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 侍女長のマーサに手紙を書いた翌日、王宮から迎えがやって来た。

 玄関前に乗り付けられた馬車の前後には護衛騎士がずらりと並んでいる。その数なんと三十人。

 公爵邸から王宮までの距離はそう離れていないし、王都の治安はそれほど悪くない。少し前に悪女カリルが関与した人身売買事件があったものの、その件は既に解決済みだ。街では個人間の小さな諍いはあれど、暗殺やら強盗といった凶悪犯罪は起こっていない。

 だからこそ、この迎えは些か大袈裟ではないだろうかとエミリアには思えた。


「なんだか護衛の数が多くない?」


 居並ぶ騎士達の姿に圧倒されたエミリアは横に立つタリアに耳打ちした。


「そんなことはありませんよ。お嬢様はヨシュア殿下の婚約者としていずれは王家に名を連ねることになるお方。ですがお嬢様とヨシュア殿下の婚約を快く思わない者もいますから、このくらいの護衛は普通でしょう。というか、しっかり護衛をつけてくださらないと困ります」


「そ、そうなんだ」


 これで街中を通るのは注目を浴びそうで恥ずかしいのだが、そういうことなら仕方ない。

 頭では納得しつつ目立つのは嫌だなぁ、とエミリアは表情を曇らせた。


「そんな顔しないの、ミア」


 母はふふっと笑いながらエミリアを嗜めた。


「王家がここまで厳重に警護を付けてくれるということは、それだけミアを大事に思ってくれている証拠よ」


「テレサの言う通りだよ。王家はミアを丁重に扱うことで、この婚約に反対する他家への牽制もしてくださっているのさ」


「お母様! お体は大丈夫なんですか? それにお父様も! お忙しいのでは?」


 エミリアはエントランスに現れた両親に驚きつつも顔を綻ばせた。


「大切な娘がしばらく家を空けるんだ。見送り以上に優先すべき仕事なんてないさ」


「お父様ってば」


  あっけらかんと笑うと父にエミリアは苦笑した。

 エミリアは毎日遅くまで父の書斎に明かりが灯っていることを知っていた。本当は寝る間も惜しんで仕事しなければいけないほど忙しい筈なのに。

 それでも仕事を中断して見送りに来てくれたことは、たまらなく嬉しかった。


「体には気をつけてね。それからあまり無理はしすぎないように」


「はい。お母様もお体にはお気をつけて」


 エミリアは母と抱擁を交わすと荷物を片手に馬車に乗り込んだ。


「それじゃあ、行ってきます」


 馬車の小窓から顔を出すと、エミリアは元気よく両親に手を振った。

 御者が馬に鞭をくれると馬車がゆっくりと動き出す。王都の道路は綺麗に舗装がされていて殆ど揺れを感じない。エミリアは窓から頭を出したまま遠ざかっていく公爵邸を眺めた。


「落っこちますよ。そろそろ顔を引っ込めてください」


「はぁい」


 タリアに素っ気なく注意されるとエミリアは素直に顔を引っ込めた。

 小言は絶えないがタリアが一緒に来てくれるのはなによりも心強い。


「それにしても王宮のしきたりとか行儀作法ってどんな感じなんだろう?」


「わざわざ呼びつけて教育するくらいですからね。結構難しいんじゃありませんか? 何時間も部屋に缶詰にされたりとか」


「えーっ! 脅すようなこと言わないでよ」


「まぁ、大丈夫ですよ」


「投げやりだなぁ、もう……」


 エミリアはふぅ、と溜め息を吐くと天を仰いだ。


 実を言うと、王宮での講義にそこまで不安はない。別に勉強は嫌いではないし、公爵令嬢として様々な分野の教育を受けてきたので、一から知識を入れなければならないことはそこまで多くはない筈だ。

 気掛かりがあるとすれば、それはヨシュアのことである。

 婚約披露宴以降、全く会えていないが、同じ城内にいれば顔を合わせることもあるだろうか?


 そうだったらいいな、とエミリアは甘い期待に胸を高鳴らせた。


 しかし王宮での教育はエミリアの想像以上にハードなものだった。

 礼儀作法から始まり外国語に歴史、経済、天文学。王室のしきたりやタブーを学ぶのはもちろんのこと、それだけには飽き足らず流行の劇やファッション、楽器にダンスとエミリアが受ける講義は多岐に渡った。

 公爵令嬢として様々な分野の教育は施されてきたが、短期間にあれこれ詰め込まれると流石に辛い。


 ちなみにこの日の講義は近代史である。周辺諸国との

 関係を正しく理解するには知っておかなければならない学問の一つだ。エミリアは必死に教本を目で追いながら講師の言葉に耳を傾けた。


「レディエミリア。ここまでの内容で質問はありますか?」


 講師を務めるアマンダ女史の声は酷く冷淡で、眼鏡の奥から覗く瞳は感情がまるで感じられない。

 生徒と講師という立場上、馴れ馴れしくする必要はもちろんないのだが、ここまで素っ気ない態度をされるとちょっぴり怖い。

 緊張と疲労で手が汗ばむ。小さな不快感を感じながらエミリアは真剣な表情で首を振った。


「い、いえ。大丈夫です」


「そうですか。では、今日はここまでにいたしましょう」


「はい、ありがとうございました」


 エミリアが深々と頭を下げると、アマンダ女史は無駄のない所作で手元の資料を片付け始めた。


「疑問点がある場合は次の講義までに解消しておくように」


 では、と言ってアマンダ女史が退室するとエミリアは机に突っ伏した。

 勉強は嫌いではないが覚えることが多過ぎて頭が爆発しそうだ。


「お疲れ様です、お嬢様」


 労いの言葉とともに机の上にティーカップが置かれる。

 目が覚めるようなすっきりとした香りがしてエミリアは顔を上げた。


「ありがとう、タリア」


 紅茶を飲むと疲れが少しだけ和らぐ気がする。

 エミリアはホッとひと息つくと、両手で顔を覆った。


「ジェフリーのスイーツが恋しいよぉ」


 エミリアが悲壮感漂う声を上げると、タリアが困ったように眉を下げた。


「王宮に来てまだ五日ですよ」


「疲れた時こそジェフリーのスイーツは沁みるのよ」


「もはや禁断症状じゃないですか」


 タリアは呆れ顔で溜め息をついた。


「だってぇ……」


「まぁでも、ここに来てからずっと頑張ってますからね」


「……え?」


 エミリアは机から顔を上げると目を瞬かせた。

 今、褒められた?

 タリアにはいつも怒られるか喝を入れられるかのどちらかなので、そんな風に言ってもらえるとは思わなかった。


 エミリアがポカンと口を開けていると、タリアは餌付けでもするかのようにお菓子を放り込んだ。


 それは砂糖がまぶされた丸いクッキーで、中には小さく砕かれたナッツが入っている。

 エミリアが大好きな食べ慣れたお菓子だ。


「タ、タリア! これ!!」


「はいはい、食べ終わってから喋ってください」


 言葉を遮られたエミリアは咀嚼し終わると目を輝かせた。


「これって、ジェフリーが作ったクッキーよね!?」


「お嬢様が毎日頑張っていらっしゃるので、ジェフリーに頼んで作ってもらいました」


「あ、ありがとう、タリア〜!!」


 半分涙目になりながらエミリアはタリアに抱きついた。


「ただし、お嬢様はいつも食べ過ぎるので管理は私がします。いいですね?」


「うん!」


 なんだか自分が犬にでもなった気分だが、正直悪い気はしない。エミリアは元気よく返事をした。


「はい、口開けてください」


 タリアが袋からクッキーを取り出すのとほぼ同時にコンコンッと扉を叩く音がした。

 返事を待たずに開いた扉からエドワードが顔を覗かせた。


「やぁエミリア。調子はどう?」


「エドワード殿下。またいらしたんですか?」


 王宮に移ってから五日目になるが、エドワードはやはり毎日エミリアの元を訪れていた。そう、皆勤賞である。

 この人、きちんと公務をこなしているのだろうか。なんとなく国の未来が不安になってエミリアは憂いを含んだ目でエドワードを見遣った。


「そんな邪険にしないでくれよ。あ、お菓子休憩中だった? いいねいいね、僕も混ぜてよ」


 エドワードは遠慮なく部屋に踏み入ると、タリアに向けて口をあけた。


「……なんの真似ですか?」


「エミリアの真似だよ」


 タリアの問いにエドワードは上機嫌に答えた。

 途端にタリアの眉間に深々と皺が刻まれる。


 なんの真似って、たぶんそういうことを聞いているんじゃないと思うのだが。エドワード殿下のことだ。全部わかった上でふざけているに違いない。

 楽しそうなエドワードを視界の端に収めつつ、エミリアは事の成り行きを見守ることにした。


「ターリア、早く早く」


 エドワードが急かすとタリアは無言でクッキーをエドワードの口に放り込んだ。


「いやぁ、クッキーが美味しいのは勿論だけど、タリアから食べさせてもらうと何倍も美味しく感じるね」


 エドワードはクッキーを食べ終えると満足そうに語った。幸せそうなエドワードとは対照的にタリアは能面のような顔で口を開いた。


「そうですか。それは良かったです」


 そう言ってもう一つクッキーを手に取るとエドワードの顔の前に持っていく。


「えっ、もう一回いいの? 絶対怒ると思ったのに」


 エドワードはそう言いつつ嬉々としてクッキーを頬張った。するとタリアは間髪を容れずにクッキーを再びエドワードの口に運んだ。


「え、あ、あれ、タリア? まだ口に入ってるから」


 しかし困惑するエドワードのことなどお構いなしでタリアは次から次へとクッキーを口に放り込んでいく。

 目の前で繰り広げられる攻防を眺めながら、こうなると思った、とエミリアは心の中で呟いた。


「ちょっ、ちょっとまっ! ゴホッゴホッ!!」


 ついに咀嚼が追いつかなくなりエドワードが盛大に咽せると、ようやくタリアのクッキー攻撃は止んだ。


「エドワード殿下、生きてますか?」


 エミリアは呆れながら瀕死のエドワードに紅茶を差し出した。

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