数日が経った
数日が経った。
都まで、あと五日ほどという話を聞いた。
前の町の飲食店で下働きを三日ほどしたので、取り敢えず都に到着するまでの資金は、何とかなりそうだった。
規模の大きい町で、シエラは、その大通りを歩いていた。
この町を越えると、南北に流れる大きな大河があるらしい。そこを越えるためには定期船に乗る必要があるようだ。河を越えるために、船というのがいまいち想像できなかった。
少し歩くと、道の先の中央に立っている人がいるのが目に入った。
シエラは、一瞬自分の心臓の音が聞こえたような気がした。
遠目でも、それが誰だかすぐに分かった。分からないはずがなかった。
周りより高い身長で、白が多い灰色の髪と髭。そして、温かい笑みを浮かべた顔。
シエラは、立ち止まった。
少しして、向こうから近づいてくる。
無言のまま、すぐ手前まで来た。
何と言っていいのか分からない。
しばらく、二人とも立ち尽くしていた。
「まあ……何だ。あちらの宿の一室を借りているのだ。そこで、話をせんか?」
ボルドーが言った。
「話?」
「ああ」
「何の話ですか?」
「いろいろだ」
いつもの口調だった。
シエラは、どうしていいのか分からず、視線をさまよわせていると、ボルドーが歩き始めた。
「あの、別れだって言っていたのに」
背中に言った。
「うむ……まあ、別れがあれば、出会いもあるということか」
振り返る。
「いや、すまん。これは言葉遊びだな」
そう言って、ボルドーは笑った。
ボルドーと共に、宿に入った。
言われた一室の扉を開いた瞬間、何かが正面から飛び出してきた。
避けきれなかった。
「きゃー! シエラだ! 久しぶりい!」
誰かが正面から抱きついてきたのだと分かる。聞いたことのないような口調だが、声には覚えがある。
少しして、声の主は、シエラとの密着を解いた。
「グラシアさん」
「覚えててくれたんだ。うれしいねえ」
グラシアが笑う。
「ちょっと、離れなさい。あんたの卑しさがシエラに移っちゃうでしょう」
別の女の声が、割って入った。
「酷いこと言うね」
その女の顔にも、懐かしさがあった。
「グレイさん」
「よっ、シエラ」
グレイは、片手を軽く上げた。
シエラは、何か不思議な感覚に包まれているような気分になっていた。
「あの……」
「まあまあ、取り敢えず座りなよ。お菓子でも食べる?」
グラシアが言った。
少し時間が経ってから、シエラはボルドーと対面で座った。他の二人は、ボルドーの後ろに座る。
「まずは謝らせてほしい、シエラ。ドライでの、わしの対応は、やはり拙かったと思う」
「そんなことは」
「そして、できればもう一度、きちんと話をしたいと思い、お前を追いかけてきたのだ」
ボルドーは言った。
「……話って何ですか?」
「というより、確認と言った方がいいかもしれんな」
そう言って姿勢を正した。
「お前が、王になりたいと言った言葉は、本気であると判断しよう。しかし具体的な方法は何も考えていない。違うか?」
そう言う。
「……その通りです」
シエラは、少し伏し目になる。
「でも、それは前提の知識が何もないだけで……」
「いや、すまん。責めているわけではないし、本気かどうかを疑っているわけでもないのだ。確認と言っただろう」
言葉を続ける。
「あまり知った口を聞けるような立場ではないが……シエラ。王というのはな……というより権力の中枢というところは、人の汚らしい嫌らしい部分が常時意識せざるを得ない場所なのだ。常識、或いは人道といったものが通用しないことなど珍しいことではない」
続く。
「と言っても、お前の歳では、おそらく想像することも難しいと思うが」
「だから止めろ、と?」
「いや、違う」
言葉を区切る。
「脅しているのだ」
そう言った。
「王になろうと思うということは、それを目指す過程の犠牲、そして、なった後の犠牲もどうしても意識しなくてはならない。そういうものだと、わしは思う」
続く言葉。
「想像もできないことに関して、覚悟も何もないと思うが、それでもしなければならないことなのだ」
一つの間。
「それらを踏まえて、今一度問わせてほしい」
そう言うと、姿勢を改めて正した。
「勿論、考える時間はある。すぐに答えなくてもいい」
そして、口を開いた。
「王になりたいか?」
ボルドーが言った。
ボルドーが何が言いたいかは、おおよそ分かる。分かると思う。自分が、想像できないこともあるということも、何となく分かる。
それは、あの日ドライの町で覚悟したことと、それほど誤差はないのだ。ないはずだ。
「……はい」
シエラは言った。
「そうか」
静かな声で、ボルドーは言う。
そして、座ったまま、ゆっくりと前に両手をつく。そこに、額をつけた。
気付くと、後ろの二人も同じ姿勢だった。
「では、我々はこれより、貴方様が王座につく道筋に尽力をするために、貴方様の配下としていただく、お許しをいただきたく願います」
ボルドーが言った。
シエラは、一瞬呆気にとられた。
しかし、すぐに意味が分かる。
自分一人で、どうこうできるものではない。誰にも、無関係でいられることでもない。
これも、覚悟の一端だろう。
少しして。
シエラは頷いた。
その夜。シエラが寝静まってから、三人は隣の部屋の、机の上の小さな燭台の前に、向かい合って座った。
「ちょっと、あの子には可哀想な気もするけどね」
グレイの言葉に、他の二人の視線が集まる。
「ずっと目上にいたはずの人が、いきなり敬語で頭を下げてきたら、ちょっと気持ちが滅入っちゃうんじゃないかなあ。特に、あの子の性格じゃ」
「ボルドーさんの言ってることも分かるけど、逃げ場をなくしてしまうような追い込み方は、やっぱりしんどいと思うけど」
グラシアの言葉に、ボルドーは口を開いた。
「オリーブで、お前が言っていたことだ、グラシア。逃げ道があると始めから分かっていては、持てる覚悟も持てなくなってしまう」
「まあ……ねえ」
「それに……これは、お前達だから言っておくが、シエラが本当に何もかもを投げ出し、逃げ出したくなった時は、その時は我々がシエラを逃がしてやろう」
二人が、少し驚く顔をする。
「ボルドーさんだから、簡単に言ってるんじゃないんだろうけど……そんなに簡単じゃないんじゃない?」
「それも、我々の覚悟次第だろう」
うなり声。
「二人とも、改めて聞くが、本当にいいんだな?」
ボルドーが、二人を見比べながら言った。
グレイが笑う。
「元々三年前も、私は主戦派だったっての。あの時の鬱憤を晴らせるっていうんだったら、寧ろ嬉しいね」
「グラシアは、抱えたものが大きすぎるのではないのか?」
「オリーブのことを言ってるんだったら、もうとっくに私の手から離れていってたわ。あんな大きなもの抱えたくもないし」
そう言った。
どこまでが本音か分からないが、二人とも歴戦の戦士である。やると言っているのだから、あまりしつこく問うべきではないだろう。
「分かった。では、これからの戦略の話をしようか。ただ、その前に」
ボルドーは、天井の方を見た。
「おい、いるんだろ。ダーク」
「えっ?」
二人も、上を見る。
少しの沈黙。
「何だ? 鉄血」
やがて、声が聞こえた。
「びっくりした。どこにいるんだよ」
「うっすらと人の気配を感じた。そんな所にいるのは、お前しかいないだろう」
ボルドーが言った。
「ダーク、何故ここにいる? 何故シエラについている?」
返答はない。
ボルドーは、息を吐いた。
「ダーク、先ほどの話は聞いていただろう。お前が協力してくれるのか、どうかを聞いておきたい。これだけは答えろ」
少しの間。
「しない、と言ったら?」
「ここで、お前の息の根を止めておかねばならんな」
その言葉に場の空気が、少し緊張した。
再びの間。
「なかなかに、魅力的な言葉だな」
そう声。
「だが、まあ今は違うな」
「……どういうことだ?」
「俺が面白いと思えば、あんたらの指示にも従ってやるさ。ただ、小娘の配下になるつもりはない」
「分かった。それでいい」
少しして、気配が消える。
「あいつ、一体何がしたいの?」
「さあな。ああいう利己主義者の思考など、考えないほうがいいのかもな」
ボルドーが、再び息を吐いて言った。
「さて、話を戻そう」
ボルドーが言う。
「シエラを王にするために最も分かりやすく、容易いように感じる方法は、王宮に乗り込んで、二人の王子を抹殺という方法だろう。それで、正当な王位継承者はシエラだけになる」
グレイが、吹き出した。
「それはまた……分かりやすいっていうか大胆だねえ」
「はっきり言って、これは出来なくはないと、わしは思う。わし達三人と、ある程度の手練れが五十人ほどいれば、生還を考えないという条件をつければ成功する可能性は高いだろう。あと、王子の護衛に、元十傑の誰かがいないという条件もつくが」
グレイが苦笑いをしている。
「しかし、この方法は最後の手段にしたい」
「最後?」
「二人の王子を暗殺すれば、それで済むというようにはならないと、わしは思うのだ。そんなことをした後、シエラが王宮に入っても、後ろ盾が何もないので周りが敵だらけだ。王座を維持するための政争に明け暮れるしかない状態になる可能性が高い。無論、王子を暗殺したという負い目もある。民衆の指示も受けにくいだろう。そんなことは、シエラが目指す変革でもなければ、我々が目指そうとしたことでもないはずだ」
「王子とあわせて、その敵も同時に駆逐するのは?」
グラシアの発言。
「そういう人間の見分けが難しいし、具体的な数も分からない。それは、現実的ではないだろう」
「そっか……」
「そして、王の娘だと名乗って、中央に正面から入っても同じ事になるだろう。ドライで手に入れた、一連の品があったとしてもだ。いや、二人の王子が生きているので、もっと凄惨なものになるかもしれん」
「そういえば、そのドライで手に入れたっていうのは、今ボルドーさんが持っているの?」
ボルドーは、頷く。
「理想を言えば」
と前置き。
「正規の軍同士の戦いをし、堂々と倒す。それができれば民衆にも分かりやすいし、現重臣を問答無用に一掃できるので、その後の政事もやりやすくなるだろう」
二人の唸り声。
「それはつまり、内戦だね……」
「そうだな。カラトが避けようとしていた内戦を、我々が起こすのも皮肉な話だが。だが、あの時とは国内事情や、他国との状況も違っている。短期間で終わらせることができれば、最小限の傷で済ませることができると思う」
再び唸り声。
「この場合、まずすべき事は、スクレイのどこかに拠点を作り、大々的にシエラのことを喧伝し、人を集める。正面から国軍と戦うのなら、せめて始めは、最低でも……三百はほしいところだな」
「たった三百?」
「少ないように感じるかもしれないが、それだけいれば軍の態はなせるし、局地戦で勝ちを拾っていければ、人数も増やしていけると思うのだ。だから、まず拠点を作るところから始める。それから、人を集める。そうだな……十日ほどで、三百人以上集めれば、今言った方法でいく。三百人集まらなければ、拠点を放棄して、先に言った最後の手段を検討する、というものが、わしの考えだが」
ボルドーは、二人を見比べた。
「ここまでで異論はないか? わしばかりが話してしまっているが、遠慮せずに意見を出してほしいのだが」
「いや、感心して聞いちゃってたよ。一戦を退いて三年以上も経っているのに、流石は鉄血将軍だなって思った」
グレイが言った。
「私も、特に違うと思ったところはないね。まあ、勢力を作る手間と労力も、ボルドーさんだったら、分かって言っているだろうし」
続けて、グラシアが言う。
「よし、では決まりだな」
「あ、でもシエラを加えて話した方がいいんじゃない?」
「当然、ここで出した結論は、明日シエラに最終の判断はしてもらう。あくまでも現実的に考えて、無理に議論に参加させる必要はないと思っただけだ」
「うーん」
グレイが唸る。
「まあ、先は長いんだから。細かい話まで耳に入れる必要はないってことでしょう」
「そっか」
「それから二人とも、少なくとも人がいる場では、言葉遣いには気をつけろよ」
ボルドーは立ち上がった。
「では、さっそく準備に取り掛かろうとしようか」
二人も立ち上がる。




