【6】花園〜ただし彼岸花〜で始まる悪夢
まぶたがゆっくりと開く。
光――いや、色彩の奔流が視界を満たした。
……ここは……どこだ……?
一面に咲き誇る、赤・白・黄・紫――色とりどりの薔薇の園。
空はエーゲ海を望むような蒼。潮風が薔薇の香りを運び、鳥たちが調べを奏でる。
――完璧。まさしく、人間界における天国の再現。
ガブリエルは一瞬、己が天界に帰還したのかと錯覚した。
だが。
身体を起こした瞬間――目に飛び込んできたのは。
燃えるような赤。
ぞっとするほど一面に咲き乱れる――彼岸花。
「……は?」
薔薇園の美しき調和の中で、自分が横たわっていた場所だけが、彼岸花でぎっしり埋め尽くされていた。
血の池地獄のような真紅の花畑。
雷事案どころか、不吉のフルコース!!
「アンジュちゃん!!目覚めたか!」
声の主はもちろんルチアーノ。
薔薇園の中央で両手を広げ、眩しいほどの笑顔を放っていた。
「どうだ!?夢のような花園だろ!?
薔薇、海、青空、そして――アンジュちゃんの周りにはスペシャルサービスで真っ赤な花を敷き詰めておいたんだぜぇぇ!!」
ガブリエルがポカンと見つめていると、隣のルシアンが冷静に呟いた。
「……彼岸花、でございますね」
「そうだ!!ロマンチックだろ!?」
ルチアーノは得意満面だが――。
ガブリエルは立ち上がり、震える指でルチアーノを指差して叫んだ。
「――これは死人の花だ!!
なぜ!?どうして!?私の感覚が間違っているのか!?」
そして、ハッと口を噤む。
……そうか。これこそが新たなる神の儀式……!
やっと神のご意思が理解できたぞ……!
神は、この私、大天使ガブリエルに新たなる儀式を次々と地上でお試しになりたいのだ……!
ご自身は地上に降りられぬ身ゆえ……何と尊き使命!
ガブリエルはフフッと微笑む。正に女神の微笑み。
そして彼岸花に顔を寄せて言った。
「ルシアンよ!私はここで聖なる祈りを捧げようと思う。お前は……お前の仕事をせい」
ルシアンが深々と頭を下げる。
「何とありがたきお言葉……!ではこのルシアン、身を呈しても……」
――バリッ!!
ルシアンのスーツが乱暴に引っ張られ、余りの勢いで裂ける。
振り返れば、ルチアーノが鬼の形相で睨んでいた。
「……ルシアン!!お前って奴は……!こっちに来い!」
「私はこれからシベリアのオイミャコンにて聖なる祈りを……」
「いいから!マイナス71.5度の場所より重要な話だっ!
アンジュちゃんのことだよ!!」
ルシアンは即、頷く。
ただし、その手はわずかに震えていた。
「……アンジュ様の話ならば、最優先事項。聞こう」
そして輝く海を望む真っ白なバルコニーでは――。
ホワイトボードに黒色マジックで、ルチアーノが何やらラテン語を書き殴っていた。
「Amor est…eh…maximus…尊い!」
「これからお前の駄目なところを教える!俺達はズッ友!!
だからこそ、時に正直にお互いの欠点を指摘し合うんだ!
嫌われても、相手を思いやる俺様の尊さを教えてやるッ!」
「ルチアーノ。つまり、私に大天使として落ち度があるということか?
それならば言葉にしてくれれば、すぐに理解しよう」
「だーかーらー!!」
ルチアーノがホワイトボードをバンバン叩く。
「お前のその“大天使思考”が、アンジュちゃんに移っちゃってるんだよ!!
分かる!?あの美貌のわがままボディのアンジュちゃんが、なんであの美しい花園で祈るんだ!?
普通はな……瞳を開けて……美しい花々……そしてお前がいる……。
するとアンジュちゃんは言うんだ……
『もしかして、あなたが……私の王子様なの……?』ってなぁぁ!!」
……自分でうっとりしてどうする。
ルシアンはじっと無表情でルチアーノを見つめていた。
一方、ガブリエルは――
彼岸花のど真ん中に跪き、混乱していた。
えーと……
何だっけ……???
くっそー!恩寵を消しているせいか、大天使としての祈りが中途半端にしか思い出せん!
中途半端な祈りこそ恐ろしいものは無いからな……。
雷が走るどころか直下する案件だ……。
すでに聖書は2450ページ分も祈ってしまったし……。
あ! ウォーキング!
人間界ではウォーキングとやらが思考を整えるらしいからな♪
この器の人間も毎日続けていたという。
よし! 彼岸花はもう良い!
美しい花園をウォーキングしてリフレッシュしよう!
そして大天使の祈りをすべて思い出すのだ……!
私は大天使ガブリエルとして、神の試みを地上で完遂してみせる……!!
そう決意すると、ガブリエルは歩きにくいピンヒールを脱ぎ捨て、白いコートまでも投げて花園に入った。
うわー!爽快☆
しかもこの芳しい香り……癒やされる……。
だが――。
視界の端に映るのは、やっぱりルシアンの辛気臭い無表情!
……ルシアン!祈りに行けよ!お前は祈れるんだから行け!
今はお前の顔は見たくないの!!
ガブリエルがプイッと顔を背け、反対方向へ歩き出すと、なぜかルシアンが走ってこちらへやって来た。
……飛べよ。
と、ガブリエルが思った瞬間。
ルシアンは一本の薔薇を差し出した。
真っ白な花びらは淡いピンクに縁取られ、光を受けて虹色にきらめく。
その神々しい薔薇に、ガブリエルは悟った。
――これは神のご意思!
神は私の働きに満足してくださっている……!!
胸に熱が込み上げ、ガブリエルはその茎をそっと掴んだ。
……走る、激痛。
ルシアン!!
お前は何がしたいの!?
神の御心の薔薇を私に捧げるなら、棘くらい抜いておけ!!
指先から血が流れる。
その赤を見た瞬間――。
ルシアンがすっとガブリエルの手を取り、無表情のまま血に口づけた。
……は?
絆創膏貼れよ!!!
ガブリエルの怒りが再び内心で炸裂する。
ルシアンは無表情でガブリエルの指先に口づけたままだ。
沈黙。沈黙。さらに沈黙――。
だが――。
「おおおおぉぉぉぉ!!❤️❤️❤️」
地獄の王ルチアーノは薔薇の花園で全力の土下座をして、天に向かって悶絶していた。
「尊いっっ!!
ルシアンがアンジュちゃんの血に口づけしたぞおお!!
花園の奇跡だあぁぁぁ!!」
周囲の薔薇の花びらが、彼の転げ回る熱気にあおられて舞い上がった。
そして浮かぶ三者三様の内心。
ガブリエルの内心:絆創膏貼れ。
ルシアンの内心:これでルチアーノが黙るなら祈りに行ける。
ルチアーノの内心:ロマンチック大勝利!!!
……温度差で風邪ひくわ。
――ランジェリーしか身に付けていないガブリエルの想いは、虚しく募るばかりだった―――
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