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雨が降っていた  作者: D太郎
シエラと国
79/103

馬を駆けさせていた

 馬を駆けさせていた。



 グレイは、本隊の陣に向かっていた。

 自分のところに、信じられない報告が届いたのだ。だが、詳細があまりよく分からなかった。何かの間違いのはずだ。

 陣の手前で、馬を飛び降り、そのまま駆けた。

 シエラの幕舎の前で、三人の人影が見えた。グラシアにコバルト、ルモグラフだと分かる。

 グラシアが、こちらに気づいたようで、こちらに視線を移す。

 それから、目線を下にした。

 愕然とした気持ちが、一気に心に広がった。

 足を止めて、立ち尽くす。

 しばらく、そのままでいた。


 さらに、しばらくしてから、ゆっくりと歩む。

「間違い……ないのね?」

 三人の前まで来てから言うと、沈痛な面持ちで、グラシアが頷く。

「今、こっちに遺体を運んでいる。明日には、ここに着くだろうって」

 グレイは、再び俯くしかなかった。

「一体、何があったっていうの?」

「……どうやら、ボルドーさんは、敵軍にいた昔の知り合いのオーカーって男に会いに行っていたみたい。だけど、それがそいつの罠だったようなの。数人の男の死体とともに、そのオーカーって奴の死体もあったそうだよ。たぶん、ボルドーさんが、相打ちにしたんだろうって」

 グレイは、少しその場面を想像する。

「一人で行ったのか」

 呟いた。

「そうだね。ボルドーさんにしては、軽率な行動だったとしか言いようがないよね……」

「殺しても死ななそうな人だと思っていたのにな」

 沈黙。

「シエ……殿下には?」

 グラシアに聞く。

「私から、もう話してある。気の重い仕事だったけど……」

「どんな様子だった?」

 少しの間。

「なんというか……まだ現実を受け止めきれていないって感じだった。理解しているのか、していないのか、表情を見ただけじゃあ、私には分からなかったわ」

「まあ、当然だよね」

 また沈黙になった。


「よろしいですか?」

 ふいに、ルモグラフが言った。

「悔やむ気持ちは、私も同じです。しかし、今現状は、戦いの最中です。ボルドー殿は、言わずもがな、この軍の中枢でした。すぐに、気持ちを切り替えて、我々で軍を纏め上げることに腐心するべきでしょう」

 他の三人が見合った。

「まあ、そうだね」

「うん」

「四人が揃っているか。ちょうどいい」

 突然、別の声が割って入てきた。

 シエラが、いきなり幕舎から出てきた。

 背筋を伸ばして、睨みつけるような表情をしている。

「グラシア、軍の体制は維持できるか?」

 シエラの言葉に、グラシアは一瞬どぎまぎしていた。

「は、はい。取り敢えずは」

「何が問題だ?」

 グレイは、完全に面食らっていた。

「ボルドーさんが担当していた仕事の引継を行うことと、彼が欠けることで起きる戦略の齟齬の修正が必要かと」

「何日で、できる?」

「そうですね……三日もあれば」

「では、四人は協力して新しい編成を主導しろ。戦略計画の新しいものを、三日以内に完成したものを私に上げてこい。私が言うことは以上だ」

 言うとシエラは、そこにいた四人を一通り見渡していた。

「何か、質問は?」

「ありません」

 ルモグラフが言った。

 もう一度場を見回してから、シエラは颯爽と幕舎の中に戻っていった。

 グレイは、しばらく呆然としていた。


「グラシア殿。実は、諜報部隊の隊長が欠けてしまったようで、ライトが判断を仰いでいます」

 ルモグラフが口を開いた。

「取り敢えず、ライトに諜報部隊の方の指揮も兼務するように伝達しておきます。よろしいですか?」

「あ、あの……軍事のことに関しては、ルモグラフさんに任せてもいいですか? 私たちじゃあ、付け焼き刃ですので」

「構いませんが……しかし今後、統括した決定権が必要になってくると思うのですが」

「そうですね……」

 グラシアは、考える仕草をしていた。

「とにかく、今後は定期的に話し合いをすることにしましょう。それでも、難しいようなら、また方策を考えるようにしましょう」

「承知しました」

 ルモグラフは、立ち去っていった。


 三人になる。

「殿下……どうしたんだ」

 グレイは疑問を口にした。

「きっと……こういう時だからこそ、ボルドーさんとの約束を守ろうとしているんじゃないのかな。ほら、覚悟ってやつ」

 唸る。

「悲しいのを必死で堪えているんだよ」

「そうなのか」

「ボルドーさんが抜けた穴は、滅茶苦茶大きいけど、私たちで何とかしなくちゃあね。私たちが、殿下を支えないと」

「そうだね」











 セピアは、馬を駆けさせていた。

 単騎だった。自分の配置されていた部隊から、勝手に抜け出してきていた。

 目指してるのは、本隊だ。

 駆けていると、別の道から、別の騎馬が見えた。同じ方向に馬を走らせている。

 乗っているのは、ペイルだった。

 目が合った。

 お互い、一つ頷いた。

 それから、ほぼ併走のかたちで、二人とも無言で馬を走らせた。

 やがて、本隊のいる砦が見えてくる。

 見張りに下馬を命じられたので、馬を下りる。

「どこの所属の者だ?」

 ここまで来て、どうやって中に入るか考えていなかったことに気がついた。思考を働かせたが、何もいい案が思い浮かびそうもない。

「特命だ」

 後ろにいたペイルが言って、セピアの前に出る。それから、懐から小さな紙を取り出していた。

「俺は、ボルドーさんの部下だ。緊急の用があって、ここに入らなければならなくなった。これが、通行証拠だ」

 見張りが、差し出された紙を見る。

「見本と照合してくるから、少し待っていてくれ」

「急いでるんだよ」

「駄目だ駄目だ」

 ペイルと見張りが、問答をしている中、セピアは砦の中を見た。

 三十歩ほど先を、グラシア、グレイ、コバルトが横切って歩くのが見えた。

「グラシア殿!」

 セピアは、手を挙げて声を出した。

 三人が、こちらに目を移す。

 あの三人の知り合いとなると、見張りも何も言えないだろう。セピアは、そのまま駆けだした。

「どうした? お前等、何でここにいるんだ?」

 グラシアが言う。

「シエラに会わせて下さい」

 セピアは、すぐに言った。

 グレイとグラシアが、少し目を見開く。

「二人とも、もう知っているんだな」

 セピアは、少し黙ってから頷いた。

「気持ちは分かる、でも駄目だ。今、殿下は、ボルドーさんと約束した、自分の覚悟と戦っているんだよ。お前たちに会ってしまったら、気持ちが揺るぐかもしれない」

 セピアは、首を振る。

「シエラにとって、ボルドー殿がいなくなってしまったことというのは、約束だからというだけで乗り越えられるようなものではない」

 思わず、声が大きくなる。しかし、そうとしか思えない。

「お願いします」

 いつの間にか後ろにいた、ペイルが言った。

 二人で、頭を下げた。

 しばらくの間。

「いいじゃねえか、行かせてやろうぜ」

 コバルトの声。

「あんたね」

「嬢ちゃんとの付き合いは、俺らより、この二人の方が、よっぽど長いんだ。俺は、この二人の意見の方が、尊重されるべきだと思うがな」

 グラシアとグレイは、ほぼ同時に唸った。


 少しして、グレイが息を吐いた。

「さっきの殿下は、いい兆候とかじゃなくて、むしろその逆かもしれないかもね」

 そう言って、グラシアを見る。

 グラシアも息を吐いた。

「分かったわ、行きなさい」

「ありがとうございます」

 二人が同時に声を上げた。






 シエラの幕舎に入った。

 シエラの幕舎は特別製で、他よりも大きい。入ってすぐに、大き目の空間になっていて、大きい机と椅子が並べられているのが見えた。生活空間ではなく、会議の間のようだった。。

 奥に、まだ空間があるのか、入り口のような所があり、そのすぐ横に、マゼンタが立っていた。

 目が合う。

「あの……」

 セピアが、どう言おうか考えていると、マゼンタは一つ頷いて、近づいて来た。

「宜しくお願いします」

 そう言うと、幕舎から出て行った。

 それから、奥に進んだ。

「殿下、セピアとペイルです。入っても宜しいでしょうか?」

 奥の入り口の前で言った。少し待ったが、返事はなかった。

 一度、ペイルと目を合わせる。

「失礼します」

 入って、すぐに驚いた。

 中は、真っ暗だった。

 手前の空間よりも小さい部屋だった。分厚い外幕を使っているのか、日の光を、ほぼ遮断しているようだ。灯りも、何もなかった。

 誰も、いないのではないか。

 寝台があって、棚がある。机があり、積み上げられた書物がある。

 その時、あるか無きかの小さな音が聞こえたような気がした。

 寝台と棚の隙間に、何かがあるのに気がついた。

 膝を抱えてうずくまっている、小さな人影だった。

「殿下?」

 セピアは、それに近づいた。

 人影が、顔をゆっくりと上げた。

 瞬間、セピアは胸が締め付けられるような感覚に陥った。

 シエラの顔が歪んでいた。頬は、すべてが濡れていて、唇は震えている。潤んだ瞳が、こちらに向いた。

「うう……」

 呻き声。

「シエラ」

 セピアが言うよりも先に、胸に衝撃があった。

 シエラが、飛び込んできていた。

「うああああああ」

 慟哭。

 それが続く。

 セピアは、何かを言おうとして、すぐに止めた。慰める言葉など、ありはしない。

 セピアは、力一杯、シエラを抱きしめた。

 自分にも、涙が出ていた。











 じっと、そのままの姿勢でいた。

 何度も、しゃくりあげていたシエラも、随分収まったようだ。まったく動かなくなっていた。

 顔をのぞき込むと、眠っていることが分かった。

 セピアは、何とも言えない気持ちになる。

 この顔だけを見ると、やはりまだまだ、シエラは子供なのだと思うしかない。いったい、この小さな体に、どれほど大きなものを抱えているというのか。

 ふと気になり、セピアは座った姿勢のまま振り返った。

 ペイルが、入り口の所で正座していた。両の握り拳を、膝に置いて、俯いている。こちらの視線に気がついたのか、顔を上げていた。

 セピアは、声に出さずにシエラが眠ったことを伝えると、寝台の上に、シエラを運んだ。

 それから、二人で幕舎を出た。

 グレイとグラシアが立っていた。

「どうなった?」

 グレイが言う。

「眠られました」

「そう……」

 二人ともに、暗い表情だった。

「戦いをやめたいとか、言ってなかった?」

「いえ、何も……ただ、やめることはないと思います」

「……どうして、そう思うの?」

「根拠は何もないのですが……殿下なら、そうするだろう、と思うのです」

 グレイが、腕を組んだ。

「実は、さっきの声、聞こえてたのよね」

「え?」

 さっきの声とは、シエラの慟哭のことだろうか。

「まあ、ここで微かに聞こえてただけだから、他には聞かれていないはずだけど」

「ああ……」

「それで、考えてみたんだけど……あなた達、殿下の近衛部隊に入ってくれない?」

 グラシアが言った。

「殿下の精神面を補助できるのは、あなた達しかいないと思うの」

「ですが、それは……」

「ボルドーさんは、殿下の精神を必要以上に追い込もうとしていた。それは多分、王としての資質を計ろうと、あるいは鍛えようとしていたんだと思う。だけど、それは本当に必要なのかなって、さっきの声を聞いて考えさせられたの」

 一つの間。

「ボルドーさんがいなくなってしまった以上、殿下の心の支えは、必要な事柄だとは思うのだけれど……」

 セピアは考えた。それは、願ってもないことではないか。あのような状態のシエラをそのままにして、戦いに集中ができるとは思えない。

 セピアは、二人を見た。

「分かりました。私でよければ」

「うん、頼んだよ」

「あの……」

 今まで黙っていたペイルが、声を出した。

「ん?」

 ペイルは、懐から紙の束のようなものを取り出した。

「実は、俺はボルドーさんの指示で、西の小城の、兵達の遺書を保存してある倉庫に行っていたんです。そこで、これを見つけて驚きました。用事をすませて本陣に戻る途中で、ボルドーさんのことを聞いて……思い立って引き返して、これを持ってきたんです」

 そう言って、紙の束をグラシアに渡した。

 グラシアの目が見開く。

「ボルドーさんの遺書?」

 グレイも、驚いたように紙の束に目を移していた。

 セピアも、横からそれを見た。

 その束は、大きく三つに分かれているようだ。表紙には、誰に宛てているのかであろう文字が書かれている。


 一つ目には「軍全体へ」と書かれている。二つ目には「元十傑の者達へ」と書かれている。


 最後の一通には「シエラへ」と書かれていた。






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