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ミザリアの異世界案内所 案件2


 23時を過ぎた繁華街に、明らかに場違いなセーラー服の少女が歩いていた。


 その少女は、肩くらいの長さの髪の毛を後ろで無造作に結び、丸いレンズの眼鏡を掛けている。

 絵にかいたような真面目な女子校生という感じだった。だからこそ、夜も更けた繁華街が似合わず、すれ違う人々から妙な目で見られていた。


「お嬢ちゃん家出かい? 行く所が無いなら、おじさんの所に来るかい?」


 駅からここまでの10分位の間に、心配する素振りを見せて、下心丸出しの男に声を掛けられたのは三度目だ。


「ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫なのでお構いなく」


 少女はそう言うと、男に見下した視線を送り、足早にその場を去る。


 彼女の名前は、神田川かんだがわ 流花るか。高校2年生の17歳で、昨日から家出中の身だった。手持ちのお金は既に尽き、とても大丈夫と言い切れる状況ではない。


 やっぱりこの時間に制服は目立つなぁ。でも、ジャージよりはマシだし、他にまともな服も無いし、仕方なかったけど……。それにしても、この場所に無かったらどうしよう……。


 流花は、そんな事を考えながら、辺りを見渡し歩きつつ、目的のビルを探す。


 すれ違う人々の半分は仕事帰りの会社員で、残りの半分は酔っぱらいだった。


 なるべく目立たない様に、歩道の端を歩き、目的地を探す……。

 本来なら目的地というもは向かう物なのに、流花は、その向かう先が分からないまま、この場所まで来てしまっていた。


 無計画、行き当たりバッタリ……。普段、流花が一番嫌うような行動なのだが、今は余裕が無く、他に当ても無かった。

 家を出る直前にネットで見た、当てにならない噂程度の情報を頼みに、この駅まで来てしまった。

 その噂とは、異世界へ連れて行ってくれる人が、この駅周辺のビルの、地下2階に居るというもの……。


 そんな話、本当に信じている訳じゃないけれど……。でも、もう異世界くらいしか私には行く所が無い……。


 流花が信号待ちで立ち止まった所で、後ろから誰かに手を引っ張られる。


「ねぇ! ちょっと! あなた! こんな時間に何しているの? 学生でしょ?」


 流花が驚いて振り向くと、グレーのスーツを着た若い女性が、流花の腕を握り立っていた。


 警察? 補導員かな? 面倒だな……。


「えっと、何ですか? 急いでいるんですけど」


「何ですかじゃないでしょ! 子供がこんな時間にどうしたのよ? 何か家に帰れない事情があるのなら話を聞くわよ? お姉さんに聞かせてくれない?」


 その女性は、流花の手を掴んだまま優しく微笑む。

 しかし、流花はその手を力任せに振り払い、冷静に答える。


「大丈夫です。目的地はもうすぐなので、お構いなく」


「あら? 目的地がすぐならお姉さんと一緒に行きましょう。ね? 私、山川というの。本業はニュースサイトの記者なんだけど、困っている子供を助ける活動とかもしているの。貴方みたいな子を放っておけないわ」


 その女性は、鞄から名刺を取り出し、流花に手渡しながら笑顔で答える。流花は仕方なく名刺を受け取りつつも、露骨に迷惑そうな顔をして見せた。


「あの……私、別に困っていないです。それに、そんなに子供じゃありません」


「はいはい。困っていない人は、夜中にこんな場所を制服で歩いていませんよ。どうせ家出中なんでしょう? ご飯食べてる? 髪もボサボサじゃない!」


 流花は小さくため息を尽きつつ、髪を指でとかして整える。


「本当に迷惑なんです。これから行く場所は一人で行かないと駄目なんです」


 流花は正直に伝えた。塾の帰りとか、親と待ち合わせとか、いくらでも嘘を言う事は出来たが、それはしたくなかった。大人みたいに、その場しのぎの嘘を言わない事だけが、自分の信条だったのだ。


「あら? それは益々気になるわね。1人じゃないと駄目な場所? ねぇ、それってどんな場所なの? 教えて欲しいなぁ」


 山川と名乗った女性は、さらに興味を持ったらしく、早足で歩き出した流花の後を負けずに付いて来る。


 どうしよう、この人……ずっとついて来る気? 悪い人じゃなさそうだけど、それでも、やっぱり大人は信じられない。絶対に! なんとか撒かないと……。


「どうせ、信じて貰えないでしょうけど、この先の雑居ビルに、異世界へ連れて行ってくれる魔女が居るらしいの。私は、その人の所に行くのよ」


 流花は、いっそ本当の話をして、呆れて帰ってもらおうと思った。自分で嘘を付かないと決めている流花にとって、他には良い案が浮かばなかった。


「え? 魔女ですって? お願い! その話、詳しくきかせて!」


 山川は流花の両肩を掴み懇願する。流花は、その迫力にのけ反りながらも、真実を話す作戦は逆効果だったと痛感していた。こんなに興味を持たれるとは思ってもいなかった。


 もう、最後の手段しかない。これは、なるべく避けたかったけど……。


「わかった! わかったから、手を放して」


 流花はそう言うと山川の両肩を掴み、くるりと反対側を向かせる。


「え? なに? なに?」

 

 山川があっけに取られている隙に、流花は後方に向かって全力で走り出した。


 後ろから山川の悲鳴に近い叫び声が聞こえる。流花は人ごみを掻き分け走り続ける。


 あの女性はタイトスカートでパンプスだったし、そう簡単には追い付かないだろう。


 流花の最後の手段は、体力任せの逃走だった。しかし、流花も体力に自信がある訳ではないし、何より町中で走るのは目立つので、なるべくなら避けたかった。

 

 しかし、そのかいが有ってか、なんとか山川を撒く事が出来た……。

 ――と思ったのだが。流花が両膝に手をついて、切らした息を整えていると、後ろから声が聞こえてきた。


「ちょっと~ 急に走り出して、どうしたのよ~」


 小走りで山川が追い付いてきた。息も切らせず、余裕すら感じさせる。


 うそ? なんで? 完全に撒いたと思ったのに!


 流花は平然と付いて来る山川に唖然としつつも、背中を向けて目を逸らす。しかし、最後の手段を使ってしまい、すでに体力の残っていない流花は、諦めて山川に話しかける。


「意外と元気なんですね。おばさん」


「あら? 私、結構体力には自信があるのよ。貴方から見たらおばさんかもしれないけど、まだ25歳なんでね。まだまだ若いのよ~」


「ふ~ん。でも、もう着いてこないで欲しいんですけど。大人だったら、明らかに迷惑そうにしているんだから気付いて下さいよ」


「そうも行かないのよね~。間違った方に向かう子供を正しく導くのも大人の重要な役目なのよ。今の貴方みたいな子を放ってはおけないわ。大人のお姉さんとしてはね!」


「むぅ~ 私、冗談じゃなく、本気で異世界に行きたいんです。間違いに向かっているなんて決めつけないで下さい。もうお願いだから、放っておいて!」


「ちょっ……」山川は流花の言葉をさえぎるように両手を小さく振りつつ答える。


「ちょっと待って! 私、別に貴方が異世界に行くのを止めたりしていないわよ? 私も魔女っていう人に会いたいだけなの。その魔女が、本当に異世界に連れて行ってくれる存在なのか、それを確認したいのよ」


「本当に?」


 流花は、何度も頷く山川の表情を見て、少し考えを改める。


 この人は、本当に魔女に会いたいだけなのかも……。それに、もう闇雲に目的地を探すのも限界だし、手伝ってもらうのも有りかもしれない。場所さえ分かれば、後は、何とか理由を付けて、私だけで行くようにすれば……。


「わかったわ。じゃ、この辺で、地下二階まであるビルを探して欲しいの。そこに魔女の店が有るらしいのだけど……」


「え? ちょっと貴方、場所も分からずに向かっていたの? 呆れたわ……」


 そう言って山川は笑いながら、やれやれという感じで肩をすくめる。


「バカにするなら帰ってください! この近くなのは確かなんです。魔女の店は、正式な場所を公表していないの。たどり着ける人だけが、魔女に会えるのよ」


「まぁまぁ、落ち着いて。私、この辺は職場が近いから結構詳しいのよ。でも、地下2階まである商業ビルなんて無かったと思うのよね。一般の人が入れない管理用のフロアとしてなら有るかもしれないけど……」


「そんな……地下二階というのは、間違いないのに……」


「その間違いのない情報というのは、いったい誰からの情報なの?」


「え? えっと、ネットで見たと言うか、このサイトで……」


 流花はスマホの画面を山川に見せる。


 山川は呆れたように、小さくため息をつくも、何も言わずに流花のスマホを手に取り、内容を確認する。


「その条件に近いビルはあのビルね。でも確か、地下1階までしかないはずだけど」


 そう言って山川が指さしたビルは、飲み屋の看板がいくつも出ているが、寂れた感じで入りにくいビルだった。特に女子校生なんかは、絶対に自ら進んで入らない場所に思える。


 でも、だからこそ……あり得そうな気がしてくるのだった。


「私、あのビルに行ってみるわ。1人で行かないと魔女には会えないらしいから。私が行った後、少し経ってから貴方も来ればいいわ。来たいのならね」


 山川は自分のスマホで時間を確認しつつ、頷きながら流花に答える。


「分かったわ。でも地下一階までしかないビルだし、奥は行き止まりだから、あんまり期待しないでね。飲み屋の酔っぱらいに絡まれても相手にしちゃ駄目よ~」


「わかっているわよ。そもそも私は、大人の人とは話したくないの。貴方ともね!」


 そう言い捨てると、流花は早足で雑居ビルの入り口に向かった。


 その雑居ビルは、1階の店は殆どが閉まっている寂れたビルだったが、地下の方からは人の話し声が聞こえてくる。どうやら飲み屋街になっているようだ。


 実際に地下に降り立つと、制服の流花は場違い感が際立っていた。飲み屋の客も不思議そうに眺めるが、面倒な事に関わりたくないのか声を掛けてくる者はいなかった。それは流花に取っては好都合で、おかげで誰にも声を掛けられる事も無く、飲み屋街を散策する事が出来た。しかし、肝心の下へ続く階段が見当たらない。


 飲み屋街を何度か行ったり来たりを繰り返し、流花は廊下の突き当りで足を止めて、振り返る。ここまで歩いて来た通路は、閉店してシャッターの閉じている店と、飲み屋が数件あるだけで、地下への階段などは見当たらなかった。もちろん途中に分岐なども無い。


 うそ? ここで行き止まり? このビルじゃなかったって事?


 流花は改めて、袋小路であるこの辺りを見渡す。モップやバケツが無造作に置かれているだけの、薄暗い行き止まりだ。扉や階段など、これ以上進めそうな所は無い。


 どうしよう……別なビルを探そうか? 山川とかいうあの人は、ここのビルが1番条件に近いと言っていたけど、適当な事を言っただけだったのかも……。やはり大人は信じられない。自分で他のビルを探してみるしかないかな。もう、終電が無くなりそうだけど……。


 流花がこのビルを諦めて他のビルを探す決意をし、出口に向かおうとしたその時、先ほどまで何も無かった壁に下へ続く階段が有る事に気が付いた。


 流花は、信じられないという表情で立ち止まる。


「え? なんで? さっきまでは絶対に何もないただの壁だったのに!」


 流花は思わず声に出し叫んでしまう。そして改めて周囲を見直す。階段が現れた以外は、先ほどと変わらない、何もない袋小路だ。


 信じられない……。急に現れるなんて、魔法の階段? でも、これでハッキリした。ここが正解の場所だったんだ。この先に、私の事を異世界へ連れて行ってくれる魔女が居る。


 流花は意を決して、薄暗い階段を1段1段、慎重に下りていく。


 ――地下へ続く階段を、慎重に数段下りた所で、階段の先に弱々しく光る何かを見つけた。


 階段を降り切ると、その明かりの元が、四角い腰位の高さの看板だとわかる。


【ミザリアの異世界案内所】


 その看板にはそう書かれている。小さく「異世界への永住者募集中」とも書かれていた。


 あった! 本当に異世界って書いてある! よかった。ネットの噂はガセじゃなかった。


 この先に魔女が居るんだ……。看板に書かれているミザリアというのが魔女の名前? どんな人だろう? あ~ 緊張してきた……。


 流花は看板の前で暫く立ち尽くし、何度も異世界という言葉を眺める。SNSで報告しようとスマホを取り出すも、圏外である事に気付く。仕方なく看板の写真を撮り、後でSNSにアップしようと思い保存する。


 看板の右には通路は無く、左に進む事しか出来ない。左の通路は、数メートル先で黒いカーテンが廊下を塞ぐように閉じられている。このカーテンの先に魔女が居るのだろう。奥は暗くて見えないが、流花は覚悟を決めて、カーテンに近づき手を掛ける。


 カーテンをくぐり、奥に足を踏み入れると、すぐ目の前に重厚な木製のテーブルが置かれているのが見えた。背もたれの無い木製の丸椅子も足元に置かれている。


 テーブルの上には水晶玉が置かれてあり、その左右にはロウソクが灯っている。いかにも魔女が居そうな、流花が思い描いていたイメージその物の場所だった。


「あら? いらっしゃい。随分と可愛らしいお客さんね」


 そう言いながら、テーブルの奥から女性が現れたのは、色白で金髪の美しい女性だった。肩幅よりも大きなつばのある黒いとんがり帽子を被り、マント姿。左手には自分の身の丈よりも大きな、木製の杖を持っている。誰もが思い描くような魔女の恰好をしている。


 右手には三十cm程の長さの、銀色のキセルを持っていた。魔女は、それを咥えると、薄い緑色の煙を吐き出す。


 何アレ? 笛みたい。異世界のタバコ? 不快じゃないけど、不思議な変な匂い……。


「それで、お嬢さん。ご用は何かしら?」


 魔女は、再度、薄い緑色の煙を吐きつつ透き通った声で尋ねる。


 流花は、目の前に現れた魔女に見入っていた。いや、圧倒されていたのかもしれない。その魔女は、有名な女優のように、思わず目を奪われ、そのまま心も奪われてしまいそうな美しさだった。


 流花は、魔女に見とれて立ち尽くしているしまっている自分に気付き、慌てて頭を下げつつ叫ぶように言う。


「魔女さん! お願い! 私の事を異世界に連れて行って下さい!」


「あらあら、まずはお座りなさい」


 そう言って魔女は、促すように木製の椅子に杖を向ける。


 流花は、言われるがまま、その椅子に座り魔女を見つめる。その魔女は、テーブルの向こうの椅子に腰を掛け、水晶玉の向こうで流花に優しく微笑む。


「私の名前は、ミザリア。あなた達の言う、異世界から来た魔女よ。そうね。貴方が本気で希望するのであれば、私達の世界……異世界へ連れて行ってあげてもいいわよ」


「本当ですか! ぜ、是非お願いします! お金も持ってきました」


 そう言って流花は鞄から財布を取り出し、中身を確認する。


「まぁ、待って。まずは、少し話を聞かせて頂戴。貴方のお名前は? どうして、貴方はこの恵まれた世界から、わざわざ危険な異世界へ行きたいのかしら?」


 流花は、あまりに焦っていた自分を恥ずかしく思い、顔を赤くして俯きながら小声で言う。


「あ、あの、すみません。名前は、神田川 流花です。今、高校二年生です。私、この世界には居場所が無いんです。異世界に連れて行って下さい!」


 ミザリアは、前髪を邪魔そうに手でかき分けると、キセルを一吹かしし、ゆっくりと話す。


「流花……虚ろないい名前ね。この世界に居場所が無いって、貴方、学生なんでしょ? 学校があるじゃない。家だって無い訳じゃないでしょ?」


「もちろん、学校や家はありますけど、でも、そこに私の居場所は無いんです。私には、色々事情があるんです!」


「いじめられているとか? 勉強に付いていけないとか? 友達もいないのかしら?」


「ち、違います! そういう事じゃないんです。家庭の事情で、学校にお金を払えていないんです……さすがにもう居づらいし、学校を辞めるしかなくて……」


「そう……貴方の家は貧乏なのね? でも、貴方が働けばいいんじゃない?」


「母は働いているし、私だってバイトしています。死んだ父親の保険金も有ったんで、それなりに暮らしていけてました。でも最近、母が男の人に貢いでいるみたいで……。急にお金が無くなったとか言われて……。私のバイト代も取ろうとするし……。たまに家に男の人を連れて来ては、その間は、私に家から出ていけと言うし……」


「まぁ、貴方のお母さんじゃ、まだ若いだろうし、そういう事があっても仕方ないわよね」


「そんな! 子供のお金ですよ! それに、最近は食事もまともに作ってくれなくて……」


「そんな事で、居場所が無いなんて言っているの? 呆れるわね」


「そんな事って……魔女の貴方なら、普通の大人とは違い、理解してくれると思っていたのに……。私、自分が大人になるのも許せない。大人になる前に、異世界で生まれ変わって、新しい人生を生きたいんです!」


「ふぅ~」ミザリアはため息と同時にキセルを咥えゆっくりと煙を吐き出す。


「何か勘違いをしているみたいだけれど、異世界に行っても生まれ変わる訳じゃないわよ? 今の貴方のまま行く事になるわ」


「え? え? 今の記憶を持ったまま、誰かの赤ちゃんに生まれ変わるんじゃないんですか? 王族とか貴族とかに……」


「はぁ……こちらの世界の、アニメとか漫画の影響かしら? どうしてそんなに都合の良い話になるのかしらね……。私に出来るのは、貴方を異世界に連れて行くだけ。向こうの世界でも、貴方は今の貴方のままよ。何も変わらないわ」


「そ、そんな……。私、大人が大嫌いなんです。その大人になりつつある自分も嫌なんです。若返る魔法とか使って、何とかなりませんか? 異世界で、子供からやり直したいんです!」


「本当におかしな事を言う子ね。今、貴方が会話している私も大嫌いな大人でしょ? それに、流花。貴方も既に充分大人よ」


「貴方は……ミザリアさんは、魔女だから特別です。それに、私……まだ17歳です。大人では……ないです……」


 流花は自分の両腕を胸の前で交差させて両肩を握りしめる。まるで自分の体を抑え込むように。そんな流花の様子を横目にミザリアは冷たく言う。


「私の世界では、もう大人よ。十五歳から成人よ。それに、どうしてそんなに大人が嫌いなのよ? 何かあったの?」


「大人は……私の周りの大人は、偉そうで嘘つきで、子供を騙す人ばかりです。だから嫌いなんです。大体、ニュースで事件を起こしたり、悪い事をしているのは、みんな大人じゃないですか! 子供に偉そうに言う大人の方が、悪い事を沢山しているんです!」


「そうかもしれないけれど、じゃ、流花も大人になったら嘘つきで子供を騙す大人になるのかしら? 大体、貴方の言う大人って、何? 年齢の事?」


「成人したら、きっと私も……。だから怖いんです。大人になりたくないんです!」


 興奮している流花とは対照的に、ミザリアは静かにゆっくりと答える。


「一つ年を取ったからって、人はさほど変わらないわよ? 誕生日の次の日に、目覚めたら性格や考え方が変わると思っているのかしら? おかしな子ね……」


「で、でも……」流花は納得が行かないように言葉を詰まらせる。上手く言えないけど、心の中に、大人にはなりたくないと思う自分が居て、その感情がどうして抑えられないでいた。


「残念だけど、流花を異世界に連れて行く訳にはいかないわね。貴方には、その資格が無いわ」


「そ、そんな! 折角ここまで辿り着いたんです。お金も用意しました! お願いします!資格ってなんですか?」


「資格……そうね。簡単に言うなら、命を懸ける覚悟ね。流花は今の状況から逃げ出したいだけでしょ? 私達の世界は、そんなに甘くないわ。貴方を連れて行っても、3日も経たずに、殺されるか奴隷として売られるでしょうね。そういう世界よ」


「そんな……。何か特別な力を与えてくれたりはしないんですか? 転生特典とか、実は、私には凄い隠れた能力が眠っているとか……」


「そういうのは、全く無いわね。諦めなさい」


 ミザリアは肩をすくめて優しく微笑み、今にも泣き出しそうな顔の流花に優しく、だけどもキッパリと言い切る。


「――そんな顔しないで。私もガッカリしているのよ。だって、ここに辿り着く人、みんな凡人なのだもの。村人Aにしかなれないような人ばかり。私としては、勇者になれる凄い能力の持ち主を探して連れていきたいのに……」


「うぅ……。じゃ、どうすればいいんですか? 私には、もうこの世界には居場所が無いんです。異世界へは連れて行ってくれないんですか?」


「そうね……。まず、流花の言う居場所って、何?」


 流花は少し考えて、自信無さそうに話し出す。


「私にとっての居場所と言うのは、私が居る事で誰にも迷惑を掛けなくて、居ても良いんだと思える場所です……」


 魔女は目を閉じて、手に持ったキセルを咥え、ゆっくりと煙を吐き出す。


「アハハ! 何それ? 自分の部屋で良くない?」


 突然、ミザリアの後方から陽気な声が聞こえ、流花は驚き、辺りをキョロキョロと見渡す。

「え? 何? だれ?」


 流花は、明らかにミザリアとは違う、誰かの声に戸惑う。


「あぁ、気にしないで使い魔の妖精よ。いつも適当な事を言うの」


「妖精! 見たい! どこですか?」


「駄目よ。ペットや見世物じゃないの。もう口を出させないから気にしないで」


 そう言ってミザリアは後ろを向いて小声で何かを呟く。


「そんな……見たかったです。妖精……。そうすれば、貴方を異世界から来た人だと信じられたのに! 結局、何だかんだ理由を付けて、異世界にも連れて行ってくれないし、本当は全部、嘘なんじゃないですか!」


「私は、別に貴方に信じて貰いたいなんて思っていないわよ、流花? 貴方が見た目よりもお子様だっていうのも、もう充分に分かったわ。大嫌いな大人と無理して話していないで、お帰りなさいな」


 流花は俯くと肩を震わせて、膝の上に涙をこぼし始める。


「ここが、最後の望みだったんです。命だって、掛けてもいいと思ってやって来たんです。本気だったんです! 私なりにだけど……」


 暫く泣き止まない流花に対して、ミザリアは諦めたように言う。


「はぁ……仕方ないわね。一応、流花の能力を詳しく調べてあげるわ。ひょっとしたら、私にも気付かない才能があるかもしれないし……」


「私の能力? 本当ですか? 私に何か特別な能力が有れば、異世界に連れて行ってくれるんですか? 本当に?」


 流花は、ミザリアの事を信じられないと言い放ったにも関わらず、彼女の只ならぬ雰囲気に、この世の人とは違う何かを感じていた。


「そうね、能力次第だけれど……。まぁ、あんまり期待はしないで欲しいわね。パッと見、貴方には能力は感じられないから……」


 そう言うとミザリアは、テーブルの上に置いてあった水晶玉を流花の前に押し出す。


「さぁ、この水晶灰色に両手を乗せてみて。乗せるだけでいいわ」


 流花は眼鏡を外してハンカチで涙をぬぐうと、再び眼鏡を掛けなおし、自分の両手を見つめ暫く考えてから、大きく頷いて水晶にそっと手を乗せる。


「こ、これでいいですか?」


 流花がそう言った途端、水晶玉の色が薄い水色に変化した。それは、ほぼ白と言っても良い位の淡い水色だった。


「へ~。なるほどね」


 ミザリアは頷きながらそれだけ言うと、立ち上がり、流花の頬に手をかざす。


「え? え? なんですか?」


「流花。――貴方、面白い能力が有ったわよ。とても珍しい……フフフ」


「本当ですか! どんな能力ですか? その能力が有れば、異世界に連れて行ってもらえるんですか?」


「それは貴方次第ね。流花……。貴方の能力は強運よ。でも、弱いわずかな能力」


「弱い強運……なんか矛盾しているような……」


 流花は、納得しないような顔で首をひね


「フフフ、そうね。レベルが低い能力と言った方が良いかしら? だから、簡単なテストを受けてもらうわ。異世界へ行く資格があるかを判断するテストよ」


「テスト……。望むところです!」


 流花は、諦めかけていた異世界への可能性を提案されて、喜び思わず大きく頷く。


「フフフ、じゃ、まず料金を頂こうかしら。お金は持って来たんでしょ?」


「え? あ、はい。これが今の私の全財産です」


 そう言って、流花は鞄から茶色い封筒を取り出して、お札を数枚ミザリアに手渡す。そのお札を数えながらミザリアは首を横に振る。


「流花。足りないわね、これじゃ。12万円しかないじゃない。最低でも30万円は必要なのだけれど……」


「そ、そんな! 私それしか……。あの、学生割引とか……無いんですか?」


「そんなのは無いけれど、そうね……。その金額で行ける範囲の異世界というのでも良いかしら?」


「は、はい。贅沢は言いません! どこでも! この世界じゃない場所なら!」


「そこまで言うなら分かったわ。でも、まずテストに受かってもらう必要はあるわよ」


 そう言って、ミザリア一旦立ち上がり、奥の部屋に消えて行った。流花は涙目で祈る様に両手を合わせて静かに待っている。


 私は異世界に行く! 絶対に! この世界じゃないどこかに! お母さんにも学校の先生にも、もう会いたくない……。


 1分も経たないうちに、ミザリアは戻って来た。右手には、杖の代わりに透明の液体が入った、ガラスのコップを持っている。


 そして流花の前、そのコップをそっと差し出す。


「水……ですか? これ?」


 流花はコップを手に持ち、匂いを嗅ぎながら言う。


 ミザリアは首を横に振り、キセルを咥えた後、ゆっくり煙を吐きながら答える。


「それはね……飲んだら3日後に絶対に死ぬ毒薬よ。一口でも飲んだら、人間なら確実に死ぬわ。3日後にね」


「え?」小さく呟きながら、流花はコップをそっと顔から遠ざけテーブルに戻す。


「え、えっと……。これを飲んで、私が3日後に死ななかったら合格? とか?」


 流花は、恐る恐るミザリアに聞く。しかし、ミザリアが飲んだら絶対に死ぬというのだから、本当に飲んだら死ぬのだろう。理由は分からないが、流花は今やミザリアの事を盲目的に信用していた。


「フフフ、違うわよ。貴方が行きたいのは死人の世界じゃないでしょ? この毒薬を誰でもいいから飲ませてきて欲しいの。それが、流花! 貴方へのテストよ」


「誰かに飲ます? 毒薬を? 私に誰かを殺せと言うのですか? そんな事したら警察に捕まってしまいます!」


「死ぬのは、その毒薬を飲んでから三日後よ。誰も貴方のせいだとは思わないわ。それに、その頃には貴方は異世界に居るのだから問題無いわよ。どう? ルールは理解したかしら?」


「そ、そんな……誰かを犠牲にするなんて、私……」


 流花はコップの中の揺れる液体を眺めて、弱弱しく答える。


「流花? 貴方の嫌いな大人に飲ませればいいじゃない。誰でもいいわよ? その辺を歩いている酔っぱらいでも、最初に声を掛けて来た人でも」


 流花は、一瞬、外で待ってくれているであろう、山川と名乗った女性の顔を思い出す。彼女なら、流花が頼めば、躊躇いつつもコップの水を飲んでくれるだろう。


 でも……


「どうして……どうして、誰かを殺すなんて、そんな事をする必要があるんですか? 私、大人の人は嫌いだけど、殺したいなんて思った事はありません!」


 興奮気味の流花とは対照的に、ミザリア落ち着いた様子で答える。


「でも、貴方が異世界に行くには、必要な事なのよ。貴方は異世界に行けるなら、命を懸けても良いと言っていたじゃない。ただ、掛けるのは、貴方のじゃない誰かの命よ。フフフ……簡単な事でしょ?」


 俯いたまま微動だにしなくなった流花に、ミザリアは言い放つ。


「さあ! 貴方の覚悟を見せてごらんなさい!」


 流川頭を深く下げて、暫く考えてから絞り出すような声で答える。


「か、覚悟? 分かりません! どうしてそんな事が必要なんですか? 無理です! 私、誰かを殺すなんて、出来ません! いや、したくありません!」


 流花は思わず立ち上がり、ミザリアを睨みつけて叫ぶように答える。


「あら、親が嫌いとか言っていたけど、意外とまともに育ててもらっているじゃない。正しい判断よ。無暗に人を殺すなんて、愚かな事よね……。この世界では、だけれど」


 流花は思わず立ち上がってしまった事に気付いて、バツが悪そうに、ゆっくりと椅子に座り、ミザリアの言葉を待つ。


「そうね。じゃあ、想像で良いわ。想像の話。――もし、貴方と、誰かもう一人。外に居る、知らない男の人と、どちらかがこの毒薬を飲まないと、2人とも死ぬとしたら、どうする? 飲んだら3日後に死ぬと知っているのは、貴方だけよ」


「想像なら……それは、男の人に飲ませます。知らない人の為に死ぬほど、私は良い人じゃないから……」


 ミザリアは満足そうに頷くと、さらに続ける。


「ふ~ん。それじゃあ、同級生ならどうかしら? 同じクラスの女子生徒なら」


 流花は、一瞬、ハッと驚いたような顔をした後、俯きながら、小さく答える。


「――多分……その同級生に飲ませます。私は……命を掛けても良いと思える程、仲の良い友達なんて居ないので……」

 ミザリアは、コップを手に取って、流花の顔の前に持ってくる。


「それじゃ、流花。貴方の母親とだったらどうかしら?」


 流花は一瞬だけ唇を噛みしめてから、冷静に答える。


「母親に飲ませます。二人とも死ぬのは馬鹿だし、親なら子供の為に仕方ないと思います。でも……せめて三日間は、一生懸命、親孝行します……」


 流花は、自分を納得させるように何度も小さく頷く。その様子を見ながらミザリアは、質問を続ける。


「そう……じゃあ最後に……。知らない誰かの子供。五歳くらいの女の子とだったら、どうかしら?」


「え?」小さく呟いた後、流花は暫く言葉を失う。


 子供? 私よりもずっと小さな女の子?


 流花は口に手を当てて、暫く考え込んだ後、覚悟を決めたように両手を膝の上で握りしめて答える。


「わ、私が飲みます!」


 小刻みに震えながら、目に涙を貯めて流花は必死に答えた。それは自分でも信じられないというような表情だった。


「どうして? 貴方とは関係の無い、知らない子供よ? TVのニュースで、子供が亡くなった事故を聞いたからといって、毎回気落ちなんかしないでしょ? 見たかったTVを見忘れた方が、ショックだったんじゃない?」


 ミザリアは信じられないというように、両方の掌を天井に向けて、大げさにアクションを取って見せる。


「ニュースで見るのと、自分の意志で殺すのとは訳が違うんです。私は、自分よりも小さい子供を死なせたくない。だって、その子に比べたら、私の方が大人だから……」


「フフフ……まぁ良いわ。大体わかったわ。流花の事」


 そう言って、ミザリアはコップを手に取ると、中の液体を飲み干した。


「な! なんで? 騙したの? 毒薬なんかじゃないじゃない!」


「勘違いしないで。これは私が作った毒薬だから、私には効かないのよ。このまま置いておいても処分に困るから飲んだのよ」


「そ、そうなんですか……」


 ひょっとして、私、騙されている? いや、からかわれているのかも?


 流花は怪訝そうに眼鏡を直して、優しく微笑むミザリアを直視する。


「あの、それで、私は異世界には……」


「貴方の支払う金額と、身の丈に合った場所に送ってあげるわ。ただし、命の保証は出来ないから断るなら今よ。もう戻って来られないかもしれないしね」


 流花は「戻って来られない」と聞いて、一瞬だけ母親の顔を思い浮かべたが、すぐに大きく首を縦に振る。


「最初から覚悟を決めて来ましたから! 大丈夫です。それに私、強運の持ち主なんでしょ?」


「そうね……。じゃ、その覚悟に免じて少しだけ魔法をかけてあげる。大人からの子供へのサービスよ」


 そう言って、ミザリアは満足そうに頷きながら微笑む。


「魔法? どんな魔法ですか? いえ、どんな魔法でもいいです。お願いします」


「フフフ……向こうの世界で、目を覚ました時のお楽しみよ。それじゃ、目を閉じて大きく息を吸って……」


「え? あ、はい」流花は言われるままに目を閉じて大きく息を吸う。すると、急激な眩暈と眠気が合わさったような感じで、スゥーっと意識が遠のくのを感じる。


 あれ? ひょっとして、私このまま死ぬのかも? まぁ、こんなに安らかに死ねるなら、それでもいいのかもしれないな……。


 そんな事を考えつつ、流花は完全に意識を失った。




 ミザリアは一息つき、帽子を脱いで前髪を指でかき分ける。


「ねぇ! その子どうするの? まさか連れて行くの?」


 帽子の中から光る妖精が出て来て、ミザリアに声を掛ける。


「マカロも分かっているでしょ? 勿論、連れて行かないわ。本当の覚悟も無い、世間知らずのお子様だもの。この世界のどこか適当な所に飛ばすわ」


「アハハ~ だよね~」マカロと呼ばれた妖精は強く光り、クルクルとミザリアの周りを飛び回る。


 そんなマカロを右手で軽く払いながら、ミアリアは意識の無い流花に近づくと、耳元で小さく何かを呟く。すると、ふらふらと流花は立ち上がり、ミザリアの後を付いて、奥の部屋に向かい歩いて行く。


「ねぇ、ねぇ! ミザリア! ところで、サービスの魔法って何? 何?」


「う~ん。そうね……。何にしようかしら?」


「考えていなかったの? 適当~」


「低レベルの生活補助魔法を適当に何個か掛けておくわ。それで充分でしょう」


「え~ そんなんじゃ生き残れないよ~ あの子死んじゃうよ~」


「フフフ、どうかしらね? 一応、強運の能力を持っているのよ。それに、たとえどんな結果だとしても、流花自信が選んだ運命よ」


「まぁ、そうだけど~ それにしてもミザリア。そろそろ本気でヤバイよ~ まだ誰も連れて戻っていないんだもん。処罰されちゃうよ~」


「分かっているわ。そうね……、そろそろ本気で考えないとね……」


 そう言うとミザリアは、帽子を被りキセルを咥えて、大きく煙を吐き出す。


「――この恵まれた世界から、私達の世界に行くなんて……」


 ミザリアは、独り言のように呟くと、奥の暗い部屋に静かに消えていった。





 ――あれから、どれくらいの時間が経ったのかは、わからない。


 ただ、流花は意識を取り戻しつつあった。どこか、暗い狭い場所に寝ているのが解る。思うように手足が伸ばせないし、呼吸も苦しい。


 ひょっとして、棺桶の中だろうか?


 流花はそんな事を何となく思いながらも、冷静に状況を判断していた。すると、目の前が急に明るく開かれた。眩しくて目を閉じる。それと同時に、驚く人の声が聞こえた。高齢の男性の声に思える。


 流花は様子を伺う為に、このまま眠ったフリを続ける事にした。


「うわ! 人だ! 女の子か? 生きているのか?」


 流花が少し体を動かし、小さくうめき声を上げると、さらに驚く声が聞こえる。


「生きている! 人が送られて来た! バカな! いくら人手不足だと催促したからと言って、ダンボール箱で人を送って来たのか? 正気か? あの連中は……」


 声の主は、そう言うと、流花の肩の辺りを、乱暴に揺さぶる。


「おい! 君! 大丈夫か?」


「い、痛いです! やめてください!」


「うわ! ごめん!」男は、そう言うと流花から両手を放し、一歩下がり様子を伺う。流花は上半身を起こして、眼鏡を直しつつ、自分に声を掛けてきた男の事を観察する。


 その男は、白髪交じりの薄い頭に、黒い太いフレームの眼鏡を掛けており、流花からしたら、お爺さんと言っても 良い年齢に見えた。よれよれの白いランニングシャツに、ベージュのだぼだぼのズボンを履いているが、不潔さは無い。


 さらに周囲を見渡すと、そこは小さな木造の部屋だった。荷物や本など、物が多いけれど、それなりに片付けられている。


 ここが異世界? 今の所、普通の田舎の家に思えるけど……。


「お、おい! 大丈夫なのか? 痛い所はないかい?」


 辺りを不安そうに見つめる流花に、男は優しく声を掛ける。


「あ、はい。大丈夫です……。あの、ここはどこですか? 日本ですか?」


「え? どこって、寝ぼけているのかい? 君は、この国の支援の為に来た人じゃないのかい? 僕が人手不足だと毎回のように連絡しているから……」


 不思議そうに首を傾げる流花を見て、男は続ける。


「ここはアフリカにあるプルキナファソと言う国だよ。僕はここで医者の真似事をしている日本人さ。名前は、井之頭いのがしら はじめよかったら、君の名前も教えて欲しいのだけど」


「アフリカ……」流花は、そう小さく呟いた後、目の前の井之頭に向き合い挨拶をする。


「私の名前は 神田川 流花です。えっと、現状がよくわかっていないのですが、ここは日本じゃないって事ですか? アフリカ?」


「えぇ? まさか、事情も分からずにこんな所に連れてこられたのかい? 困ったな……もう患者が来てしまうし、君に構っている時間は無いんだよ」


「あ、あの! 私! 何か手伝います。――出来る事なんか、あるか分からないけど……」



 ――この時、何故か私は、必死に自ら手伝いを申し出た。状況も、この井之頭さんが信用できる人かも分からなかったけど、何かしないといけないと思ったのだ。


 私が送られた場所は、小さな診療所だった。(信じられない事に、私はダンボール箱に衣料品と一緒に入っていたらしい!)


 そこは、病院という程の設備も無く、医者も井之頭さんだけだったけど、毎日多くの人が朝から列をなして、訪れて来た。


 私は、勿論、医療の知識も技術も無かったし、何も出来ないと思っていたのだけど、患者さんの話を聞いて、井之頭さんに伝えると、大変驚かれた。井之頭さんは現地の人の言葉があまりわからず苦労していたのだとか。


 ――そう。私は、なぜか現地の人の言葉も文字も理解できたのだ。相手も私の言葉を理解してくれている。私は普通に日本の言葉を話ているだけだったのに……。


 ミザリアさんが、サービスで魔法を掛けてくれると言っていたが、きっと、どんな言葉も理解出来てしまう魔法だったのだと思う。全く凄い魔法だ。充分チート能力と言ってもいいと思った。


 ――そして、気が付くと、私がここに来てから三年が経っていた。私は、この診療所で、井之頭さんの手伝いをしながら、何とか暮らし続けていた。


 ここの人達は、毎日が、辛い事や悲しい事ばかりなのに、たまにある楽しい事を大事にして、日々を必死に生きている。私は、そんな村の皆からすっかり信用されて、家族のように受け入れられていた。ここが私の場所だと思える程に。


「ねぇ、私のお母さん、すぐ良くなるんだよね?」

 子供の問いに私は笑顔で答える。

「そうね。毎日ちゃんとお薬を飲んでいたらね」

「僕の弟はまだ入院しないと駄目なの? 一緒に勉強して偉くなるって約束したんだ!」

「そうね。もう少ししたら退院出来ると思うわ」


 ――私は、いつの間にかすっかり嘘が上手くなっていた。子供達を安心させてあげる為に、出来もしない約束を、何度もした。


 今の私は、子供だった頃の私が、大嫌いだった筈の大人になってしまったのだろう。いや、今ではそれは、勘違いだったんだと思ったりもする。


 そもそも、子供とか大人とか区切りをつける事に意味なんて無かったのだ。みんな、それぞれ一人の個性ある人間なだけなんだと考えられるようになった。


 患者さんに偉そうに話をする井之頭さんだって、よく白衣を裏表逆に着ちゃうし、ニンジンが嫌いで絶対に残すし……。下らない冗談を言ったり、子供みたいな所が沢山ある。


 私だって、村の子供たちに偉そうな事を言った日の夜に、涙が止まらなくなって、子供のように泣きじゃくる事もあるし、大きな虫が部屋に入っただけで大騒ぎしちゃう。


 だから私は、今でも大人になったなんて思っていない。でも、ここでは子供じゃ居られなかったのだ。自分よりも弱い存在の人が沢山いて、私はただ、その人達を助けたかった。


 その為には、大人のように振る舞うしかなかった。皆を安心させるために、偉そうに笑顔で嘘も付けるようになった。それが正解なのかは、今でもわからない。


 思えば、この場所だからという訳ではない。日本でもそうだったのかもしれない。


 私の周りの大人だと思っていた人達も、不安や疑問を抱えながらも、子供や立場が下の人達の前では、毅然としていなければいけなかったのだろう。偉そうに言っていても、本当は何もわかっていなかった事もあるのかもしれない。今の私のように……。


 大人に「成る」というのは、単に年齢を重ねる事ではなく、状況によって、成らざるを得ない事なのかもしれない。逆に、そういう状況にならない人は、ずっと子供のままでいられるのかもしれない。


 私は日本から遠く離れた場所まで来て、みんなが当たり前に出来ている大人に「成る」事がやっとできた。


 ここは正に異世界だった。ここに来る以前の私が知っている世界は、家と学校と塾くらいで、狭い限られた世界だった。でも、それが全てだったのも事実。


「お~い、流花君。もう準備は出来ているかい? 日本に戻してあげるのに三年もかかってしまって申し訳ない。何せパスポートも無いし、入国した経緯も何も分からないからさ、手続きとか色々大変だったよ。とりあえず、やっと君を日本に帰してあげる事が出来そうで、肩の荷が下りたよ。ははは……」


 井之頭さんは薄い頭を掻きながら寂しそうに笑った。


「安心してください。ちゃんと帰ってきますよ? 私。だって、井之頭さん一人じゃ心配だし、ここの皆の事も大好きだから!」


「ははは。そう言ってくれるのはありがたいけどさ、無理はしなくてもいいんだよ。ここは不便で危険な所だからさ。日本から来るのも簡単じゃないし」


「大丈夫ですよ。何と言っても、私、強運の持ち主なんだから」


「うん……。ホント言うとね、流花君にはずっとここに居て欲しいんだよ。皆の為にも僕の為にもね。ははは」


「もう! また子供みたいな事言っちゃって。でも、嬉しいです。ありがとう!」


 今の私には、迷惑を掛けた色々な人に感謝出来る心の余裕があるみたい。


 日本に戻ったら、先生や母さんにも謝って、ちゃんと話をしないといけないし、山川さんにも謝りたい。名刺の所でまだ働いているかな?


 ふふふ、不思議。あんなに嫌いだった私の狭い世界なのに、感謝したい人が沢山いる。




 そうそう、会えるかわからないけれど、ミザリアさんにもお礼を言わなくちゃ。


 日本に帰れる異世界に、私を連れて行ってくれてありがとう! って。


                                          おしまい

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