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第4回:六法全書の断罪宣告



 静謐。

 都内某所、東京地方裁判所の法廷内を支配しているのは、重厚な木材の香りと、冷徹なまでの事務的空気だった。

 異世界ファンタジーにおける断罪の場が、煌びやかなシャンデリアと貴族たちの野次馬根性に満ちた夜会だとするならば、現代日本のそれは、あまりにも無機質で、だからこそ逃げ場のない「現実」を突きつけてくる。


 傍聴席の最前列で、私は背筋を伸ばして座っていた。

 視線の先には、被告人席に座る男——佐藤一樹。かつての「高科健人」としての輝きは、微塵も残っていない。拘置所での生活で頬はこけ、ブランド物のスーツの代わりに与えられた既製品の作業着が、彼の「社会的な価値」が暴落したことを残酷に物語っていた。


「……被告人を、懲役六年とする」


 裁判長の低く、しかし通る声が法廷に響き渡った。

 執行猶予なし。実刑判決。

 複数の女性に対する組織的な結婚詐欺、および多額の横領。余罪のあまりの多さと、反省の色のなさが、量刑を最大限に引き上げたのだ。

 佐藤がガタガタと膝を震わせ、警備員に連れられて退廷していく。その背中に、かつて私を「冷たい女」と罵った傲慢さは一欠片もなかった。


 だが、これはあくまで「刑事」の結末に過ぎない。

 私の本当の目的——「正規手段」による完全なるカタルシスは、この後の民事法廷、そして法廷の外での「清算」にある。


 法廷を出ると、そこには憔悴しきった妹、美奈が立っていた。

 かつて彼女が「姉から奪った」と自慢していた輝きは、今や見る影もない。髪はパサつき、目の下には深い隈ができている。彼女がまとっているのは、私が買い与えたものでも、健人が(私の金で)贈ったものでもない、安物の古着だった。


「お姉ちゃん……」


 美奈が、震える声で私を呼ぶ。

 彼女は、まるで迷子になった子供のように私の元へ駆け寄ろうとした。だが、私の隣に立つ上条弁護士が、一歩前に出てそれを制した。


「美奈さん。これ以上の接近は、接近禁止命令の申し立て対象となります。事務的な会話以外は、すべて私を通してください」


 上条の声は、冬の氷のように冷たい。

 美奈は、まるで物理的な衝撃を受けたかのように足を止め、泣き崩れるようにその場にへたり込んだ。


「お姉ちゃん、お願い! 私、全部返したじゃない! あの指輪も、バッグも、健……佐藤一樹から取り返したもの全部、お姉ちゃんのところに送ったわ! だから、もう許して……。あの借金、お姉ちゃんがなんとかしてよ。私、もう生きていけない……!」


 美奈が叫ぶ「全部返した」という言葉。

 情報採餌理論において、これほど価値のない「情報」はない。

 奪ったものを返せば元通りになるというのは、子供の喧嘩の理論だ。大人の、それも「法」の世界では、奪った瞬間に発生した損害と、その後の利息、そして何より「不法行為」という事実は、物理的な物品の返却だけでは決して消えない。


「美奈。貴女、大きな勘違いをしているわね」


 私は、美奈を見下ろしながら静かに告げた。

 周囲の傍聴人や弁護士たちが、興味深そうにこちらを見ている。だが、私は構わない。これが私の「聖裁」なのだから。


「ゴミを返されても、困るのよ」


「え……?」


「貴女が返した指輪は、ただのガラス玉。バッグは保存状態が悪くて資産価値ゼロ。そして、貴女が私から奪った『時間』と『信頼』、そして私が支払った『調査費用』と『弁護士費用』。これらは、現物を返したところで一円も減らないわ」


 私は、上条弁護士から受け取った書類の一束を、彼女の目の前に突きつけた。


「これは、貴女に対する損害賠償請求の確定判決よ。総額、三千二百万円。貴女が佐藤一樹の共犯として動いていた期間の不法行為も認定された。だから——『自己破産』しても無駄よ」


 美奈の顔が、絶望に凍りつく。

 現代日本の法律には、強力な「縛り」が存在する。

 破産法第二百五十三条第一項第二号。

「破産者が悪意で加えた不法行為に基づく損害賠償請求権」は、自己破産しても免責されない。つまり、彼女が私に対して「故意」に精神的・金銭的苦痛を与えようとしたことが認定された以上、この借金は彼女が死ぬまで、あるいは完済するまで、一生ついて回る。


「一生かけて、払い続けなさい。毎月の給与、ボーナス、将来の退職金。すべてを差し押さえの対象にするわ。貴女が新しい恋をしようと、結婚しようと、そのたびに私の代理人が貴女の口座を凍結しに行く。それが、貴女が望んだ『お姉ちゃんのものを共有する』という生活の終着点よ」


「そんな……嘘……。お姉ちゃんだって、家族じゃない! そこまでしなくても……!」


「家族だから、正規の手続きで教え込んでいるのよ。他人の人生を奪うことの重さを。貴女が異世界のテンプレを夢見て、都合よく『真実の愛』や『略奪の快感』を享受している間、私はずっとこの『現実の檻』を組み立てていたの」


 私は、泣き叫ぶ美奈を背にして歩き出した。

 背後で聞こえる妹の悲鳴は、もはや私を苛立たせるものではなかった。それは、法という名の秩序が回復された、心地よい旋律メロディにすら聞こえた。


 裁判所の重い扉を押し開け、外に出る。

 三月の風はまだ冷たいが、差し込む日光は驚くほど明るく、澄んでいた。


「……終わったね、紗良。お疲れ様」


 隣を歩く上条が、眼鏡を指で押し上げながら微笑んだ。


「ええ。ありがとう、和也。貴方の完璧な法廷戦術のおかげよ」


「礼には及ばない。君が用意した『証拠(報酬)』が完璧だったからね。さて、これからどうする? 祝杯でもあげるかい?」


「いいえ、その前に。……新しい『契約書』のチェックをお願いしたいの」


 私はバッグから、一通の封筒を取り出した。

 それは、今回の事件を機に独立を決めた私の、新しい会社の設立登記書類と、大手企業とのコンサルティング契約書だった。

 奪われたはずのキャリア、傷ついたはずの評判。それらはすべて、この数ヶ月間の「周到な準備」と「圧倒的な勝利」によって、以前よりも遥かに高い価値を持って再生していた。


 情報を制し、法を盾とし、感情を糧にする。

 異世界の魔法よりも確実に、現代日本で「ざまぁ」を完遂する方法。

 それは、感情的に殴りかかることではなく、相手が最も依存している「社会」という名のシステムから、相手を永久に追放することだった。


 私はスマホを取り出し、佐藤一樹と美奈のSNSアカウントが、裁判の結果を受けて炎上し、完全に削除されているのを確認した。

 彼らの居場所は、もうどこにもない。

 一方、私の新しい会社のアカウントには、ビジネスの提携依頼と、新しい未来への期待が次々と届いている。


 空はどこまでも晴れ渡っている。

 私は一歩、力強く踏み出した。

 手に握った「契約書」の感触は、どんな宝石よりも重く、信頼に満ちていた。

 これが、私が選び、私が勝ち取った、正規手段による「真実の幸福」なのだから。


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