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雨が降っていた  作者: D太郎
カラトとシエラ
38/103

髪が風に靡いた

 髪が風に靡いた。



 女は、二本の小剣を、腰についている鞘に納めた。

 虎獣は、すでに息が絶えているようだった。小剣で斬ったのだろうが、どうやったのか見えなかった。

「セピア様!」

 ライトとカーマインが、追いついてくる。さらに、続々と兵達がやってきた。

「お怪我はありませんか?」

 カーマインが言った。

「一人で先走ることは止めてください、セピア様」

「あ……すいません」


 兵達が、倒れている住民達に手を貸していた。口髭の指揮官が、ある程度指示を出した後、ある兵に声を荒げた。

「この虎獣は、どこから入ってきたのだ!? 何故、気づかなかった!?」

「それが、突然現れたのです。我々も何がなんだか」

 会話が続いていた。

 セピアは、さっきの女に目を向けた。腰に手を当てて辺りを見回している。

 場が慌ただしいからか、兵達も彼女に対応を何もしていなかった。


「これは、お美しいご婦人、初めまして。見事なお手前ですね」

 ライトが、女に近づいて言った。女は、ライトの言葉に、少し口角を上げていた。

「僕は、ライトと申します。ぜひ、あなたのお名前をお聞かせいただきたいな」

「へえ、ライトさん。たしか、ルモグラフ将軍の息子に、そんな名前があったかな」

「いかにも、僕の父はルモグラフです」

「ふうん、噂通りの、飄々とした男みたいだね」

 二人は、見合う。

「まあいいや、私はグレイ。じゃあ、あんたが指揮官ってことかな。手伝ってあげたいんだけど、一般人はお断りとかあるのかな」

「僕は指揮官ではありません。ただ、人員不足なので、協力は大歓迎ですよ」

「そう。じゃあ、よろしく」

「こちらこそ」

 グレイと名乗った女は、兵達が、働いている方へと歩いていった。


 セピアは、ライトに近づいた。

「ライト兄さん、今は虎獣の方に集中しないと」

「二本の小剣を操る女性。そして、グレイか……」

 ライトは、こちらを見ずに言った。

「多分あの人、双牙虎グレイだよ。スクレイの十傑の一人さ」

「えっ?」

 十傑?

「貴重なものが見れそうだな」

 ライトが言った。






 負傷者の対応をしていると、日が暮れた。幸い、死者は一人も出ていない。

 篝火をあちこちで灯し、それぞれが守備についた。


 セピアも立っていると、グレイが近づいて来るのが見えた。

「君って、オレンジの管轄軍の子?」

「いえ、私はウッドの兵です」

 グレイが、少し目を広げた。

「あのさ、ここ最近、おじいさんと女の子が、ウッドに来なかった?」

 グレイが言って、セピアはすぐに分かった。

「もしかすると、ボルドー殿とシエラのことですか?」

「あれ?」と言って、グレイは驚く。

「もしかして、知り合い?」

「はい、少しの間、同道しまして」

「へえ」

 グレイは、おもしろそうな顔をして、セピアの顔をのぞき込んできた。

「あと、ペイル殿が」

「ペイル?」

 少しの間。

「あ、ああ! ペイル君か。へえ……あの、ボルドーさんがねえ。分からないもんだなあ」

 感心したように、呟いていた。

「もう、ウッドにはいないのかな? どこに向かったか、教えてほしいんだけど」


 言われてセピアは、少し考えた。

 言っていいのか、どうか。あの人達は恩人である。この人の素性が分からない以上、軽はずみに教えない方がいいのではないか。

 そう考えると、先ほど、知っていることを言ってしまったことも不味かったか。

 しかし、この人が本当に、スクレイの十傑ならば、本当にボルドーと知り合いの可能性が高い。

 だが、あくまでも可能性だ。


「すいません。あの人たちは私の恩人なのです。素性に確信が持てる人でないと、軽はずみに話すわけにはいきません」

 言うと、グレイは目を見広げた。

「あはは、なるほどね。ボルドーさんが気に入りそうな生真面目な子だ」

「生真面目?」

「いや、そうね。大事なことだよ、それは。じゃあ私は、君から信頼を得て、教えて貰えるように頑張るかな」

「名前を聞いてもいいかな?」とグレイが続けて言った。

「セピアです」

「うん、私はグレイ。よろしく、セピア」

 手を差し出してきたので、握手をする。と同時に、先ほどのライトの言葉を思い出して、聞いてみようと思った。


「あの……スクレイの十傑というのは本当なのですか?」

 言うと、グレイの顔から、すぐに笑みが消えた。

「あのライトって男が言ったのか?」

 セピアは一瞬、変化に戸惑った。

 言葉を探していると、先に相手が、横を向いて、少し口角を上げて口を開いた。

「まあ、そうかな。でも、はっきり言って偶然なんだけどね」

「偶然?」

 再び、こちらを向く。

「十傑といっても、その十人の実力差は、虎と兎ほどあるってことだよ」

 どういうことか、と思った。十傑といっても、並の心気使いと実力が変わらない者もいる、ということなのか。

「あの、本当に十傑ならば、どうしてこんな所に居られるのですか? ボルドー殿もそうですが、大戦の英雄ならば、中央に深く関わっていても不思議ではないと思いますが。特に、中央が大変な今だからこそ……」

「そうかもね。でも少なくとも私は、悪いけど国や万民のために何かしようとは思ったことはない。昔からね」

 ただ、と言葉を続けた。

「ただ、そのために戦おうとした人がいて、その人のために私は戦おうと思った……ただ、それだけなんだ」

 そう言って、少し笑った。

 どういう意味か聞きたかったが、何か聞けない雰囲気を感じたので、セピアは黙った。


 少しすると、いきなりグレイが双剣を鞘から抜いた。

 どうしたと聞く前に、セピアも異様な気配を感じた。

 前方の暗がりに目を凝らすと、数頭の虎獣がいることが分かった。

 慌てて、槍を構える。

「すぐに応援を呼びましょう」

「待って」

 グレイが言って、耳に手を当てる仕草をした。

 セピアも耳を澄ませてみた。辺りから騒がしさが広がっていくのを感じる。

 何だ、と思っていると、一気に声や悲鳴が辺りで起こった。

 虎獣だ虎獣だ、と右や左、遠くの方でも騒ぎ立てている。

「どういうことだ」

 言ったセピアの肩を、グレイが掴んだ。

「下がろう、固まった方がいい」






 町の中心地に向かいながら、出会った兵達に、中心地に集まろうと言いながら進んだ。途中、ライトやカーマイン、口ひげの指揮官とも出会った。

「局地的に戦っても、犠牲者が増えるだけだ。守るものがすぐ近くにある状態で戦った方がいいと、私は思う」

「囲まれれば、退路がなくなりますぞ」

「もうすでに、町中囲まれてるよ。変に単発的に戦うより、まず相手の全貌を知ったほうがいい」

 話を照らし合わせると、町中の至る所で、同時に虎獣が出現したようだ。


 中心地にたどり着く。大きめの建物があったが、入りきらない住民が、外で身を寄せ合っていた。全員不安そうな表情を隠しきれない。

「篝火を多く集めろ! 陣形を作れ! 獣は火に怯える。住民は篝火の後ろに入れ」

 指揮官が、大声で言った。


 その場で束の間、静かな時が流れた。

 兵全員が、固唾を呑んでいることが分かった。


 しばらくして、爪が地面に引っかかる音がする。

 大通りの両方から、虎獣の大群がゆっくりと近づいてきていた。暗くて、よく見えないが、両方とも五十頭以上はいる。

 誰もが何も話さなくなった。

 セピアも、全身の血の気が引いていた。


「何だこれは……無茶苦茶だ」

 指揮官の男が、呆然として言う。

「……あれ、勝てますか?」

 ライトが言った。

「ちょっと、自信がないかな……」

 グレイが、ひきつった笑顔で言う。

「とにかく……こうなったら一方の方向に、住民も連れて全軍で突っ込むしかない。ある程度の数は、囲みを突破できるかもしれない。それでも、良くて三割ぐらいだろうけど……」

 全員が悲壮感の漂う顔をしていた。


 セピアは、もう一度、正面の虎獣の群れに目を向けた。

 群の中、真ん中より、やや後方、密集している虎獣の間に不思議な暗い空間があることに気が付いた。

 しかし、すぐに空間ではないことに気づく。

「皆さん、あそこ」

 セピアが、指さすと、近くの人たちが注目した。

「黒い虎獣だ」

 誰かが言った。

 グレイが、一歩前に出た。

「一か八か、やってみるか」

 呟いて、振り返った。

「前に一度、変異の獣と戦ったことがあるんだけど、その時、変異体を倒したら、取り巻きの獣は逃げていったの。もしかしたら、あの黒い虎獣も、あれさえ倒せられれば、どうにかなるかもしれない」

「倒すと言っても……」

「この四人で掛かりましょう」

 ライトが言った。

「他の三人が、道を作り、もう一人が黒い虎獣を倒してもらう」

 言って、グレイを見る。

「グレイさん、任せてもいいですか?」

「引き受けた」

「よし、早く取り掛かろう。虎獣も、いつまで待って貰えるか分からない」

「お待ちください!」

 突然、カーマインが言った。

「ライト様とセピア様。お二人は、お止めください。私が行きますので」

「二人じゃあ、黒いやつの所までたどり着くことは無理だ」

「しかし……」

「ここに残ってどうなるというのです、カーマインさん。助かるために戦うのですよ。そんなこと、分かっているでしょう?」

 セピアが言うと、カーマインは視線を落とした。

「では指揮官殿、歩兵を一段だけ、正面からぶつけてください。一度ぶつかったら、下げてもらってもいいので」

「もう、やるしかありませんな……」


 槍を持った兵が横一列に並んだ。

 その後ろに、ライト、セピア、グレイ、カーマインが並ぶ。

 ライトとカーマインは、持っている剣を構えた。

 緊張していた。失敗すれば、まず間違いなく命がないだろう。しかし、戦うしかない。そういう状況にまで追い込まれたことは、当然初めてだ。


「かかれぃっ!」

 指揮官に声と同時に、前の兵が、声を上げて突っ込んでいく。それに着いて、四人も走った。

 前の兵が、虎獣の前面とぶつかる。それと同時に、セピアは前方の兵の肩を蹴って、飛び上がった。

 兵と虎獣の頭を越す。

 虎獣がいない所に着地した。ライトとグレイは、着地と同時に虎獣を一頭斬っているのを目の端で見えた。

 セピアの前にいた虎獣が飛びかかってくる。それを槍でなぎ払った。

 一頭一頭、片づける必要はない。とにかく、止まることなく前進することだ。

 虎獣の間を、槍を振り回しながら駆けた。四人同時に、走っているからなのか、ほとんどの虎獣は、どこに向かうか迷っているようだった。

 二頭が、ほぼ同時に飛びかかってくる。まずい、と思ったが、片方の虎獣に、カーマインが掛かっていくのが見えた。もう一方の虎獣には、正面から槍を突き刺した。

 引き抜くと返り血を浴びたが、構うことなく、さらに進んだ。


 何度か、危ない場面があったが、他の三人の補助もあり、深刻な重傷は負わずに進む。

 さすがに、グレイは一人突出して動きが良かった。

 黒い虎獣まで、あと二十歩という所まで来た。

 その周りには、虎獣が陣形のように取り囲んでいる。


「一点に、一気にかかるぞ!」

 ライトが叫んで、先頭で駆け込んだ。

 セピアとカーマインも続き、こじ開けるように虎獣を、押しのける。

 少しだけ道ができた、と思った瞬間、風がその道を通り抜けた。

 声を上げて、グレイが黒い虎獣に飛びかかっていった。

 心気が弾けた。そう見えた。凄まじい剣速の連続攻撃が、黒い虎獣に叩き込まれる。

 相手の反撃も巧みに避けて、グレイはもう一度声を上げて、攻撃をした。

 やがて、グレイの動きが止まる。しばらくして、黒い虎獣は横向きに倒れた。

「やった!」

 セピアは、思わず言った。


 虎獣の群は、すぐに動かなくなった。これが、言っていたことなのだろうと思った。

 しかし、少しすると、一頭二頭とうなり声を上げ始める。

 そして、再びこちらに攻撃をかけだしてきた。

「どういうことだ! 逃げていかないぞ!」

 カーマインが言う。

 四人は再び固まり、背を合わせて外向きに立った。

 周りは虎獣だらけだ。


「あれ……前の時と違うなあ」

 グレイの声がする。

「違うではすまんぞ!」

「分かったって。もう」

 その時、地響きが聞こえた。

 それが、近づいてくる。

「ああ、助かったな……」

 グレイが呟いた。

 暗闇の中に、上に掲げられた剣が見えた。






 一時間弱ほど経って、ようやく戦闘が終わった。

 騎馬隊が突入してきたのだが、虎獣とは相性が悪いようだった。それでも、群の合間を通り抜ける巧みな突撃を繰り返して、虎獣を翻弄していた。

 セピア達も、再び力を振り絞り、攻撃に加わった。

 群を半分ほど蹴散らすと、ようやく虎獣の群は散っていった。

 兵の中に歓声が上がった。

 セピアも、全身の力が抜けて、槍を落としそうになった。


「やれやれ……」

 疲れた声で言ったライトが座り込む。

 少しすると、一騎だけが、こちらに近づいてくるのが見えた。


「やはり、グレイか。何をしている、こんな所で」

 聞き覚えのある声が耳に入る。

「別に」

 顔が識別できるほどの距離まで近づいてくると、男は馬を下りた。

 慌てたように、ライトが立ち上がる。カーマインも、姿勢を正した。

 やはり、フーカーズだった。

「あんた、何でここにいるのよ? 都にいるって話は嘘だったの?」

「いや、伝令を受けたのは、都の近くの野営地だった。そこから、すぐに発ったのだが、なんとか間に合ってよかった」

「都から、ここまで三日で駆けてきたってこと? 相変わらず異常だな……あんたらは。勝手に動いて、中央から文句言われるんじゃないの?」

「言わせておけばいい」


 ふと、フーカーズと目が合う。

「おや、確か君は、イエローの町で会ったな。ボルドーさんと一緒にいた……」

「あ、はい」

「ボルドーさんもいるのか?」

「あ、いえ、ここには居りません」

「そうか」

 ライトが、一歩前に出る。

「将軍、救援感謝します。お陰で、命拾いしましたよ」

「ああ、ライト君か。君もなかなか、面倒事に縁があるな」

「お互い様でしょう」

 ライトが言うと、フーカーズは少し口角を上げた。

「では、私はこれで」

 言って、フーカーズは歩いていった。


 その後、負傷者の治療や、虎獣の死骸の処理などを手伝った。翌日の昼ごろに、ようやく一区切りついた。誰も彼もが、疲れ果てていた。

「宿泊できる部屋を用意しましたので、どうぞ休んでください」

 指揮官の男が言った。セピアは、グレイにも伝えようと思い、姿を探した。


 小さな荷物を抱えて、立っているところを見つける。

「発たれるのですか?」

「あ、うん。最後まで手伝わなくて悪いけど」

「いえ、グレイどのは、元々部外者ですので。ご協力ありがとうございます」

 グレイは、肩を竦める仕草をして笑った。

「……ボルドー殿とシエラなのですが、国境を越えて北に向かいました。ドライという町に向かったようです」

 グレイが、こちらを見た。

「教えてくれるの?」

「昨晩の戦いを見ました。そして将軍との遣り取りを。あなたが、十傑だということは間違いないと思います。疑ったりして、申し訳ありません」

「いや、昨日も言ったけど大事なことだよ。そこまで思ってくれる仲間がいてくれることはね。ありがとうね」

 言って、北の方向を見る。

「そうか、ドライは北にあったのか」


 しばらくの間。

「ねえ、セピア。シエラとは、仲がいいの?」

「え?」

「いや、あの子って、なんだか危なっかしくてね。ずっと、気持ちを張りつめたまま、生きているんじゃないかって思うのよ。同年代の友達でもいてくれたら、もしかしたら少しは変わるかなって思ってさ」

 セピアは、グレイを真っ直ぐ見る。

「私は、シエラが何を背負っているかは分かりませんが、私がシエラの力になれるのなら、いくらでも力になりたいと思います」

 グレイは微笑んだ。

「これからも、シエラと仲良くしてあげてね」

「はい、勿論です」

 グレイは、もう一度笑う。

 そして、手を上げて歩いていった。






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