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雨が降っていた  作者: D太郎
シエラと国
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思い出していた

 思い出していた。



 記憶が、漠然として曖昧だった時期の記憶は、少なくとも自分の過去のものだと理解できる記憶が戻った後も残ったままだった。

 その、曖昧な時期の終わりのころ、カラトは、とある町にいた。

 自分のことを、今まで世話してくれた黒い髪の女性は、つい先日いなくなっていた。彼女は、いなくなる前に、自分にこう言った。

「私がいなくても、あなたは生きていける。だから、あなたの命をどう使うかは、あなたが決めて」

 いなくなって、漠然とした寂しさはあった。ただ、それ以上に深く考えなかった。

 後になって思えば、自分の心の中の焦燥が何だったのかを、自分では分かってはいたが、あえて見ないようにしていたのだと思う。心の、防衛本能のようなものだろうか。

 ぼんやりとした日々を過ごすことになった。

 食料は、彼女が残していってくれた十分すぎる資金があったので、問題なかった。

 月日の経過を数えてはいなかったので、どれぐらいの日にちが経過したのかは分からないが、とある日。ぶらりと出かけた町の中の曲がり角で誰かとぶつかる。

 いつもの自分なら、軽々避けることができるはずだが、見えなくなった目の方から来られたので避けれなかった。

 ぶつかった相手が、倒れそうになっていたので、咄嗟に支えた。

「あっ、これは申し訳ありません」

 男が言った。

 その瞬間、一つの事柄が心中を支配した。

 男が、自分の重心を戻し立つ。

 男は、両目を閉じていた。

 何故閉じているのかという疑問よりも、ということは、こちらを認知できないということになるのではないのかということの方が、優先的に脳裏に過ぎった。

 声を発さなかった。できれば、このまま気付かれずに、済ませたかった。

「おや」

 男が言う。

「これは……まさか、一番会いたかった人に、こんなにすぐに会えるなんて」

 それから、嬉しそうな顔をして笑った。

「この懐かしい空気、すぐに貴方だと分かります」

 口を開く。

「お久しぶりですね、カラトさん」

 漠然としていた記憶が、強制的に整然とした。

 男の名を自分は知っていた。

「フォーン」

「はい」

 男は、はっきりと返事をした。

 それから、目の前にいるフォーンと向き合って立った。

「その目は……どうしたの?」

「都が王族の一派に制圧された時に、一時拘束されましてね、その時に潰されたのですよ。ただ、私を捕らえた者達が、私がフォーンだと分からなかったようで、その後すぐに解放されたのです。しかし如何せん目が見えないので、数日どこか分からないまま放浪することになってしまいまして」

 そう言う。

「とにかく、カラトさん達に会いに行かねばと思い、ひたすらに北に向かって進んでいたつもりだったのですが、どうやら東に進んでいたようでしてね。何日か経って、国境の辺りで、バンダイクというユーザ国の人と知り合い、その人に、十傑が解散したと知らされたのです」

 続く。

「私は、立ち直るのに随分時間が掛かりました。いや、今も立ち直っているのかと問われれば、はっきり言って分からないのですが……カラトさんも、なかなか鬱屈とした時間を過ごされた様子ですね」

「うん……」

 カラトは、そう言ってから、これまでの自分の経緯を、心の中で振り返った。

 それから無意識に、自分の見えなくなった目を触っていた。

「左目をどうかされましたか?」

「え……うん、見えなくなった」

「そうですか。私と同じですね」

 そう言って笑む。

 カラトは、目線を下げた。

「ごめん、フォーン。俺の所為で……後少しで、夢が実現するところだったのに。それに、目が……」

「私が両目を失い、あなたは片目を失いましたか。何か、高すぎる野望の代償のようなものなのかもしれませんね」

「俺の目は……少し違うのかもしれない」

「ふむ」

 それ以上は、聞いてこなかった。

「しかし、失うものばかりではありませんよ。私も、不思議と目が見えていたころには見えなかったものが、こうなってから見えるようになったりもしましたし」

 そう言う。カラトは、なんと返せばいいか分からなかった。

 しばらく沈黙。

「カラトさん、覚えていますか? 私とあなたが初めて会った時のことを」

 言われて、自分の記憶を探った。覚えている。

「たかが町の小役人に過ぎなかった私の夢を真剣に聞いてくれたのは、あなたが初めてでしたよ。だからこそ私は、あなたに賭けてみようと思ったのですが」

「俺は、役割が欲しかっただけなんだよ。自分の役割が。だから、それほど大した男じゃない」

「国を救うことが、自分の役割だと、すぐに納得できる人間を、普通の人とは言いませんよ」

 そう言った。

「カラトさん、私はこれから王女殿下の元へ行こうと思っています。そして、その方の元で、あの時の夢を、新たな国を作る手助けをしたい」

「王女?」

「再び、あの時の同じ報いを受けることになるのかもしれない。しかし、私はじっとはしていられなかった。これは、カラトさんが昔言っていた、理屈ではない感覚だと思ったのです。だから、私はもう一度、自分に素直になろうと思ったのです」

 フォーンが真っ直ぐ顔を向けてくる。

「カラトさんは、どうしますか?」

 カラトは、話の中身を理解しようとしていた。

「誰かが戦っているのか?」

「ええ。ご存じありませんでしたか」

「王女」

 再び、自分の記憶を探る。王女なんかがいただろうか。

「あ、いたいた」

 声がした。道の先から小走りで近づいてくる男には見覚えがあった。

 男は、ある程度近づくと、不思議そうな顔をして、自分とフォーンとを見比べていた。

「ん?」

 そう言ってから、二人を指さす。

「もしかして、二人は知り合い?」

「おや、もしかすると、ペイル殿のお知り合いとは、この方のことでしたか」

 フォーンが言った。

「ええ、少し前にここで知り合いまして」

 そう言い、こちらに目を向ける。

「でも、知り合いなら調度よかったよ。このフォーンさんも、殿下の所に行くんだから。もしよかったら、あんたも力を貸してくれないかい」

「力」

「そう。まあ、軽はずみに誘うわけにはいかないんだけど。なんたって、戦なんだからな。だから、細かい話をさせてもらいたいんだけど」

 ペイルが、そう言ってから黙る。返答を待っているのだろう。

 カラトは、フォーンを見た。

 それから、頷いた。

 やはり、自分も諦めきれない気持ちがあるのだ。それが、フォーンと会ってはっきりと分かった。

「分かった」

 そう言っていた。

「俺も行くよ」

 フォーンも、頷いていた。

「おお、来てくれるのか」

 ペイルが言った。それから、不思議そうな顔をして、首を傾げた。

「なんか、前の時と雰囲気が違くないか?」

 カラトは笑む。

「ま、いいか。よし、じゃあすぐに出発しよう。急がないと、肝心な戦いに間に合わないかもしれないからな。ちょっと待っててくれ。連れの人達を呼んでくるから」

 そう言って、駆けだしていった。

「ちなみに、カラトさん」

 フォーンの声がして、カラトは振り向いた。

「王女殿下のお名前は、シエラ様と言うそうですよ」

「シエラ……」

 何だか、妙に嬉しくなるような響きだった。
















 夜になって、召集をかけた。議題は当然、明日の戦い方ということになる。

 カラトのことを、元十傑ということで紹介をして、一番驚いていたのがペイルだった。

 軍議には、カラトとフォーンも呼んだ。


「俺みたいな新参者が加わってもいいのかい?」

 カラトが言う。

「誰も文句を言う人はいないでしょう。十傑のカラトといえば、軍人の中では伝説の人みたいになってるんだし」

 グレイが言った。

「伝説……」

「ところで、カラトと会って、殿下はどういう反応だった?」

「うん、まあ……なんというか、しっかりしていたよ」

 グレイは、その時の様子をカラトから聞いた。特に、会話はしていないという。カラトが、幕下に加えてほしいと頼んで、了承されたということだ。

「大きくなっていたから、びっくりしたよ」

「あれで、大きい?」

 数年前は、どれだけ小さかったというのか。

「三年か……大きくなるもんだな」

 カラトが、感慨深そうに言っていた。

 また、シエラが泣いてしまうのかもしれないと思い人払いをさせたのだが、思ったよりも、あっさりとした再会だったということなのか。意外だった。


 その後、シエラの幕舎に指揮官位の人間が集まった。珍しく、ダークも顔を出している。

 先の戦いの、総括から始まった。

「とにかく、あのフーカーズの騎馬隊をどうにかしないと」

 グラシアが言った。

「まず、あの速さに追いつける部隊が、こちらには無い。追いついたとしても、捕まえることができない。敵軍にゴールデンがいなくなったとはいえ、もう一度あの戦法できた場合、どう対処すればいいのか」

 しばらく、何人かが発言をしたが、特に効果があると思われる意見は無かった。


「カラトは、何かない?」

 グレイがそう言うと、下座にいたカラトに視線が集まった。

「俺の考えを言ってもいいかな」

 そう言う。誰も何も言わなかった。

 じゃあ、と前置きをして話し始める。


「はっきり言って、フーカーズとは、まともな部隊戦闘で戦うべきじゃない。もしも同数同質の部隊を指揮してフーカーズと戦ったら、俺でも勝てるとは思えない」

「カラトが、先頭で戦っても?」

「昔の俺なら、それで五分五分かな」

「昔?」

「今じゃあ、無理だな」

「だったら、どうするの」

「俺なら、こう戦う」

 そう言って、机の前まで来る。そして、机の上に広げられた配置図を使って、説明を始めた。

 それが終わった後、しばらく全員が呆然としていた。

 最初に声を発したのはダークだった。くつくつと笑い始める。

 それから、コバルトが笑い始めた。

「はは、なんかこういうの懐かしいなあ。そうそう、お前って奴はこういう感じの男だったな」

「こういうって?」

「旦那が言ってたぜ。常軌を逸しているって」

「うん?」

「ちょっと待って。だけど問題が一つあるわ。ダークが、まだ全快じゃないのよ」

 グラシアが言う。

「問題ない」

 ダークが言った。

「あんたの希望を聞いてるんじゃないのよ。あんたの体調次第で、作戦が瓦解する恐れがあるんだから」

「問題ないと言っている」

 ダークは、声を低くしていった。

 グラシアは口を噤んだ。それから、カラトの方を向いた。カラトは、一つ頷く。

 それで、作戦は決定になった。


「それでは、私の仕事は後方支援ですかね。今、物資の方はどうなっていますか? グラシアさん」

 フォーンが、一歩前に出て言った。

「一応、今はドーブっていう人が仕切ってる」

「では、そちらのお手伝いをしましょうか」

「そうね。じゃあ、後で紹介するわ」











 日が昇り、昨日とほぼ同じ場所で、再び両軍が対峙した。

 シエラは、再び全軍の後方、近衛部隊の中にいる。

 そして、昨日のことを思い出す。

 自分でも、驚くほどに冷静だった。いや、冷静というものではなく、ずっと呆然としていたのだ。

 会いたくなかったわけではないし、生きていてくれて嬉しくなかったわけでもない。

 もう会うことができないと思っていた。会えない覚悟をしていたのだ。その人が突然目の前に現れると、自分でも、どうすればいいか分からなかった。

 あまり、話もできなかった。何を話せばいいというのか。

 きっと自分は、平静ではいられなくなる。


「シエラ」

 声がしたので顔を上げる。すぐ横には、セピアとペイルがいた。

「あの眼帯の人、シエラの知り合いだったらしいな」

 セピアが言う。すぐ周りには他に誰もいなかったので、砕けた口調だった。

「そう……私の恩人なんだよ」

「へえ。まさか、あいつが十傑だったなんて……なんで、あんな所にいたんだろう」

 ペイルが言う。

「あんな所?」

「北の国境の近くの町で会ったんだよ」

 そういえば、生きていたのなら、この三年何をしていたのか。聞いていなかった。

「久しぶりの再会だったのだろ? その割には、なんだか辛そうに見えるが」

 セピアが言った。

 辛いわけじゃない。嬉しいはずなのに、あまりそういう感情が表に湧き起こらない自分が不思議だった。

 昔は、もし再会ができたなら、まず何をしようかといったことを考えていたような気がするのだが……。


「あっ」

 そうだ。

 シエラは、首飾りに触れた。

 返すことを忘れていた。

 カラトは、すでに前線の配置についている。

 今は、もう無理だ。返すのなら、後にするしかない。

 いや。それでは駄目だ。

 シエラは、居ても立ってもいられなくなり、馬を走らせた。

「シ、殿下!」

 そのまま、整列している集団の間を駆け抜けた。

「殿下」

 何度か、左右から声がした。辺りがざわつく。

 昨日の会議での配置図を思い出す。確か、正面の真ん中辺りだったはずだ。

 騎乗のグラシアが見えた。そこに向かって駆けた。

「えっ?」

 グラシアが振り返った。その近くに、カラトが立っているのが見えた。

「カラト」

 シエラは、声を上げた。

 カラトも、驚いたような顔をして、振り返る。

 シエラは、自分の首に掛けてあった首飾りを外した。それを、カラトに差し出す。

「ああ……」

 得心がいった顔をしてから、シエラに目を向けた。

 それから、カラトは微笑んだ。

「ありがとう。確かに、返してもらったよ」


 そう言って、首飾りを受け取った。






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