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雨が降っていた  作者: D太郎
カラトと十傑
43/103

旗が靡いていた

 旗が靡いていた。



 ボルドーは、その旗を見つめていた。スクレイの旗である。

 タスカン地方の、北の関。その城壁の上に、ボルドーは立っていた。


 スクレイ国、バーント王が崩御されたのは、僅か一ヶ月前だ。その直後、北の国クロス、東の国ユーザが同時進行をかけてきた。

 狙い澄ました時機だった。王の崩御は当然、最高秘匿事項だったが、すべて情報が漏れていたようだ。おそらく、病が篤くなったころから、準備をしていたのだろう。でなければ、あの時機での進行はありえない。

 さらにスクレイは、正式な後継が決まっていなかったので、余計に中央は混乱した。あろう事か、国境で戦いが行われている最中でも、王子同士の足の引っ張り合いは続いていたのだ。そのために、国境の守備部隊は、殆どが何の支援も受けることができなかった。

 それでも、国境の将軍たちは、国に殉じた。よく知っている男も何人もいた。敬意を持てる男たちだった。

 彼らは、無駄死にだと言う者もいるだろうが、本人たちは、軍人というものを全うした、そう思っていただろう。それを、否定することはできない。

 ボルドーも、十年前の自分だったら、同じことをしたと思う。

 しかし、今のスクレイに殉ずるなど、虚しいだけだ。


 国に対しての、忠誠心が薄らいできたのが、ほぼ十年前だ。バーント王が、痴呆のような症状になり、正常な思考ができなくなった。そのころから、宮中の取り巻きたちが、好き勝手な振る舞いを始め出す。特定の個人が、力を持ったというわけではなかったが、彼らは自分達の邪魔者を消すことに関してだけは、異常な連帯感を発揮した。

 忠信を持った有能な人間を、力の持てない地に飛ばす。或いは、国境に送り込む。邪魔な者は、無実の罪を擦り付けてでも、排除していた。

 ボルドーは、十年よりも前から、国境の一部署の守備を統括していた。自分の役職には不満はなかったが、これでいいのかという思いも当然あった。しかし、高官たちを糾弾しようとした者達が、処刑や放逐されていくのを横目で見ていて、そういう気力も薄らいでいった気がする。

 ある時からボルドーは、タスカン地方への異動を中央に申請をするようになった。受諾される期待は、あまりしていなかったが、思ったよりもすぐに、それは認可されることになった。


 タスカンは、スクレイ北東に位置する、山に囲まれた田舎の地域だった。人口は少なく、物産も少ない。そこは、出世に頓挫した役人が送られるような所だった。

 だからこそ、すぐに受諾されたのだろうが、それでも、珍しいと思った。

 ここ数年は、中央に対して腹の立つことばかりだったが、たまには、気の利いたことをしてくれる、と思った。

 ボルドーが、その地に異動したかった理由は、アースがタスカンの行政長だったからだ。それが、理由のすべてだった。


 アースは、国軍の入隊の同期だ。今となっては、同期はアースだけになってしまった。歳は、ボルドーよりも三つ下だが、砕けた言葉で話し合える数少ない男だった。

 彼は、あまり軍事面での才能は無かった。だが、昔から根気と粘り強さは人一倍あった。そして、人当たりが良く、周りから好感が持たれる男だった。

 結局アースは、十五年前に軍人から内政官になる。悲観からではなく、むしろ発展だと、本人は笑って言っていた。その言葉通り、アースは内政の分野で目覚ましい成果を上げていった。

 だか、それは当然、奸臣達の目障りになった。十年ほど前に、アースはタスカンに異動になる。


 ボルドーは、アースの下で働きたいと思った。せめて、そこで命を懸けたいと思った。だからこそ、ここに異動をしたかったのだ。

 そして、一年前にここに来た。


 ボルドーは再び、城壁から遠方に目をやった。

 もうそろそろ、クロスの先陣が見える所まで来ていても不思議ではないはずだ。斥候は放っていたが、あまり遠くまで行かせていない。

 ボルドーには、思うところがあった。


「将軍、アース様から伝令が届きました。すぐに来るように、とのことです」

 部下の兵が、駆けてきて言った。

「分かった」

 待ちに待った伝令だった。


 ボルドーは、すぐに城壁を降りた。











 北の関から、一時間ほど馬を南に走らせた所に、タスカンの中心となる町がある。規模は、都などとは比べようもないが、ここ十年で驚くほどに人口は増えていた。

 人々は、当然戸惑っているだろう。何しろ、最後にスクレイ国内で戦が起こったのは、もう五十年以上昔の話だ。おまけに、中央の混乱である。


 ボルドーは、馬を並足にして、騎乗のまま町に入った。

 すぐに、場がざわめく。

「将軍、敵はもうそこまで来ているのでしょう!?」

「我々は、タスカンはどうなるのですか!?」

 ボルドーの姿を確認した住民たちが、集まってきて口々に叫んだ。

「皆、落ち着いてくれ! 対応が全て決まっているわけではないので、詳しくは何とも言えないが、今こそ、戦になった場合を想定して行った訓練を思い出すのだ。敵は、我々が必ず食い止める。だから、落ち着いて準備を済ませてくれ」

 言葉だけで、混乱が落ち着くとは思っていなかったが、思った以上に場は落ち着いた。住民は、皆ボルドーに眼差しを向けていた。

 恐怖や、怯えといった目ではない。何というか、覚悟や決意を持った目だと思った。


 ボルドーは、政務所に入り、アースの執務室に向かった。

「アース、俺だ。入るぞ」

 扉を開ける。正面に大机があり、その向こうに椅子に座ったアースがいた。彼の定位置だ。

 茶色の髪が、無造作で寝癖が立っているのは、いつも通りだ。肌が焼けていて、体格がいい。おかげで、役人の服がまったく似合わない。

 アースは、机に両肘を立てて、両手を顔の前で握りしめている。少し俯いていて、目を閉じていた。

 これは、滅多に見ない表情だ。

 ボルドーは、黙って入り口の前に立っていた。


 しばらくして、アースが口を開いた。

「……なあ、ボルドー。ここんとこ、ずっと考えていたことがある」

 低く、ゆっくりとした口調で言う。

「それで、ようやく決めたよ」

 そう言って、アースは顔を上げて、こちらを見た。

「タスカンは、スクレイから独立しようと思う」

 沈黙。


「はっきり言って、もうスクレイは駄目だ。このままいくと、タスカンも、スクレイの道連れになっちまう。俺は、そんなのごめんだ。だったら、タスカンはタスカンで独自にやっていった方が、まだ生き残る可能性はあると思うんだ」

 ボルドーは黙っていた。アースは、言葉を続ける。

「昨日、中央から命令書が届いた。敵を食い止めろ、物資はお前等で何とかしろ、だとよ。さすがに頭に来たぜ。奴ら、地方をただの足止めだとしか思ってねえ」

 さらに続ける。

「タスカンは、山に囲まれた天然の要塞だ。守るだけなら、独力でもきっと戦えるはずだ。そして、三国に囲まれたこの場所は、見ようによっちゃあ、不利に見えるかもしれねえが、うまく立ち回ることができれば、むしろ絶妙にいい位置になると思う。無茶苦茶な話じゃねえはずだ」

 アースは、そこで一つ間を置いた。


「それで、最後にお前の意見を聞きたい。ボルドー、どう思う? 無理だと思うか?」

 真剣な眼差しを向けてくる。

 ボルドーは、思わず、笑ってしまった。

 アースの目が丸くなる。

「俺は、いつになったら、お前がそれを言ってくれるかと、ずっと待っていたんだがな。それにしても、そのような真剣な顔を、これほどまでも続けたのは何年ぶりだ? こっちが、我慢できなかったぞ」

 アースが、勢いよく立ち上がる。

「ああっ? お前も、同じことを考えてたってか!? だったら何で、もっと早く俺に提案してくれなかったんだよ? 全然、ここに戻ってこないから、見捨てられたんじゃねえかって、ひやひやしてたんだぞ!」

「人の上に立つ者というのは、孤独なものだ。お前は、これから、その孤独と向かい合っていかなければならん。これぐらい、一人で越えていってほしいと思ってな」

「いいや、ただの嫌がらせだな。この、偏屈じじいめ」

 しばらく、二人で笑い合った。


「賛成してくれるんだな?」

「無論だ」

 アースが、砕けた笑顔を見せた。

「頼りにしてるぜ、ボルドー。お前がいなかったら、俺は、こんな決心をすることはできなかったと思う。お前が、軍を統率してくれるからこそ、俺は何の心配もなく、内政に打ち込むことができるんだ」

 ボルドーは頷いた。


「さて……」

 そう言うと、アースは、ゆっくりと椅子に腰掛けた。

「問題はやっぱり、タスカンの皆が、どう思うかだよな」

 言って、後ろにある、窓から外に目を向ける。

「今まで、スクレイの民だって自負していたのが、突然スクレイに楯突くってことになるのは、やっぱり受け入れがたいと思う。直接的に、何か国から恩恵を受けていないという意識があっても、国っていうのは、何かこう、心の根っこの部分にくっついているものだからな」

 こちらを見る。

「もしも皆が、拒むようなら、この話はなかったことにする。それでいいか? ボルドー」

「ああ」

 ボルドーは、一応頷いた。


 まったく……鈍感というか、なんというか。それが、この男のいいところでもあるのだが。


 ボルドーは、もう防衛の方法を考えていた。











 数時間後、町の広場が、人に埋め尽くされた。


 タスカンにいる全住民が集められた。広場に入りきらず、建物の屋根に登っている人もいる。

 人の背よりも高い台が設けられていた。そこにアースが、ゆっくりと上がっていく。

 上りきると、一度、一面を見渡していた。場が、水を打ったように静かになる。


 アースは、大きく息を吸い込んだ。

「みんな」

 叫んだ。

「俺は、みんなに安心できる生活を送ってほしいと思って、今まで仕事をしてきた。だが、それは果たせなくなりそうだ」

 言うと、頭を下げた。

「本当に申し訳ない」

 沈黙。しばらくして、アースは頭を上げた。

「俺は、このままこのタスカンが、敵に蹂躙されるのは、何よりも耐え難い。絶対に我慢がならねえ。俺には、それを阻止できる方法は一つしか思い浮かばない。それを、みんなに聞いてもらいたい」

 言葉を区切る。


「このタスカンを、スクレイから独立させる」

 今まで静かだった場が、少し、どよめく。

「タスカンを守る方法は、それしかないと思うんだ」

 それからアースは、守備の方法、タスカンの外交的立ち位置や、戦後の貿易のあり方まで、丁寧に細部まで話をした。

 すべてを話し終えると、再び場に沈黙が降りた。


「考える時間は、あまり与えられない。明日までに、それぞれの答えを教えてほしい……俺の話は以上だ」

 言うと、アースは頭を下げた。


 それから、台から降りようと歩き出す。すると、一つ声が挙がった。

「着いていきます」

 その声が、一つ二つと増えていく。住民の中から、次々と手が上がった。

 あっという間に、声は大歓声へと変わった。


 アースは、それを呆然といった顔で見ていた。

 それはやがて、緊張した顔に変わった。


 ボルドーは、始めからこうなるだろうと思っていた。アースが、この十年タスカンで行ってきた善政は、きっと住民の心を捉えている。その確信はあった。

 そして、それらを守るのが自分の役目だ。これほど、やりがいを感じることが今まであっただろうか。



 人生で、最大で最高の戦いが始まる。


 ボルドーは、そう思った。






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