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雨が降っていた  作者: D太郎
カラトとシエラ
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相手と接近した

 相手と接近した。



 攻撃がくる。セピアは、棒で受け止めた。


 体格を利用した、重い一撃は、さすがにシエラやペイルと違った。

 気を抜けば、簡単に棒を弾き飛ばされると思った。

 そして、身のこなしも鮮やかだ。五十近くだとは思えない。

 ただ、セピアは、ボルドーを知っている。あの人は七十近いと聞いたことがある。あの異常さを知っているので、驚くことはない。


 ルモグラフの緩急をつけた攻撃が続いた。

 押してくる威圧に踏ん張りながら、セピアは防御し続けた。


 移動する間もない。

 防御するしかない。

 いや……。


 そんなことはない、と思い始めた。

 よく見ると、所々に少し隙が見え隠れしている。

 反撃できないことはない。


 セピアは、ルモグラフの攻撃と攻撃の合間に、反撃を試みた。

 セピアの突きを、ルモグラフは捻って避ける。

 セピアは、前に出た。そして、攻撃を仕掛けた。

 相手が避ける、受ける。そして、こちらの隙に、相手も手を出す。

 打ち合いになった。それも、ほぼ互角といってもいいほどだ。


 しばらく打ち合いが続いた。途中、セピアは、ボルドーが昨日の夜に言っていた言葉が、何故か、ふと頭に浮かんだ。

 六年前にスクレイに何があったか、と言っていた。


 ルモグラフの剣術は、どこまでも愚直で真っ直ぐだ。昔のままだ。

 武術は、心を投影するものと、彼はよく言っていた。

 父の剣筋に、まったく迷いや、邪念などない。

 立ち会いでの会話とは、こういうことかと、セピアは思った。

 そんなことは、ずっと分かっていたのだ。父に、やましいことなど何もないのだろう。

 六年前は、丁度、先の大戦が始まった頃だ。

 父は、母と自分を戦線から遠ざけるために、ローズに行くのに何も言わなかったのだ。

 そんなことは、分かっていた。ただ、ずっと分からない振りをしていた。

 母を失った心の悲しみや苦しみを、自分は、どこかにぶつけたかっただけなのだ。

 一人よがりもいいところだ。

 セピアは、心の中で自嘲した。馬鹿な自分を、笑うしかなかった。

 六年……。

 自分の、この六年は、一体何のためにあったのだろう……。


 打ち合いは、なおも続く。

 少ししてセピアは、不思議な気分に包まれてきた。

 あの父と、互角?

 そんなことが、ありえるのか。

 もしかすると、父は手を抜いているのか?

 しかし、そんなことする人とは思えないし、顔は真剣そうに見える。


 武器の押し合いになった時、相手と、かなり接近した。

 再び、不思議な気持ちになった。

 父と自分は、こんなに身長が近かっただろうか。

 自分の身長が、父の胸ほどある。たしか、腹ほどだったと思っていたが。

 いや、自分が大きくなったのだ。六年も経ったのだ、当たり前だ。


 そうか。

 成長したんだ。

 身長も武術も。

 意味は……。

 少なくとも。

 私には。

 成長なんだ。

 それがあれば、いいじゃないか。


 心の重しが、少し消えたような気がした。

 セピアは、父に勝とうと思った。

 きっと、それが自分の成長を見せることができる、一番の方法だ。


 相手の連続攻撃を受けながら少し下がる。そして、相手の攻撃の間隙に、渾身の突きを繰り出した。

 ルモグラフは、避けきれなかった。肩に当たる。

 しかし、ルモグラフは棒を放さなかった。下からの、すくい上げる攻撃で、セピアの棒が手から離れた。

 それが、空中で回転する。地に音を立てて落ちた。


 間。


 セピアは、息を止めていたことに気づき、息を吐いた。

 負けた。しかし、意味はあった。

 ……来て良かった。


 セピアは、ルモグラフに向かって一礼をした。それから、棒を拾って、広場から出て行こうと、歩き始めた。

 父との立ち会いというのは、最後まで言葉がないのだ。これでいいはずだ。


「強くなったな」


 声が聞こえた。

 一瞬、どこから聞こえたか分からなかった。

 セピアは振り返った。

 ルモグラフが、こちらに目を向けている。

 見たことがないような、柔和な眼差しだった。


「すまなかった……」


 ルモグラフが言った。

 瞬間、胸の中で何かが、こみ上げてくる。目頭が熱くなり、溢れてくるものを、堪えきれなかった。

 目の前が、見えにくくなった。自分が、泣いていることが分かった。

 自分は、やはり言ってほしかったということなのか。

 涙が止まらない。セピアは、目を手で擦り続けた。


 父の手が、肩に置かれたのが分かった。











 空が、夕焼けに染まっていた。

 セピアは、本塔の中にいた。


 六年ぶりということになる。物の配置など、ほとんどが変わっていた。

 懐かしさを感じるものなど、ほとんどないと思った。それが、時が経つということなのだろう。

 二階にやってきた。そして、奥に入る通路に向かう。

 すぐに、ある部屋の前に着いた。

 昔、自分と母が使っていた部屋だ。

 自然に、足がここに向かった気がする。


 一緒にいたカーマインが、鍵の束を取り出し、部屋の鍵を開けた。

「あ、別に入るつもりはなかったのですが……」

「どうぞ」

 カーマインが、神妙に頭を下げた。

「ここは今、何に使っているのですか?」

 カーマインは、何も言わない。

 すっかり変わってしまった部屋など、見たくはないという気持ちもあった。昔の思い出のままで、そっとしておいたほうがいいような気もする。

 しかし、ここを見ておく必要もある気もする。だからこそ、ここに自然と足が向いたのではないか。


 意を決して、セピアは扉を開けた。

 少し、埃の匂いがした。

 正面に、窓がある。机があって寝台がある。棚があり、絨毯、燭台、鏡、装飾。

 セピアは、呆然としていた自分に気づいた。


 昔のままだ。

 少し、埃を被っているが、昔のままだ。


「実は、この部屋の主の許可もなく、勝手に部屋の物に手をつけることはならない、という指示が将軍から出ているのです」

 言ったカーマインを、セピアは見た。

 一つ、疑問が浮かんだ。

「では、六年間まったく手付かずということですか? そうだとすれば、もっと部屋の物が痛んでいたりすると思うのですが」

「我々は、何も手をつけておりません。将軍がまれに、ここで簡単な掃除をしていたのです」

「父上が……」

 セピアは、もう一度、部屋の中を見た。

「あの、セピア様」

 カーマインが言う。

「将軍は、お母上とセピア様の身を案じて、ウッドから出したのです。決して、厄介払いなどをしたわけではありません」

「わかっています」

 セピアが言うと、カーマインは意外そうな顔をした。

「さっき、何か言おうとしていたのは、そのことでしたか」

「え、ええ」


 カーマインは、少し考えるような表情をしてから、口を開けた。

「実は、もっと早くに言うべきだと思っていたのですが、将軍から、言う必要はないと言われておりまして」

「え?」

「言い訳のような真似は、なされない人ですから」

 カーマインが言った。


 まったく……。

 随分、うまい具合に、すれ違ったものだ。

 セピアは、苦笑した。


「カーマインさん、お願いがあるのですが」











 ウッドの北側の城壁の上。そこに、北を向いて立っている男がいた。


 ボルドーは、男に近づいた。

「おう」

 ボルドーが言うと、男は振り返って、軽く頭を下げた。

 ルモグラフである。


「本当に、この度は……」

「無事に終わったのか?」

「ええ。しかし、無事と言っていいのか」

 ルモグラフは、そう言って自分の右肩に触れて、少し笑った。

 見ると、手当てがされているようだ。

「だから、舐めて掛からない方がいいぞと言ったのだ。わしが鍛えたんだぞ?」

「油断したつもりは、なかったのですが……」

「その割には、うれしそうだな」

「ええ、まあ」


 ボルドーは、ルモグラフの横に立った。

 実は、ボルドーは昨日に、ルモグラフとここで会っていた。

 娘と会うことを躊躇っていたルモグラフに、会って話せと言ったのである。


「しかし、まさか将軍が私のことを覚えてもらえているとは思ってもみませんでした」

「将軍ではない」

「失礼……では、ボルドー殿と呼ばせていただきます」

「何十年か前だったな」

「ええ、都での将校訓練でした。ボルドー殿は教官で、私は、何十人かいる新人将校の一人でした」

「忘れるわけがないだろう。あの時お前だけが、一人実力が、ずば抜けていたからな」

「本当ですか? 一度も誉められたことがなかったのですが」

「そうだったかな」

 ボルドーが、鼻で笑った。


「改めて、御礼を言わせて下さい。娘も、ボルドー殿に、学ばせて貰ったお陰か、随分と成長していまして、驚きました」

「さっきは鍛えたと言ったが、わしは、ほとんど何もしていない。子供とは勝手に成長するものだ」

「まさしく。ただ私は、いい父親ではなかったのでしょう。私自身、逃げていたのですから」

「ローズから呼ばなかったことか」

「娘が、そこで暮らしたいと思うのなら、それでもいいと思ったのです。ウッドに連れてきたところで、父親らしいことは、何一つできる自身がなかったのですから」

「他に、三人息子がいるのだろう?」

「ありがたいことに、厳しく接してきただけなのですが、三人とも中々に育ってくれまして。今は、それぞれ軍人として赴任地におります。それも、男子だからこそだと思ったのです」

「セピアも、弱い娘ではない」

 ボルドーが言う。

「お前なりの接し方でいいと思う。いや、あの子には、それが一番いいのだろうさ」

 ルモグラフが、少し考える顔をする。

 それから深々と頭を下げた。

「不器用だな、親子共々。まったく、そっくりだ」


 二人は少しの間、黙って北の山を見つめた。

「ボルドー殿」

 ルモグラフが、改まった口調で言う。

「……軍に復帰して貰えることはできないのでしょうか?」

 ボルドーは、前を見据えたまま黙っていた。

「一将軍の端くれとして、情けないのは百も承知です。しかし私には、今この国を良い方向に向けることができそうもありません」

「わしにも無理だ」

 ボルドーが言った。

「お前ができないことが、わしにできるわけがない」

 しばらくルモグラフは、ボルドーを見据えていた。

 少しして、息を吐いた。

「失礼しました。今言ったことは忘れて下さい」


 ボルドーは、その場を去ろうと歩き始めた。

 ふと思いつき、足を止めた。

「ルモグラフよ、ドライという町は知らんか?」

「ドライ?」

 ボルドーは、内心で苦笑し、もう一度歩き始めようと思った。


「ドライというと、あの北のドライのことですか?」



 思わずボルドーは、振り返った。






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