠っていたのは信澄の推測と変わらぬ六千。兵力差は約六倍。おまけに一度攻め込んだことで信澄軍は城郭の構造を粗方把握していた。何層もあった段々の郭を一刻程で突破した。山頂の郭にあった桝形虎口で少々手こずったものの、数で押し切って最後の郭の内部に突入した。
最も早く攻め入った蜂屋頼隆は、落城間際の戦場で敵軍の将、織田信包と相見えた。
「おお、蜂屋殿ではないか。息災にしておるようでなによりだ」
敗戦の将であるはずの織田信包は、何故か鷹揚とした態度で敵である頼隆を迎えた。
「上野介殿……!」
「七兵衛殿、ああ、今は管領殿と名乗っているのであったかな。あやつの下で働くのはどうであったか?」
「…………」
挑発するような物言いに、頼隆は応ぜず沈黙している。
「よいよい。お主の魂胆は分かっておるわ。儂の役目はこれで終わりじゃ。はよう首を獲れ。手柄は増やしたいであろう」
「……分かり申した。上野介殿」
僅かに頷いた頼隆は、大上段に構えた太刀を振り下ろした。その一撃は信包の頭を身体から分離させ、噴きだす血は頼隆の全身を真っ赤に染めた。
その血を舐め、一瞬苦い顔をした頼隆は、すぐに顔を引き締め、絶命した信包の首を掲げ、叫んだ。
「鹿背山城が守将、織田信包はこの蜂屋頼隆が討ち取った! 城を守っていた将兵はすぐさま武器を手放し、我らに投降せよ!」
こうして、鹿背山城の戦いは二刻程で幕を下ろした。
* * *
鹿背山城で最も広い西の城郭の中心、つい一刻前までは亡き織田信包が座っていた場所に、織田信澄は床几を置いた。床几に座った信澄の前には、毛利輝元、高山右近、細川忠興、蜂屋頼隆、矢部家定といった信澄軍の主な将が揃っている。
「蜂屋殿、よくやってくれた。織田信包は信忠、信雄といった信長の息子に次ぐ地位を持つ男。こやつを仕留めたことは、信忠にとって大きな痛手となることであろう。この合戦に勝った暁には、十万石の加増を約束しよう」
「はっ。ありがたき幸せ」
「だが、まだ戦いは終わっておらぬ。先程、信雄軍がこちらへと向かってきているとの報告が届いた。昨日我らが通った道を進んでおる。山間に兵を潜ませてはいたが、とてもそれでは押さえられん。これより我が軍は木津川北岸に移り、信雄軍を迎え撃つ!」
「ははっ」
この場にいた諸将がその命に従い、各自の軍勢の許へと向かおうとした時、一人の伝令が飛び込んできた。
その伝令の様子にただならぬものを感じた信澄は、諸将にここで待っているように告げた。
静寂の中、伝令の言葉を聞く信澄。その顔は、すぐに驚愕の色に染まった。
「管領殿、何かよからぬ事でも起こりましたか」
諸将を代表し、西国探題毛利輝元が信澄に尋ねる。
「……非常に悪い事だ。昨晩、夜も深まり、日付も変わろうかという頃らしい。突如一万に及ぶ軍勢が現れ、筒井伊賀守殿のいる大和郡山城に夜襲をかけた。火矢を射って筒井軍を混乱させると同時に視界を確保して突撃、手際よく各隊が次々と城内に攻め入り、僅か一刻程で、堅牢を誇っていた大和郡山城が落ちた。筒井伊賀守殿を始め、筒井家の主たる面々は軒並みお討ち死になされた……」
ここにいる全員が息を飲んだ。大和郡山城は畿内でも随一の堅城であった。今まで攻めていた鹿背山城などは、松永久秀が大和を支配していた頃にはあくまで大和郡山城から京に至る足掛かりとして利用された程度だ。その大和郡山城が一夜にして落ちたなど、誰も信じることが出来なかった。
沈黙を破り、蜂屋頼隆が口を開く。
「して、大和郡山城を落とした敵将は」
「……織田信忠が家臣、滝川左近将藍一益である」
今度は誰も驚かなかった。皆、どこかでその答えを予測していたのだった。
「左近将藍殿。姿が見えぬと思えば大和に潜伏していましたか。大和は先代の筒井順慶殿が亡くなって以来治世があまり上手くいっていなかったと聞きます。その隙を突かれたのでしょう」
「元はと言えば、その筒井順慶殿を伊賀におびき寄せて手に掛けたのも当の左近将藍だ。思えば半年前から、奴は大和を狙っていたのだろう」
さらに信澄は言葉を継ぐ。
「だが、目下一番に対処せねばならぬのが西進する織田信雄軍であることには変わりない。あ奴を止めねば京との連絡を断たれてしまうからな。とはいえ大和郡山城を奪った滝川勢が北上してくる恐れもある。故にこの鹿背山城にいくらか兵を入れておきたい」
「管領殿」
「何であろうか、蜂屋殿」
「僭越ながら、我が隊は今日の戦いで疲弊し、とても野戦など行える状態ではありませぬ。故に我々蜂屋隊が鹿背山城に残りたい所存であります」
「そうか。ならば蜂屋隊四千、それに今まで蜂屋隊と共に動いてきた我が臣矢部善七郎に四千の兵を与え、総勢八千の兵をこの鹿背山城に残す。滝川勢は一万程と見込まれる。左近将藍が相手でも、十分守り切ることができるであろう」
「はっ」
蜂屋頼隆、矢部家定の二人は首肯し、すぐに自軍の許へと走った。
「残った西国探題殿、高山殿、細川殿、それに儂は直ちに木津川を渡り、北岸にて陣を整え、信雄軍を迎え撃とうぞ!」
* * *
申の刻(午後四時)。
木津川の北では、織田信澄と織田信雄の両軍が睨みあっていた。
西に布陣する信澄軍は、北に毛利隊一万、中央に信澄本隊一万三千、南に細川隊二千、高山隊二千と並んだ鶴翼の陣である。対する信雄軍は四段の構えを成していて、前列北に滝川雄利隊三千、前列南に織田信張隊三千、後列北に織田信雄本隊五千、後列南に蒲生氏郷隊五千が布陣し、総勢一万六千。信澄軍二万七千とは一万一千の差がある。
「二日前のように鹿背山城の後詰に来たのだろうが、来るのが遅いわ。だがせっかく来てくれたのだ。丁重にもてなしてやらねばな」
信澄が呟くと同時、轟音が戦場に響き渡った。両軍の鉄砲が火を噴いたのだ。
昨日同様、木の盾を使い銃撃を防ごうとする信雄軍。しかし昨日の戦いで相当数の盾は破損していたため盾の恩恵を受けられず倒れる信雄方の兵が続出した。さらに信澄方は昨日の教訓を心得、徐々に前進しながら何度も鉄砲を放ち、また弓を射かけることで、騎馬隊による突撃を行う頃合いには信雄方の持つ盾はほとんどなく、また前列の滝川雄利隊、織田信張隊は多数の負傷者を抱える事態となっていた。
押し寄せる騎馬隊は滝川雄利、織田信張の両隊の鉄砲衆により数騎が脱落したが、ほとんどは敵軍に踊りこみ、次々と兵士を槍に掛けて両隊を混乱に陥れる。開戦から四半刻程で両隊は崩壊、滝川雄利と織田信張は自軍を纏めつつ退却する。
彼らの背後で備えていた織田信雄、蒲生氏郷は前列から壊走してくる兵を収容すると、勢いに乗って突貫してくる騎馬の群れに対し鉄砲を斉射した。
一番槍に眩み最前列を駆けた者達はほとんどが命を落としたが、その後ろをついて来ていた騎兵や歩兵が押し寄せる。両隊はすぐに鉄砲衆を下げ、同じく刀槍を以て迎え撃つ。
鉄と鉄がぶつかり、また鉄が肉を断ち、貫く音が幾重にも木霊する。そうしてしばらくは互角の戦いを演じていた信雄軍であったが、やはり数の差は如何ともし難かった。開戦から一刻程経った段階では、信雄軍は壊走寸前の状況となっていた。
「いいぞ。このままいけば信雄の首を獲ることも夢ではないであろう」
だが、勝利を確信する信澄の前に、またしても急使の知らせが水を差す。
「木津川南岸に八千程の軍勢が現れ、我が軍を攻撃してきました! 右翼の高山隊、細川隊は壊走を始めております!」
「くっ。旗は!」
「金ノ三団子、滝川です!」
「おのれ、左近将藍!」
歯噛みする信澄は毛利輝元に織田信雄を任せる旨を伝え、己が手勢を滝川勢と対峙させた。しかし滝川軍は手強く、またその登場により信雄軍が俄然勢いを取り戻したことで一転信澄軍は苦戦を強いられた。
戌の刻(午後八時)。何とか本来の数の差で滝川軍を木津川の南へと追い返した信澄軍だったが、気付いた頃には信雄軍は大きく数を減らしながらも戦場から脱出していて、信雄を捕らえることは叶わなかった。
しかし、何よりも重大な事は、滝川軍がここまで攻めて来た、という事実である。
「何故滝川軍はここまで来られたのでしょうか、管領殿」
「本来なら鹿背山城で蜂屋殿と善七郎が食い止める手筈であったのだが。鹿背山城が落ちたか、あるいは……。何にせよ、滝川軍が何時でも攻めて来られる状況だというのには変わりない」
「すると……まさか」
「各々方にも伝えてある通り、近江の戦況が芳しくない。たった二万の軍勢では、信忠を止めるのは敵わないようだ。かくなる上は仕方ない。戦線を京の入り口まで下げ、堀・吉川軍と共同して事に当たるより他なし」
「……御意」
諸将が沈痛な面持ちで頷く。
「して、鹿背山城の蜂屋殿、矢部殿はどうなされるのでしょうか」
細川忠興の問いに、信澄は答える。
「一応使いを出す。……だが、恐らくは無駄に終わるだろうがな」
信澄は鹿背山城が滝川軍によって落とされたなどとは思っていなかった。もう一つの、より悪い方の可能性が強いと考えていた。そして、その悪い予感はまさに当たっていたのだった。
* * *
木津川での戦いに滝川軍が参戦した頃、鹿背山城では、二人の守将が対峙していた。
というよりは、黙りこむ一人にもう一人が突っかかっていた。
「蜂屋殿! 何故、門を開けて滝川軍を追わないのですか!」
突っかかる方の将、矢部家定は先程から何度もこうして蜂屋殿を糾弾していた。
「こんなことなら我が手勢で門を守っておればよかった! いや、蜂屋殿。今からでも間に合います。城外へと打って出て、滝川軍を背後から攻めましょうぞ!」
「……左近将藍殿はお強い御方だ。我らでは太刀打ちできん」
「何を言っているのですか! 我々の軍勢は八千、滝川軍も八千。同数の兵を以てして、どうして太刀打ち出来ぬなどということがありましょうや!」
「お主は左近将藍殿を知らぬからそのようなことが言えるのだ。……黙って城を守っておればよいものを」
蜂屋頼隆は先程からずっとこの調子である。
「何を消極的な……! 攻めて半数でも外へ出せば、滝川軍を混乱の渦に陥れることが出来ようものを……」
その時、矢部家定ははたと気付いた。気付いてしまった。
「かくなるうえは、それがしの手勢だけでも城外へ出て、滝川軍を追わせてもらいまする」
「……何?」
それまでずっと動かなかった頼隆が、ぎろりと目玉を動かした。
「お主、それは心よりの言葉か」
五十年を生き、人生の大半を戦場で過ごしてきた、蜂屋頼隆の眼光に気押されながらも、矢部頼隆は気丈に言い返す。
「本心よりの言葉にござる。蜂屋殿はこの場で胡坐でもかいておられればよろしい。儂は四千の兵を率いて出陣しますゆえ。邪魔立てはしないで、おとなしく門を開けるよう言っておいてくだされ。もし門を開けなかったのならば、その者は敵に通じているとみなし、その場で斬って捨てまする」
「そうか……。そこまで言われてしまったからには、儂も腹を括るより他ないな」
その言葉に、家定は目を輝かせる。
「おお。分かって頂けましたか」
「ああ。……者共、入って参れ」
その言葉を相図に、二人を囲んでいた幔幕が取り払われた。
「っ! 何事か!」
布を斬り裂いて現れたのは、物々しい装備をした兵士達であった。
「これも戦国の世の常だ。矢部殿、御命頂戴いたしまする」
「お主が内通者であったか……っ」
驚きと怒りを露わにした矢部家定であったが、その丸腰の身体を八方から頼隆配下の兵に串刺しにされ、絶命した。
こうして、鹿背山城はたった三刻程で信澄軍の手から離れたのだった。
これにて第一章その一、鹿背山城・恭仁京跡の戦いが終了です。次は近江方面の戦いを書くつもりです。
拙い知識で書いているので、間違いを見つけたら容赦なくコメントしてください。もちろん感想なども受け付けております。