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雨が降っていた  作者: D太郎
シエラと国
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空は晴れていた

 空は晴れていた。



 広い露台の手摺りに捕まり、空を見上げていた。それから、腕を上に伸ばして息を吐く。

 王宮の、シエラが使っている部屋にある露台だった。一人で使うには、あまりにも広い。

 いい天気だ。

 シエラは、日の眩しさに目を細めた。


 しばらく、その状況を堪能してから、部屋に戻った。

 部屋で待っていたマゼンタが頭を下げる。

「陛下、ペイル殿がお見えになりましたが、ここに通しますか?」

「あっ、もう来たんだ。うん、ここに通して」

「かしこまりました」

 久しぶりに、ペイルが都に戻って来ていた。それに合わせて、セピアも都に立ち寄る予定だった。二人に会うのが楽しみだった。

 ペイルは、外交の担当官の一人となって、各国を定期的に飛び回ることになった。そしてセピアは、そのまま軍務に携わることになった。つまり、二人は希にしか、会えなくなってしまったのだ。

 二人の関係は、当然知っている。気になったので、ペイルに別の仕事をしないかと薦めたのだが、本人が固持をしたのだった。


 やがて扉が開かれ、ペイルが恐る恐るというふうに入ってきた。

「慣れないなあ、ここは」

 ペイルが言う。シエラは笑った。

「どうぞ」

 椅子に薦めた。すでに、お茶の一式が揃っている。

「あ、どうも」

 しばらく、任務の進捗などの話を聞いた。


「ところで、まだ結婚しないの?」

 シエラが言うと、ペイルは飲んでいたお茶を吹き出した。

 ある程度せき込んだ後、掃除をする。

 改めて、座り直した。

「うーん……ええと、年下の、しかも女の子に、相談するのも自分で情けないとは思うけど」

 そう前置き。

「できるものなら、今すぐにでもしたいさ。でもなあ……今あいつと戦っても、絶対に勝てないと思うんだよなあ」

 そう言って、こちらを見る。

「告白する時に言ったんだ。お前より強くなったら結婚してくれって」

 間。

「いや、確かに言ったよ。でも、あいつ今すごい速度で上達してるじゃん。あれじゃあ、追い越したくても追い越せねえんだよ」

 少し目線を下げる。

「実は、俺と結婚したくないからって、腕を磨いてるんじゃないよなあ……」

 そう言って、ペイルは肩を落とした。


 シエラは、以前にセピアと会ったときの会話を思い出していた。

「あの人なら、何もしなければ私など軽々と追い越してしまいそうだから。だから、少しは手応えがある女でありたいと思って、修練しているのだ」

 そう言って、頬を赤らめていた。

「私より強くなってから、という言葉が嬉しかったんだ」

 このことをペイルに言おうかどうか迷ったが、もうしばらく黙っていることにした。二人の惚気話にしか聞こえない。


「いや、弱音を吐いている場合じゃない。暇を見つけて、コバルト辺りにでも稽古つけてもらおう……でも、あいつ絶対茶化してきそうだな……」

 フォーンが顔を出したので、ペイルが席を立った。

「それじゃあ、今日はおいとまするよ。今度、セピアが来たときに、また来るね」

「うん、じゃあね」

 フォーンに挨拶をしてから、ペイルは去っていった。


 シエラの、最近の仕事といえば、主に政治の確認と承認だった。やはり、まだ政に関しては圧倒的に知識不足である。

 ただ、最近は知識不足だからこそ、見えるものがあるのではないかとも思い始めてきている。

 それをグラシアに言うと、勉学をさぼるための方便だと一蹴されたことは記憶に新しい。

 グラシアは、表向き、国の宰相ということになった。本人は嫌がったが、実質的には、フォーンが政務を取り仕切るということで納得した。フォーンを直接宰相にするという案もあったが、今度はフォーンがそれを固持するのだ。

 いろいろと思うところがあるのだろう。

 コバルト、ルモグラフ、ブライト、ウォームは、それぞれ軍の要職に就いた。

 パスカルとインディゴも、本人の意向を聞いた。しばらくすれば、軍に復帰することになる。


「グラデとサーモンという方についての件ですが」

 フォーンが一礼してから言った。

「グラデが、何か言ったのか?」

「いえ、グラデは何も語ってはいません」

 そう言う。

「あくまでも、手に入れることができた情報と、多少私の推測も含まれますが、よろしいでしょうか?」

 シエラは頷いた。

 二人の王子達は、今現在、地下にて軟禁状態だった。殺すべしという意見も、多くあったが、シエラは、それを聞かなかった。

 確かに、後顧の憂いになる可能性があるということは分かる。しかし、手を下したくなかった。

 殺してしまえば、グラデが言っていたことを受け入れたことになってしまう。というより、それをしなくてもいいんだということを、証明したいという思いがあるのだ。

 他にも様々な感情があると思うのだが、まだ自分で、うまく解釈ができていない。


「まだ物心がつく前の陛下は、王妃様が亡くなられた後、グラデの母親の元に引き取られたのだと思います」

「引き取られた? どうして?」

「王妃様と、グラデの母親は親しい間柄でした。もしかすると、王妃様の遺言か約束などがあったのか。宮内に、なんの正式な陛下の記録がなかったことも、恐らく王妃様が手を回したのだと思います。あのころも、宮中での権力闘争はありました。何の後ろ盾も無い幼い陛下を心配して、そのようなことをしたのだと思います」

 シエラは、再び母親というものを考えた。

 しかし、やはり具体的な想像ができなかった。

 自分も、そういう立場になれば理解できるものなのだろうか。

「その後、次いでグラデの母親も亡くなり、殿下の御身は、形式的に当時十五歳のグラデが差配できる立場になります」

「じゃあ、私とグラデは会ったことがあるということ?」

「はい。そして、侍女に陛下を連れ出すように仕向けたのは彼でしょう」

「え、どうして」

「当事者の、その時の心持ちまでは、私には分かりません」

「単純に、後継を争う可能性があるから遠ざけたのでは?」

「彼なら、秘密裏に陛下を亡き者にすることもできたでしょう。いえ、むしろその方が容易だったのではと思います」

「サーモンが、自分の意志で私を連れ出したという可能性は?」

「侍女では、あの王家の品々を持ち出して逃げることは不可能だと、私は思います」

「そう……じゃあ、一体どうしてなのだろう」

 フォーンは、少し瞼を上げた。

 分からない、という意味の仕草だろう。
















「陛下、実は予てよりご希望であられた、市街のご見聞の件ですが、本日ならば可能です」

「ずっと無理だって言っていたのに、どうして、こんなに急に」

「時機の関係です」

 先ほどまでグラシアと交わしていた会話である。


 マゼンタに手伝ってもらい、外出の支度をした後、王宮の通路を歩いていた。

「陛下」

 声がしたので見ると、片手を上げたグレイが立っていた。その斜め後ろには、少し俯いた黒い短髪の女が立っている。

 確か、前の戦いの時に、見たことがある人だ。

「グレイ、どうしたの」

「いえ、特に何かあるということではないんですが、折角なので紹介しておこうと思いまして」

「そちらの人?」

「ええ」

 グレイが、そちらを見る。

「彼女は、シー。心気医療の達人で、この度それの専門の機関を作ることになって、そこの最初の責任者になります」

 黒髪の女は、上目遣いにこちらを見た。

「そう、宜しくお願いね、シー」

 シエラが言う。

「はい……精一杯頑張ります」

 シーは、深々と頭を下げた。

 しばらく会話をしてから、二人とは別れた。


 王宮の裏門に向かう。マゼンタも、そのまま着いてくるのかと思っていたのだが、中庭に入る直前で別れた。

 中庭に入ると、いつもの閑散とした風景が広がっていた。

 てっきり、大仰な護衛が待っていると思ったのだが。

 不思議な気持ちのまま、裏門に向かった。

 小さな門の所で、ぼんやりとして突っ立っている男を見て、ようやくグラシアの意図が分かった。

 シエラは、ゆっくりとそこに近づく。

 五歩ほどの距離まで来て、ようやく男がこちらに目を向けた。

「えっ」

 男が、驚いた声を出した。

「陛下、どうしてこんな所に? それも、お一人で」

「カラトは、どうしてここに?」

「あ、ええ……タスカンに行こうと思っていたのですが、その話をグラシアにすると、一緒に連れて行ってほしい御仁がいると言われまして」

「ああ、それ私だ」

「え?」

 カラトの目は、開かれっぱなしだった。

「陛下が、護衛も付けずに?」

「私としては、大袈裟な護衛をつけられると、そちらの方が迷惑だ。グラシアが、気を回してくれたということだろう」

 カラトは、一応将軍という立場にいるが、ほとんど有名無実な状態だった。本人が、それを望んだこともあるが、単純に仕事をしたくないだけのようにも見える。

「一人じゃ、護衛が不安なの?」

「いえ、自信があるかと問われれば、ないことはないです。ただ、最悪のことを考えてしまいますので、俺は」

「煮え切らない言い方だなあ」

「すいません、これが俺なんです」

 シエラは、苦笑するしかなかった。

「じゃあ、もう出発してもいいんですか?」

 頷く。

「では、厩に向かいましょうか」

 並んで歩いた。


 しばらく、二人の足音。

「懐かしいね」

 シエラが言う。

「うん?」

「こんな風にして歩くことなんて、昔以来でしょう」

「ああ、そう言われると、そうですね」

 話しにくそうに見えた。

「普段の言葉遣いでいいよ。どうせ誰も見ていないし」

 言うと、カラトは少し頷いた。

「そう、助かるよ。実は、苦手だからね、堅苦しい言葉は……とはいえ、俺の敬語も、結構適当だったからなあ。どこまで合ってるのやら」

 一瞬で切り替わられると、少し気に入らないような気がする。

「ダークが、行方不明みたいなの。カラトなら、どこにいったのか知ってるんじゃないかって」

「いや、知らない」

 すぐに言った。

「でも、カラトと戦うことが、彼の目的だったのでしょう? 戦いが終わったら、戦う約束だったんじゃ」

「そう。俺もそう思って、彼に聞いたんだよ、あの戦いの後。だけど、やらないってさ」

 一緒に戦った仲間としては、当然戦いなどしてほしくはないのだが、やはり不思議だった。

「どうしてだろう?」

「戦う必要がないからじゃあないかなあ」

 カラトが言う。

「今戦えば、間違いなく俺が負けるからね」

「そうなの? でも、ダークはカラトの方が強いって言っていたらしいけど」

「うーん……多分、あいつにとっては、昔の俺こそが、今も越えるべき目標なんだと思っているから、そういう風に言っていたのかもね」

「ということは、昔のカラトだったら、ダークより強いってこと?」

「それもどうだろう……簡単に優劣がつけられるものじゃあないと思うけどね、俺は」

「どこへ行ったのだろう」

「さあ」

 遠くに目を向ける。

「よく分からないよな、あいつは」

 人に言えたことか、と思う。


 厩に入り、担当者と話をして、馬を一頭引き出した。

 シエラは、カラトの首に、首飾りがないことに気がついた。

「カラト、首飾りは?」

「ああ……」

 そう言うと、服の中から、それを取り出した。

 なんだ、ちゃんと持っているではないか。

「そう、ちゃんと言っておかないとね。君にずっと守って貰っていたものだから」

 そう前置き。

「これは、もう手放そうと思っているんだ」

「えっ?」

 手放す?

「どういうこと?」

「処分しようかなと」

 シエラには、言っている意味が分からなかった。

「どうして?」

「俺には、もう不必要な物だから」

 不必要?

「それ……何なのか聞いてもいい?」

「貨幣なんだ……俺の生まれた場所の」

 そう言って、カラトは視線を斜め上に向けた。

 それから、こちらに向く。

「俺が、スクレイの生まれじゃないって知ってる?」

「……うん」

 聞いたことはあったが、本人の口から聞くと、少しどきりとする。

「故郷から持ってこれた物の中で、形として残ったのは、これぐらいだったんだ」

 そう言う。

「故郷を忘れないために。そして、いつか故郷に帰る為の道しるべのためにと思って、大事に持っていたんだ」

 そう言って、それを見つめる。

「まあ、これ一つじゃあ、麦の一握りも買えないぐらいの価値しかないんだけどね」

 少し笑った。

「故郷って、どこなの?」

「ずっと遠いところ」

「帰りたくないの?」

「もう、帰る必要がないかな」

「必要?」

「俺は、もうここで生きようって決めたから。ずっと君の側にいようって」

 カラトが正面を見たまま言った。シエラは、カラトに向けていた視線を、思わず外した。

 え、と。

 今の発言はどういう意味だ。

 しばらく、二人とも黙っていた。

 もう一度、カラトを見る。

「あの、スクレイの人間じゃないのだったら、じゃあ、どうしてスクレイの為に戦ったの?」

「それについては、説明が難しいな。なんていうか……俺には力があったから、この力の役割……使命みたいなものが、きっとあるって思ったんだ」

 そう言う。

「そうしたら、フォーンに出会った。そして彼の話を聞いて、俺は、これこそがきっと使命なんだって、そう考えたんだ」

 少し俯く。

「まあ、今思うと、短絡的だったんだなって思うよ」

「そんなことはない」

 シエラは言った。

「誰にでも考えられることじゃない。すごいことだよ」

 こちらを見る。

「立派だと、私は思う」

 カラトが笑う。

「そう言ってもらえると、助かるよ」

「私の方こそ……」

 シエラは思い出す。


「そういえば、まだちゃんと言っていなかったね」

 カラトを見た。


「私を助けてくれてありがとう、カラト」


 もう一度、カラトが笑う。


「どういたしまして」


 二人で笑った。





















 タスカンに寄ってから、その足で西に向かった。

 近くの町で馬を預け、そこから徒歩で進む。

 山に入ってからは、シエラが先導して歩いた。

 記憶通りの場所に村があった。一直線に、目的の民家に向かう。

 あの時と同じだった。

「御免下さい」

 訪いをいれる。

「わあ」

 明るい声が、中から聞こえた。

「シエラ」

 入り口の戸が開かれると同時に、シャルが顔を出した。

「わあ」

 シエラも、思わず同じような声が出た。

 シャルの腕に、赤子が抱かれていたのだ。

「お久しぶりです」

 まずは挨拶。

「久しぶりだね、シエラ」

 シャルが、にやりと笑った。

「あの……」

「うん、この子でしょ。そう……私たちの子共。一ヶ月ぐらい前に生まれたの」

「そうなのですか」

「入って入って。って言っても大した持て成しもできないけど……時間はあるの?」

「はい、充分」

「あっ、貴方もどうぞ」

 シャルが、少し離れた所に立っていたカラトに言った。

 カラトが、少し頭を下げて近づいてくる。

「ニックさんは?」

「うん、もうすぐ帰ってくると思う。きっと驚くよう」

 シエラは、思わず頬が緩んだ。

「お邪魔します」

 中に入った。

 シャルは、赤子を寝台に寝かせてから、飲み物の用意を始めた。

「あっ、私がやります」

「いいの、いいの、お客なんだから。座っててよ」

「自分がやります」

 カラトが、前に割って入った。

「ごめんなさいね」

 苦笑して、手を引っ込める。

 対座で、腰を下ろした。

「ねえ、あの人誰?」

 シャルが顔を近づけて、小声で聞いてくる。

「もしかして、シエラのいい人なのかな」

 いい人?

「はい、カラトはいい人だと思いますよ」

「あ、いや、そういうことじゃなくて……まあ、いいや」

 咳払い。

「ええと、シエラは王様なの?」

「はい、一応」

「へえ」

 不思議そうな顔をする。

「あっ、えっと、今の不味かったかな」

「何がですか?」

「えっと、礼儀とか、言葉遣いとか」

 思わず息が漏れる。

「構いませんよ。私も、王族といっても、ずっと田舎で暮らしていた小娘にすぎません。王といっても、まだまだ駆け出しですし」

「そう、そうなんだ」

 続く。

「いや、こんな田舎じゃ大した情報も入ってこないからさ。なんか、新しい女王様が立ったみたいな、そんな話は聞いたんだけどね」

 そう言う。

「それで、もしかしたら、それってシエラじゃないかなって思って、どうにか連絡をしようと思って、ニックと一緒にあれやこれや考えたんだけど、まったく駄目でね。どうしようかと思っていたのよ」

「連絡?」

「そう」

 そう言って、寝台の赤子に目を向ける。

「この子のことだけは、伝えたかったんだ」

 シャルが赤子に触れた。少しだけ、赤子の手が動いた。

「是非、抱いてみてよ」

「え?」

 シャルが赤子を抱き上げると、シエラの側に寄ってきた。

 シャルが、にこにこ笑っている。

 シエラは、恐る恐る赤子に手を出した。

「ここを持てばいいのですか」

「うんうん、いいのよ適当で」

 そう言われると困る。

 ようやく受け渡しが終わった。ずっしりとした重みがあり暖かかった。

 赤子は、不思議そうな顔で、こちらを見つめている。

「おっ、泣かないね。偉いぞ」

 シャルが言う。

「女の子ですか?」

「うん、そう。よく分かったね」

 しばらく、抱いたまま立っていた。

「それから、これは断りを入れておかないといけないことかもだったんだけど」

 シャルが言う。

「この子の名前をね、シエラっていう名前にしようと思ってるんだ」

「え?」

 シャルの顔を見た。

「私の」

「気を悪くしちゃうのなら、当然止めるけど」

「どうして、私の名前を?」

「うん、私たちにとっては、とっても馴染み深い名前だしね。それに、シエラのように、強くて逞しい子になってほしいと思ってさ」

 そう言った。

「私の方こそ、いいのですか?」

「いいも何も、これ以上の名前はないでしょ。それに、新しい女王様の名前なんだから、これから増えると思うよ、きっと」

 自分と同じ名の命。不思議な気分だった。

 でも……。

「なんだか、嬉しいです」

 シエラは、赤子のシエラの顔の前に指を出した。

 それを、小さな手が握った。

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