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異史・豊臣誕生伝  作者: 七色かのん
第一章 三成決起
3/11

鹿背山城・恭仁京跡の戦い(2)

登場人物紹介


《織田信澄家》

織田信澄(29)

 通称七兵衛。新生足利幕府管領。摂津大坂城主。信長の甥だが、明智光秀に味方し羽柴秀吉を殺した。光秀死後幕府を再興し実権を握る。


堀秀政(31)

 通称左衛門督、久太郎。播磨姫路城主。山崎の合戦後信澄に仕える。文武に秀で、信澄をよく補佐する。


矢部家定(?)

 通称善七郎。山崎の合戦後信澄に仕える。年齢不詳だが堀秀政と同年代。


蜂屋頼隆(50)

 和泉岸和田城主。本能寺の変直後より信澄に従う。


高山右近(32)

 摂津高槻城主。山崎の合戦後信澄に従う。キリシタン大名。


細川忠興(21)

 丹後宮津城主。隠居した父幽斎に代わり、軍勢を指揮する。


筒井定次(22)

 通称伊賀守。大和郡山城主。


中坊秀祐(33)

筒井定次の家臣。


《毛利家》

毛利輝元(31)

 新生足利幕府西国探題。安芸郡山城主。山崎の合戦後信澄と結び、中央に進出する。


吉川元春(54)

 通称駿河守。安芸日野山城主。毛利輝元の叔父であり、本能寺の変以後は弟小早川隆景を差し置いて毛利家中で最も影響力を及ぼすようになる。


末次元康(24)

通称少輔七郎。出雲末次城主。輝元の祖父元就の八男。


《織田信忠家》

織田信忠(27)

 通称岐阜中将。近江安土城主。信長の嫡男で、信長死後の織田軍団をまとめる。


織田信雄(26)

 通称三介。伊勢松ヶ島城主。信長の二男。凡庸な男。


織田信包(41)

 伊勢上野城主。信長の弟。


織田長利(34)

通称又十郎。信長の末弟。信忠と共に妙覚寺を脱出した。


織田信張(57)

 織田家家臣。織田信長や信忠とは別の家系である。


蒲生氏郷(28)

通称忠三郎、飛騨守。信長から才覚を見込まれた逸材。本能寺の変の時に信忠の脱出を助けて信頼を得、その後も信忠の下でその才を活かしている。


滝川一益(59)

 通称左近将藍。伊勢長島城主。軍事を中心に多方面で活躍。


滝川雄利(41)

 通称伊賀守。織田信雄の家臣。滝川一益の養子。冷酷だが、軍事や政務、謀略に高い能力を示す。


土方雄久(31)

通称勘兵衛。織田信雄の家臣。


《その他》

足利義昭(47)

 足利幕府十五代将軍。信長に京を追われた後は毛利家に身を寄せていた。織田信澄と毛利輝元が和を結んだことで幕府再興がなった。


石田三成(24)

 元羽柴秀吉の家臣。織田家を出奔し、羽柴家再興を目指して活動。


※()内の年齢は全て数え年です。

 天正十一年四月二十二日。


 前日に引き続き、矢部、蜂屋隊に鹿背山城の押さえを任せた織田信澄は、毛利軍も含めた残りの軍勢二万八千を率いて木津川沿いに東へと向かった。


 今日未明、信澄の許に一人の使い番が現れた。その者が持っていた書状によれば、信澄が鹿背山城を攻めたのと時を同じくして、中山道を西上する信忠軍と信澄方の堀・吉川軍との間で戦いが勃発したらしい。敵軍の数は事前の情報と変わらず四万弱。近江の守りを任された堀秀政は第一の防衛線として瀬田川を定めていたが、圧倒的な数の差に、未の刻(午後二時)を過ぎる頃には瀬田川での防衛を諦めて、瀬田の唐橋を落として本命の大津城へと撤退したとの事である。


 信澄は合戦へと臨むその馬上にて、その書状の内容を反芻していた。信忠のことだ。早ければ今日には橋を架け直し、京への進軍を再開するだろう。堀秀政、吉川元春はどちらも戦上手であり、大津城の防御能力にも自信はある。それでも約二倍という兵力差は大きい。いち早く織田信雄軍を伊勢へと追い返し、援軍として駆けつけねば。


 信澄軍が野営していた場所から恭仁京跡へと至るには、途中小高い山地に挟まれた隘路を通らねばならない。そのため三万近い大軍を擁する信澄軍も細く長くならざるを得なくなる。当然奇襲が予想されるので、その対策として物見を派遣し入念に周囲を調べながら進軍することとなった。結果、いくつかの織田方の小部隊を追い払うことには成功した。


とはいえ、このような少数の兵にとっての絶好の地で全ての奇襲を防ぐことは土台無理な話だったのだろう。道のりの半分を過ぎ、山地への進軍を開始した頃と比べて織田方の部隊が減り、物見も慣れて油断が生じてしまった段階で、しんがりを往く毛利隊から悲鳴が上がった。


「敵襲です。左手にある山より、千人程の軍勢が現れ、毛利隊に攻めかかっております」


「むう。流石に全ての敵をあぶり出すことは出来なかったか。だがそう多勢でもあるまい。こちらは奇襲に動揺し、敵方はより多くの兵に見せかけようとしているはず。実際は精々数百程度だろう。時が経ち兵達の動揺が鎮まればどうということもない」


 万が一のため自軍後方の兵士に敵襲を警戒するよう命じたが、その心配は杞憂であった。前日の合戦で兵を損耗したとはいえ、進撃する信澄軍の中で信澄本隊に次いで多い一万一千の軍勢である。襲われた当初こそ浮足立った将兵が何人か殺されたが、すぐに立て直して敵軍を追い払った。


 その後は大きな敵襲もなく、遅々とした進軍であったが着実に山中を進み、日が高く昇る頃には開けた土地に出て、恭仁京跡を一望することが出来た。


「備えておるな。街道を塞ぎ、恭仁京を守るようにして兵を展開しておる。だが数は一万四千程。我らの半分でしかない。完成もせずに終わった恭仁京のように、瞬く間に滅ぼしてくれるわ」


 敵軍に合わせ、信澄も布陣を命じた。


 とはいえそう大きな移動ではない。行軍していた順番通り、細川隊、高山隊、信澄本隊の順で木津川沿いの右翼から左翼へと陣取り、しんがりかつ若干の損害を被っている毛利隊はその後方に布陣した。


対する織田信雄の軍勢は大きく四つに分かれている。恭仁京跡を貫く街道を塞ぐ信雄本隊五千を中心に、北側の右翼に織田長利隊三千、左翼に滝川雄利隊三千、木津川を挟んださらに南に織田信張隊三千が布陣している。織田長利、織田信張、それに鹿背山城に籠っている織田信包も含め、信雄軍が織田一門で固められていることがありありと見てとれた。


 信澄を挑発しているかのような陣容に、信澄は不快そうに鼻を鳴らす。


「ふん。織田を名乗りながら、織田姓のほとんどおらぬ我が軍に対する当てつけのつもりか。この場で皆血祭りにあげてくれるわ」


 そして、合戦が始まった。


 組頭の合図に合わせ、信澄軍の鉄砲隊が一斉に引き金を引いた。


 轟音が鳴り響き、辺り一帯を硝煙と砂煙が覆う。敵方からも銃弾が飛ぶが、視界の晴れない状態では命中は期待できない。この隙に各隊の将兵が突撃する。数の利を生かした攻撃である。そんな彼らを迎えたのは、先ほどの信澄軍の銃撃に匹敵するほどの弾幕であった。


「何、こちらの攻撃でかなりの数の鉄砲隊の将兵を減らせたと思ったのだが……」


 目を剥く信澄の許に、一報が伝わった。


「敵軍は前面に木の盾を並べ、こちらの銃撃を防いだ上でその隙間より我らを狙い撃っている由にございます!」


 その報告に信澄は歯噛みする。


「準備は万端という訳か……。だが、我が隊や高山、細川隊に手を緩める余裕はない。そこの者、今より西国探題殿の許を訪れ、今から言う儂の言葉を伝えて参れ」


 信澄から直接伝言を仰せつかった伝令は、すぐさま毛利隊へと走った。


「最初で躓いたとはいえ、我らは倍の兵力を持っておる。凡愚な信雄風情に負けなどせぬわ」


                * * *


 開戦から一刻が経った。


 初めこそ大きな損害を受けた信澄方であったが、数を頼みに攻めることで何人もの将兵が敵前に達して木の盾を払いのけ、また度重なる銃撃によりいくつかの盾を破壊することが出来た。


「怯むな! 未だ我らは優勢である!盾が健在な鉄砲隊は引き続き種子島を撃て。槍隊は鉄砲隊の穴を埋め、敵勢を討ち取れ!」


 信雄方の右翼を指揮する、織田長利は必死に将兵を叱咤する。


 織田長利は信長の弟である。しかし末弟であるため未だ齢は三十四。将来を嘱望される若手であった。


 しかし兵数の差は如何ともし難い。自軍の鉄砲衆が半数以上後ろに引くのを見て取って、長利は一つの決断を下した。


「残っている鉄砲衆は皆南に下がり、三介殿と滝川伊賀守殿の鉄砲隊を援護せよ! それ以外の者は皆それぞれの得物を握って存分に暴れるがよい!」


 応! と喚声が上がり、槍や刀を構えた将兵達が押し寄せる信澄隊左翼に対し突撃をする。防戦に徹していた長利隊の変化に戸惑う敵兵を、今まで鉄砲隊の後ろに備えさせられていた鬱憤を晴らさんと言わんばかりに次々と手に掛けてゆく。一方の信雄隊、滝川隊は、長利隊の鉄砲衆を組み入れて鉄砲隊を再編し、再び濃密な弾幕を形成する。


 押し返される形になった信澄勢だが、信澄はこれが敵勢に限界が来た証だと見抜いていた。


「純粋な刀槍による戦で、我らが負けるはずなかろう。それにそろそろ……」


 信澄が呟く矢先に、それは起きた。


                * * *


「者共、進め、進め!」


 長利率いる軍勢は兵数に勝るはずの信澄隊左翼を圧倒していた。


「よし、この分なら、上手くいけば三介殿、伊賀守殿の部隊、木津川、それに儂の軍勢で敵軍を包囲出来るやもしれぬ……」


 指揮官の意思が伝わったのか、長利隊は信澄隊左翼を崩すと、進路を少し南に変更した。


 だが、優勢に立ったと思った時こそ得てして最大の危機なのである。


 徐々に南下する長利軍の右手から喚声が上がった。


「どこの軍勢だ!」


叫ぶ長利の許に一人の使い番が駆けよってきた。


「一文字に三ツ星。毛利です!」


「くっ、敵か!」


 後方に控えていた毛利勢は、戦の序盤では南下し、木津川対岸の織田信張隊を牽制していた。その後滝川隊と交戦し、劣勢に立っていた高山、細川隊と交代して滝川隊を攻めていた。しかし信澄からの指示により、四千の兵を北から迂回させて長利隊の側面を突いてきたのだ。


 急ぎ兵を取りまとめ、毛利勢に対応しようとする長利。しかし、それまで対峙していた信澄軍が攻勢に転じて来たため、思うように転進できない。


 次々と長利隊の兵を屠って進撃する毛利軍に、長利は覚悟を決めた。元々鉄砲隊を放棄して攻勢に転じた時から、逆転は時間の問題だと分かっていた。かくなる上は存分に奮戦し、大将である信雄が撤退する時間を稼ぐまでである。


 長利は槍を振り回し、何人もの毛利兵を戦場に伏せさせる。そうやって毛利兵を倒す毎に疲労を蓄積させてゆく長利に、一人の若武者が槍を突き出した。


 今までの雑兵とは違う気配に、長利は口を開く。


「何奴!」


「儂は元就公の八男、末次少輔七郎元康! 名のある武将とお見受けする。いざ尋常に勝負!」


「面白い。儂は信長公の弟、織田又十郎長利! そっ首叩き斬ってくれる!」


 言葉と共に槍を突き出す長利。間一髪で避けた末次元康は、避けた勢いのままに穂先を長利の顔面に叩きつけようとする。


 その一撃をかわし次こそは槍で打ちすえようとした長利だったが、溜まりに溜まった疲労が長利に思い通りの動きをさせなかった。


 避けた勢いのままに足をふらつかせ、地で背中を打つ長利。その隙を逃さず、元康は槍を繰り出して致命傷を与え、首を取った。


「織田信雄方が将、織田長利を、毛利家家臣、末次元康が討ち取ったり!」


 高々と長利の首を掲げ宣言する元康。それがきっかけとなって、ただでさえ崩れかけていた長利軍の将兵は南へと壊走を始めた。


 その様子を、滝川雄利は木津川北岸の自陣から冷静に見つめていた。


「又十郎殿が討たれたか。しかし事前に言い含めていた通り、十分な時間を稼いでくれた。これで我らが殿は勝利にまた一歩近づいた」


 滝川雄利の視線は、逃げる長利勢、それを追う毛利勢の、さらに北に注がれていた。


                * * *


 織田長利が敗れたことで、末次元康率いる毛利別動隊と信澄本隊の矛先は共に信雄本隊へと向けられた。その差は四倍以上、瞬時に押しつぶし、毛利本隊と共に滝川隊を駆逐できるものと思われた。


「……又十郎殿のおかげで立て直すことが出来た鉄砲隊も、もう限界だ。敵勢は我が陣の奥深くにまで攻め込みつつある。我らも終わりか……」


 滝川雄利が自軍を指揮しているこの戦場で、信雄本隊の実質的な指揮を執っていた土方雄久が弱音を吐いた。その時、北から、意気軒高とした足音が轟いてきた。


 雄久は微笑を浮かべた。


「間に合ったか。うっ」


 ついに本陣に敵勢が達した。名も知れぬ雑兵に胸を貫かれた雄久は、朦朧としながらも本陣に振り返り、中央にある床几に誰も座っていないのを確かめると、そのまま意識を失った。


                * * *


 その報告を聞いた信澄は、怪訝な顔をした。織田信雄の本陣には軍勢の指揮を執っていたと思われる人物を除き、誰一人いなかったそうだ。その指揮を執っていた人物は現在頭のみとなって信澄の目の前にあり、その顔は信澄の記憶にある信雄の顔とは似ても似つかなかった。


「どういうことだ。まさか、織田信雄は自軍の将兵を捨てて何処かへ逃げたというのか」


 思考を巡らせる信澄の許に再び伝令が駆けこんできた。


「今度は何だ」


「き、北から新たな軍勢が現れ毛利別働隊を攻撃! 末次少輔七郎殿は討ち取られ毛利別働隊は崩壊、すでに敵軍はこちらへと向かってきております!」


「何!」


 すぐに信澄は悟った。全て囮だったのだ。長利隊の壊滅も、もぬけの殻の信雄本隊も。


「どこの軍勢だ!」


「対い鶴の紋、蒲生の軍勢です!」


「忠三郎か!」


 信澄は天を仰いだ。この合戦でも、信澄軍は完勝することが出来なかった。苦い思いを内に抱き、信澄は自軍に蒲生勢を迎撃することを命じた。


                * * *


蒲生勢の参戦より一刻程経った。日も既に落ち、疲れ果てた両軍の将兵には既に戦う気力は残っていなかった。


 滝川、蒲生といった終盤まで木津川北岸に残っていた部隊は南岸へと引き、両軍は形だけは木津川を挟んで対峙していた。だが、明日にでも鹿背山城を攻めたい信澄軍はゆっくりと兵を引き上げていった。信雄軍も、何もせず立ち去ってゆく信澄軍を見送り、その後元の恭仁京跡へと戻った。


「伊賀守よ、無事であったか」


 戦の始まる前から、木津川南岸の織田信張の陣に潜んでいた織田信雄が滝川雄利に声をかける。


「はい。こうして生き恥を晒しております。又十郎殿や土方勘兵衛殿に見せる顔がありませぬ」


「よいよい。又十郎殿と勘兵衛は残念であったが、悔やんで帰ってくるものでもない。あと忠三郎よ、よくぞ助けに参ってくれた。礼を言うぞ」


「ありがたきお言葉です。しかし、それがしがもっと早くに駆けつけていれば、お二人方も助けられたかもしれませぬと思うと……」


「顔をお上げなされ。蒲生殿が来なければ、我々とてどうなっていたやもしれぬのです」


「滝川殿……」


 そんな二人の前に、酒と杯が差し出された。見ると、伊賀口の総大将である織田信雄の顔は既に真っ赤になっていた。


 この当主の弟は、戦場のすぐ南であるこの地で、酒宴を開こうというのだ。いくら二倍の兵を追い返したと言っても、織田長利、土方雄久など有力な武将を何人も失った上での引分けであるというのに。


 しかし、二人共この男の扱いは心得ていた。信雄に合わせて何杯か飲み、酒宴に参加する。


 信雄が足元をふらつかせながら寝所へと向かった後、蒲生忠三郎氏郷は滝川雄利に声をかけた。


「又十郎殿と土方殿の死も、策の一環ですかな?」


「まさか。予定外の損失ですよ」


 二人は視線を交わした。その目は、些かも酔いの色を見せてはいなかった。


                * * *


 大和郡山城にその日の戦況がもたらされたのは、日付が変わろうかという頃だった。


「ふむ、管領殿はまだ鹿背山城を落とせてはおらぬのか」


「その東、恭仁京跡に潜んでいた織田信雄の軍勢と戦ったようです。恐らく明日には鹿背山城を落とすことでしょう」


 大和の領主、筒井定次の問いに家臣である中坊秀祐が答えた。前年の伊賀での戦いで先代当主筒井順慶が死に、筒井家はこの定次が継ぎ、いつの間にか中坊秀祐が寵愛されていた。


「早く落として欲しいものじゃのう」


「全くです。そうすれば殿が安全に出陣でき、管領殿の勝利も万全になりますのに」


「もしかすると、儂が最大の功労者ということになるかもしれぬな」


「伊賀奪還だけでなく伊勢や紀州辺りまで領地にできましょう」


「ははは。京へ向かうのが楽しみじゃ」


 主従が皮算用をして悦に浸っていたその時、外が一瞬昼間かと思うように明るくなった。


「何じゃ? 花火か?」


「何でしょうか。少し見て来ましょう」


「いや、儂も行こう」


 二人はゆっくりと立ち上がり部屋を出た。


 間もなくして彼らは真実を知ることが出来たが、その時には既に筒井家の命運は定まっていた。


 織田信張は信長や信忠の家系である弾正忠家ではなく、藤左衛門家です。なので織田一門とは呼べないかもしれません。

拙い知識で書いているので、間違いを見つけたら容赦なくコメントしてください。もちろん感想なども受け付けております。

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