7/100日 説得
約束の何時間も前に私は会社にいた。何も手につかずに家にいるよりは面倒でも何か話を進めておきたかった。しかしそれは失敗だったことに気が付いた。私がここを辞めようとしていることは既に伝わっているらしく腫物かのように私を取り扱っていた。
「思ったより早いな」
「おはようございます」
「だいぶ疲れた顔しているな」
「先輩ほどではないですよ。」
先輩もだいぶ疲れた顔をしていた。私のことで考えていてくれたのだろう。
「少し外に行くか。」
「いいんですか?」
「大丈夫だ。許可は取っている。」
「それでは外でもいいですか。」
「行くか。」
先輩に連れられるがままに近所の喫茶店に向かった。座るや否や先輩は私に頭を下げた。
「この前はすまなかった。」
「謝らないでください。私の方が悪いです。」
「いや、あんな言葉はかけるべきではなかった。」
「本当に気にしないでください。」
やはり先輩は悪い人間ではない、真摯な態度に改めてそう思った。しかし私はこの仕事を辞めないといけない。
「今日は来てもらえないと思っていたよ。」
「いえ、私も中途半端なままでは悪いですし。」
「そうか。ところで仕事を辞める意思は変わってないのかい」
「はい。」
「理由は言えないと。」
「はい。あえていうなら……」
「あえて言うなら」
余計な一言を言ったとは思ったがもう止める事は出来なかった。
「少し人生というものを考え直すことがあって……」
「人生をか……」
「先輩はあと100日後に死ぬとしたらどうしてますか。」
「急な話だな」
「私はまだまだやり足りない事が多いと思ったんですよ。」
「なるほど。それで仕事を辞めたいと」
「はい。」
「そんなに甘いもんじゃないぞ。人生は。」
思った通りの返事が返ってきた。だからこそ話していなかったのだと思い出した。
「そうだと思います。」
「それならなんで辞めるなんて言うんだ。人生は長いぞ、100日じゃ人は死なない。」
「……はい」
言いたいことを思いっきり飲み込んで話を聞いた。
「次に決まる仕事は今よりもいいものだとは限らないだろ。」
「そうですね。」
「ならもう一度考えてみないか。」
「すいません。決めている事なので。」
「……わかった。」
「すいません。」
私は上司にはもう話したいことが少ないのだという事が悲しく感じた。それからの話はほとんど聞き流していたので覚えていない。しかし段々と上司の顔から失望の色が濃くなってきたのは覚えている。
どんな流れか上司は私を諦めていた。それとも元々そのつもりだったのかもしれない。
「有給消化があるから正式には1か月後の今日退職扱いとなるからな。それまでに退職願を送ってくるようにしてくれ。」
「わかりました。」
素早く返事をして家に帰った。