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雨が降っていた  作者: D太郎
カラトとシエラ
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まず水には見えなかった

 まず水には見えなかった。



 街道を、ある所で西に外れて数時間歩くと、匂いが変わった。そして、とんでもなく開けた平野に行き合った。


「おおっ」

 ペイルとセピアが同時に声を上げていた。

「すげえ、何だこれ。話に聞いて想像してたのと全然違う」

 海。シエラも、ボルドーから聞かされたことがあったが、まったく想像と違った。


 四人で、海の際まで細かい砂の上を歩いた。

 水が、行ったり来たりしている。

「これが全部、水ですか?」

 セピアが言った。

「おそらくな」

 シエラは、海の先を見た。海が途中で切れているように見える。雲が、向こうの方で、地上の高さまで下がってきている。

「あの先は、どうなっているのですか?」

 シエラは、ボルドーに聞いた。

「ああ、シエラちゃん。あの先は、行かない方がいいよ。海の先に行くと、世界から落っこっちまうんだ」

 ペイルが言った。

「世界?」

「そう。この世界は、巨大な亀の上に乗っかっててな。海は、その端っこなんだ」

「西教の教えだな」

 ボルドーが言うと、ペイルが不思議そうな顔をする。

「北教の教えだと、確か、別の生き物だった」

「えっ? 何匹もいるっていうことですか」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」


「ううっ!」

 ペイルが、目を丸くしていると、セピアが呻きのような声を上げた。

「この水はおかしい! 毒が入っているのか!」

 セピアが口元を押さえ、慌てながら言った。どうやら、海水を飲んだようだ。

 ボルドーとペイルが、同時に笑い声を上げた。


「馬鹿だなあ、海水ってのは飲めないんだぜ」

「そんな。飲んでしまった。大丈夫なのか?」

「さあ、どうなんだろうなあ」

 ペイルが笑いを堪えながら話しているのが分かった。

「心配するな。海水を飲んで死んだという話は聞いたことがない」

「ああっ、言っちゃうかなあ、ボルドーさん。せっかく面白かったのに」

 ペイルが言うと、セピアは口を強く結んで、頬を赤らめた。

「卑怯だ! 陰湿だ! 私が、せっかく見直してきていたのに」

「俺は、一言も危ないなんて言ってないぜ」

「言ったようなものだ!」

 セピアが、棒を構えると、ペイルは、慌てて逃げた。


 シエラは、海の方を、もう一度見た。

「おじいさん。どうして、海の水は、川の水と違うんですか?」

「何故だろうな。海からは、塩が採れる。それが、影響しているのではないかと言っている者もいる」

「さっきの、海の先に何があるかという話。おじいさんは、どう考えているのですか?」

「ふむ」

 言うと、ボルドーは、腕を組んで海を見た。


「あの先には、まだ海が続いていて、ずっと先には別の陸地がある」

「でも、海が切れていますよ」

「そうだな。……例えば、奥の方が低くなっているから見えない、というのは、どうだ?」

「では、水は向こうに流れていくはずです。世界が切れていても、そうなると思います」

 ボルドーが笑う。

「その通りだ。まったく分からない。不思議だな」

「おじいさんにも、分からないことがあるのですか?」

 言うと、ボルドーが意外そうな顔をした。

「お前は、わしが何でも知っていると思っていたのか?」

 シエラは素直に頷いた。

 すると、ボルドーは大きく笑い声を上げた。

 ペイルとセピアが、不思議そうな顔をして、こちらを見ている。


「そんなことはない。知らないことばかりだ。わしの知識など、世界の中の、ほんの一握りにすぎん」

「そうなのですか……」

 言われても、少しシエラは釈然としなかった。

 ラベンダーで学を教わっている時も、ボルドーは、自分のどんな問いでも、悉く明快に返答してくれたのだ。本当に、何でも知っていると思うほどに。

 世界……。シエラには何の実感も湧かない言葉だった。


「なんだあれ?」

 ペイルの声がして、彼を見ると海の方を見ていた。目線を追いかけてみると、海面の中で、不思議な緑色が浮かんでいるのが見えた。

 すぐに、コバルトの頭髪の緑だということが分かった。

「あいつ……いつの間に」

 ボルドーが、少し周辺を見回す。


「今日は、もうこの辺りで野宿をするか」

 ボルドーが言った。






 シエラとセピアは、靴を脱いで、波打ち際に足を浸けていた。

 初めは、かなり冷たいと思ったが、大分慣れてきたようだ。


「なんだか、不思議な感覚だな」

 セピアが言った。

「お前達は、泳がないのか?」

 近づいてきた、ボルドーが言った。


 先ほどから、ペイルが泳いでいるのが、時々見えていた。ただ、コバルトが見えた所よりも、随分浅瀬だ。

「やめて下さいよ。そんな、はしたない真似できるわけないですよ。なあ、シエラ」

 実は、シエラは泳ぎたかったが、セピアが言うので止めていた。

 そうなのか、はしたないのか。


「いやあ、大漁大漁」

 声がしたので、視線を向けると、下着である布を一枚着けただけの、コバルトが岸に上がってきていた。

 それを見て、シエラは少し、驚いた。

 まず、コバルトの体が予想以上に、無駄のない引き締まった筋肉をしていた。筋骨隆々というのか。ただ、それ以上に驚いた事があった。

 体中が、傷跡だらけだ。

 セピアも、同様に息を飲んで見ていた。


「ん? なんだいお嬢さん達。ああ、そうか。俺の筋肉美に見とれちゃったか。だったら、仕方がないな。存分に見るがいい」

 言うと、コバルトが、腕を曲げて前に突き出した。

「ち、違う。見かけによらず、結構な戦歴を経験したようだと思って」


 シエラは、ボルドーの体も、古傷だらけだったことを思い出していた。

 グレイもそうだった。


 そして、カラトも。


「旦那、魚を採ったから食おうぜ」

 コバルトは棒を持っていて、その先には、魚が突き刺さっていた。十匹はいる。

「ほう、お前も役に立つことがあるのだな」

「俺は役にしか立たねえよ、旦那」


 コバルトが、にやりと笑った。











 数日後の夕焼けの空の下、町に行き着いた。


 木造の家々が立ち並んでいる。イエローの町よりも建物が密集してはなく、人が多いことが分かった。雰囲気も違う。

 ずっと、木々を見なかったが、町の近くに森があった。


「オリーブの町だな」

 町の向こう側には、恐ろしく高い、白い山がそびえ立っているのが見えた。ここから結構な距離はあるはずだが、圧倒してくる威圧感がある。

「あの山々が、北の国境だ」

 ボルドーが言った。

「近くに見えるが、たどり着くまで、ここから十日は掛かる。国境まで、もう町はないから、国境を越える場合、最後に物資を整える町が、ここというわけだ」

「いやいや、旦那。この町に関して最初に語るのは、そんなことじゃないでしょうよ」

 そう言うと、コバルトはペイルの肩に腕を掛けた。

 コバルトは、にやにや笑っている。

「よう、ペイル。俺が思うに、お前はいろいろと発散したほうが良いな。ちょっと付き合ってくれよ」

「あ、いや、俺は」

 ペイルが慌てて言う。

「まあまあ、いいからいいから」

「おいっ!」

 そのまま、町の方に無理矢理に引きずられて行った。


「まったく、不潔だ! これだから、男は」

 腰に手を当てて、セピアが言った。

 どういうことだろう?


「あれまで責めてやるのは、酷というものだろう」

 ボルドーが言った。


「我々も行こうか」






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