初めて人と話すことを『楽しい』と感じた日のことを、覚えていますか?
これを書くかは割と悩みました。
全然、劇的な話じゃないからです。ものすごく不幸だった人が、何かすごい出会いがあって、何かすごいきっかけで、突然世界が明るくなった、みたいな話ではありません。
私は自分が不幸だなんて思ったことはないですし、今のところ世界が光り輝いてもいません。
でも私はたぶんレアな人生を生きてきました。一般に言うところの、普通の人たちができない経験をしてきました。
なので、忘れてしまう前に書き残そうと思います。
場面緘黙症、というのを聞いたことはあるでしょうか?
最近は聞くようにもなってきたかな、と思います。私がその名前を知ったのは割と最近のことで、なので特に診断された当事者とかではありません。
場面緘黙症というのは、特定の場面で声が出なくなる症状だそうです。
家の外だったり、発表の時だったり、「声が出ない」にもまったく出ない人から、すごい勇気を振り絞ればちょっとは出る人もいるそうですね。
私も割とそれに近しい性質を持っています。
始まりは、物心ついた時……と言うのもおかしいですね。たぶん生まれつきだと思います。コミュ障なんてのはたぶん生まれつきの性格だと思うので。
幼稚園の頃、なんてのは覚えてないので飛ばします。
小学生の頃。この頃は、まだ割と普通でした。心当たりがある人もいるんじゃないかな、と思います。
クラスに1人はいる読書家。
大人しい子。
全然喋らなくて、声が小さくて、みたいな子。
口を開いたと思えばボソボソしてて、聞き取れない。
発表とか全然できなくて先生に怒られてる。
私はそういう枠の人でした。
でもそういう子でも、案外友達相手には元気にお喋りしてたりするんですよね。
私は友達相手には耳打ちすればギリ聞こえるくらいの声は出ました。それを声が出る、と言えるのかは甚だ疑問ですが、一応出ました。
国語の音読もできました。発表も必要に迫られればできました。聞こえていたかは知りません。
修学旅行のバスの中とかで、マイクがまわってきて歌を歌うのもできました。でも声が小さすぎてマイクは私の声を拾えませんでした。
隣の席の子にはギリ聞こえてたのでセーフです。
私の場合それは家の外だけの話でした。家の中だと普通に話せるのです。
なので電話とかになると普通に声が出ました。当時は連絡網という伝言ゲームシステムがあり、電話口でクラスメイトに驚かれるのもいつものことでした。
ここまでは割と普通の話でしたね。
でもこのまま中学に上がります。
友達相手にギリ聞こえる声は出るコミュ障のままです。
なんか少し特殊感が出ましたね。
小学校の6年間で、私も何も成長しなかったわけではありません。声を出してもどうせ届かないことなんて、わかりきっていました。
話しかける時は、服をつんつん引っ張ります。
話す時は至近距離まで近づきます。私は小柄な方なので自然と相手を見上げるような体勢になりました。
話しかけられたら、「頷く」「首を振る」「首を傾げる」の3択です。これでだいたいのコミュニケーションは取れます。
そんな子がクラスにいたなあ、という方はいるでしょうか。
目立たないわけがないですね。
完全に成長の方向を間違えています。
それはもう孤立しました。みんな優しかったですが、扱いは完全に「発達障害者」系のそれでした。
中学生にもなって男子に「〇〇ちゃん」なんて呼ばれてたのは、特殊支援学級の子と不登校の子と私だけです。完全に下に見られています。
困ったのが『挨拶』です。
これは割と共感できる人も多いと思うのですが、挨拶ってリアルタイムコミュニケーションの最たるものです。
「おはよう」に、即時「おはよう」を返さなければいけません。
しかも相手は「相手の声が届く距離」から声をかけてきます。その距離で返答に成功したとて、私の蚊の鳴くような声が届くはずがありません。
というか、それ以前に「おはよう」の即時出力とか無理です。
小学校の同級生はこの変わり者にある程度慣れてもいましたが、中学校で初対面の人はそんなことはありません。
あの時私に「無視された」被害者が果たして何人いたでしょうか。まったく覚えてないです。ごめんなさい。
さらに困ったのが、いわゆる「2人組作って」です。
小学校の頃はまだ優しい人が誘ってくれました。でも、そんな数少ない良心は進学と同時に全員他県へ引っ越して行きました。
私が辛うじて耳打ちで話せる人はもういません。
先生も頼りになりません。
現実の先生は「先生と一緒にやろう」とは言ってくれないからです。あんなのはラノベの中の話です。
2人組が出来上がっているところに、「3人目」として捩じ込まれます。捩じ込まれた側は溜まったもんではないですね。問題児の面倒を押し付けられたようなものです。
しかし、覚えているでしょうか。
私は音読はできました。発表もなんとかなりました。声が満足に出ていたかはともかく、そこに『台本』があれば話せたのです。
そこで目をつけたのが、頼まれたら断れなさそうな大人しい子、です。
グループを組むのに会話力など必要ありません。どうせやるのだって英語の会話文の読み合いとかです。
その子が仲良しの子と組む前に、ゼロ距離まで近づいて「一緒にやろう」を言うだけです。言うことが決まっていれば、あとはこの小さな声を届かせるだけです。なんとかなりました。
仲良しの子と先に組まれてしまっていたら、「3人でやってもいいかな」です。「わからない」と言われたら同じことを先生に聞きに行きます。当然ダメとは言われないので、そしたら堂々とその子たちのところに戻って友達ヅラをします。図々しいですね。
服をつんつん、だけだと割と気がついてもらえないこともありましたが、肩をぐいっと掴めば確実でした。友達でもねえのに、馴れ馴れしすぎです。
軽く部活で虐められたり、全体的に苦しかったですが、もうほとんど覚えていないので割愛します。
「ごめーん」と謝られてから肩をぶつけられた時はびっくりしました。せめてぶつけてから謝れよ。
中学3年の頃でしょうか。私はとある一作の本と出会いました。
橋下徹さんの著作『どうして君は友だちがいないのか』です。
別にこれを読んで何もかもが好転したなんてことはないですが、少なくとも気は楽になりました。
それまで友達がいることが正義と思っていたのですが、この一冊を読んで、別に友達なんていらないんだ、になりました。
大人に友達はいないから、親に友達がいるか聞いてみろ的なことが書いてあった(ごめんなさい。さすがに読んだの10年以上前でうろ覚えです)ので、親に聞いてみました。全然友達いました。
でも私はいらなかったので、友達は必須ではないです。
余談ですが、図書室でこの本のタイトルを見た男子がケラケラ笑いながら手の先を辿って私を見た時の引き攣った顔が忘れられません。
本当に友達いない子が手に取ってて、笑っちゃいけなかったと思ったんでしょう。あの時の「ヒッ」と笑い声が飲み込まれた瞬間は格別に面白かったです。笑いを堪えるのが大変でした。
さて、高校生になります。
私は相変わらずのコミュ障です。喜ばしいことは、高校になると「2人組作って」はなくなりました。「隣の人と組んで」です。機械的で素晴らしいですね。
相変わらず話せませんでしたが、話す必要もないので割と楽しい高校生活ではありました。
中学までの同級生もいない、全員が初対面のクラスです。
もう誰も私を「〇〇ちゃん」とは呼びません。なんならこれが1番嬉しかったかもしれない。
声もこの頃には多少は通るようになっていました。少なくとも耳打ちしないと聞こえないほど小さい声、は脱しました。半径1、2メートルくらいは届いてたんじゃないでしょうか。たぶん。
「おはよう」への返答は打率1割くらいでしたが、挨拶を返せたことがめちゃくちゃ嬉しかったです。10年経つ今でも覚えているくらいには嬉しかったです。
教室の10メートルくらい前から(返すぞ、返すぞ……)と思ってました。そういう時に限って言われないんですが。いっぱい無視してごめんなさい。それでもめげずに声かけてくれてありがとう。
私が稀に声を出すとめちゃくちゃ驚かれたのを覚えています。部活で会話に口を挟んだ時には「話せたんだこいつ」みたいな目で見られました。場を凍りつかせてしまいました。
高校生といえば、スマホを手に入れた時期でもあります。
世界が広がる瞬間です。挿入のえっちな方の意味を知る時期です。
冗談はさておき、オンラインゲームのチャットで話すようになりました。ニコニコ生放送の過疎配信に行ってコメントしてみたり、凸待ちも何回か行ったかもしれません。
テキストベースのコミュニケーションができるようになりました。
以上。
このまま大学生になります。
いよいよ異常者です。
話しかけても「頷く」「首を振る」「首を傾げる」の三種の神器でしか答えない20代。
言葉にすると、なかなか強烈ですね。
そろそろ読む人が読めば私とわかるんじゃないでしょうか。こんな奇怪な人間がそうそういてたまるか。
世は大SNS時代。Twitterの全盛期です。
キャンパス内……は言い過ぎかもしれませんが、学部内の大半の人間がTwitterで繋がっていました。誰もがハンドルネームで呼び合う世界です。目の前に座っている人とTwitterの空リプで会話をするなんてことが日常的にありました。
ハンドルネームは知ってるけど、本名知らないなみたいなことも割とありました。これは私だけか?
ともかく、この文化は大変に都合のいいことです。
お喋りは大の苦手な私も、高校時代にテキストベースのコミュニケーションは習得しています。
1日に100ツイートくらいはしていたと思います。ツイ廃かよ。
Twitterでは元気な人間が、オフで会うと全く口を効けないのですから、さぞや奇怪なことだったでしょう。
しかし、私も必要なことはそれなりに話せるようになりつつありました。
研究室での会話だったり。卒論の発表とか。初対面の人相手にちょっと頑張れるようになったり。
しかしこれは、あくまでも必要に迫られれば、の話。雑談とかは全然だめでした。
相槌も打てなければ、「ごめんなさい」も「ありがとう」も言えないクズです。
人の顔を見て話せないので顔も覚えられません。アカウント名が表示されるTwitterでしかまともなコミュニケーションは望めませんでした。
話せるようになった、というより、声を出力できるようになった、と言った方が適切かもしれません。
『口で言えよ』と隣の席の子に空リプされた時はちょっと泣きそうでした。それはそう。
大学も卒業して、就職します。
え? 面接は? と思ったかもしれませんが、初対面の人相手にちょっと頑張るスキルだけでなんとかしました。
まあ、まともな会社は普通に落ちました。当たり前です。
社員数10人前後のガチで志望者がいなかったんだろうなあ、という会社への就職です。
そうです。社会人です。
こんなどうかしてる人間でも就職できました。
人はここまで墜ちても働けるのです。
とはいえ、三種の神器もさすがに封印せざるを得ません。
しかし、会社で働くのに会話力など必要ありません。必要のない職種だったのも大きいですが。頷きながら話を聞くのは得意です。質問はあらかじめ頭の中で全文考えてから行きます。
困ったのが電話応対です。
一応定型文があるので、結論から言えばなんとかはなりました。
しかし、「よそゆきの声」なんてものは実装されていません。3年働きましたが、ずっと「新人さんかな?」みたいな話し方しかできませんでした。
大変長らくお待たせいたしました。
本エッセイのメインディッシュのお時間です。
あなたは、初めて人と話すことを『楽しい』と感じた日のことを、覚えていますか?
私は覚えています。
いや、実際ある日突然話せるように、なんて劇的なことはないのでグラデーション的なところはあるのですが。
23か、24歳の頃だったと思います。とあるゲームのグループに入りました。
よくあるDiscordのゲーム鯖みたいなものです。
通話(VC)を繋いでスプラトゥーン2をやるグループでした。どうして入ろうと思ったのか、もうよく覚えていないのですが、誰かと遊んでみたかったんだと思います。
温かい人たちがいました。
くだらない話で軽口を叩いて笑い合う人たちの声を、最初は聞き専で聞いていました。
スプラトゥーンみたいなゲームをやる人であればわかると思います。
聞き専だと、意思の疎通が難しいんです。
「右に敵がいる!」「背後に来てるよ!」
これが言えない。伝えられない。ナイスとヤラレタだけだと足りない。死んで「ごめん」も言えないし、助けられても「ナイス」を押す余裕が指にない。
ミュートを解除しました。
家の中なら、もとからそこそこ話せます。といっても、通話で会話をするのは、ほとんど経験がありません。試合と試合の間の雑談タイムを通して、私は少しずつ話すことに慣れていきました。
数ヶ月か、半年か、あるいはもっと早かったかもしれません。
気がつけば私はゲームもやらずに彼らと駄弁るようになっていました。
深夜までくだらない下ネタで盛り上がりました。
通話を切るのが惜しくなっていました。
話すのが、初めて『楽しい』だと思いました。
私はそれまで、家族と話している時も、会話が『楽しい』なんて思ったことはなかったのです。
コミュニケーション能力に難のあるヒロイン。よくいますよね。
彼女が初めて会話を『楽しい』と思った瞬間を、あなたは想像できますか?
私のこのエッセイが、あなたの創作の参考になったらいいなと思います。
アハ体験、と言うのがたぶん1番近いと思います。
星ひとつ見えなかった真っ暗な夜空に、突如として月が現れたような衝撃です。
嬉しいとか、20年越しの達成感とか、そんな言葉ではまったくもって足りないです。
あまりにも美しい景色を見て思わず涙が溢れるような感動です。
声とは、情報を伝えるツールであり、大事なのは何を話すか。それが、それまでの私の常識でした。
楽しいことを話せば楽しいんだろう、と思っていました。
そんな常識が覆される革命が起きたのです。
話すことそれ自体が娯楽となり得る。
何を話すか、ではなく、誰と話すか。
話していたいから、面白くもない話題を探す。
それは、私の知らない世界でした。
ずっと、「友達と笑い合う人たち」を見てきました。私は彼らを遠い世界の住人のように思っていました。楽しそうで羨ましいなと思わなくもなかったですが、とはいえ画面の向こうの世界です。
青春アニメを見て、俺もこんな青春欲しかったなー、と思うようなものです。
彼らの楽しさが、急に理解できるところに来ました。
え? みんな、これを知っていたの? 小学生、なんなら保育園の頃から?
そりゃあ、学校楽しいよね。
休み時間になったら話しに行くよね。
この『楽しい』を、4歳から22歳まで?
いいなあああああああ!!
すっっっごく羨ましい!!
この世界で20年も生きてきたなんて、もう心の底から羨ましい!!
私がそれを知ったのは、24歳のときです。
もう学生時代は全部終わっていました。
コミュニケーション能力には、20年のブランクが依然として残っています。
ちょっとまださすがに最近過ぎて、気持ちの整理ができてない。
失った時間を取り戻すように、ではないですが、もっとこの世界を見てみたくなりました。
もっと話せるようになりたいと思いました。
絵を描き始めて作業通話に行ってみたり。SNSで繋がった人とゲームをやってみたり。
そんなことを始めて、そろそろ5年になります。まだ5年です。小学校すら卒業できません。
1年が長くなりました。
いろんな人と話しました。
もうVCでこの話をしても、「話せなかったとか信じられない」と言われます。
きっと、大学生の頃の私に「VC繋いで人と遊んでる」なんて言ったら、それこそ信じられないと言われると思います。
でも、まだVCで話せるようになっただけです。
先日、初めて親しくなった人とオフで会いました。
28歳です。
「別に普通に話せてたけど、ちょっと声が小さいかな」
と言われました。
そうです。治ってないです。
あくまでも家の中で、通話を介してなら、会話ができるようになっただけです。
いざ家の外で友人と対面すれば、まだまだ音量調整が下手くそなままです。
話しながら、私自身思っていました。ちゃんと声が出てないな、と。
レジの店員さんとか相手なら、割と自然に話せるようにもなったのに。友人になった途端この体たらくです。
それでも。
家の外で友人と普通に会話が成立しただけで、私にとっては大成功です。
会って、声を出すまで、VCみたいに上手く話せないかもしれないと不安でした。
流暢に言葉が出ていることにほっとしました。
肯定を頷くことでしか表現できなかった私が、「うん」を言えるようになりました。
最近は出会い系マッチングアプリで知り合った3人と、私の実弟も入れたDiscord鯖で、ここ3年くらい毎週のように遊んでいます。
どういう組み合わせだよ、という感じですが、本筋から逸れるので割愛。
Twitchでゲーム配信も始めてみました。気になる人は配信まで聞きに来てください。コメントなんて1つも流れないので聞き放題です。
このエッセイを読んで、24歳の劇的な出会いで人生が変わった話、と受け取った人がいるかもしれません。
でも私は、そうは思いません。
たしかに体験は劇的でした。
出会えた人たちも、とてもいい人たちでした。
でもたぶん、これくらいの優しい人は、意外とどこにでもいるのだと思います。
それこそ、中学校や高校のクラスメイトにだっていたかもしれません。
たまたま私がミュートを外せたのがここだっただけの話です。
少しずつ症状を改善させて、今もまだ改善の途上にいます。
恋愛系の話は全カットしましたが、それを自分ごとにできる日は遠そうです。
パートナーができて全部うまく行きました、なんて現実はそんなにうまくいきません。
29歳の、20年行き遅れた処女が、今日も独身貴族を謳歌しています。




