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雨が降っていた  作者: D太郎
カラトと十傑
45/103

馬が潰れそうだった

 馬が潰れそうだった。



 ボルドーは、それでも構わず駆けさせた。

 タスカンの町に着く。速度を落とさず、進入した。

「どいてくれ!」

 道を行き交う人々が、慌てて左右に避ける。

 政務所の前で、馬が潰れた。転がり落ちる。

 門兵が驚いた顔をして駆けてきた。

「将軍」

 門兵を無視して、ボルドーは政務所に入った。

 突き当たりにある扉の前に、オーカーと数人が暗い面持ちで話をしていた。タスカンにいる医師の姿も見える。ボルドーを見ると、皆驚いた顔をした。

「将軍」

 ボルドーは、そこに近づいた。

「この中か?」

 オーカーは、何も言わず、うなだれた。

 ボルドーは、その奥にある部屋に入った。

 簡素な部屋で、隅に窓があり、その横に寝台が一つあった。

 その上に男が一人、横になっている。

「よお」

 男が、視線だけをこちらに向けて言った。

 ボルドーは、寝台に近づいた。男は、見る影もないほど痩せ細っていた。

「悪いな、手間かけさせちまって」

 男の目にだけは、力があった。

「アース……いつからだ?」

 ボルドーが言うと、アースは、ふっと微笑む。

「……お前に独立の話をした、少し前ぐらいからかな」

「何故、黙っていた」

 ボルドーが言うと、アースは視線を、外に向ける。

「あのころは、そんなに心配してなかったんだよ。絶対に治ると思っていたからな」

「症状が悪化してからも、言う機会はいくらでもあっただろう!」

 思わず、大声になった。

 沈黙。


「言えるわけ、ねえだろ」

 アースが、静かに言う。

「お前が、前線で戦ってんだ。それを邪魔だけは、絶対にしたくなかった」

「邪魔?」

 アースが、こちらに視線を戻した。うっすらと微笑んでいる。

「お前が、生き生きとしていることが、ここからでも分かった。お前は戦人だよ、ボルドー。お前が、やっと得ることができた戦いの邪魔だけは、絶対にしたくなかったんだ」

「……邪魔では、ないだろう……」

「それにな、この数日で良く分かったんだ。俺は、人の上に立つ器量じゃない。俺には、その力はない。ただ俺は、お前を後ろから支えることができる。それこそが、俺がやりたかったことだったんだって、ようやく分かったんだ」

 アースは、力なく笑った。

「俺が、自分の生き甲斐を止められると思ったか?」

 ボルドーは、何も言えなくなった。

「ただ、夢の半ばで、俺がいなくなることは、本当にすまないと思っている」

 沈黙。


「ボルドー」

 アースが言う。

「南から来ているスクレイ軍に、降伏するんだ」

 沈黙。


「スクレイに降っても、おそらくタスカンの皆は、当分惨めな思いをすることになるだろう。だからお前が、皆を支えてやってくれ」

 ボルドーは、アースを見ていた。

「今回の独立騒動は、俺が一人で主導してやったんだ。スクレイの軍には、そう言ってくれ。首謀者はアースだ、とな」

 アースは、息を吐いた。

「これを、生きている内に言いたかったんだ。なんとか間に合ったな……」

 言うと、アースは疲れた息を吐いた。


「アース、お前は卑怯な男だ」

 ボルドーは、何かを言いたかった。やっと口から出た言葉だったが、言いたいことではない気がする。

 アースは、再び微笑んだ。

「本当に、すまない」

 そう言って、ゆっくりと目を閉じた。

「頼んたぜ、ボルドー……」


 その後、一度も目を覚ますことはなく、二日後、アースは息を引き取った。











 どれほど時間が経ったのか分からない。

 ボルドーは、アースの遺体の横に座っていた。

 窓から入ってくる光に気が付いた。もしかすると、何日か経っているのかもしれない。

 ボルドーは、部屋を出た。


 数人の将校が、驚くように腰を上げた。ずっと、ここにいたのか。サップの姿も見える。

「将軍!」

 涙を流しながら、サップが叫んだ。ほとんどの将校も涙を流していた。

 そういえば自分は、まだ涙を流していないなと、ふと思う。

「今後の方針を言う」

 ボルドーは言った。

「タスカンは、スクレイに降る」

 将校達から、嗚咽が聞こえた。

「アースがいなくなった今、もうタスカンを単独で維持することは無理だろう」

 ボルドーは、サップを見た。

「サップ、事が終われば、お前がスクレイ軍に使者として発て。そして、今回の件の事情を説明するのだ」

「将軍?」

「今回の件の首謀者は二人、アースとボルドーだとな」

 将校達に、動揺が走ったことが分かった。

「どういうことですか!?」

「言ったとおりだ」

 ボルドーは、政務所の出口に向かおうとした。将校達が、それを遮る。

「どけ」

「何をする気ですか」

 ボルドーは、黙った。

「私も、お供いたします」

 サップが言う。他の将校も、頷いている。

 ボルドーが、やろうとしていることを感づいて、その上で言っているのかもしれない。

「必要ない」

「将軍!」

「うるさい!」

 ボルドーは、サップを殴り飛ばした。サップは、壁にぶつかって倒れた。

「俺の行動に異議がある、という者は、力ずくで止めてみろ」

 ボルドーが言うと、数人が飛びかかってきた。

 ボルドーは、全員を殴り飛ばしていった。一度殴っても、立ち上がり再び飛びかかって来る者もいる。全員を昏倒させるまで、数十分かかった。

 ボルドーは、息が上がっていた。


「……後のことは、よろしく頼む」

 ボルドーは、そう呟いて、政務所を出た。






 タスカンの南の関から外に出た。一人である。

 偃月刀を、横に立てる。

 ボルドーは、静かに待っていた。


 もう、去り時なのだろうと思う。思いがけず、長生きしてしまった。

 それでも、最後に生き甲斐が与えられたということは、軍人としては幸せなのかもしれない。ただ、アースまでいなくなって生きようとは思わない。


 最後は、戦って死にたかった。

 それこそが戦人だろう。

 心が静かだった。


 やがて、前方に土煙が見えてくる。スクレイの旗が見える。

 ここに来たということは、南下したクロス軍を破ってきたのだろう。予想していたよりも早かった。

 遠目にも実力があることが分かる部隊だ。整然としている。

 ボルドーから、五百歩ほどの距離で、スクレイ軍は停止した。その中から、二人の人間が、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。


 そうか、とボルドーは思った。一人で立っているのだ。相手は、自分をタスカンからの使者か何かと思ったのかもしれない。ということは、あの二人は、相手方の使者だろう。

 ならば、あの二人の首を飛ばしてから、あの軍に突っ込んでいけばいい。そうすれば、問答無用に、敵だと判断してくれるはずだ。


 そう考えていたが、しばらくして、その考えは変わった。

 歩いてくる二人は、かなりの使い手だと感じたからだ。

 一人は、黒い髪の男で、細身で若い。もう一人は、髪が白い。そして、真っ黒い軍装を着ている。両方とも、見たことがない男だった。

 成る程、こんな男達が現れたから、スクレイ軍が強くなったのか、と納得する。


 二人は、何か話しながら歩いてきている。すると、ボルドーから二十歩ほどの距離で、髪の白い男が立ち止まった。憮然とした表情で腕を組んでいる。髪の黒い男は、そのままボルドーに近づいてくる。

 十歩ほどの距離になって、男は、鞘から剣を抜いた。そして、心気を放ち始めた。


 ボルドーは、何かを感じた。

 もしかすると、この男は自分が何をしようとしているのか、分かっているのではないか。そして、その上で一対一での決闘をしようとしているのではないか。

 若造が、という思いと、おもしろい、という思いが沸き起こる。

 ただの若気の至りではないことを期待する。

 この鉄血のボルドーの、戦歴の集大成をみせてやろう。

 そして、戦うだけ戦って、散っていこう。


 ボルドーは、偃月刀を構えた。






 どちらともなく、一歩を踏み出した。

 間近で見て、やはり若い、と思った。二十代そこそこといったところか。この若さで、これほどの心気を持っていることは驚嘆に値する。

 彼を殺せば、スクレイの戦力的損失は大きいだろう。だが、そんなことを考える場ではない。

 ボルドーは、偃月刀を横に払った。

 男は、状態を低くしながら、剣で偃月刀を受け流した。

 思わず、唸りたくなった。鮮やかという言葉しか浮かばない。

 男が、下から剣を切り上げてくる。ボルドーは、柄で受け止めた。

 男は、巧みに体全体を使った連続攻撃を掛けてくる。それを防いだ。

 見たことがない剣術だ。しかし、それほど威力はない。手数を稼いで、戦う型と見た。

 ボルドーは、男の一手先を読んで、男の剣を、偃月刀で弾いた。男の体勢が崩れる。

 偃月刀を頭上に構えた。一刀両断で終わりだ。

 思ったよりも呆気ないと思った。期待しすぎてしまったか。

 偃月刀を振り下ろす。が、手応えがなかった。

 男が、横回転しながら、攻撃を横にかわしていた。

 男の剣が、横から飛んでくる。紙一重で、なんとか避けた。

 再び飛んでくる剣撃を、今度は受け止める。

 力が増していた。回転を加えたことで、威力を上げているのか。

 意表も突かれたこともあり、防戦一方になる。なんとか、防ぎきっているという状態が続く。

 おもしろい戦い方だが、この程度で自分を倒せると思われると心外だ。

 ボルドーは、偃月刀を両手で持ち替えながら、一歩前に出た。腰の回転を加え、横に払う。

 男は、咄嗟にそれを剣で防御した。衝撃で、男の体が五歩ほど下がった。

 いい判断だ。避けようとしていたら、胴が離れていただろう。

 男が、笑みを浮かべている。

 自分も、おそらく笑っているだろう。

 両者が、再び接近した。











 空が、赤くなっていることに気が付いたのは、ボルドーの手から、偃月刀が離れた時だった。


 男の攻撃に耐えうる握力を、もはや持ってはいなかった。偃月刀は、ボルドーから十歩ほどの地面に突き立った。

 ほぼ、一日戦っていたということか。

 集中していて気づかなかったが、男は全身浅手だらけだった。自分もそうだろう。

 息が上がりながら、ボルドーは笑った。男も息が上がっている。

 こんな男、今まで一体どこにいたというのか。これほどまで戦いに没頭できたのは初めてかもしれない。

 だが、もうこれで終わる。


 ボルドーは、ゆっくりと胡座をかいた。

「切れ」

 ボルドーは言った。

 男は微笑むと、剣を鞘に納めた。

「ちょっと尊大な言い方になってしまうかもしれませんが、さすが見事な腕前です、将軍。こんなに苦戦するとは、思ってませんでした」

「言ってくれる。だが、尊大になってもおかしくはない実力をお前は持っているぞ。この俺に勝ったのだからな。まあ、これはこれで、俺が尊大な言い方になっているのかな」

 男は、軽く笑う。

「改めて再認識しました。スクレイが勝つためには、やはり貴方の力が必要です」

 そう言うと、男は一歩近づいた。

「俺たちに、力を貸していただけませんか? 将軍」

 男が何を言っているのか分からなかった。

「……どういうことだ?」

「言葉の通りです。俺たちは、貴方に会うためにここに来たのですよ」

 男が言う。いつの間にか、白い髪の男も近くにいた。


 男は、自分達の目的というものの説明を始めた。戦に勝つ事と、国を変えたいという事、この二つを特に熱を持って話していた。

「アース行政官が、このタスカンで行った政こそ、俺たちが目指しているものに近い。この戦に勝てれば、スクレイ全体をそういう国にできると、俺は思うんです」

 ボルドーは、若いこの男を見つめていた。おそらく、自分の眉間には皺が寄っているだろう。

「お前、名は?」

「カラトです」

「歳は?」

「二十三になります」

「二十三……」

「若すぎると懸念されるかもしれませんが、俺は、こういうことは歳は関係ないと思うんです」

「勧誘するつもりだったと言ったが……だったら何故、俺と戦った? どちらかが死ぬ可能性の方が高いだろう」

「話の現実味を分かってもらうのに、一番手っ取り早いと思ったからですよ」

 言うと、カラトという男は微笑んだ。


「協力してもらえても、もらえなくても、今回の独立騒動で誰も罪に問うつもりはありません。当分、人の配置もそのままにしておくつもりです。もし、支援が必要というのなら、上に掛け合ってみます」

 言葉を続ける。

「もし、協力してくれるというのなら、俺を訪ねてきて下さい。おそらく近々、クロスの本体が南下してくるかもしれないので、それに備える場所にいると思います」

 カラトは、一歩下がった。

「では……」

 軽く頭を下げると、二人とも去っていく。しばらくして、スクレイ軍が遠ざかっていった。

 ボルドーは、しばらく立ち上がれなかった。


 不思議な心持ちだった。

 感銘を受けたというわけではない。どこか、あのカラトとかいう男の話を、馬鹿にするような気持ちで聞いている自分がいたのは間違いない。

 何を今更……。そう考えるのは当然だろう。

 もう死ぬつもりだったのだ。死んで終わりにするつもりだった。それを無為にされて、腹が立つと思ったが、そうはならなかった。

 だが、はたして自分は、まだ戦うことを許されるのだろうか。

 誰に許してほしいのか……。



 気が付くと、山並みの向こうの空が白くなっていた。






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