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雨が降っていた  作者: D太郎
シエラと国
93/103

馬蹄が迫ってきた

 馬蹄が迫ってきた。



 グレイは、焦っていた。

 敵の騎馬隊が、一直線にこちらに向かってくる。完全に、本陣を強襲するための部隊だ。

 今までのフーカーズの動きは、全て、この時の為のものだったのだと、今ならば分かる。

 迎撃するべきか、退避するべきか。

 兵数は、こちらの方が多い。しかし、敵は攻撃の軍で勢いがある。普通の軍同士の戦いならば、考えるような場面ではないのだが、ここにはシエラがいるのだ。万が一でも、シエラが危なくなる可能性があるのならば、避けるべきだろう。

 しかし、今は退避するにも難しい。下手に背を向けて逃げれば、追い打ちをまともに受けてしまうことになる。前にいる、ルモグラフ部隊と合流したいが、位置的に難しい。

 早く判断しなければいけない。しかし、分からない。


「迷うな、グレイ」

 シエラの声がした。見ると、強い視線を前方に向けていた。

「ここは本陣だ。ここが退くと、全軍に影響が出てしまう。だから、逃げない」

「しかし」

「もしも、敵が来るなら、私も戦う」

 そう言って、剣を抜いていた。


 グレイは、余計に焦った。しかし、もう軍を退かす余裕はない。敵は、あと五百歩ほどの所まで迫ってきている。

 腹を括るしかなかった。

「迎撃するぞ! 全員、武器を正面に構えろ!」

 グレイは声を上げた。

 それから、手綱を右腕に巻き付けて、左手で剣を抜いた。

 クロスの軍と戦った時と同じような展開のような気がする。ただ、以前よりは希望がある。そう思うことにした。


 敵騎馬隊の、先頭の者の顔が判別できるほど近づいてきた。金色の髪をしていて、手に持っている方天戟を、横に構えていた。

 停止したままの騎馬隊では、まともに敵の攻撃を食らうことになる。敵の勢いを挫くためには、こちらも、前進することだ。

「前進!」

 グレイは、剣を頭上で振った。

 部隊が、ゆっくりと駆け始める。

「ここは任せた」

 言って、グレイは部隊の先頭まで駆けた。

 そして、そのまま敵の先頭に向かって相対する。

 来る。

 敵の斬撃。グレイは、方天戟をかい潜って、横から剣で攻撃。しかし、当たらなかった。

 そのまま馳せ違う。グレイは、後続の騎馬との交戦になった。






 敵騎馬隊が、縦列の形になって突撃してきた。

「殿下、後ろに」

 セピアは言って、シエラの前に出た。

 いざという時は、自分が盾にならなくてはならない。

 がむしゃらに、こちらの軍をかき分けるように進んでくる敵軍の先頭の男には、見覚えがあった。

 こちらに来る。

 セピアは、槍を構えた。

 敵が、戟を横に払う。

 セピアは、槍でそれを弾いた。

 それで、馳せ違った。

 次々と、後続の敵騎馬が来る。セピアは、できるだけ正面で戦った。

 数人を負傷させたか、二人は落馬をさせた。こちらは、かすり傷がいくつかあるだけだ。

 次の敵が、乗っている馬の頭を狙ってきた。それで、馬が横に倒れる。セピアは、飛び降りて着地した。

 後続の敵が見えなかった。全員通り過ぎたのだろうか。

 振り返ると、シエラの馬が、膝を折っているところだった。

「殿下!」

 セピアと共に、周りの者も寄る。

 部隊の後方に、土煙が見えた。通過した敵が、反転してきている。

「誰か、殿下に馬を」

 一人の者が、馬を下りた。その馬に、シエラを下から押し上げた。

「走れ!」

 それで、馬が走り出した。騎馬の者が、追従していく。

 その後ろから、すぐに敵騎馬が追ってきていた。

 セピアは、槍を構えた。

 自分ができることは、ここで足止めすることだ。

 疾駆する馬の正面に立つことは無謀すぎる。少し横にずれて、先頭の者を、槍で攻撃する。

 手に衝撃。勢いが違いすぎた。槍が、手から離れてしまう。同時に体勢も崩してしまい、後ろに仰け反る。

 しまった。

 無防備、武器もない。敵の後続の騎馬が、目の前まで来ていた。

 もう駄目か。

 思ったとき、前方に影が現れた。

 それが、敵騎馬の攻撃を次々と弾いた。

 やがて、敵騎馬が通り過ぎる。馬蹄の音が、後方に遠ざかっていく。

 前にいた人間が、後ろに傾いた。セピアは、思わず後ろから抱き留めた。

「ペイル殿」

 ペイルが、虚ろな目を向けてきた。

「なあ、俺生きてる?」

「どこか、怪我をされたのですか?」

「それが、分からねえんだ。無我夢中だったからさ……でも、無傷なわけないよな。だって、あんな騎馬隊の前に出たんだぜ」

 セピアは、慌ててペイルの全身を見た。一見して、掠り傷以上の傷は見あたらなかった。

「なんて無茶を」

「お互い様だろ」

 そう言って、ペイルは笑った。






 グレイは、敵騎馬隊が通り過ぎた後、馬の速度を落として、振り返って後ろを見ていた。

 やがて、シエラを囲んだ小集団が駆けてくる。その、すぐ後ろに敵騎馬隊が迫ってきていた。

 グレイは、馬を反転させた。

「そのまま駆けて、本隊に飛び込め!」

 小集団にそう言って、すれ違う。

 再び、金髪の男と、相対した。

 剣が二本あれば、問題なく片づけることができるのに。

 グレイは、剣を構えた。

 金髪の男の方天戟とぶつかる。しかし、またもや馳せ違った。

 この男は、シエラの首しか眼中にないのだ。

 グレイは、すぐに馬首を横にした。それから、大回りに反転する。

 金髪の男が、シエラに追いつきそうだった。

 シエラの周りの者が数人、男に掛かっていくが、簡単に受け流される。やがて、男の攻撃が、シエラの乗っている馬の尻に当たった。

 馬が倒れ、シエラが投げ出される。

 着地をしたシエラは、すぐに剣を両手で持って、横に構えた。

 男が、初めて馬の速度を緩めた。

 そのまま、シエラに向かって進む。

 誰か、そいつを止めてくれ。

 叫ぼうとしたが、止まった。

 いつの間にか、シエラの前に、シエラに背を向けた男が立っていた。片目にしているのは、眼帯だろうか。

 グレイは、絶句した。






 戦況を見渡していた。

 作戦通り、ゴールデンが、敵本陣に強襲をかけていた。

 ゴールデンが、敵本陣に攻撃をすれば、当然敵部隊は、本陣を救援するために動く。すると、敵の戦闘形態が崩れる。

 予定通りだった。後は、パステルとインディゴに、総攻撃の合図を送る。

 それで、この戦は勝てる。

 フーカーズは、部隊を移動させながら、遠目に敵陣に切り込んでいるゴールデンを確認していた。

 すると、そのゴールデンの前方に、一人の人間が現るのが見えた。混戦の中でも、その人間だけは、すぐに識別できた。

 フーカーズは、言葉を失った。

 ゴールデンが、そのまま直進を続ける。前方にいる者を、まったく気にはしていない。

「よせ」

 言ったが、当然聞こえはしなかった。ゴールデンが方天戟を振った後、ゴールデンの首が飛ぶのが見えた。

 フーカーズは、少し目を閉じた。


「全軍、一旦引く。本隊に指示を出せ」

 部下に言ってから、フーカーズは馬を疾駆させた。







 グラシアは、何が起こったのかが一瞬分からなかった。

 こちらの本陣に突進していたゴールデンの騎馬隊が、突然ばらけ始めたのだ。策か何かかと思ったが、敵の総大将を前にしてのあの動きは、明らかにおかしい。

 何が起こったのかは分からないが、とにかく好機だ。今ならば、ルモグラフの兵と、自分の部隊とで、ゴールデンの部隊を一掃できる。

 そう思い駆けていると、いきなりルモグラフの歩兵を突っ切って、フーカーズ軍が飛び出してきた。

 シエラに攻撃するのではと、一瞬焦ったが、横にずれた。フーカーズは、散らばったゴールデンの部隊を纏め始めたのだ。

 そして、そのまま大回りで東に向かって駆け始めた。


「グラシア殿、敵軍が」

 部下の声がしたので、振り返り敵の本隊の方を見ると、緩やかに下がっていくのが見えた。

 どういうことなんだ。

 分からないが、自軍の誰もが、追撃を行わなかった。先ほどの、敵騎馬の強襲で、自軍は混乱しているのだ。

 とにかく、仕切り直すしかないということなのだろう。

 グラシアは、本隊に馬を走らせた。

 ルモグラフがいた。


「殿下は?」

「ご無事です。今は、本隊の中におられます」

 一つ、安堵する。

「何があったか分かりますか?」

 グラシアは聞いた。

「いえ、私も視認できませんでした。ただ、どうやら誰かがゴールデンを討ったようです。それでゴールデン軍が、勢いを無くしたのです」

「討った? 誰が?」

「それが、分かりません。部下が何人か見ていたようですが、片目に黒い眼帯をしている男だったようです」

「眼帯……」

 そのような男がいただろうか。

「我々も、一旦下がり、体勢を立て直します。それで、宜しいですか?」

「はい、お願いします」

 ルモグラフが指示を出し、全軍が、緩やかに移動を始める。

 グラシアは、ふと思い出した。

「あの、ブライトは……」

 言うと、ルモグラフが視線を横に向けた。それを追うと、全身の具足がぼろぼろのブライトが、馬上で威勢よく指揮をとっていた。











 ゴールデンが討たれた後、少しその場の時間が止まったような感覚に、グレイは陥っていた。

 呆然としていたシエラは、すぐに周りの部下に馬に押し上げられて、本隊の方に駆けていった。

 眼帯の男は、その場に立ったままだった。

 少し、俯いている。

 グレイは、馬から下りて、ゆっくり男に近づいた。

 五歩ほどの距離まで来て、ようやく男が、こちらに視線を向けた。


「やあ」


 心臓が高鳴ったのが分かった。






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