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雨が降っていた  作者: D太郎
カラトとシエラ
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信じられなかった

 信じられなかった。



 話が自分とかけ離れすぎていたためか、ペイルには、いまいち現実味のない話だと思った。

 王族。シエラが王様の娘。


 シエラは、ボルドーの話を聞いてから、石に腰掛けずっと俯いていた。

 ボルドーは、黙ってどこかへ行っていた。

 シエラが心配で、ずっと着いていたが、自分にできそうなことは何もない。ただ、そばで立っている状態だった。


 その時、遠くで轟音が響いた。

 何だと思い、目を向ける。建物に隠れて全貌は見えないが、遠くで白煙が上がっているのが見えた。

 崩れかけていた、建物が崩れたのか。

 すると、再び轟音。少し近くなっている気がする。

 再び白煙が巻き上がった。

「何だ?」

 思わず口にした。

 また、音がした。今度は、ペイルのすぐ近くの建物で、壁を突き破って、何かが飛び出してきた。

 二人の人間だった。

「ボルドーさん!」

 再び、思わず口にする。

 ボルドーが、見知らぬ、頭が禿げた男の両手首を掴んでいる。男は手に剣を持っていた。

 力の押し合いをしているように見える。それも、五分五分なのか。あのボルドーが、顔面を紅潮させていた。

 男の形相も凄まじかった。目を見開き、食いしばっている歯が見える。


 それよりも、男の心気に驚いた。

 心気は目に見えるものではないが、なんとなく感じることはできる。通常、人間の体にぼんやりと纏っているものなのだが、男の心気は、体中から、飛び出しているようだった。

「ボルドーさん!」

 もう一度叫んだ。

「ペイル! 剣を寄越せ!」

 ボルドーが、押し合いながら言った。

「あ、は、はい!」

 言って、剣を鞘から抜いたものの、どうやって渡せばいいのか。

 ものすごい圧力を感じて、近づけなかった。

 逡巡していると、ボルドーが後ろに押されて、その背後にあった、建物に二人とも突っ込んでいった。

 呆然としかできない。


 するとシエラが、ペイルの脇を抜けて駆けだした。

「駄目だ、シエラちゃん! 行くな!」






 男の動きは単調で、武術の型などは見えなかった。殴る、押す、斬る。このどれかしかやってこないのだ。

 しかし、驚くことに単純な力は相手の方が上である。

 戦いながら、何度か話しかけているが、聞いているようではなかった。

 正気があるのかどうかも分からない。

 先ほどから、隙をみて何度か、男の腹部や足に蹴りを入れていた。肋の骨は何本か砕いたはずだが、まったく気にしたようではない。

 そして、このような心気は見たことがなかった。

 ただ、人間の体が、この心気に長時間耐えれるとは思えなかった。

 おそらく、あと数分で、この男は死ぬ。


 ボルドーは、隙を見て男を投げ飛ばした。

 建物の壁に当たったが、間髪入れずに、また突っ込んでくる。

 生きて捕らえることは、できそうもないとボルドーは思っていた。この男が何者なのか、調べようと思っていたが、これだけの戦い方をしてくる者を捕らえるのは難しい。


 ボルドーは、心気を集中した。

 相手の剣撃を、一撃、返してきた二撃をかわす。

 男の左の頬に、殺すつもりで、拳を叩きこんだ。

 男は後ろ向きに仰け反ったが、右足で踏ん張った。男の左手が、ボルドーの襟を掴んだ。

 こいつ。

 掴んできた腕を潰すか、もう一撃入れるか、一瞬思考する。

 ボルドーは、男の胸部に左拳を、叩きつけた。

 男が血を吹き出した。が、襟を掴んだ左手も、剣を持っている右手も放さなかった。

 しまった。

 男の狂気に満ちた目が、こちらを捉える。

 剣撃が来る。今度は避けられない。

 左腕を犠牲にして受ける。もうそれしかないと判断した。

 何かが、横から来た。

 男の攻撃は来なかった。

 一瞬、場の時が止まったように感じた。

 剣を掴んだ腕が、宙に浮いていた。

 金色の髪が靡く。

 男の腕がなくなっていた。

 シエラ。

 男の左に、剣を抜いたシエラがいた。

 男の眼球が、シエラの方を向く。

 ボルドーの襟を掴んでいた手を放すと、拳をシエラの方に飛ばした。

 咄嗟にボルドーは、それを左手で止めようとした。

 左手が、抉られるような衝撃を受けた。弾き飛ばされる。

 シエラは、剣で受け止める体勢をとっていた。が、その上から、男の拳が当たると、シエラは簡単に吹き飛んだ。そして、壁に激突していた。

「シエラ!」

 シエラの剣だけが、宙に回転していた。

 ボルドーは、男を右手で殴り飛ばすと、その剣に飛びついた。

 男も、切れた自分の腕から、剣を取っていた。


 両者が、接近する。

 無意識に、感覚的に、ボルドーは剣を振るった。

 男の、残った腕も飛んだ。

 男の胸に剣が突き立った。


 沈黙。


 目を見開いたまま、男は仰向けに倒れた。






 すぐにボルドーは、シエラに駆け寄った。

「ボルドーさん!」

 ペイルが現れる。


 シエラは、壁にもたれるように座っていた。額から、血が流れているが、大した怪我は負っていなさそうだ。

 ひとまず、それに安心する。

「大丈夫か?」

 シエラは、無言で少し俯いている。視線が定まっていないようだった。

「どうした?」

 何か様子がおかしい。小刻みに震えていた。

「怖かったのでは?」

 ペイルが言った。


 それが、もっともな意見だろう。しかしボルドーは、そうは思えなかった。シエラには、命懸けの遣り取りの経験が、今までも何度かあったはずだ。今更この反応をするのは、何か違う気がする。

 考えすぎだろうか。あくまでも、シエラは少女なのだ。

「にていた……」

 消え入りそうな声で、シエラが言った。

「何だって?」

「……あの時と、そっくりだった……」

「あの時?」

 シエラは、震えたまま、俯いたまま話している。

「よく分からない……けど、感覚が、雰囲気が……」

 要領を得ない。

 すると、ふいにシエラの目から、涙がこぼれ落ちた。

「カラトが、いなくなった時に感じた……嫌な……感覚が……」

 シエラの、表情が崩れた。ペイルが、シエラの肩に手を添えていた。


 なんとなく分かった気がする。目の前で知っている人間が、殺されそうになった。今回の場面をカラトとの記憶と、重ねて考えてしまったのだろう。

「大丈夫だ。わしは、大丈夫だ」

 ボルドーが言っても、シエラは泣き続けていた。


 しばらくすると、何か異様な臭いが、鼻をついた。

「ボルドーさん!」

 ペイルが言う。ペイルの視線の先を見ると、先ほどの男の遺体があった。

 そこから、ゆらゆらと白煙が上がっていた。その煙が、異様な臭いを放っている。

「何ですか、あれ」

 ボルドーにも、分からなかった。

 やがて男の遺体は、どろどろと形を崩し始める。皮膚や筋肉が、焼け溶けるように縮んでいき、残った骨も、ぼろぼろと崩れた。

 黙って見ているしかなかった。

 二人とも呆然としていた。

「ゆ、夢でも見てるんですか」

 しばらくして、ペイルが言った。


 ボルドーは、そこに、ゆっくりと近づいた。

 相変わらず、臭いが鼻につく。

 元が何であったか分からないような残骸だった。服が多少残っている。骨や肉の欠片、男の剣。そして、シエラの剣が突き立ったままだった。


 何かを思い出しそうだった。

 何か、似たようなものを昔、見たような気がする。

 そう、確かあれは……。


 雨が降っていた。


 瞬間、ボルドーは立ち上がった。

 そうか。


 あの雨の日に、カラトとシエラを襲った犯人が分かった。
















 日が沈む。

 形がある程度残った建物で、夜を越すことに決めた。

 ボルドーは、ペイルに手伝ってもらい、左腕を簡易な治療をした。ある程度動くので、よほどの重傷というわけではないだろうと思う。

 ボルドーは、その建物の一室で残っていた椅子に座り、この先のことを考えていた。


 さらに北に向かうしかない。

 たとえ王子達が、シエラに対しての関心を失っていたとしても、スクレイに戻ることは、やはり危険だと考える。

 といって、外国だから安心というわけでもない。スクレイの王女なのだ。たとえ実際に、何かスクレイに対して外交の道具に使えないにしても、使えるかもしれないと考える国があってもおかしくはない。

 そう考えると、サーモンが避難の地にここを選んだのは、分からなくもなかった。丁度、国と国との権力の緩衝地なのだ。

 ただ、もう、一度発見されているので、ここにはいられない。

 となると、さらに北しかない。

 なんとか、自分の体が動かなくなるまでに、シエラが独力で生きていける場を作ってやりたい。そして、できる限りの知識を与えてやりたい。

 自分があと、どれだけ生きていられるのかということを考えなければならなくなるとは……。


 そうこう考えていると、ペイルが顔を見せた。

「シエラちゃんが、いないんですけど」

 心配そうな顔で言った。

 実は先ほど、シエラが外を歩いているのを、ボルドーは見かけていた。

「いろいろと心の整理も必要なのだろう。一人にしてやることも、たまには必要だと思う」

「でも、さっきみたいな奴が、また現れでもしたら」

「多分、もうない」

「どうして分かるんですか? あの男は、一体何者なんですか?」

 ボルドーは黙った。

 どこまで話していいのか、また考える必要がある。











 何気なく、歩いていた。

 いろいろなことがあった。いろいろ知った。普通なら、いろいろと考え、想うところなのだろう。

 しかし、シエラには、あまり考えようと思うことはなかった。

 あるいは、考えられるほど、何かを知っているわけではないのかもしれない。

 王族という話にしてもそうだ。ある程度の知識は、ボルドーに学んだことがあるが、だから実感が湧く、ということにはならない。


 だが、一つだけ例外があった。

 カラトのことだ。

 王族の話を聞いた後、ボルドーが言った。

 カラトは、自分を王として担ぎ上げようとしていたのではないか、と。

 そして、一度失った実権を、再び取り返そうとしたのではないか。

 ボルドーは、そう言った。

 本流であるから命を狙われていた自分を、ただ助けようと思うのなら、スクレイからは、できるだけ離れるべきだ。

 だがカラトは、シエラを連れて戻ってきた。

 だから、その考えに至る、と。

 そのことだけが、シエラの心に残っていた。


 カラトは、自分が王族だから助けたのだ。自分が利用できるから。

 あの優しさも、あの温かさも、すべて王の娘である自分に向けられたものだったのだ。

 そう考え、思い返してみると、カラトがとっていた行動が、すべてわざとらしかったと思えてくる。何の疑いもなく従っていた自分が滑稽に思えてくる。

 考えれば、当たり前のことなのだ。見返りもなしに、赤の他人を命懸けで助けようとする人間がいる方がおかしい。

 カラトもそうなのだ。それだけのことだったのだ。

 それだけなのに……。

 涙が溢れてきそうになり、シエラは目を擦った。


 意識を風景に移す。木が数本、前に立っていた。

 どこだ、ここは?

 辺りを見回す。木や植物ばかりで建物はない。どうやら、いつの間にか、近くの森に入ってきたようだった。

 ただ、慌てなかった。すぐに戻りたいとは思わない。もう少し一人でいたかった。丁度いいのかもしれない。

 シエラは、ぼんやりと歩いた。

 少し歩くと池があった。日は沈んでいるが、今夜は随分と月が明るい。池の底が、うっすら見える。

 何気なく、その池の縁に座った。

 この水は川に流れる。やがて、海にたどり着く。海には、至る所から水が注ぎ込まれる。

 そのうち、海は溢れるんじゃ?

 そうか、世界から落ちているんだっけ?

 じゃあそのうち、世界の外が水で溢れるな。

 世界……。世界とは、国の集まりなのだろうか。国とは何なのだろう……。


 ふと、何故か背後が気になり、シエラは振り返った。

 一瞬、息が止まった。

 五歩ほど後ろに、見知らぬ男が立っていた。

 シエラは、慌てて体を男に向け、身構えた。


 まず目に付いたのは、男の髪の色だった。真っ白だ。男にしては、少し長い目の癖のある髪で、年老いて白くなったという風な髪ではなかった。顔も若い。二十代の後半ぐらいだろうか。

 男は、全身真っ黒の服装だったので、さらに髪の白が映えている。

 男の視線は、シエラをまったく見ていなかった。シエラの後ろを見ている。

 男は歩いていた。シエラは身構え続けた。

 男は、シエラの脇を通り抜け、泉の縁で腰を屈めた。懐から、何かの袋を取り出し、水を汲み取っていた。

 それを済ませると、立ち上がり、元の来た道を歩き始める。

 再び、シエラの脇を通り抜けて、歩いていった。一度も、シエラを見なかった。

何だったんだ……。


 男の後ろ姿を見ていると、シエラから二十歩ほどの所で、男は足を止めた。

 そして、ゆっくりと振り返る。

 今度は、間違いなくシエラを見た。

「カラトの知り合いか?」

 突然、男が言った。

 シエラは、一瞬、思考が飛んだ。

 少しして、聞き間違えたんだろうと考える。

「カラトの知り合いか、と聞いている」

 男が繰り返した。

「あ……え?」

 どうして?

 何故?

 誰?

 様々なことを、思考するが、何も口からは出なかった。

 男は、人差し指をシエラに向けた。

「その首飾り、カラトのだろう?」

 言われて、シエラは自分の首元を見た。いつもは、服の中に入れている首飾りが、外に出ていた。

「あいつが、それを他人に譲るとは考えにくい」

 男が言っている。

「あいつは、どうした?」


 それを思いつく要素もなければ、思いつく会話の流れは何もない。それでも何故か、その名が浮かんだ。シエラは口にした。

「……ダーク?」

 男は何も言わない。否定も肯定もしなかった。

「お前は誰だ?」

 男が言う。

 自分は誰だろう。自分にも分からない。

「カラトはどうした?」

「分かりません……」

「何故、それを持っている?」

「カラトが……」

 男は、少し眉間に皺を寄せた。

「あの、これは何なのですか……?」

「さあな」

 男は、目線を少し横に向ける。

「ただ、一度だけカラトが言っていたな」

 そう言った。

「自分が生まれた場所が、間違いなくあったと証明できる、唯一の物だと」

 生まれた場所? 証明?

 あの、埋まっていた箱が浮かんだ。あれは、自分の証明なのか。


 男を見ると、歩いていく後ろ姿が見えた。

「あのっ」

 シエラは声を上げる。

「教えて下さい。昔、何があったのか。カラトは一体何者で、何をしたんですか?」

 男は歩き続けている。

「お願いします」


 少しして、男は足を止めた。



 ゆっくりと振り返り、こちらを見た。











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